萎れない月下美人は今日も笑う

ヨッシー

萎れない月下美人は今日も笑う

 私はある方に仕えるためだけに作り直された存在。これまでずっとそうであったし、これからもそうである……はずだった。



 夕暮れ時。橙色の光が窓から差し込んでくる。キッチンに立ち、夕食の支度をしている私はそれに対して反応することなく己の手を進めていく。


今日の夕食はビーフシチュー。あの方の大好物だ。普段の食事も美味しそうに食べてくれるが、ビーフシチューを出したときはいつも以上に喜んでくれる。そんな事を考えていると自然と腕が軽くなる。それなりに使い込んでいる包丁のはずなのだが、いつもよりも切れ味が良く感じた。


「おーい、シルヴィア」


裏庭の方から私の名前を呼ぶ声がした。少し高めの男の声だ。


「はーい、ただいま」


私は右手に持っていた包丁を離し、近くの取っ手に掛けていたハンカチで手を拭き、早足で裏庭へと向かった。そこには目を引かれる程綺麗な銀髪で顔中泥まみれの青年が花壇の前でスコップを携えながらこちらを見て手招きしていた。


「マーティン坊ちゃん。もうすぐ夕食だというのにこんなに泥まみれになって、全く」

「はは、ごめんごめん。どうしてもこれをシルヴィアに見てもらいたくてさ」


そう言って彼は支柱の刺さった大きな植木鉢を持って私に見せた。


「これは……月下美人ですか」

「お、正解。よく覚えてたね」

「えぇ、覚えてますとも。……忘れるはずがありません」


正直、この花に関してはいい思い出はほとんど無い。思い出すのはいつもあの時の後悔ばかりだ。



坊っちゃまと初めて出会ったのは私が作られて間もない頃だった。


この世界では人の形を模した機械が色々な用途で店で販売されている。漁師、教師、調理師……など様々だ。そんな中、メイドとして作られたのが私だ。


ある日、私が売られていた店に親子がやって来た。あまりにも綺麗な衣服を身に付けている事からして一般よりも裕福な家庭である事はすぐにわかった。父親が店員と話している中、男の子は目を輝かせながら周りを見渡している。


「お父さん。僕、この子がいい!」


男の子は私が入っているショーケースを指さしながら言った。父親もそれを快く聞き入れ、高い代金を支払い、私を買った。


「旦那様、息子様。この度は私めをご購入下さり有難うございます。これから誠心誠意御奉仕させていただきますのでどうぞよろしくお願い致します」


ショーケースから出てきた私は両手を前に添え、深々と頭を下げた。


「僕、マーティン。君の名前は? なんて言うの?」


坊っちゃまがこちらを見つめてくる。


「名前、ですか。名前はありません」


流石に作られた際に名前まではつけてもらってない。大抵は買われた後につけてもらう、らしい。


「え、ないの? ん〜」


 両腕を組み、顔にシワを寄せながら上を向いている。


「……そうだ。シルヴィア、君の名前は今日からシルヴィアだ!」


凄く嬉しかった。自分に名前が無いからと言ってどうということではないがそれでも嬉しかった。私を買ってから十分も経っていないのに親切に名前を付けてくれるなんて微塵も思っていなかった。だから余計に嬉しかった。


「はい。私の名前は今日からシルヴィアです。よろしくお願いします、マーティン坊っちゃま」


この時私は改めて精一杯自身の責務を全うしようと思った。“メイドとして作られた”からではなく“機械である自分に親切に名前を付けてくれた”恩に報いる為に。



それから色々な事を知った。坊っちゃまは周りの人達に気を配れるとても優しい人だということ。勉強が少し苦手だということ。そして、花が大好きだということ。また一つ、また一つと坊っちゃまの事を知れることがとても嬉しかった。


