グランドバザール

管野月子

あらゆる物が店先に並ぶ

 食品庫の在庫をチェックして、僕はうぅん……と声を漏らした。


 遥か昔に大地が消えたこの世界。人々は飛空艇に乗って空に逃れ、天空を漂う暮らしをしている。その船の上で植物を植え、家畜を飼うことができる巨大な船もあれば、降る星を追って鉱物を採取し、様々な部品を造る船もある。


 僕と猫のアスランが暮らすこの飛空艇エキンは、本を運ぶ船だ。

 古くから受け継がれた物や、仕組みは分からないが、時々自動生成された書物が通路の両端にある棚を埋め尽くしている。そして遭遇した船に乗った人々と、物々交換で受け渡す。

 僕らが主に貰うのは食糧や日用品。もちろん、もう使わなくなった古い本を受け取ることもある。


 そして今、一つの問題が差し迫っていた。


「アスラン、そろそろ食糧が尽きる」

「なぬ?」


 煮干しをもっちゃもっちゃと齧りながら、僕の作業を眺めていたオレンジ色の虎猫が、両耳をピンと立てて声を漏らす。僕は在庫リストの上でペンをトントンと軽く上下しながら、ちっちゃな船長をすがめた目で見降ろした。


「ミルクはもう無い。カリカリも煮干しも予定より減りが早い。おっかしぃなぁ……」

「そいつは、奇妙だな」


 ははは、と顔を引きつらせながら視線をそらす。


「さらに干し肉もほとんど無い。野菜はまだ少しあるけど、小麦も豆も少なくなってきている。コーンもね。具の少ない野菜スープならどうにかなるかな……」

「肉もないだと!?」

「これで全部だよ」


 僕は片手の平に収まるサイズの干し肉を掲げて言う。


「最近、他の船と遭遇することが少なかったからね。ルートが悪かったのかな。この調子ならもう少し切り詰めて行かないと――」

「だったらタネル! 市場バザールに行こう!」


 したっ! と立ち上がったアスランが声を上げた。


「そろそろ、巨大飛空艇トゥトク近くの空域だったはずだ! 買い出ししようぜ! ついでに本も売るぞ! そうと決まれば船の速度を上げろ!」

「本はついでかよ……」


 食べ物の話になったら行動が早い。風のように機関室に向かうアスランの背を眺めながら、僕はやれやれと声を漏らした。


     ◆


 巨大飛空艇トゥトクはとてつもなく大きな船だ。

 厚い乱層雲……いや潰れたパンのように横に広がっている。あまりに大きくて船というより、かつて世界に存在していた大地の一部を切り取り、浮かしたようにすら見える。

 そのトゥトクに幾つもの船が寄せられる様は、大きなパンに群がる小鳥たちのようだ。


「準備はいいか?」

「って……これだけ本を積めば、重いんだから、ねっ!」


 台車は船長のアスランが選んだ本で山盛りだ。その重い台車を押しながら、唯一の乗組員である僕は、アスランに続いて巨大飛空艇に乗船していく。


 トゥトクの通路は広く、行き交う人の数も多い。

 久々のバザール船だ。飯屋に宝石、古今東西の妙薬と珍しくも鮮やかな衣装の数々。もちろん鍋や食器、ホウキに石鹸など日用品まで、ここにはどんな物もある。どうしたってわくわくしてしまう。

 そんな気持ちを隠しながら中央広場へと足を向けた。

 後日、エキンを開放してお客さんを迎えもするが、まずは僕らが到着したことを知らせなければ。何より新しい目玉商品の宣伝をする必要がある。あるのだ、けれど……。


「ホント、本って重いよねぇ」

「タネルが貧弱だからだろ? もっと肉つけろよ、筋肉」

「誰のおかげで貧弱なんだろうね」


 質素な食事は嫌いじゃない。けれど慎ましやかな暮らしのなかでは、筋肉なんてつけようがない。まぁ……元々の体質もあるだろうし鍛えてもいないから、なんだけどね。

 それにしても重い。やっぱり盛りすぎだよ。

 猫に重い本は運べないと分かっているけれど、身軽にすたすた目の前を歩かれるとちょっと腹立つ。


「よぉ、アスラン! と、タネルだったな。何年ぶりだ? でっかくなったなぁ。元気だったか?」


 高いドーム型天井の船内、中央広場に近付くにつれて顔見知りが声をかけてくる。僕らは明るく声を返しながら、広場の適当なスペースに台車を止めて布を広げ、簡易的な売り場をつくった。

 ここは到着した船の者たちが、良識の範囲内で自由に使っていいことになっている。アスランはどこでも人気者で、周囲にはあっという間に人が集まって来きた。

 こういうのを、招き猫、っていうんだっけ?


