五分の選択
広茂実理
五分の選択
俯いていた顔を上げたのは、呼ばれたからだった。
瞳へ飛び込んでくる映像を最後に、感覚器官のすべては切断された。
ズタズタになった。信号は、ぷつりと途切れる。瞬時、暗転。
直前に視認したのは、迫り来る大型トラック。耳障りな鈍い音で人々の声を掻き消しながら、横転。俺を下敷きにして、停止した。
じわじわと、鮮血に染められていくアスファルト。
辺りに降った静寂は、瞬く間に吹き飛ばされていく。
動揺、衝撃、困惑、愉快、驚愕、放心――様々な色が溢れ返る中で、俺は抗うことすらできず、意識を手放す。
何を思う隙もなく、俺のすべては終了した。
◆◆◆
「やあ、目が覚めたかい? 気分はどうかな?」
気が付くと、知らない場所にいた。見たことのない子どもが、俺の顔を覗き込んでいる。
まるで、向こうは自分のことを知っているのに、こちらだけ情報がないような、奇妙な気持ち悪さに襲われた。
抱いた感情を隠すこともせず、睨み付ける。
「…………誰だ?」
「随分だね。冷静とも言えるかな?」
へらへらと、何が楽しいのか。偽りの笑顔が、無感情の瞳を際立たせる。
警戒するなという方が、無理だった。
体を起こす。くらくらした。
「ところで、最期の瞬間は覚えているかな?」
「最後?」
「ああ、頭を打って忘れてしまった? それとも、あまりの衝撃に認識すらできていなかったかな?」
「……要領を得ない。手短に話せ」
鋭利な視線を向けても、飄々と肩を竦めて。偉そうな子どもは、表情を崩さずに口を開いた。
「じゃあ、はっきり言うけれど……君は死んだ。事故死だ。認識はしているかい?」
「は――」
何を言っている――喉元まで出かかった言葉を、俺はしかし呑み込むしかなかった。
瞬時のフラッシュバックに、頭を押さえてよろける。
作り笑いを見る余裕なんて、最早ない。
「俺は、トラックに……」
「どうやら、思い出したようだね。理解はできたかい?」
理解も納得もしがたい。ただ漠然と、受け入れるしかないことは、わかった。
「俺が、死んだ……?」
「横転したトラックに巻き込まれ、即死。死者一名、重傷者一名、軽傷者十名の事故だ。他に聞きたいことは?」
覆っていない片目で、白髪を睨み上げる。わざとらしい道化の態度は、見た目にそぐわない。
「お前は誰だ。妙に落ち着いているな。どうも外見と中身が伴っていないようだが……ここは死後の世界か。俺をどうするつもりだ」
「質問が多いね。わかった。一つずつ答えよう。今は時間がある。運が良いね。さあ、どうぞ」
白衣の彼が、指を鳴らす。青空が広がる眼下。草原の真ん中に、突如として椅子が現れた。
当たり前のように腰掛け、脚を組む少年。背を預け、悠々とこちらを見上げる。
小首を傾げて、不敵に笑んだ。
「座らないのかい?」
不遜な視線に、何故か揺さぶられる心。見透かされているようで、癪だった。
「答えろ。お前は何者だ」
「定義の難しい質問だね。君は何者かを問われたら、何と答える?」
「……人間だ。日本人の男」
「ふむ……僕は僕で、君ではない。人間ではないし、動物でもない。性別の概念もなく、有限の命は持たない。君たちの言葉で表すなら、何が適当かな?」
「はぐらかしているのか?」
「まさか。至って真面目だよ?」
終始変わらぬ表情に、信用できる要素など欠片もなかった。
俺は、どこか畏れさえ抱きながらも、気付かない振りをする。
「質問を変える。ここはどこだ」
「どこでもない世界。地上でもなく、残念ながら天国でもない。ああ、地獄でもないよ。良かったね?」
「いちいち回りくどい。手短に話せと言ったはずだ」
「せっかちだね。わかったよ。お腹でも空いているのかい?」
癖なのだろうか。やれやれと肩を竦めて、小さな顔が淡い苦笑を浮かべる。
俺は、次々と生まれくる言葉を呑み込んだ。
「君たちの言う死後の世界の、入り口手前だ。君の魂を引き留めた。良かったね?」
「良かった? 何が」
「先に進んでいれば、戻れなかった。手遅れになる前に見つけられて、良かったよ。嬉しいよね?」
頭をがしがしと掻く。イラつくのは、会話のテンポが悪いからか。
はたまた、不安を感じているからだろうか。揺さぶられ、感情が落ち着かない。
「死んだのなら、既に手遅れだ。お前は、いったい何を言っている? 何が言いたい?」
「チャンスをあげようと思ってね。僕の退屈しのぎに、付き合ってくれないかい?」
「チャンス?」
何故、こんな得体の知れない存在の退屈を紛らわせてやらねばならないのか――理解不能だが、俺にとってチャンスになることとは、何か。気になって、尋ねる。
「事故の報道を見て、面白いと思ってね。あと少し……五分でもずれていれば、あの場に人はいなかった。バス停の前に並ぶ人間はいなかっただろうって、監視カメラの映像を見ながらキャスターが言うんだよ。あと五分……何と魅惑的な言葉だろう。まるで運命の悪戯だ。君もそう思わないかい?」
確かに、五分前ならバスの出発時刻。行ってしまった後なら、誰もいない確率も高いだろう。だからといって、チャンスだと?
