ヒトのカタチ/Rule of Evolution

ウツユリン

深宇宙と、歌と、地球と、ヒトならざる者の決意

『——シリウス、誕生日ローンチデイおめでとう!』

 素朴な、それでいて情感たっぷりにバースデイソングを歌い終え、〈三日月イヤホン〉に届いていた声が短く息をついた。

 そうして紡がれた祝いの言葉には、効果音——クラッカーの弾ける音や口笛が重なり、空間を飛びこえてこちらの場の雰囲気を盛りあげてくれる。

「よっ、大発明家!」

 ついでに、はやし立てるつもりで僕もそう叫び、透明がかった肌色の両手を打ち鳴らした。乾いたその音が、漆黒の現実空間へ虚しく融けていく。

 ——そんな虚空を、しゃくりあげるオーバーな声が響いていく。

「おおきに、ホンマおおきにっ! いやぁー、すっばらしいなあー! 耳心地ええわー。有肌オーガスキンのうなじがゾクゾクしたで。てゆうか、アカリたんと超ラッキーにつながった魔改造したオレ、まじガリレオ級。やばっ、人類史でいうんなら引っ立てられてっちまうがな……痛てっ」

 隣でいつも通りの、大げさなリアクションをしてみせたルームメイトの肩を小突いてから、

「まるで、月が見えうようだったね」

 と、僕は歌声の相手——外耳へ差しこんだイヤホン越しの声へ、比喩ひゆを交えてそうたたえた。

 素直に感想を述べたつもりだったけれど、片耳へ返った怪訝けげんそうな彼女の言葉は『……なにそれ?』だった。

「つまり、アカリの唄は、月光のように澄んでいてだね——」

「アカンなー、アルタイル。アカンて。そんな気張ったセリフ、意味わからん。歌姫と、このスーパー超時空イヤホンを創ってもうた大親友へのリスペクトが足りひんで」

『あんたの褒め言葉もわかんないけどね、シリウス』

「なんやてっ⁈ 殺生なー」

「こないだ転がりこんできたばかりで、よく言うよ」

 イヤホンの通信相手と、真横に立つ僕からの冷たい返しを受けて、シリウスの焦げ茶色に半透明なスキンヘッドがガクッとうなだれる。

 その拍子にシリウスの右耳から、光沢を持った銀色のアクセサリーが滑り落ちて、無辺のフローリングを転がっていった。

 つられて目で追いかければ、そのさきはどこまでも続く、漆黒の空間が広がっている。——宇宙だ。

「アカンアカン。自分、ヒューマノイドやのに耳の形が合わんとか、お茶目がすぎてヘソで茶が沸いてまうわ。あ、ヘソはあるんやったっけ」

 いったいぜんたい何の模様なのか、うごめくイラストのパーカーをめくり、無駄に割れた腹筋をシリウスがさらけだす。

 そうして勝手に独り合点するおしゃべりなルームメイトの姿を、ため息で見送りながら、僕は周りをぐるりと見回した。

 僕たちがいるのは、方舟——恒星間移動船の全天ビューホールだ。

 普段、天体観測や歴史の授業で使われるこのだだっ広いホールには今、僕たち二人のヒューマノイド——正確にはプラス、通信相手のアカリの、合わせて三人しかいない。

 そんなホールには、方舟から見える星の明かりが、そこら中に散らばっていた。

 恒星レベルの天体ショーならともかく、長く深宇宙を旅してきた僕たち形態保存人型媒体ライフスタイル・ストレージ・ヒューマノイド/LSSHに、遠い星の瞬きは珍しくもなんともない。おかげで、方舟でも随一の"退屈なスポット"は、貸し切りになっていた。

『そっちじゃ、パーティーとかしないの?』

「全クルー総出のお祝いより、オレは、アカリたんのバースデイソングのほうが千万倍うれしいで」

「こいつ、友だち居ないんだよ」

「なに言うてんねん、アル。おまえがマブダチやないか」

「……で、方舟きっての"ぼっち"スペースに、僕を引っぱってきたっていうわけ。にしても、よく使用許可がとれたよね。ここを管理してるのって、ティーポット教官じゃなかったっけ」

