どこにでも石原サトミがいる生活

悠木 柚

どこにでも石原サトミがいる生活

どこにでも石原サトミがいる生活

どこにでも石原サトミがいる生活

 二〇✕✕年は変異を繰り返すコロナウィルスの撲滅が達成されたことに加えて、日本のターニングポイントと言える年でもあった。当時の国家最高権力者と、彼を有する政党が力強く打ち出した奇天烈な政策。それが反対もなくすんなりと通り、現在の日本という国を形作る礎となったのだから。


 一億総 石原サトミ化計画。


 この無謀とも思える政策は世論の後押しもあり、あれよあれよと軌道に乗ることとなった。


 当時、最も優れた容貌を形成するとされていた石原サトミ遺伝子。それを受精の際に組み込み続けた日本人。数百年経過した現在では、過去の亡霊が夢見た通り、石原サトミしか産まれない世の中になっていた。


 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。頭脳明晰、容姿端麗。女性も男性も、生殖器の形状という違いはあれど、全員が石原サトミなのだ。それはもう完成された美の箱庭。


 ……になると、当時の最高権力者は思い描いたことだろう。


 しかし現実は理想とはほど遠く、誰も彼もが石原サトミになったことで石原サトミの持つ美しさや可愛さなどが普通になってしまい、その希少性が浮き立たなくなってしまった。


 それどころか、時とともにブスと呼ばれる石原サトミも増加傾向にある。本来、石原サトミなのだからブスなんてあり得ない。しかし一億総 石原サトミ時代に置いては、性格ブスの石原サトミや肥満体型の石原サトミがチラホラと出現。石原サトミの中でも優劣を生む結果となり、社会現象にまで発展している。


 そんな中、石原サトミ界の頂点に立とうと一念発起した石原サトミがいた。これまでも小説を書いたり、絵を描いたりして注目を集めようとする石原サトミはいた。プログラミングなどの専門技術を極め、どうにか石原サトミの中での差別化を図ろうと奮闘する石原サトミもいた。


 しかしそんな者は全て、「石原サトミなんだから出来て当然」との世論に押し潰され、目立つことのない道を歩むしかなかった。どんな立派なことを成し遂げても、石原サトミという優性遺伝子を組み込まれているのだから……と、評価されることはない。彼女にはそれが耐えられなかったのだ。


「石原サトミだからって評価されないのはおかしいわ」その石原サトミは友人の石原サトミに打ち明けた。


「でも私たちは能力的にも均一なのよ。何をしたって石原サトミができることの範疇を超えないわ」友人の石原サトミはそう答えた。


 それはこの国では当然の考え方で、ある種の真理といっても過言ではない。どこまで行っても石原サトミは石原サトミ、それ以上でも以下でもないのだ。


「だったら、石原サトミらしくないことをすれば良いんじゃない?」


 彼女自身、石原サトミらしくないことが、どんなことなのかは分からなかった。しかし、漠然としたその提案が、友人の石原サトミの何かに抵触したのは事実。


「なるほど! その線はアリね。それが本当に出来れば、私も貴女も石原サトミの枠から飛び出せるかも」


 友人の石原サトミもまた、この世界の様相に不満を持っていた。だから、そう答えたのだが……。本当の意味で変貌を遂げる勇気はなかった。


 しかしそれを聞いた石原サトミは俄然やる気に満ち溢れ、拳を強く握りしめる。異分子とも言える『反転型・石原サトミ』が誕生した瞬間だった。


 石原サトミは清く正しく美しい。この前提の中で、彼女はまず『清い』の部分から逸脱しようと試みた。


 ただ、彼女は良くも悪くも普通の石原サトミで、特別な知識も技術も持ち合わせていない。あるのは反骨精神だけの状態。そこで思いついた方法とは……。


「あっ……くふぅ、そんな……いやっ」

「本当に嫌なの? そうでないことは、貴方が一番よく知ってるはずよ」


 毎日乗車する通勤電車の中で痴漢をすることだった。痴漢をする石原サトミなんて前代未聞。石原サトミの風上にも置けず、石原サトミを全否定する行為に他ならない。


 しかも痴漢する対象も石原サトミ。どこが弱く敏感なのかは、よく熟知していた。とあるミリオンセラー作家の石原サトミが書いた『石原サトミ流 楽しい夫婦生活』の中にも、石原サトミを喜ばせるテクニックが満載されていたし、それ以前に石原サトミに関してのことなら、ほぼ全ての事柄が政府によってまとめられ、ホームページに上げられている。国民が画一化したことによる、それは大きな利点でもあった。


