ラッキーアイテム
いちはじめ
ラッキーアイテム
「ねえ聞いてるの?」
彼女の膝枕で漫画を読んでいた俺の顔を覗き込みながら、彼女はあからさまに不機嫌な口調で言った。俺は、その視線を遮るように漫画を掲げ、ページをめくりながら聞き返した。
「何?」
「もう、何も聞いてないんだから」
「ごめんごめん、つい漫画に夢中になっちゃって」
俺は漫画を閉じ、体を起こし彼女に向いて座りなおした。
「それで何の話だっけ」
「キツネとたぬきの話よ。ラッキーアイテム!」
漫画を読みながらも彼女の話は聞こえていたはずだが、改めて聞いても何の話だかさっぱり分からなかった。
「うん?」
俺のぽかんとした顔を睨みながら、ちゃぶ台の上に二つのものを置いた。それは赤いカップ麺と緑のカップ麺だった。
『赤いきつね』と『緑のたぬき』、それでキツネとたぬきの話か……。しかし、ラッキーアイテムとどうつながるのだ。
そのころ彼女は、大学に近いワンルームを借りていた俺の部屋に、良く昼食を食べに寄っていた。手ぶらで来て俺が常備しているカップ麺を二人で食べるのが常だった。彼女の好みは『赤いきつね』で、俺の好みは『緑のたぬき』。二人はふざけて、どちらがどちらを食べるかよく賭けをした。じゃんけんだったり、カードゲームやテレビゲームだったり、時には湯を入れた五分後にワンルームマンションの前を通る人の性別を賭けたりもした。いつぞやは五分立っても誰も通らず、麺が汁を吸って伸び切ってしまい、二人大笑いをして、麵を啜ったこともあった。
「キツネとたぬきの件は分かった。で、ラッキーアイテムとどうつながるんだ?」
彼女は備え付けの簡易キッチンで、湯を沸かす準備をしながら答えた。
「カップ麺の中に具が二つ入っているものがあるんですって。二万個に一個の確率らしいわよ。それでそのカップ麺にあたると、願いごとが一つだけ叶うんですって。すごいでしょう」
さっきまでの不機嫌が嘘のような、嬉しそうで、まるでそのカップ麺を引き当てたかのような口調だった。
女性はこの類の話がとても好きだ。冷静に考えてみれば、二万個に一個、二つ目の具を入れる工程を組むことは相当な負担になる。二つ目の具を入れたカップを同時に生産して、他のロットに分けて入れるとしても同様だ。単なる都市伝説の範疇を出ない与太話だろう。
しかし嬉しそうに話す彼女に、そんな無粋な考えを披露しないくらいの優しさは持ち合わせていた。
「へー、そんなことがあるのか。それで今日食べる、きつねかたぬきがそれだったら何を願うんだ?」
「ええ~、それは秘密よ、ひ・み・つ」
彼女はアニメの主人公よろしく、腰に肩手を当て、もう片方の手の指を唇に当てて振り向きウィンクをした。
それから大学を卒業するまで、俺たち二人は、あの部屋で『赤いきつね』と『緑のたぬき』を啜った。結局というか、当然というかラッキーアイテムの入った『赤いきつね』と『緑のたぬき』にはついぞ当たらなかった。
彼女とは卒業後もしばらく連絡を取り合っていたが、新しい環境になじむにつれて、次第に疎遠になっていき、今ではどこで何をしているのかも知らない。
今日こんなことを思い出させたのは、五歳の愛娘だ。日曜の昼食時、私が居間で新聞を読んでいたところ、リビングから娘の素っ頓狂な声がした。
「わあ~、お揚げさんが二枚入ってる」
妻がキッチンから離れ、テーブルの上の赤いカップ麺を娘と一緒にのぞき込んでいる。
「ほんとだあ。晴美、大ラッキーよ、なんでも願い事が一つ叶うわよ」
妻とは一回り以上の年齢差があるが、ラッキーアイテムの噂は、彼女の年代でも存在していたらしい。新聞をテーブルに置き、私もどれどれとキッチンへ移動した。
母娘はまだ興奮してキャッキャとはしゃいでいる。確かに揚げが二枚入っていたが、しかしよく見ると、剥がした赤い蓋に『コンビニ限定、なんとお揚げが二枚』と印字してあるではないか。何のことはない、ラッキーアイテムでもなんでもなかったのだ。しかし二人に水を差すようなことをこの私が言う訳がない。
「さて晴美、何をお願いするんだ」
カップ麺から顔を上げた娘は、いっぱいの笑みを浮かべて声を上げた。
「晴美、お父さんと結婚するの」
その笑みに何故か彼女の笑みが重なった。
彼女の願いは何だったんだろう。
俺の鼻腔にあの時と同じめんつゆの匂いが広がった。
(了)
ラッキーアイテム いちはじめ @sub707inblue
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