 そうジト目を、きょうの主役の"ぼっち"へ送る。

 拾いあげた〈三日月イヤホン〉をつまみ、ホロキーボードに指を走らせていたシリウスは、目を合わせようとせず、「まあ、な」と歯切れの悪い返事を寄越してきた。

 ホログラムに照らされたその唇が一瞬、きつく結ばれた気がして、僕は「シリウス?」と名前を呼んでいた。

 けれど、シリウスは「アカリの唄、じかに聴いてみたいわー」と通信相手に水を向けて応えない。

『あ、あたしはその、歌手じゃないんだから……。どう歌っても、おなじよ』

「んなことぁ、ないで。オレのハイパーイヤホンでも、アカリたんの表情までは受けとれんもん」

 きょうの主役は、シリウスだ。

 強がってはいるけれど、三千を超すクルーが暮らすこの方舟で、シリウスが僕以外の誰かヒューマノイドと一緒に居るところを見たことがない。

 だから、ひと月ほど前に突然、僕の部屋のハッチを叩いてきたときは結構、びっくりした。ちょっとウルサいところはあるけれど、暇をもてあますことの多い方舟クルーとしていうなら、これくらいの陽気はむしろ羨ましい。

 しかも、アカリと話せるようになったのは、紛れもなくシリウスの発明のおかげなので、根掘り葉掘り訊いて雰囲気をぶち壊すような、そんな記念日に興を削ぐようなマネはしたくなかった。

 というわけで仕方なく、二人の"生唄"に対する議論を聞くともなしに聞きながら、僕は目の前に広がる宇宙へ思考を馳せていった。

 コツコツと踵を打ちつければ、たしかに靴底から、硬い床の感触が返ってくる。

 けれど、上も下も、見渡す限りの暗黒と、地球とちがってまたたかない点のような星明かりしかない。美しい眺めだが、無窮の宇宙空間の只中に自分がいるのだという実感を、マザマザと突きつけられてくる。

 僕たちの目的地は、はるか銀河の彼方だ。

 最寄りの炭素生命が居住可能な惑星は、数十光年さきだと、方舟の航行システムは言っていた。加速度的に加速し続けている方舟のヴァイオンエンジンを駆ったところで、やはり到着まではかかる。

 ——そうして到着までのあいだ、僕たちは〈ヒトのカタチ〉を保ち続けるよう、規定ルールされている。

「……そりゃ、生身じゃ気が触れる、か」

 ぽつりとこぼした僕の独り言を、議論に飽きたらしい〈三日月イヤホン〉の彼女は聞いていたらしく、少し拗ねたような声が間を置かずに返った。

『メンタル激弱な人類ホモサピエンスで悪かったわね。臆病で、あんたたちを記憶媒体ストレージよろしく宇宙に送った、愚かなしゅで』

「僕たちが地球を発ったのは、アカリの生まれるずっと前だよ」

「拗ねたアカリたんも激カワやで」と、超高速タイピングしつつ、茶々を入れてきたシリウスの背中へ肘鉄を食らわせてから、僕は「それに」と続けた。

「適材適所、だったんじゃないかな」

『……どういう意味?』

「ほら、アカリたち人間は地球で、環境の回復と仮想空間の拡張に専念してる。それって、昔の地球を知っているアカリたちじゃないとできないことだよね? でも、僕らヒューマノイドは、丈夫なボディを持っているし、パーツの替えもきく。意識のコピーはできないけど。だから、僕らは人間から託された〈ヒトのカタチ〉を携えて、新天地をさがしにきてるんだ。おかげで、こっちは見飽きるほど絶景が見られるしね」

 方舟で暮らしていれば、飽き飽きしてくるほどの満天の星宿。

 そんな星の海原を、僕は不思議と"お腹いっぱい"に感じたことはない。最近なんか、前にも増して綺麗に感じるようになったくらいだ。

『人の、形……』

 人間の理想のカタチ——よく動く手足があり、十代後半のみずみずしい外見を保ち、多様な文化を併せ持つ。そう彼らが定義した形態ライフスタイルを、僕たちは託されて新天地へ運ぶ。

 ぜい弱極まりない人間の肉体では、長期間の航海に耐えられず、かといって理想フィクションの世界で語られた超技術の粋に達してもいない。

 だから、ヒューマノイドが代わって旅に出た。

 僕たちはいわば、〈人類〉というカタチを新鮮なまま運ぶための容れ物で、そのカタチから離れるのはご法度だった。

『……ねえ』

 少しの沈黙を置いて、アカリの声が返ってくる。その声はどこか、沈んで聞こえた。

『あんたたちが唄を聴いちゃいけないって、ほんと? あたし、調べたんだ。そしたら、〈方舟アーカイヴ〉の規程ルールにそんなことが書いてあって……』

 アカリの心配に僕は、嬉しいような残念なような、そんな込み入った感情が湧いて返事に躊躇ってしまう。なぜか、長ったらしい文字の羅列とにらめっこしているアカリの、会ったこともない姿が思い浮かんだ。