 反骨精神旺盛な石原サトミは、それからも痴漢行為を繰り返し、本来の石原サトミから徐々に外れて行った。しかし、順応性とは恐ろしいもので、彼女の行為を良しとする石原サトミが少なからず出現したのだ。


 石原サトミの敏感スポットを熟知している石原サトミが、石原サトミを陵辱する。そこに恥じらいはあれど、悪感情が芽生えることはなかったのだ。いつの日からか彼女の乗る電車には痴漢されたい願望のある石原サトミが集まり、ある種、宗教のような熱気を持って反骨精神のある石原サトミは受け入れられた。いや、望まれるようになったと言ったほうが適切かもしれない。


「おかしいわ。何かが違う」


 犯罪行為をしている側の彼女が気づくくらいには、通勤電車での光景は異様だった。周囲の石原サトミが自分に向ける熱い眼差し。そこには狂おしいほどの愛が含まれていたからだ。


 実は他の石原サトミも、現状に満足しているわけではなかった。何かが変わるのを密かに期待していたのだ。ただそれが、『白馬に乗った王子様がいつか私を迎えに来てくれる』……みたいな他力本願だっただけで。


 もしかすると、自分のやっていることは逆効果なのではないだろうか。逆効果ではないにしても、このままでは目的を果たせないのではないだろうか。


 反骨精神の塊である石原サトミは悩んだ。悩みに悩みぬいた末、『清く』の部分は放置して『正しく』の部分を先にどうにかしようと思い立つ。


 石原サトミとして正しくない行為には、何があるだろう。石原サトミの正しさは外見の美しさが見せる幻想である部分が大きい。彼女は石原サトミなので、そのことを重々承知していた。では、外見をどうにかすれば『正しく』どころか『美しく』の部分も翻すことができる。


 そう思いついてから彼女の行動は早かった。新宿のとある裏街道にある、知る人ぞ知る店、タトゥーサトミ。


 そこには需要が全くないけれど技術はあるので、人間国宝として技術を受け継いできた彫師石原サトミがいることを調べ上げた。


 タトゥー。別名、入れ墨。


 明らかに真っ当な人間が手出しする物ではない。大昔はファッション感覚でタトゥーを入れたとも聞くが、一億総 石原サトミ時代においては無用の長物。何をせずとも珠のような肌であるのに、その利点をダメにするなんて論外もよいところ。


 しかし『それこそが、私の歩む道に違いない』と彼女は確信してしまったのだ。


 店のドアを開けると、そこは薄暗がりが支配する独特な空間だった。最近では見なくなった大きな段差のある玄関。腰掛けて靴を脱げるよう四十センチほどの板間があり、その先はすぐ畳張りの客間につながっていた。


「……いらっしゃい。嬢ちゃん、見ない顔だね」


 どこからともなく現れた男性の彫師石原サトミだが、それを言うならアンタも同じ顔じゃないか。と、反骨精神旺盛な石原サトミは口に出さず思った。


 どうせなら、見かけない格好だとか、見かけない雰囲気と言ってもらいたい。


 入店直後に彫師石原サトミとの教養の差を感じ取り、彼女の心に余裕が生まれた。そしてそれは勇気となり、当初予定していた以上にタトゥーを刻む決意に変わる。


「全身に墨を入れて頂戴。背中には髑髏、両腕には悪魔、両足と腹部には稲妻と荒ぶる海竜を」

「嬢ちゃん、本気かい?」

「ええ、もちろんよ」

「そんなことをしちまったら、石原サトミ最大のステータスが損なわれるぜ」

「それでこそよ、私は石原サトミの反逆者。石原サトミであって石原サトミじゃない。言うなれば石原サトミを超越した何かになりたいの」


 反骨精神溢れる石原サトミの決意を聞いた、彫師石原サトミの瞳に炎が灯った。誰も彼もが石原サトミになったこのご時世、わざと肌を汚すような気概のある石原サトミはいなかった。己の存在意義を疑問視するしかない時代。