「あと五分……事前にわかっていれば、一本前のバスに乗車していたよね?」
「だから、何が言いたい?」
「おや? 勘付いていると思ったけど……まあ、いいか。つまりは提案だ。選択をやり直してみたいとは、思わないか?」
「やり直す?」
非現実的な提案に、頭が混乱しそうになる。いや、既に非現実だった。
目の前で起こっていることは、夢か。事故の記憶すら、紛いものでは――疑いたい気持ちが芽生えたが、諦めた。
鮮明な記憶が、幻を否定する。俺は死んだ。事実だ。
であれば、こいつは――
「お前は、神か?」
「ふむ……仮にそうだとして、本当に思っているかい? 神に対する態度には、到底見えないけれどね。無理矢理に納得しようとしているのかな? 神ならば説明がつくと……。人間の考えそうなことだ。君の神様は、何でもできるが助けてはくれない存在ということかな?」
「違うならそう言えばいい。いちいち癇に障るやつだ」
「いや、悪かったよ。どうしても君は、僕に名前をつけたいらしい。ならば、神ということにしよう。所詮、名前や定義は人間が決めることだ。人間が犬と呼べば犬。化け物と呼べば化け物。ならば、僕は神だ。君が神と思うなら、僕は神になる。日本には八百万の神がいるようだし、僕も末席に加えてもらおう。構わないかい?」
掴めない存在だ。まるで狐につままれている。
「何でもいい。お前は神。だから俺に生き返るかとおかしなことを問う。現実味はないが、議論はやめよう。話が進まない。しかし、好き勝手に暇だからという理由で、命を奪ったり与えたりして良いのか?」
「先に言っておくけれど、勘違いはいけない。僕はやり直すと言ったが、生き返る保証はしていない。成し遂げられるかどうかは、君次第だ。わかるかい?」
「……どういうことだ?」
パーツの整った顔は、ここで初めてニヒルな笑みを浮かべた。
口端を吊り上げた、嫌味な表情だった。
俺は、釣り針にかかったカモに成り下がった。
「君に、チャンスを与えよう。君が断らないことは、わかっている。君にとって今日という日は、大事な日になるからね」
どうしてそれを……だが、問うのは控えた。俺は、黙って続きを待つ。
「三回だ。三回、君にやり直すチャンスをあげよう。運命を回避し、君の望む未来を手に入れられるか――是非、僕に君の選択を見せてくれ。大丈夫。失敗しても、ここへ戻ってくるだけだよ。問題ないだろう?」
「既に問題だらけだ。だが、わかった。お前の気紛れに乗ってやる」
「では、時間を戻そう。始まりは、君の目覚め。事故当日、午前八時。――では、精々抗って僕を楽しませておくれ。運命は絡みついて離れないから、肝に銘じておくように。そうだ、君の名前は?」
「名前? 必要ない。二度と会うことはないからな」
「つれないね。じゃあ、次があったら教えてくれるかい?」
「……わかった。万が一にも再会するようなことがあったら、教えてやるよ」
「約束だよ?」
ニタリと笑った顔を最後に、景色がフェードアウトした。
エセ神はいけ好かないが、これはチャンスだ。俺は生き返ってみせる。絶対に。
何故なら、今日は俺にとって大事な日。
彼女にプロポーズをすると決意した、デート当日なのだから。
◆◆◆
聞き慣れた音が、鳴り響く。深い眠りからの急浮上に、顔を顰めた。
「…………朝……んんっ……日曜……」
掠れた声で、ぼんやりとスマートフォンの画面を確認する。
アラームを止めて、ハッとした。勢いよく体を起こす。
「日曜の、朝八時……!」
カレンダーを確認する。間違いない。今日だ。
俺は、帰ってきた。時間を遡って、事故当日の朝に戻ってきたんだ。
「きちんと記憶が残っている……変な感じだな」
おかしな夢を見ていたのかと、奇妙な気持ちになる。
しかし、鮮明で強烈な記憶に、考えを一蹴した。
「とにかく、朝飯……」
食パンを焼いている間に顔を洗う。
身なりを整えて、時間を確認した。
「一本前のバスに乗るなら、急いで出ないと」
巻きで準備を終えた俺は、早めに外出した。
大事な物は、肌身離さず持っている。
この調子なら、問題なく間に合うだろう。