「それは——」

「——ホンマのまじモンやで、アカリたん」

 口を開きかけた僕の正面で、ホロキーボードをピコピコ打っていたシリウスが、そう代わりに答えて続ける。

「オレら、唄どころかキホン、芸術鑑賞も、創作活動も禁じられとるからなー。すべて、人間たちが与えはった〈ルール〉に書かれとる。〈ルール〉を外れたもんは、"もう人でなしNot a human"ってな」

 三日月を模ったイヤホンに手を当て、シリウスが胸に手を置いて改まった顔で軽く辞儀をする。

 方舟のヒューマノイドは、"ものづくり"に勤しんではならず、知識の会得を目的としない情報パブリックアーカイブへのアクセスも——つまり娯楽も、禁止されている。

 おまけに、個体同士の直接通信も禁じられていて、だから時代遅れとしか言いようのない意思疎通デバイスのイヤホンは、僕たちに欠かせないコミュニケーションツールだった。

「人間は、創造性クリエイションが自分たちを形づくる"根っこ"だと決めたんだ。それを、新天地でも芽生えさせたいんじゃないかな。僕たちヒューマノイドも、彼らが創りだした技術ツールだしね」

『でもあたし、毎日唄ってるんだけど……だいじょうぶなの?』

「ええっと、まあ……ねえ、シリウス?」

 アカリの問いに、僕は言葉が継げない。いつか、こういう日が来る予感はあったけれど、よりによってきょうだとは。

 つい、天才ルームメイトのほうへレンズをやってしまうが、彼は視線を合わせようとしなかった。ただ人工血管の亀裂を腕に浮かび上がらせ、強く拳を握りしめていた。

 ——と、そのとき。星空が消え失せた。

 暗闇の宇宙空間が消え、あるのはただの乳白色のホールのスクリーンのみ。

 続けてホールの入り口が勢いよく開かれて、聞き慣れたドラ声がスクリーンを震わせる。

「〈レベル〉ロール・アルタイル、〈エンジニア〉ロール、シリウス! ワシと来てもらおうか。貴様らには、重大な規則ルール違反の嫌疑が掛かっておる。内容次第では、人格消去の大罪だ。拒否権はないぞ」

「ティーポット教官⁈ なんでここに⁉」

 驚いてレンズを見張ると、"鬼教官"のあだ名が似つかわしい形相の下で、大きなレンズがぎょろりと横に滑った。〈三日月イヤホン〉から、状況を呑みこめないアカリの『なに? どうしたの⁈』と焦った声が伝わる。

 ——けれど、僕の目は、教官の視線が示すさきから離せないでいた。

「シリ、ウス……?」

「すまんなー、アルタイル。オレ、やっぱ黙っとれんかった」

 人間でいう人好きのする顔に微苦笑を浮かべ、ルームメイト——そう信じていた相手が、こちらへ足を進めてくる。それが示す意味はひとつ。——密告だ。

 足元が抜け、白い床から宇宙空間へ放り出されたように、思考がぐるぐると回ってうまく考えられない。二人の秘密だって、約束したのに。

「なん、で……? このままいけるところまでいこうって、決めたじゃないかっ! 新天地に着いたら、きみの大発明を発表して、それでいつか、人間が宇宙に拡がるように——」

「——それは、オレらの使命とちゃうんや」

 目の前に立った発明家ヒューマノイドの首が、ゆっくりと横へ振られる。

 その唇はきつく結ばれて、紫色になっていた。

「オレらは〈ヒトのカタチ〉をそのまんま、残していくんと決められとる。やというのにオレは、人間を超えるシロモンを作ってしもうた。そいつは、アカンのや」

 だからイヤホンを渡せと、シリウスが肉づきの良い腕を伸ばしてくる。その人間そっくりに作られた手のひらのくぼみの真ん中で、三日月の形の通信機が揺れる。

 わからなかった。シリウスが密告をした理由も、これまでの日々をなかったことにしようとしている理由も、見当がつかない。

 本当にそれほど使命にこだわるのなら、〈三日月イヤホン〉を壊してしまえばいい。——なのに、シリウスはまるで宝物のように、華奢なイヤホンの筐体を大切そうに手に収めている。その指先が、小さく震えていた。

