異世界に昇る 15

 異常がないのを確認して、3人で集まった。スマホの時計は、もうすぐ5時になろうとしていた。

 今からどうしましょう、と声をかけようとすると、グー、と大きな音がした。佐橋さんが顔を真っ赤にして顔をうつむかせている。

「コンビニでも行くか。何かこっちの世界のものを食べた方がいいだろうし」

 真壁が佐橋さんに近寄る。

「向こうで何も食べてないだろ?」

 佐橋さんは小さくうなずいた。

 揃って近くのコンビニに入ると、まず3人ともトイレを借りるという選択を下した。女性用と兼用があったので佐橋さんを優先させ、僕たちはジャンケンした。あの中では忘れていたが、僕たちもずっとトイレに行っていなかったのだ。

「そういえばお金あります?」

 佐橋さんが黙って財布の中身を確認し出すのを見て、真壁は「割り勘な」と僕に言ってきた。

 3人で棚を眺め回って、結局カップラーメンに行き着いた。お湯を使わせてもらって外に出る。おあつらえ向きのように、近くには空いたベンチがあった。

 並んで黙々とカップラーメンをすする。お金がないので空腹をごまかすだけのサイズだったが、ここまでありがたいと思った食事は初めてかもしれない。

 僕の隣で、麺をすする佐橋さんの箸が止まった。

「大丈夫、ですか?」

 彼女の目からは、大粒の涙がこぼれてきた。そのまま箸を止めずに黙って麺をすすり続けた。

「食べ終わったなら捨てにいくが」

 真壁が空気の読めない声かけに来ると、佐橋さんは再び食事を中断した。

「バイト先の塾に行こうとしたら、おかしなところにいたんです」

 涙が絡んだ声が、聞こえてきた。

「3階しかない建物なのに、その先にも階段が伸びていて。間違っちゃったかなと思って、そのままどんどん登っていってもたどり着かないから、さすがにおかしいなって思うようになって。

 真っ暗で何も見えなくて、がれきだらけの場所に出てみたり、目の前も見えないくらい霧が出ていたりして本当に怖かったんです」

 嗚咽が混じりながら、彼女は話を続けた。もしかして僕が見た夢は、佐橋さんの体験だったのか。

「ここどこなんだろうって思って、歩いても歩いてもどこにいるのかわからなくて、疲れてどうしようもなくなったから横になってみたりもしたけど、目を閉じるといろんなこと考えちゃって。