「三回もチャンスがあるという話だったが、余裕だな。一回で十分じゃないか」
もったいぶった言い方で脅してきたエセ神の顔を思い出し、脳内で殴っておいた。
ざまあみろ。お前の暇つぶしも、あっけなく終わる。残念だったな。
鼻で笑っていた俺は、バス停に向かって注意散漫に歩いていた。
いや、そうでなくても避けられなかっただろう。
目は顔の前についている。人は、頭上などあまり見ないものだ。
俺の感覚器官のすべては、またもや知らぬ間に切断された。
ズタズタになった。信号は、ぷつりと途切れる。瞬時、暗転。
何があったのかわからぬまま、俺は動かなくなった。
後には、じわじわと鮮血に染められていくアスファルトが残った。
俺の挑戦は失敗した。どうやら、死んだらしい。
次に気が付いた時には、草原の上に転がっていた。
「おかえり。不服そうだね?」
「…………どういうことだ?」
可愛い顔をした自称神が、椅子に座って優雅に寛いでいた。
人が死んだというのに、笑顔なぞ浮かべている。
こいつ、神じゃなくて悪魔だ。絶対そうだ。悪魔と認識を改めてやる。
「今度は、何も知る隙すら与えられないまま、即死だったね。バス停へ向かう途中にある、工事現場。覚えているかな?」
「ああ……横を通ったところまでは、記憶がある――まさか」
「嫌な勘が働いたかい? 頭上、がら空きだったね?」
この平和な世の中で、視界の範囲外を警戒して歩く人間がどこにいるんだ。
胸中で不満を吐き、舌打ちをする。
「死因は、降ってきた鉄骨の下敷きによる圧死。今度は、死者一名、重傷者一名、軽傷者六名だったようだよ。どうやら、潰れて悲惨な結末を迎える運命みたいだね、君は。救いは、痛みを感じる間もなく即死していること、かな?」
何が救いだ。死んでいる時点で、救われてなどいない。
「だから言ったのに。ちゃんと抗ってくれないと、困るな。運命は、絡みついて離れないんだから。今度こそ、肝に銘じておいてくれよ?」
「どうやっても死ぬ……不可避な運命なんじゃないだろうな?」
「さあ……僕にできることは、チャンスを与えることだけ。選択するのは、君だ。見事掴んでみせてくれよ、君の望む未来を。選択肢は、無限にある。たとえば、一歩も家から出ないとかね?」
「……今、わざと選択肢を潰したな?」
悪魔の甘言か。怪しい誘いに、俺が乗らないと踏んでの発言か。
どうやら、永遠に相容れないらしい。
「嫌だな、親切心だよ。神らしく、導いているんじゃないか。疑り深いね?」
「黙れ。俺の認識は、既に悪魔だ。神じゃない」
「神から悪魔か……悪くはないけれど、君の魂云々には興味ないな。まあ、いいよ。好きに解釈してくれ。僕は、苦悩に喘ぐ君の姿を見たいだけだから。ドラマ性がないと、つまらないだろう? 君は、僕の退屈しのぎだからね。忘れないでくれよ?」
「悪趣味な……」
やはり悪魔だ。何が神だ。
「そうだ。約束を守ってもらおう。君の名前は?」
忘れていたやり取りに、溜息が零れる。渋々口を開いた。
「
「では、迅。時間を戻そう。同じく始まりは、君の目覚め。事故が起こる当日、午前八時。チャンスは後二回だ。今度は、もう少し抗ってくれるよね?」
「当たり前だ。二度と戻ってこないからな」
「有言実行できるといいね?」
ニタリと笑った顔を最後に、またもや景色がフェードアウトした。
悪魔の、人を小馬鹿にするような表情に、今度こそ成功してやると決意する。
もちろん、家に引きこもるという選択肢以外で。
◆◆◆
アラームの音が鳴り響く。眠りを妨げられ、唸りながら顔を顰めた。
「…………朝か……起きないと……」
目が開かない中、手探りでスマートフォンを探す。
アラームを止めて、のそりと起き上がった。
「今日は日曜。朝八時……」
カレンダーの予定を確認する。間違いない。デートの日だ。
付き合うようになった記念日で、彼女の誕生日。
俺は、またもや帰ってきた。悪魔の力で、事故当日の朝に戻ってきたんだ。
「考えないと……今度は、計画を立てて行動するんだ」
早々に身なりを整えて、机に向かう。