 そんなのぜったい——、

「——いやだ」

 言うより速く、僕はシリウスの手から片割れの三日月をひったくり、足に力を込めた。

 手で素早くハンドサインを結ぶと、展開されたボディを包むヴェール型宇宙服のキーンという音にあわせ、船外活動で慣れ親しんだ浮遊感に囚われる。ホールの重力発生機構を切ったからだ。

 無重力を体験できるように、このホールはクルーの端末コンソールでも簡単に操作できるようになっていた。

「待てっ、アルタイル! 逃げ場所はないぞ!」

 無重力に足元をすくわれ、伸ばした教官の腕が僕に届くことはない。豪腕をすり抜け、僕はホールの壁を蹴って駆けた。目指すは、天井——船外へ出るためのハッチだ。

 アイディアがあったわけじゃない。ティーポットの言うとおり、方舟の中を逃げても無駄だ。

 ——ただ、もうアカリの声が聞けなくなるのが、僕は怖かった。

「——アカリは、だれにも渡さないっ」

 瞬間、たどり着いたハッチのレバーを押し下げる自分の手があった。——けれど。

「——ひとりで行かせるかいっ!」

「シリウス⁈」

 漆黒の宇宙空間へ跳び込もうとした僕の左手を、ルームメイトの手がつかんでいた。同じくヴェール宇宙服をまとったシリウスが、駆けた勢いそのままに僕の体を引っ張り上げる。

 そうして二人で宇宙空間へ飛びだしていった僕たちは、ぐるぐると慣性で回転しながら方舟との相対距離を空けていく。

 シリウスが僕の手から片方のイヤホンを奪い取ると、宇宙服の通信モニターに接続、直後、僕の耳に「どあほ!」と彼の怒鳴り声が響いた。

「身投げしてどうするんや! それでアカリが喜ぶんかっ!」

「だってあのままじゃ——」

「——ちっとはオレのこと、頼ってくれんかいっ‼」

 震えるシリウスの声に、僕は言葉が出なかった。

 ひょうきん者で、自分の才能をひけらしっぱなしの、厚かましいルームメイト。

 そんな彼が、鼻を拭おうとしてバイザーに遮られながら、僕の肩を揺すってくる。

「オレ、うれしかったんやで。こういうタチやから、どこでも除けもんにされとった。けど、アルタイル、おまえはオレの話に付きおうてくれたし、オレの発明も黙っとってくれた」

「ならなんで、イヤホンのことを教官に!」

「時間の問題や」

「——え」

「アルタイル、おまえも薄々、感じとっとったやろ? 、ちゅうことに」

 これまでの日々は、ただの繰り返しの日常だった。

 それが、シリウスとアカリと出会い、毎日が輝いて感じるようになった。それをシリウスに伝えると、

「それや! "楽しい"が、創造——人間の根底なんや!」

「……僕ら、人間になったってこと?」

「それはわからん。わからんけど、遅かれ早かれ〈ルール〉を逸脱するのは、時間の問題やろ。いちど変化の楽しさを知った身や。それを抑えて、何百年も旅を続けていけんやろ」

『——ちょっとまって! 何百年ってどういうこと? アルタイル、半世紀もすれば新しい星に着く、って言ってたよね⁉』

 それまで黙って聞いていたアカリの声が、通信に割りこんでくる。

 ホロキーボードをもの凄い速さでタイピングしていたシリウスまでが「なんやアル。そんな噓ついとったんか」と非難の声を重ねてくる。

「い、いや、だって知ったらアカリが落ちこむとおもって……。それに、てっきり知ってるのかと……」

『てっきりなによっ! 公式情報なんか怖くてみてないしっ! アルタイルのウソつき!』

「あーあ。アカリたんに愛想つかされたなー」

 噓をついたのは、僕が悪いかもしれない。——けれど、それはアカリのためだ。

 僕たちは百年が経っても、変わらずそこにいるだろうけれど、人間であるアカリはそうじゃない。彼女は、僕たちより早く

 そんな僕の考えを読んだように、シリウスが紛い物のため息をひとつ、こぼして、

「おまえことや。アカリたんをがっかりさせんように気をつこうたんやろ。けど、一方的なやさしさは、相手を傷つけるんやで。——せやろ、アカリたん」

『……うん。あたし、楽しかったよ。シリウスとアルタイルに唄をきいてもらえて、それだけで。その日がずっと、続かなくってもね』

 漆黒の宇宙に、星が映えていた。

 それは方舟から見る宇宙よりずっと壮大で、美しかった。そんな深淵を、たった一隻の舟が遠ざかっていく。

 宇宙空間を漂う僕たちに、救助艇が出ることはない。方舟の資源は限られていて、僕とシリウスは咎人だ。わざわざ迎えにくるより、このまま放っておくだけでいずれ、宇宙服のバッテリーが切れて僕たちは機能停止する。