「どっちの空域まで行ってたんだ?」

「ここからベガの方に一天文単位辺りを流していたんだ」

「何だ、思ったより近場にいたんだな」


 何年か振りに再会した薬屋の親父とアスランが、親し気に話をする。

 エキンのような本屋は他にもあるが、僕らの船はその数と珍しさで群を抜いているらしい。時間が経つにつれて噂を聞きつけて来たお馴染みさんが、欲しい本のリストまで手にして顔を見せるようになってきた。

 アスランはその一つ一つを確認していく。


「希望の本の大体は揃ってるな。船までの届け希望だろ?」

「だと助かるよ~。こっちも最近人手が足りなくてさ」

「という訳だタネル。明日はあちこち、配達に回るぞ」

「はぁーい」


 これは筋肉痛、確定だな。

 ……という予想通りに、翌日の夕方には台車のハンドル部分にぐったりと寄りかかりながら、僕は大きく息を吐いた。もちろんアスランは涼しい顔だ。

 席が空いて声をかけてくれた馴染みの飯屋の女将が、「体力つけなきゃ」と笑って山盛りの食事を運んで来る。いやもう、本当に。


「体力もそうだけれど、筋肉もつけないと……」

「本当だねぇ。うちの子より細い腕をしているよ。いや、サネムが太すぎるかね」

「何だって母ちゃん!」


 女将とそっくりの眉の形をした、赤毛の元気な娘が聞き止めて声を上げる。

 確かにサネムさんは僕から見ても逞しい。人気の食堂なら座っているヒマも無いほど朝から晩まで大忙しなのだし、食材や鍋は重い物も多い。自然と鍛えられるのだろう。

 そして、食べているものも違うんだな、きっと。


「僕より太いって言っても引き締まるところはちゃんと引き締まっているんだから、ちょうどいいよ。健康的って感じで、僕はイイと思うなぁ……」

「えっ、ホント? やだぁ……イイ女だってぇ」


 急に声音を高くして、踊るようにステップを踏んでから笑い返してくる。

 テーブルでほぐした焼き魚を食べていたアスランが、何故か呆れたように目を細めて僕を見た。何だよ、変なこと言ってないだろ。本人だって喜んでいるんだ。


「筋肉をつけるのって、やっぱり体を鍛えるトレーニングと食事なんですよね」

「そうだねぇ。まぁ、その辺りはアスランの方が詳しいんじゃないかい? その手の本だって、エキンにはたくさん積んでいるだろ?」

「まぁ、そうだな。血肉になるのは主に肉や魚に、豆や卵。それだけじゃなくミルクなどの乳製品や野菜もバランスよく摂らねぇと」

「船長さん。船員の健康管理も大切だよねぇ?」


 笑顔で諭される女将にアスランは、「うっ」と声を漏らして視線をそらす。側の席で僕たちの話を聞いていた常連さんが、「そう言えば」と話に入って来た。


「トゥトクの六十六区画に繋いでいる船に、えらい体つきの者たちがいたぜ」

「えらい体つき?」


 興味を持ったアスランが訊き返す。


「あぁ……人間には見えねぇ姿でさ、何でも特別な方法で超人になったという話だ。タダでは見られないらしいが、見聞を広めるには一度覗いてみてもいいかもしれねぇな」


 超人。

 僕はアスランと顔を見合わせ、視線と視線で頷き合った。


     ◆


 その飛行艇は辺境の空域ばかりを行くという。果てしない空で「辺境」というのも不思議な話だが、このトゥトクから見て、途方もなく遠い場所、という比喩に使われることが多い。