彼女との待ち合わせ場所は、バスで一本。しかし、バスに乗ろうとすると事故に遭う。
であれば、少し遠回りになるが電車を使うというのはどうだろうか。
バス停に向かわず、工事現場も通らない。見通しのいい道路で、交通量もさほど多くない。工事もしていないし、怪しい建物もない。
「いや……やっぱり、やめておこう」
もしも、何かの拍子に線路へ落ちたら? 乗っている電車で、事故が起きないとも限らない。
油断は大敵だ。どこで何が起こるか、わからないのだから。
とは思うものの、安全が保証されている経路など、どこにもなかった。
今まで意識したことはなかったが、存外周りは危険で満ちていた。
自転車が相手であろうが、打ちどころが悪ければ同じこと。
考えれば考えるほど、沼にはまっていく感覚。
迷いに迷った挙げ句、時計を見て、慌てて家を飛び出した。
「一本早いバスどころか、このままだと遅刻する……!」
決めかねている間に、ギリギリの時間になってしまった。走りながら、間に合う方法を捻り出す。
プロポーズをしようという日に、遅刻はあり得ない。
「バスはなし、電車もなし。だったら……」
俺は、目に飛び込んできたタクシー乗り場に向かった。
運良く停車している。捕まえれば、問題なく間に合うだろう。
時計を確認しながら、ほっと胸を撫で下ろす。
タクシーに乗ったら、後は事故が起こらないことを祈るばかりだ。
俺は、目の前の車体へ一直線に駆けていく。
だが、あと少しというところで、辿り着くことは叶わなかった。
側面からの大きな音へ反応した時には、俺の感覚器官のすべては、切断されていた。
ズタズタになった。信号は、ぷつりと途切れる。瞬時、暗転。
何があったのかわからぬまま、俺は動かなくなった。
またもや、俺の挑戦は失敗した。どうやら、死んだらしい。
次に気が付いた時には、見覚えのある草原の上に転がっていた。
「おかえり。また会ったね。気分はどうだい?」
「…………は? 何で……」
人形のように綺麗な顔をした悪魔が、椅子に座って俺を見下ろしている。
どこか冷たい目が、怪しい光を帯びていた。
天使の顔をした悪魔だ。もしくは、邪神。神ならば、邪神だ。
「今度も即死だったね。死因はわかった?」
「大きな音と光くらいしか、記憶にない。何が起こったか教えろ」
「迅は相変わらず態度が一貫しているね。いいよ。……今度は、爆発に巻き込まれたんだ。爆弾事件が発生していたんだよ。とことん即死する運命みたいだね?」
にこりと微笑みかけられるが、言っていることがとんでもない。
ね、と言われても頷きたくなかった。
「デパートの横を歩いていたのは、わかるかな? 爆弾魔がデパートを脅そうとしていたところを、通りかかってしまったんだよ。運悪く、暴発。死者一名、重傷者一名、軽傷者十五名だったようだ。理解したかな?」
「理解も何も、事実だろう? 受け止めるだけだ」
「そう。それにしても、残念だったね。抗おうと努力したみたいだったけど……迅は、考えてみてどうだった? 残り一回のチャンスで、未来に行けそうかな?」
何もかも見透かしたかのような表情が、神経を逆撫でする。
すべて知っている上で問うことは、意地が悪いとしか思えなかった。
「さあな」
「つれないね。これでも僕は、迅を応援しているんだよ? 未来を掴む姿を見たいと思っているんだから。嘘じゃないよ?」
嘘じゃないという言葉で、更に不信感は増す。
俺は、話半分に流していた。悪魔の話だ。すべて真に受けるべきではない。
唯一信用して良いのは、俺の死因報告のくだりだろう。
「迅のこと、気に入っているんだけどな。悲しいことに、嫌われているようだね。……では、そろそろ時間を戻そうか。最後のチャンスだよ。悔いの残らないようにね?」
「――待ってくれ」
俺は、咄嗟に声を上げていた。悪魔は、突然のことにきょとんとしている。
だが、構っている暇はない。何かが引っかかった。このまま三回目に挑んではいけないと、俺の勘が告げている。
「どうかしたのかな?」
考えろ。この調子で朝に戻っても、同じ結果を辿るだけ。
何かを見落としている。俺は、何を忘れている?