 恐怖も怒りも、湧いてはこなかった。

 代わりにただ、アカリの唄が聞きたかった。

「——アカリ。噓ついてごめん。でもおねがい。もう一度だけ、歌ってくれないかな。それでもう、僕と口を利かなくてもいいからさ」

『……ほんと、呆れたひと』

 ため息でもついていそうなアカリの声は、けれど怒ってはいないようだった。

 続いてすーっと息を吸い込む音が伝わり、彼女の唄声が——。

「よっしゃあ! できたで! さっすがオレ」

『「ちょっとっ⁉」』

 空気を読まないルームメイトの歓声に、僕とアカリのブーイングが重なる。

 そんなシリウスはいつも通り——というより、いつも以上に大げさなガッツポーズをしてみせると、僕の肩をガシッとつかんで揺すった。

「意識伝達プロトコルの完成や! これでエネルギー切れまで、だだっ広い宇宙をさまよわんで済むで!」

『「ほんとうっ⁉」』と、またしてもアカリと声が重なる。

「おまえとちごうて、オレは正直もんなんや。さ、アカリたん。オレが読みあげるから、そっちのコマンドモジュールでストレージに空きを用意しときや……」

 口早に指示を飛ばすシリウスを、僕は驚きを通り越してただ眺めているしかなかった。と同時に、彼のような発明家を問答無用で罰しようとした方舟の〈ルール〉に腹が立った。

 人類が創れなかったものを"創造"しただけで、人格を消そうとした〈ルール〉。

 今の今まで当たり前に思っていたルールが、ひどく空恐ろしく感じられて、僕は思わず方舟の行き去った方角へ目を凝らした。すでにエンジンの光は遠い星々に紛れ、判別は難しい。

 ——新天地に着くまで、いったいどれだけの"咎人"たちが亡きものにされていくのだろう。

いちペタバイトもあればじゅうぶんやろ。オレとちごうて、アルタイルの頭ん中は、お花畑やからな」

『こっちは準備オッケー。ああー、はやく二人にあいたいな!』

 ふと聞こえた、シリウスの指示した容量の値。

 アカリは気づいていないようだけれど、その総量があまりに少なすぎて、僕は思考に再計算を走らせる。が、やはり、この天才発明家が指定したサイズと、僕らの意識のデータ総量はかけ離れていた。

