第3話 たぬきと食べるきつねの味
恵美と来栖廉。ふたりきりになった空間に沈黙が流れる。
そもそも何故、ふたりきりになってしまったのか。
透が「廉と恵美さん、留守番お願いできる?」とバタバタした様子で優愛を連れて出ていってしまい、そのせいで恵美は、自身がたぬき男と揶揄する来栖廉とふたりきりになってしまったのだ。
しかし、どうにも納得いかない。優愛の旦那さんになる人の友達が来栖廉であることも、こうやって今ふたりきりになっているのも、偶然ではなく、来栖廉によって策略されたものなのではないか、と恵美は勘ぐってしまう。
まさか、ね。
恵美はその考えを消し去るように、出ていく前に透が出してくれたコーヒーに口をつける。
「こんちゃん。ここに俺とこんちゃんが二人でいるの、実は偶然じゃなくて俺が仕組んだものだとしたら、こんちゃんは俺のこと軽蔑する?」
考えていたことをそのまま目の前の男に口に出され、恵美は思わずコーヒーを噴き出しそうになった。
「何故、仕組む意味があるのか分かりませんけど」
できるだけ冷たく言ったつもりだった。
「こんちゃんのこと好きだから」
それなのに、廉から返って来た言葉は恵美が予想していないものだった。
――いや、心のどこかで、もしかして、なんて思っていた。
「……たぬきおとこ」
「え?」
「そのセリフ、いろんな人に言ってるんじゃないんですか」
「違うよ。俺、本気だから」
真っ直ぐ熱のこもった視線を向けられる。
「……私のこと、こんちゃんって呼ぶくせに」
「そんなに、嫌だった?」
恵美の目から、ぽたりと一粒の雫が溢れた。
「ご、ごめん!恵美ちゃん!ほんとごめん」
この人はずるい。普段は飄々としているくせに、たまにこうやってびっくりするほど真剣な顔をする。
「私、赤いきつね嫌いなんです」
恵美は、ぽつりぽつりと話しはじめた。
恵美の母親は、シングルマザーだった。恵美が小学4年生になると、母はさらに仕事が忙しくなり、恵美は一人で食事をすることが多くなっていった。大晦日でさえも。
「大晦日、当たり前のように1つしか赤いきつねはなくて。私は、お母さんと二人で食べたかったんです。でも、言えなかった。いってらっしゃいとしか言えなかった」
一人で食べる赤いきつねは、とても寂しい味がした。5分という待ち時間も永遠に感じたし、蓋を開けた瞬間にふわぁっと香ってくる出汁の香りも悲しい匂いだった。
しかも、その日……。
「お母さん、死んじゃったんです」
あの日、小学4年生の時の大晦日。私が今日だけは一緒に食べたいって言えなかった日。お母さんは、仕事に行く途中に交通事故に遭って死んでしまった。
「私が、あの時、引き止めていたら、お母さんは死なずに済んだ」
だから、大晦日は嫌い。
「私がお母さんを殺したんです」
「それは違うよ」
来栖先輩は、強く、だけど穏やかにそう言った。
「恵美ちゃんのお母さんが亡くなったのは恵美ちゃんのせいじゃない。
この世には、悲しいけど、自分じゃどうしようもできないこともあるんだ。
あの時、あぁしとけば良かったと思う後悔は一生残る。
でも、できて良かったって思うこともあるでしょ?
恵美ちゃんはお母さんに『いってらっしゃい』を言えたじゃん。
今まで、よく、頑張ったね」
頭をぽんぽん、と優しくたたかれると、今まで心の奥の方に仕舞っておいた感情が、
「俺と赤いきつね食べようよ」
もともと赤いきつねは幸せの味だっていうの、思い出させてあげるからさ。
戻ってきた透さんと優愛、それから廉先輩と、喫茶店で食べた赤いきつねは、懐かしさと幸せの中に優しさを含んだ味がした。
赤いむすめとたぬきのおとこ 緑川えりこ @sawakowasako
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