時計の前の男

高黄森哉

時計

 ある日、ある場所、時計が出現した。大きなのっぽの古時計は、時を驚くほど正確に刻んでいる。どれだけ正確かというと、グリニッチ天文台が指す時刻とまったく一致するくらいだ。いかなる科学的検証をもってしても誤差は計測できなかった。


 そのことが国中に知れ渡り、新七不思議のひとつとして観光名所になった頃合い。時計の前にいた男が、その寸分も違わない時計の前で喚き始めた。「この時計は遅れてるかもしれない!」。


 人々は男を取り囲んだ。スマートフォンを持って撮影する者や、野次馬や、警察などがぐるりと輪になった。なぜか、それはこの男を打ち負かす自信が皆にあったからである。言い負かして、自尊心を満たすことが、いかにも容易そうだった。


 知らない中年の男が一歩前に出る。その男はいかにも知的そうな顔立ちをしていた。彼はこの時計がいかに正確であるか、その科学的計測の歴史と方法を、誰に聞かれるまでもなく解説しだした。拍手が沸き起こる。男は、この男がいかに外れた発言をしたのかを説明し、そしてとどめに、目立ちたいだけの愚行を恥じるべきと言い放った。


 禿のおやじがヤジを飛ばす。この男はとても優しい性格のため、そこまで言う必要はないのではないか、と中年に反感を覚えたのだ。だがしかし、まったく考えがなかった。すると中年男は彼を叩き始め、やがて皆も同調した。言葉によるリンチが始まった。


 誰もはぐれ物を馬鹿にするのを恐れなかった。それに、既に、多様な情報がネット上に分り易く提示されているため、マウントに失敗する可能性が皆無に見えた。だから、どれだけだって、ひどいことを言えた。私は賢いという高慢や、こいつは馬鹿だという偏見が、輪になって踊った。


 結論を言うと、彼らの意見は一周回って正しく見えただけだったのだ。その時計は確かに遅れていた。


 そう、その時計は確かに、””だったのだ。

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時計の前の男 高黄森哉 @kamikawa2001

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