しかし、あの日に悲劇は起きた。



「マーティン坊っちゃま。朝ですよ、起きてください」


窓から日が差し込み、木の枝の上で鳥がさえずる素晴らしい朝。私はベッドの上で大の字になって寝ている坊っちゃまに声をかける。


「ん〜、後十分……」

「もう、いつまで寝る気ですか。今日は隣町まで行って買い物をしてくるのでしょう」

「あ〜、そういえばそうだった」


坊っちゃまは一つ大きなあくびをした後、目をこすりながらそう言った。


「はぁ、全く。とにかく早く着替えて下に降りてきてくださいね。朝食の準備はとっくに出来てます」


 そう言って私は坊っちゃまの部屋を後にした。


「財布は持ちましたか」

「持ったよ」

「ハンカチはポケットに入れてありますか」

「入ってるよ、ほら」

「水筒にお茶をいれておきました。買い物の途中で休憩して飲んでください」

「お、ありがとう」


 そう言って、坊っちゃまは私が差し出した水筒をカバンの中にしまった。


「……ふふっ」

「どうかなさいましたか?」

「いや、なんか死んだ母さんに似てるなぁって思ってさ」


何年か前に旦那様に「お母様はいらっしゃらないのか」と聞いたことがある。私が買われる前は旦那様とお母様、坊っちゃまの三人暮らしだったらしい。お節介が過ぎるところもあったらしいが、いつも坊っちゃまの傍に居て見守ってくれてた暖かい人だったそうだ。しかし、急病で倒れ、そのまま亡くなってしまったらしい。元々、仕事が忙しい旦那様は中々坊っちゃまにかまってあげられず、辛い思いをさせていることを不安に思い、私を買うことに至ったそうだ。


「……そうですか」

「あ、そうだ。花壇のアレ、今日咲くだろうから最後の水やり、よろしくね」

「かしこまりました」

「それじゃ、夕方には戻ってくるから留守番よろしくね」


そう言って坊っちゃまは家を出た。坊っちゃまをお見送りした後、私は靴を履き替え、緑色のじょうろを手に持ち、水を汲み、中庭にある花壇へと向かった。そこには赤みがかった茎に先が開きかけた白い蕾をつけた植物があった。坊っちゃまはこの花が特に気に入ってるらしく、この花が咲く時は決まって外で眺めながら食事をする。花を育てる人は沢山いるだろうがこういう事をする人は中々いないだろう。しかし、そういうところも含めて私は坊っちゃまが大好きだった。


「早く帰ってこないかな」


そう呟いたあと、私は水をまいてあげた。



……帰ってこない。もう夕方になっているのだが坊っちゃまの姿が見えない。いつもは何処かに出かけても時間きっちりに帰ってくるのに。いや、あの優しい坊っちゃまの事だ。困っている人を助けてあげていて電車に乗り遅れているのかもしれない。電車自体が遅れている可能性だってある。今すぐ連絡をとる事が出来ればいいのだがそんな都合のいいものは持ち歩いてないしそもそも普及していない。そんな心配をしている中、水やりをした月下美人はとっくに萎んでいた。



夜をまたいで日も昇ってきた頃、黒電話が鳴った。


「もしもし、どちら様でしょうか」

『もしもし、私、西アリス病院の者です。マーティン様の御自宅で間違いないでしょうか』

「はい。私はメイドをしています、シルヴィアと申します。病院の方が一体どういった用で……?」

『実はマーティン様が……』


その後の言葉を聞いた後、手の力が抜け、受話器が床に落ちた。少しの間、その場に立ち尽くしていたがすぐに家の外に駆け出し、偶然にも近くにいたタクシーに乗り込んだ。そしてすぐさま西アリス病院へと向かわせた。



病院に着いた私は、階段の段数なんて数える暇もないまま駆け登り、私は坊っちゃまがいるという部屋へ向かった。


「坊っちゃま! 坊っちゃま!」


私は物音一つしない部屋で叫んだ。


「シルヴィア、こっちこっち」


なんだ、いつもとお変わりない元気な声だ。そう思った私は胸を撫で下ろしながら、声のする場所へと向かった。私と坊っちゃまを隔てるカーテンを開けた瞬間、私は絶望した。


 頭のてっぺんから足の先まで包帯でぐるぐる巻きにされていたのだ。いや、それだけならまだマシなのかもしれない。私が絶望した理由はそこではない。


今までついてたはずの左腕がないのだ。


肉と骨でつくられたものではないが私にも確かに腕は今もある。肘だって曲げられるし、手首もまわせる。指の関節を曲げて物をつまむことだってできる。しかし、彼の左腕はそれらの機能を全て失ってしまったのだ。


「坊っちゃま……、坊っちゃま……!」


どうしてあんなにも優しい坊っちゃまがこんな目に遭わなければいけないのかと神様を恨んだ。世の中はこんなにも理不尽で残酷なのかと痛感した。胸の奥が締め付けられるようだった。