 船の乗り口で、入場料として僕らは二冊の本を手渡した。

 かつて奇妙な空域ばかりを旅していたという冒険者の伝記と、髪飾りを集めた服飾系の本だ。乗組員に女性が多いとの情報からアスランがチョイスした。

 入口でそれらの本をぱらりと開いた細身の老人は、「いいだろう」とへの字にした口のまま頷き、僕らを中に招き入れた。


 他の一般的な船より内部は広く造られていたが、全体としてはさほど大きな船ではない。たぶん大きさだけで言うなら、エキンの方が大きいだろう。

 通路には時々、得体の知れない獣の叫び声が響いた。


「こちらは、辺境の地で出会いし者たちが集う船でございます」

「ふぅーん……」


 アスランはピンと伸びた耳をあちこちに向けながら、慎重に足を進めている。僕も彼の緊張が伝わって来たかのように、胸がドキドキしていた。

 案内の老人が通路の奥の扉を開く。


「最初にご挨拶させていただく者は、果てなき空を飛び続ける者――ハーピーでございます」

「わぁ……」


 思わず声が出た。両腕が鳥の翼になっている。足も膝から下が鳥の物だ。

 ふぁさり、と身軽に飛んで少女は無邪気な笑顔を向けてくる。その向こうにいるのは、下半身が蛇になった女性。鈍く輝く淡い色の肌には、鱗が浮かび上がっていた。

 僕の腰ぐらいまで背丈の者たち。三つの頭を持つのは狼だろうか。思わずアスランは僕の体に駆け上がり、肩の上で耳を倒して丸くなる。


「彼ら彼女らは生まれも育ちも違いながら、今は我が船で共に暮らす者なり」

「老人、あの者たちはお前が造ったのか?」


 アスランが不快を滲ませた声で尋ねた。


「超人と耳にしたからどういうことかと来てみたが、禁断の術でも使ったか? 人を異形に造り変えて見世物にする。そういうのは好かないな」

「それは誤解です」


 不意に僕らの頭の高い所から声が返った。

 振り返り見上げると……そこにいたのは、筋肉隆々の大男だった。発達した大胸筋や三角筋が、着ているシャツの越しでもよく分かる。

 僕はぽかんと口を開けてしまった。

 凄い。いったいどんな鍛え方をしたら、こんな姿になれるのだろう。

 大男は指先だけで岩を砕いてしまいそうだというのに、イタズラを隠す子供のような笑顔で続けた。


「父は僕と彼ら、彼女たちの願いを叶えただけで」

「お父さん!?」


 問い返す僕に、筋肉の大男はゆっくりと頷いた。


「彼女らは皆、自分の意思でここに居るのです」

「異形を造って見世物にしているんじゃないのか?」

「違います。違います。お父さんは僕らを素敵だと言ってくれました。だから僕らは自信を持って、少し変わったこの姿のままでお迎えしているのです。けっして無理強いではありません」


 うん、分かるよ。

 ハーピーだと紹介された少女も、半身が蛇になっている女の人も、怯えたり悲し気な表情が無い。この目の前の大男だって……。


「僕は生まれた時、とても小さくて貧弱な子供でした。そんな僕を丈夫にしたくて、父はあらゆる方法を探し空を旅していたのです。その先々で、変わった姿に生まれついたばかりに孤独でいた者たちを船に招き、一緒に暮らすようになっただけです」


 大男の言葉にアスランは耳をへちょりと倒して、「なんだ、そうだったのか……」と呟いた。

 彼は一見いい加減な性格のように見えて、正義感の強い熱血漢だったりする。本人はただの気まぐれだと否定するけれどね。

 それよりも……。


「あなたは、どうやってその姿になったのですか?」

「気になりますか?」

「勿論!」

「それでしたら……取って置きのトレーニングレシピと、栄養の元を置いていますので。ここは美と健康を追求する船。ぜひ伝授いたしますよ!」


 真っ直ぐ見上げた僕の視線に、大男さんは答えた。


 後日。例の船の大男さんから、たくさんの大豆の粉末が届いた。

 教えてもらったトレーニングの後に貰った大豆の粉末を水に溶いて飲むと、筋肉がつきやすいらしい。あの大男さん並みの体になれるかは分からないけれど、直ぐにへたばるような体力は改善したいからね!

 それと……反省したアスランが、僕の食事に気を配るようになった。気が付くとお皿に一本、煮干しがのっているんだ。

 そんな気を使わなくてもいいのにねっ。







© 2023 Tsukiko Kanno.

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グランドバザール 管野月子 @tsukiko528

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