 ゆいはちゃんとご飯食べてるかな。学校行ってるかな。夜1人にさせて大丈夫かな。戸締まりとか火の用心とかしてるかなって。

 塾のバイトもすっぽかしちゃったし、大学のみんなにも心配かけてるだろうし、約束したのに、あの子に傘も借りっぱなしだし。

 本当にもう、あなたたちが現れなければ、どうしていいかわからなかった」

 目を覆って話す彼女に聞いていいのか迷ったが、尋ねた。

「ご両親は?」

「……事故で亡くなったの」

 でもひどいよね、2人を悲しむより私たちがどうやってこれから生きていこうかっていう心配の方が大きかったの、と続けた。

 僕は電話をかけた。相手から散々怒鳴られたが、佐橋さんのことを話すと、すぐに行く、と返事が来た。

 電話が終わると、佐橋さんはカップラーメンの汁を飲み干していた。

「大学だって自分のために行ってるのに、いつの間にか結に大学進学を諦めさせないための理由付けになってた」

「責任感とか使命感とか人からの期待とかは、社会で生きていくための枷として、人間として生きていくための支えになっているはずだ」

 真壁が話す。

「でもそれは、ちゃんと自分が満たされてこその話だと思う。

 自分がないがしろにされた状態でいくら他人の幸せを願ったところで、その幸せの反動が帰ってきてしまうものだからな」

 佐橋さんは、小さくうなずいた。僕の体には、ずしりとのしかかってきて、何もできなかった。

 朝靄の向こうからやってくる人影が見えた。響だった。

「夕介、に、なんで真壁まで?」

 僕は、佐橋さんを目線で示した。佐橋さんが立ち上がる。

 彼女は響に歩いて行って、カバンから1本の折りたたみ傘を差し出した。

「遅くなってごめんなさい」

 折りたたみ傘を、響が優しく受け取る。

「どういたしまして!」

 笑顔がこぼれた響を見届けると、真壁を引っ張った。

「真壁さん、コーヒーでも買いにいきましょう」

「何で今」

 響と佐橋さんを置き去りにして、2人でコンビニに入った。コーヒーを4つ注文し、全額僕が支払った。

「何のために連れてきたんだよ。荷物持ちか? お邪魔虫だからか?」

 まあ、それもある。不満をだれ流しながらも、真壁はコーヒードリップを手伝ってくれた。

 僕は真壁をゆっくりと見上げた。

「夢を見るんです。悪い夢を。

 大抵怖い夢を見た後は、それが正夢になっちゃうんです」

 うまく出てこない表現を、なんとかまとめる。

「そんな僕に懐中電灯をくれた人がいました。そう、あの懐中電灯です。この懐中電灯は、暗闇でも真実でも、何でも照らしてくれるそうです。

 もしかしたらそれは、単に心の持ちようであって、僕が真実だと思って見ているものはただのまやかしかもしれませんが、それでも僕にとっては希望の光なんです」

 つらつらと、言葉を探す。

「その人は教えてくれました。僕はこれから異世界の存在に遭遇したり、今回みたいに異世界に連れて行かれたりすると。そうかもしれません。でも運のいいことに、僕にはたくさんの怖い話を知る真壁さんがついています。大抵は有名な怪奇現象だというので、普段から怪談を収集している真壁さんなら、知っているのではないかと考えています。

 真壁さん、僕の見る夢の相談に、乗ってくれませんか。僕1人では、もう限界なんです」

 コーヒーの抽出が終わったようで、真壁はカップを取り出してフタをしめた。

「2人とも話をしないか」

 僕たちはコンビニを出て、談笑していた響と佐橋さんにコーヒーを渡した。

「突然だが、ここにいる矢代夕介君は、赤いマフラーの女と2階の女性とカシマさんに遭遇し、俺と異世界に行きかけた」

「はあ?」

 響が叫ぶと、真壁は続けた。

「そこの立川響君も、カシマさんに襲われ、赤いマフラーの女と遭遇。

 佐橋さんだっけか、も、4階に伸びる階段で異世界に行き、エレベーターで戻ってきた」

「何が言いたいんですか」

「全員に共通するのは、何らかの形で都市伝説に巻き込まれているということだ。

 そこでだ、この4人で、佐橋さんは時間ができたときで構わない、都市伝説を調査してみないか」

 僕と響と佐橋さんは、顔を見合わせた。

 都市伝説。そうか、僕が遭遇した現象は、大体都市伝説という現象でくくられるのか。なんて便利な言葉だろう。

「やります」

 僕は二つ返事で了承した。

 オレは、とまごついている響の隣の佐橋さんに、真壁は声をかけた。

「仲間でいるってだけでいいんだ。たまには違う居場所もほしくなるだろ?」

 真壁の甘い声に誘われて、佐橋さんも思わず「そう、ねえ」と返事した。

「なら入ります!」

「おまえが即決かよ」

 元気よく返事した響に、真壁が呆れたように言った。

 響は僕の肩に手を乗せる。

「それに、オレだって夕介や真壁におんぶにだっこってわけにもいかないし。二度と相談もなしに2人で危険なところに行くこともないようにしてほしいしさ」

 響は、僕の肩をたたいた。

「ほとんど来られないかもしれないけど」

「生存確認ができる程度でかまわないさ」

 佐橋さんも、完全に乗り気というわけではなかったが、なら入ろうかしら、と返事してくれた。

「なら、非公式でもサークルとして立ち上げたほうがいいんじゃない?

 仲間内で勝手にやるよりは大学からの目も違うと思うし、危険も伴うはずだから、部長とか決めて、ちゃんとルールとかも作った方がいい」

「だったら名前が必要ですね」

 佐橋さんの提案に、響が乗っかった。

 真壁が名前か、と考え込む。

「そのまま都市伝説サークルとかじゃダメですか」

「サークルってつけるのは、大学に届け出を出して認められたところしかできない」

 僕の提案が却下されて、みんなで考えこむ。

「Urban Legend Investigation」

 流ちょうな発音が聞こえてきた。

「何ですかそれ」

「都市伝説調査を英語に直訳しただけだ」

 真壁は意外と英語も堪能なようだ。まあ、都市Urban伝説Legendだからそのままだったけど。

「いいんじゃないすか、それ。略したらALI?」

「ULI。アーバンの頭文字はU」

 真壁は反応して馬鹿を見た響に冷たい目線を向けると、少し空を向いた。

「アルファベット3文字だと何かと被る気もしなくはないが、まあいいだろう」

 へこんでいた響も、活気を取り戻したようによし! と喜んでいる。佐橋さんも、僕も、うなずいた。

 東の空から朝日が昇る。

 神々しいほどの光に包まれた夜明けの街を、僕らは見上げていた。

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ULI 都市伝説調査会 平野真咲 @HiranoShinnsaku

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