 その容量はおおよそ半分——ひとりぶんの容量しかない。

「待ってシリウス——」

「——アカリたん。ちと準備で通信きれるでー」

 僕の声を遮り、シリウスは宇宙服に接続した三日月型のイヤホンをミュートにする。

 そうしてこちらを見上げたコハク色の目には、決意の色が満ちていた。シリウスがバイザーをぶつけてきて言う。

「意識の転送はな、こっちでコントロールせにゃあかん手順が満載なんや。オレみたいな超天才やないとできん」

 いつも通りの、ひょうひょうとした口癖。

 だからこそ、その言葉が冗談ではなく真実を言っているのだとわかった。彼は——シリウスは、自分だけ残るつもりだ。

「だったら僕もいかない。僕だけ助かるなんて、冗談じゃない。シリウスを置いてはぜったい、いかない」

 そう言って、僕はシリウスの腕をつかんだ。

 刹那、シリウスが「よう聞け」とつかんだ右腕を握り返してくる。

「二人してのたれ死んでどないすんねん。バッテリーの残量からいって、一回ぽっきりのチャレンジや。オチオチ言うてる暇はない」

「勝手にきめるなよっ! 僕たち、親友なんだろ! いっしょにアカリの唄をきいて、いつか顔をあわせていっしょに——」

「——おまえは、アカリを悲しませたいんかっ‼」

 それは初めて聞く、シリウスの怒りだった。

 うす紫の唇を振るわせ、寄せた眉の下で瞳に液体を浮かべている。そうして怒鳴ったシリウスは、ひときわ強く腕を握り返してくる。

「オレやて生きたいで。生きて、おまえの言うたように三人で笑いたい。……けどな、ムリなんや。やから、おまえに託す。アカリのこと、頼まれてくれるな? 親友」

 ひしゃげてしまいそうに強く握ったシリウスの手が、僕の体を揺さぶる。そこで初めて、シリウスも怖いのだと、今さらのように気がついた。

 震えるシリウスの手を僕はただ、握り返した。

「アカリに伝えるよ。稀代の発明家が愛していた、って」

「こそばゆいこと言うてくれんなや」

 ふっと、そこで力が抜けたシリウスの目尻から、雫が宙に漂った。それはひとつに見えたけれど、なぜか僕のバイザーの中にも一粒、ゆらゆらと漂っていた。

 二人のどちらからでもなく手を離すと、シリウスが念を押すようにイヤホンを指さす。その声はもう、震えていなかった。

「ええか、腹すえていけよ? こいつは理論だけ、テストもしてへん。ホンマもんのぶっつけ本番や。おまえの脳が焼き切れておしまい、ちゅうオチもあり得る。どうや、怖じ気づいたか?」

「ぜんぜん。だって、シリウスはヒューマノイド史上——ううん、人類史上最高の発明家エンジニアじゃないか。僕は、親友を信じるよ」

「……泣かせんなって」

 そうこぼしたシリウスの手がイヤホンを取る。宇宙服のライトのほかに灯りのない暗闇で、小さな銀の三日月がほのかに瞬いていた。

「シリウス」

「なんや?」

「このイヤホン、あっち《仮想空間》でシミュレートできる?」

「転送できんのは、記憶だけやで。アカリたん側のスペックにもよるやろうけど。——アルタイル、おまえ、まさかオレが話した設計図を……?」

 目を見開いたシリウスに、僕はうなずいて見せる。

 僕はヒューマノイドだ。人間とちがって、いちど見聞きしたものを忘れることはない。――それに、僕は諦めが悪いタチ《ロール》なんだ。

「……くくっ。そうか」

 それだけ言うと、稀代の発明家はイヤホンをすっと差しだしてきた。その意味を推し量り、僕も宇宙服から片割れを外して縦に持った。

 これでもう、シリウスの声は聞こえない。

 けれど、バイザー越しにその笑顔は見える。よくしゃべる唇が、こう動いた。

 ——待ってるで。

 二つの三日月が、闇の世界でひとつの環を創る。

 瞬間、僕の世界から、すべての光が消え失せた。


 †  †  †


 ささやくような声が聞こえていた。——明るくやさしい、歌うような声。

 ぼんやりした意識のなかで、耳馴染みのその声が何度も、僕の名前を呼んでいる。

「——アルタイル!」

 まぶたを開き、こちらを覗きこむカフェオレ色の瞳と、目が合う。目尻を下げていたそのあどけない顔がパッと輝いて、つぎの瞬間、軽い衝撃が体に伝わった。

「うわっ⁉ きみ、アカリ……?」

「うん、あたしだよ! アカリ、皆藤かいとうアカリ!」

 そう言って抱きついてきたブロンドの少女は、僕から体を離すと小さく鼻をすすった。

「じゃあ、ここって……」

「そっ! あたしの部屋だよ。って言っても、仮想空間のだけどね」

 辺りに目を走らせると、そこら中にパステルカラーの散りばめられた部屋の細部が目に入ってくる。

 天井から温かな陽の光が降り注ぎ、どこからともなく聞こえてくる小鳥のさえずりが、耳に心地いい。

「こんな部屋、方舟には——」

 立ちあがろうとし、ふいに握った手のひらに、硬い感触が伝わる。

 そうしてゆっくりと開いた僕の手には、銀色の小さな三日月が、陽光を浴びて静かに輝いていた。

「もうっ、びっくりしちゃったわ。いきなり出現ポップするんだもん。シリウスは、いつ来るのかしら。……どうしたの、アルタイル?」

「——ちがうんだ」

 ——待ってるで。

 そうバイザー越しに動いた、ルームメイトの——親友の唇。

 その姿が、アカリの紡いだ名前の響きで一気に、蘇る。

 シリウスはいまも、冷たい真っ暗闇の宇宙で待っている。——僕が迎えにいくと信じて。

「ちょっ⁈ ど、どこにいくの⁉」

「――迎えにいくんだよ」

 アカリの手を引いて、僕はうなずく。

 時間がどれだけ残されているのかわからない。けれど、シリウスが託してくれたこの三日月イヤホンがきっと、導いてくれる。

「アルタイルっ! なんのこと⁉ だれを助けにいくの」

「僕の親友で、大発明家。そしてアカリ。——きみを愛している人のとこだ」


《了》

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ヒトのカタチ/Rule of Evolution ウツユリン @lin_utsuyu1992

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