「ごめんな、シルヴィア。心配かけちゃって」


坊っちゃまは残った右手で膝から崩れ落ちた私の頭を優しく、ただ優しく撫でてくれた。



あれから坊っちゃまは苦労の連続だった。

 左腕があった場所に義手を付けた。付けた後は義手をある程度自由に動かせるように訓練をした。退院してからも大変だった。外を歩けば人間らしからぬその腕を見た人達がこちらを見つめてきた。中には、冷たい目を向けながら小声で噂する者までいた。坊っちゃまは表情一つ変えることなくいつもの様子で毎日を送る。それも相まって私は余計に辛く、苦しかった。月下美人を見る度にこんな事が私の思考を物凄い速さで駆け巡る。機械の私でも酔って吐きそうなぐらいだ。


「……おーい、シルヴィア。おーい、聞こえてる?」

「はっ、坊っちゃま。申し訳ありません。少しぼーっとしておりました」

「シルヴィアって偶にぼーっとしてるよね」


坊っちゃまはそう言って微笑んだ後、続けて口を開いた。


「ねぇ、シルヴィア。今日は裏庭で食べたい」

「外で、ですか。分かりました。テーブルは私が出しておきますので坊っちゃまは今のうちにお風呂場で体を洗ってきてください」

「うん、分かった。それじゃよろしくね」


坊っちゃまは服に着いた土埃を手で払った後、そそくさと風呂場へと向かった。私も食事の準備の続きをする為にキッチンへと戻った。



「ふぅ、食べた食べた。やっぱりシルヴィアの料理は美味しいよ。どの店の料理よりも美味しい」

「光栄です」


私の作ったビーフシチューを食べて坊っちゃまは満足そうな顔をしている。私もそんな坊っちゃまの顔が見れて満足である。すると坊っちゃまは何かを思い出したかのように口を開いた。


「シルヴィア。ちょっと部屋に戻っていいかな? すぐ戻ってくるからさ 」

「はぁ。私は一向にかまいませんが」

「それと僕が戻ってくるまで目を閉じていること」

「どうしてそんなこと……」

「いいからいいから。それじゃ、ちょっと行ってくるから」


そう言って坊っちゃまは足早に席を後にした。内心、坊っちゃまの事を変なのと思いながらも私は言われた通りに目を閉じた。



一分後。こちらに向かって段々と大きくなってくる足音が聴こえる。坊っちゃまが戻ってきたのだ。数秒後にその足音が止み、坊っちゃまの声が聞こえた。


「いいよ。目を開けて」


私は閉じていた目をそっと開く。


「……箱、ですか?」


その言葉に続くかのように坊っちゃまは箱を開いた。中身を見た私は驚いた。


指輪だ。しかも普通の指輪ではない。花の形を模した指輪。私と坊っちゃまの傍で今まさにその花を咲かせている月下美人を模した指輪だ。私は次に坊っちゃまの口から出てくる言葉を理解した。その指輪がいつか用意されていたのかも。嬉しい。凄く嬉しい。それでも


「……私ではいけません、坊っちゃま」

「どうして?」

「あの時私は坊っちゃまを助けに行けなかった。いや、それ以前に無理やりにでもついて行くべきでした。私はメイドとしての務めが出来ていませんし、それに機械である私と結婚なんて……」


機械である私と結婚なんてしたら幸せな生活を坊っちゃまが送れないかもしれない。坊っちゃまの笑ってる顔が私は好きだ。それが見れなくなるかもしれないと思うと不安と恐怖で潰されそうだ。


「機械だのメイドだのそんなことは関係ない。僕はシルヴィアが好きなんだ。いつも傍にいてくれて、温かくて優しくて、そんなシルヴィアが好きなんだ」


温かくて優しいのは貴方の方です、坊っちゃま。私なんかよりもずっとずっと温かくて優しい。


「シルヴィア。君はあの時の事を後悔してると思う。僕も腕を失ったって改めて知った時に君に後悔させてしまうだろうなって思った。それでも君と人生をこれからも共にしたいという気持ちは変わらない。これは正真正銘僕の正直な気持ちさ。だからさ、シルヴィアも自分の気持ちに正直になって答えて欲しいんだ」


少し間を置き、坊っちゃまは続けて言った。


「僕の傍にいてくれないか。機会としてでなく、メイドとしてでもなく、僕の伴侶として。これからも、ずっと」


言葉が出なかった。出そうと振り絞っても出なかった。こんな私でもいいんだって、そう思えた。私は、ただ首を縦に振った。



翌朝、私の手には坊っちゃまからの指輪がはめられていて、外では月下美人がその花をまだ元気に咲かせていた。







































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