赤い忘れもの 🧣
上月くるを
赤い忘れもの 🧣
さきほどから舞い出した雪が、見る見る本降りになりました。
遠くの山も近くの山もすっかり見えなくなってしまいました。
寂びれた街道のバス停に、小柄なおばあさんがひとり、バスを待っています。
畳3枚ほどの小さな待合室に
バスは、1時間に1本しかやって来ません。
バス停で降りる人は、ひとりかふたり……。
降りる人がいないと、そのまま通過してしまいます。
午前も午後も何台ものバスが素通りして行きました。
*
夕方になって、ようやく1台のバスが止まりました。
急いで待合室から出たおばあさんは、降りて来る人をじっと見つめています。
濡れたタラップを用心深く降りて来たのは、包みを抱えたおじいさんでした。
ミラーでようすをたしかめながら、運転手さんがマイクで声をかけています。
――はい、ご親切に、ありがとさん。
ところで、聞いたかね?
南の国の紛争で、たくさんの人たちが犠牲になったらしいね。
日本人の駐在員や家族もいるという話だが、気の毒じゃのう。
わしらばかりクリスマスを祝って、申し訳ないようじゃのう。
顔見知りらしい運転手さんとそんな話をしながら降りて来たおじいさんは、おばあさんにちょっと会釈すると、寒そうに背中を丸めて、長靴で歩み去って行きました。
*
それからまた何台かのバスが通過して……あと1台で最終便になりました。
いつの間にか風が出たらしく、待合室の外は大荒れの吹雪になっています。
乱暴者の木枯しが振りまわす絵筆で、山も里も道もどこもかしこも白一色。
おばあさんが座っている待合室も、真っ白に塗りこめられてしまいました。
雪に閉じこめられたおばあさんは、さっきから不思議な気持ちに駆られています。
ここにこうして座っている自分が、本当の自分のような、そうでないような……。
それに、なぜか、しきりに胸がざわざわと騒いでならないのです。(T_T)/~~~
子どもがいやいやをするように、ゆっくりと頭を横に振ったおばあさんは、座布団にちょこんとのせた上半身を、ゆうらり、ゆうらり、頼りなさげに揺すっています。
*
とそのとき、白い闇のかなたに、ぽつんと、ほおずき色の灯りがともりました。
跳ね上がるようにして待合室を出たおばあさんは、水に散る絵の具のように滲んだ灯りが、じれったいほどゆっくり近づいて来るようすを、じいっと見詰めています。
屋根に雪をのせたバスが、ぎっしぎっし、こわれそうな音を立てて止まりました。
――プシュー。
空気を押し出してドアが開き、大きな紙ぶくろを持った男の人が降りて来ました。
赤と緑のクリスマスもようの包装紙をはみ出させた男性は、黒いコートのフードをすっぽりかぶると、おばあさんには目もくれず、そそくさと立ち去って行きました。
たぶんこれが最終便だというのに、ほかにだれも降りて来る気配がありません。
たまりかねたおばあさんはバスをドンドンたたいて、運転手さんに訊ねました。
――3歳くらいの女の子を連れた若い女性は乗っていませんか?
なぜか運転手さんは素知らぬ顔で前を向いたきり、なにも答えてくれません。
おばあさんがもう一度訊ねようとしたとき「プシュー」音をさせてドアが閉まり、冬の雷のようなタイヤチェーンの音をひびかせながら、バスが発車しました。ふいをつかれたおばあさんは道路に振り落とされ、したたか腰を打ってしまいました。💦
テールランプの黄色い光が、じぐざぐもようを描きながら遠ざかって行きます。
動かなくなったおばあさんのうえに、綿のような雪が音もなく積もっています。
****
それから、どのくらい時間が経ったでしょうか。
おばあさんは耳もとに懐かしい声を聴きました。
――ふふふ、そんなところでなにしてるの。
とっくに着いているわよ、あたしたち。
おばあさんが目を開けてみますと、幼い女の子を連れた若い女性が立っています。
――まあ、いつ着いたの?
あらま、真冬にその格好はなあに。
子どもにも薄着をさせて、風邪でも引かせたらどうするの。
いくつになっても困った
バラの花のつぼみのように愛らしい女の子は、母親とおそろいの花柄のワンピースで、この凍てつく雪空に、マフラーや手ぶくろはおろか、コートすら着せてもらっていないのですが、「おばあちゃん、ただいま」と楽しそうに手を振っているのです。
――さあ、みんなでおうちへ帰りましょうね。
おばあさんに面影がよく似た若い女性が、雪道に倒れているおばあさんの耳もとにやさしくささやきかけると、大切なものを扱うようにして抱き起こしてくれました。
~~~~あ、おばあさん、忘れもの~~~~
乱暴なわりに気のいい木枯しが声をかけようとしたとき、仲よく並んだ3つの人影は、ふっとかき消えていました。あとには白い闇が
****
人のかたちに盛り上がった雪の下の真っ赤なものは……時季はずれのバラの花?
いいえ、それは南国生まれの曾孫のためにおばあさんが編んだマフラーでした。
幼いころ相次いで両親を亡くした孫娘を宝のように育てたおばあさんは、お婿さんの赴任先の南の国で生まれた曾孫に会えるクリスマスを心待ちにしていたのでした。
*
車も通らない道路に、雪はしんしんと降り積んでいます。
バス停前の赤い忘れものはすっかり見えなくなりました。
赤い忘れもの 🧣 上月くるを @kurutan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます