一杯のヒーロー

合歓 眠

一杯のヒーロー

 キャッチボールしよっか。


 そんな話になったのは、友人とのオンライン飲み会が終盤に差し掛かった頃だった。終盤というか、俺とそいつ以外はとっくに退室している。ふたりだけになってもダラダラ飲み続けるのがここしばらくの通例だった。


「今度、地元帰るからさ」


 友人は赤い顔でへらへらと笑った。


 このご時世に、いい歳した大人がキャッチボール!

 そう言おうとしてやめた。そうだ。こいつには直接会う用事があるんだった。


 じゃあ、いいか。

 久しぶりに、キャッチボールくらいは。


「やろう」

「やろう、やろう」

「運動公園でやるか」

「でっかいね」

「気にしなくていい」

「窓とか」


 あっはっはっはっは。


 昔、狭い公園でキャッチボールをして家の窓を割ったことがあった。あのときの雷親父との一悶着は、今でも友人たちの間では語り草になっている。


 あれ、ヤバかったよな。

 うん。

 いじめっこがさ。

 そうそう。

 終わったと思った。

 マジ。

 ね。

 うん。

 最高だった。


「で、カップ仮面が――」


 そこまで言いかけて、ふいに思い出た。


「どうした?」

「お前さぁ――あそこ、いたっけ」


 友人のビールを口に運ぶ手が止まる。ややあって、笑った。


「いたよ」

「ああ、そうか」


 いたか。その日はなんとなく気が進まなくなって、飲み会はお開きになった。なんとなく。なんとなく。いいや、本当はなんとなくなんかじゃない。



 そうか、お前は。


 その続きを言うのが憚られたから。







「参上、カップ仮面っ!」



 我らがヒーローがやってきた。

 蝉の鳴り止まない、うだるような夏の日に。空き地に膝をつく少年たちは喜びの表情を浮かべる。一方、彼らよりちょっとだけガタイのいい少年たちは苦虫を噛んだみたいな顔でたじろいだ。


 とうっ。


 まるで正義の味方みたいに。


 カップ麺の蓋と容器でできた珍妙な仮面をつけたその子は塀から飛び降りた。飛び降りたと思ったら、その足は華麗にガタイのいい少年の横腹を蹴りつけていた。


「すっげ、すっげ!」


 坊主頭のヤスジが、地面に這いつくばりながら興奮の声をあげる。俺も何か言おうとして……けれど、カップ仮面の活躍を一時も見逃したくなくて、ただただ黙っていた。

 カップ仮面が――

 格好いいヒーローが、完膚なきまでに悪者たちを打ちのめすその様を。


 上級生のいじめっ子達が散り散りに去る。その時空き地に立っていたのは、カップ仮面ただひとりだった。カップの縁が、ちょっとだけ欠けていた。


「ねえっ」


 背の低いトウヤが叫ぶ。


「君、同じ学校の子なの? できれば、名前とか――」

「あっ」

「カップ仮面――」


 リーダー格のケンタが口惜しそうに手を伸ばした。


 駆けるヒーローの背中が陽炎に揺れる。まるで青空の向こうが帰り道とでも言わんばかりに、遠く、遠く、細い道路をどこまでも遠くへ消えていった。


 もう何度目だったろうか。


 小学生の頃、俺、ヤスジ、トウヤ、ケンタの四人はいつもいっしょに遊んでいた。特にそれぞれの家から近い大きな空き地は、いつでも通える馴染みの遊び場だった。


 あいつらが来るまでは。


「あのさぁ、俺たちもここ使いたいんだわ」


 サッカーボールを持った上級生。ふたつ上だったろうか。


 いっしょに遊ぼうよ。


 そう言ったのはトウヤだったらしい。らしいというのは、俺が空き地に来たときには、もう目も当てられない様相を呈していたからだ。


 その日から、俺たちの戦いは始まった。


「おはよ」

「…………」

「おーはーよ」

「…………」

「おはぁよーっ! ございまぁーすっ!」


 わっ。


 思わず、仰け反る。


 腕に絆創膏を貼ったケンタが、怪訝そうに俺を見ていた。女子達が「うるさー」と迷惑そうにふたりを見ている。


「んだよ、また考えごとかよ」

「ごめんって」

「何考えてたわけ」

「あー……」

「当てるわ。あいつらボコる方法」

「ブー。正解は、カップ仮面の正体」

「マキオカ先生だろ! 絶対!」


 そう言ってきたのはヤスジだった。


 さっきまで別のやつらと盛り上がってたくせに、突然こっちの会話に割り込んでくる。呆れると同時に、調子のいいヤスジらしくて笑ってしまった。


「何がおかしいんだよぉ。やるだろ、マキ先!」

「あはは、えーっ、カップ仮面参上って? あははは」


 トウヤがランドセルを下ろしながら笑う。「大体、体格全然ちがうよぉ」と言ってまたコロコロと笑った。


 波長が合っているというのか。


 こうして自然に集まっては、喋ったり遊んだりするのが俺たちの日課だった。そんなありふれた日々が、嫌いな上級生の存在なんて気にならないくらい楽しかった。


「――え」


 ふいに振り返る。


 誰かが、俺の名を呼んだ気がした。


考えすぎかも。そう思い直して、また友人たちとの会話に花を咲かせる。だって、俺の後ろに座っているのは、いつも本を読んでばかりいる地味な女子だけだ。一度だって、声さえ聞いたことがない。


 そんなやつが、俺に用なんかあるわけない。


 そんなやつが、俺たちの空き地に現れたのはその日の放課後だった。


「見てる」


 ヤスジが指差し先に目をやると、空き地の入り口に彼女は立っていた。隠れるように。見えないように。けれど、どう考えたって見つかる位置から。

 缶蹴りする少年たちをじっと見つめていた。


「やる?」


 案の定、トウヤが声をかける。


 彼女は、フルフルと首を振った。


 ケンタが「ぜーろっ!」と声を張りあげる。缶の転がる小気味いい音が高らかに鳴るのを聞いて、ズリィぞと野次を飛ばしながら散り散りに走る。

 いつのまにか、彼女はいなくなっていた。


 翌日も。


 翌々日も。


 その次の日も。


 そいつは俺たちを見ていた。


 そして――



「うーい、今度はこっちっ!」



 ヤスジが高く投げた軟球のボールをクウコがキャッチする。それから辿々しい手つきでトウヤにボールを投げ渡した。あはは、上手い、とトウヤが笑う。


「すっかり馴染んだな」

「クウコ?」

「そうそう。全然喋んないの……にっ、と」


 ケンタが話しながら軽々とボールを投げ返す。


「いんじゃない。楽しそうだし」

「そうかな」

「そうでしょ」

「最近、あいつら来ねえな」

「そういやそうだね」

「なんでだろ」

「んー……」

「おい」

「なに?」


 ボール来てるぞ。そんな言葉と共に、頬が鈍い衝撃を受け止める。

 みんな笑っている。クウコも、口元を押さえて笑っている。なんかムカつくけど、あいつも笑ってるならいっかと思える。不思議な気持ちだった。


 それが空き地での最後の思い出だった。


 翌日やってくると、敷地には立ち入り禁止の看板が立っていた。その時は、たしか、「他人様の土地に勝手に入ってはいけません」とついさっき帰りの会で言っていたマキ先の顔を思い出していたような気がする。


 俺たちの居場所はなくなった。


 代わりに得たのは狭い公園。

 そこは、すっかりヤツらの支配下だった。


 携帯ゲームを持ち寄って「潰せ」「ぶっ叩け」と盛り上がっている彼らの傍を通りすぎる。お前らみたいなやつのせいでゲームが禁止されんだ。そう誰かが呟いた。

 聞こえなかったらしい。

 表情を変えない様子を伺って、そっと胸をなで下ろす。


 でも、きっと。

 関係なかったんだろう。


「うっせーなあっ!」


 突然、はしゃぎまわっていた下級生のひとりが締め上げられた。


 やだ。


 いやだ。


 やめてよ。


 俺たちよりも小さい子が泣き喚く。助けを求めている。見ている。その瞳には、俺が映っている。助けなきゃ。救わなきゃ。ヒーローみたいに。


 カップ仮面みたいに。



「とうっ!」



 ――参上。


 そう声をあげたのは、俺ではなかった。


 塀の上に立っている。

 赤と白でできた、珍妙な仮面をつけたその人が。みんなの窮地に駆けつける、正義のヒーローが――――



 あれ。



 俺だけだろうか。


 欠けたフチから覗くその頬が、赤く腫れている気がした。

 まるで、泣いていたみたいに。



 カップ仮面による疾風怒濤の快進撃は――始まらなかった。

 体捌きはたしかにカップ仮面なのに。

 それなのに、簡単に足をすくわれた。服を掴まれると、いとも容易く振りまわされた。そんなもの気にしなければいいのに。カップ仮面は服を掴まれるのを嫌がった。上級生の奴らは、執拗に上着を狙った。何か、秘密を知っているみたいな顔をしていた。


 わけがわからなかった。


 あんなに強い。

 格好いい。

 カップ仮面が組み伏せられていた。


 俺たちは――四人は、それを見ていることしかできなかった。


 クウコは。

 あいつはどこだっけ。

 そっか。

 何も伝えていないから。

 今頃、空き地にひとり突っ立っているのかもしれない。

 よかった。



 ――ここにいなくて。



「いってっ!」


 上級生が衝撃に目をつむる。その足下には、一球のボールが転がっていた。何すんだと凄むその口に、ガボッと音を立てて軟球が入り込む。そいつが、巨体を揺らして尻餅をつく。


 デカい音。


 デカい声。


 茹でダコみたいに、みるみる赤く染まる顔――


 ボールを持った四人組は、正義のヒーローを助けるために立ち上がった。格好よくはなれないとわかっていても。勝てっこないとわかっていても。絶対、痛い思いをするとわかっていても。

 みんな、一杯いっぱいだった。



「せんぱーい!

 キャッチボールしましょうよぉーっ!」









 結果は、言うまでもない。


 16 ― 0


 公園を賭けた野球対抗戦は上級生チームの圧勝だった。


 コールド勝ちも知らずに、みんなで暗くなるまで遊びほうけた。キャッチボールをしていたら窓ガラスを割ってしまったものだから、誰が悪いの悶着でずいぶん揉めたものだ。


「子どもってバカだなぁ」

「ふぉうかぁ?」


 食べながら、友人は疑問を呈する。


「ああ、もちろんいい意味でな」

「ほあー」

「聞いてた? 話」

「……あ、明後日ケンタ帰ってくるって」

「知ってる。トウヤから聞いた」

「トウヤくん会いたーいっ」

「昨日会ったろ」

「友達にはいつでも会いたいものなのだ」


 ――揚げ、うまぁ。


 大事な話があるって言ったのに。

 目の前で赤いきつねを啜り上げる彼女に呆れながら、俺は小さな箱を手に取った。


「なあ」

「ん?」


 今度はさ。

 俺たちの居場所、誰にも奪わせないよ。



 なんて言葉は、少し格好つけすぎだろうか。

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