 そんな折に訪ねてきた、目の前のアウトローな石原サトミ。彼女になら自分の全てを、伝統として伝えられた秘技中の秘技を惜しみなく使っても良い。いや、是非使いたい。そう思わずにはいられなかった。


「嬢ちゃんの覚悟は分かった。だったら俺も本気でやらせてもらう」

「望むところよ」

「決めたからにはハンパな仕事はしたくねぇ。嬢ちゃん、臀部へのリクエストがまだだぜ」


 臀部、またの名をお尻。尻と尻を合わせてお知り合いのお尻だ。反骨精神溢れる石原サトミは少しだけ悩んで、臀部に入れる図案を提案した。


覇夢はむ太郎にするわ。臀部を中心に大きな覇夢太郎を彫って頂戴」

「中心にだって? それだと口の部分が肛門になっちまうが……」

「それで大丈夫よ。お尻の肉には頬を。それも二十五個入ってるような膨らんだ頬が良いわ」


 何が二十五個? なんて野暮なことは聞かなかった。覇夢太郎と言えば夢。夢が、希望が、情熱が、そして未来がそこに入るよう彫ってみせる。彫師石原サトミの目に灯った炎はますます燃え盛った。


 反骨精神旺盛な石原サトミは我慢強かった。タトゥーとは即ち、肌に傷をつけて墨をそこに流し込む作業。小さな図柄をワンポイントで入れるだけでもそこそこ痛いのに、彼女が望んだのは全身への墨入れだ。痛いかどうかを考えると、痛くないわけがない。


 それでも施行中、彫師石原サトミは彼女から苦痛の声が発せられるのを終ぞ聞かなかった。それだけ強い信念を持って全身を汚す決意をしていたのだ。


 三日が過ぎ、七日が過ぎ、やがて十日目を迎えた朝。彫師石原サトミが生涯最高の作品だと自画自賛できる素晴らしいタトゥーが完成した。どれだけ厚着をしても隠すことのできない全身タトゥー。従来の石原サトミとはかけ離れすぎた姿になった反骨精神旺盛な石原サトミ。朝焼けを背に裸で立つその姿は、むしろ美しくすらある。一周回って神秘的なエロスがそこには溢れていた。


 ここに反骨精神旺盛な石原サトミは、超越者石原サトミとして降臨したのだ。


 正直なところ、超越者石原サトミはタトゥーを全身に施している間、痛みで頭がおかしくなりそうだった。そしてようやくその痛みから解放された今、彼女は本来の目的が何だったのか忘れてしまっていた。


 私は何のためにこんなことをしたのだろう……。

 石原サトミとして完璧な美を約束されて生まれながら、それを台無しにする行為。それにどんな意味があるのだろう……。


 しかし運命とは面白いもので、彼女が目的を忘れても世間の波はそのことから彼女を遠ざけはしなかった。超越者石原サトミの姿を一目見た者は、その容貌が頭から離れず、彼女を称賛し続けたのだ。


 その輪が何千、何万、何億となるのに、そう時間は必要なかった。SNSで一度火のついた超越者石原サトミは、その誕生から一週間もせずに日本一有名な、そして石原サトミの枠にはまらない石原サトミとして認知されることとなる。


 それは彼女が当初切望した結果そのものだった。



 やがて時は流れ、超越者石原サトミと志を同じくする集団が結成される。そこでは一億総 石原サトミ化を根本から揺るがす大計画が進行しつつあった。


 一億総 高畑ミツキ化計画と一億総 深田キョーコ化計画がそれである。人類の、いや日本人の美に対する渇望は留まるところを知らない。それは欧米人に対して、外見的なコンプレックスを持ち続けてきた黄色人種の本能だ。






~了~

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