「確認だ。死者は、俺一人か」
「間違いない。死者は、神渡迅。君だけだ。それがどうかしたかい?」
「重傷者は?」
「決まって一名だね。軽傷者は、都度変わっているようだけど……気になるのかい?」
「軽傷者に用はない。俺と同じく、変わらない運命を辿っている重傷者一名。意味があると思って良いのか?」
「捉え方は、人それぞれだ。迅が気になるなら、気にするといい。意味を持たせるのは、いつだって人間だよ。迅なら、僕の言葉よりも自分の勘を信じるだろう?」
「……そうだな」
「では、始めるとしようか。三度目の正直となるかな?」
「なる。絶対だ」
断言すると、愉快そうな笑みが返ってきた。
今までで一番の、深い笑顔だった。
「君の目覚めた朝へ戻すよ。事故が起こる当日、午前八時。最後のチャンスだ。今までで、一番面白いものを見せてね?」
「俺は、お前の望みなど知らない。精々、勝手に楽しんでいろ」
ニヒルな笑みを最後に、またもや景色がフェードアウトした。
これで悪魔の顔を見なくて済むかと思うと、清々する。
俺は、もう迷わない。思い出した。
ループを抜け出す鍵は、きっと彼だ。
◆◆◆
アラームの音が鳴ると同時、俺は目を覚ました。
スマートフォンの画面を確認し、やけに冴えた頭で体を起こす。
「日曜の、朝八時……」
俺はやはり、事故当日の朝に戻ってきていた。妙に冷静な思考で、支度を進める。
今の俺には、急いで準備する必要も、机に向かう必要もなかった。
発端となったバス目掛けて、当初予定していた通りの時刻に家を出るだけだからだ。
「……よし」
身なりを整えて、バス停へ向かう。足取りは、ぎこちない。
もし違っていたら、今度こそ終わりだ。それでも俺には、別の選択肢など考えられなかった。
俺は、誘導されていたんだ。選択肢を潰されていた。
最初の行動から逸れるように、導かれていたんだ。
「本当に、信用ならない悪魔だ」
やがて、バス停に着いた。間もなくだろう、
俺は深呼吸した。待つのは、彼の「声」。
俯いていた顔を上げたのは、呼ばれたからだ。俺のそばにいた彼が、
「あ、迅お兄ちゃんだ。お出かけ?」
――来た! 近所に住む知り合いの男の子。
彼に声を掛けられて、俺は初めて死んだあの時も顔を上げたんだ。
と同時に、耳障りな鈍い音が迫ってくる。咄嗟に俺は、彼へと手を伸ばした。
だが、思っていたよりもトラックが速い。このままでは、間に合わない。
「……二人同時は、無理か」
ならば、せめて彼だけでも――俺は、小さな体を思い切り突き飛ばす。
巻き込まれないであろう場所へ小さな体を追いやり、心の中で彼女を想った。
行けなくて、ごめん――せめて、声だけでも聞いておけば良かったな……。
「……………………あれ?」
覚悟を決めて目を閉じた俺だったが、一向に衝撃は襲ってこない。
おそるおそる目を開けると、トラックは俺のすぐ真横で停止していた。
「嘘……だろ……?」
信じられないが、どうやら俺は助かったらしい。
放心していると、嫌いな声が頭上から降ってきた。
「おめでとう、迅。見事、正解を選び取ったようだね」
ハッとして辺りを見渡すが、どこにも例の悪魔の姿はない。
それきり、声を聞くこともなかった。
彼は本当に神だったのか……。わからないが、俺はこうして生きている。
怪我人が一人も出なかった奇跡の結末に、俺は彼の言う「正解」を見つけたのだと確信した。
「運命の選択、ね……」
もう一度、頭上を振り仰ぐ。
眼前には、吸い込まれそうな青空がどこまでも広がっていた。
五分の選択 広茂実理 @minori_h
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