優しいワガママ……。

世界は観測されることで存在する。シュレディンガーの猫ではないが、つまりはそういうことなのだろう。世界が美しいのではなく、観測する者が美しいのだろう。そのようなことを考えた。

これをナルシシズムと捉えるのは間違っている。誰でも世界と自然を愛でることはある。それを指さして非難することはない。むしろ、それは豊かな感受性の持ち主だと、誇っていいことなのだ。

しかし、世界を慈しむことは自分を慈しんでいるということに、いずれは気がつくようになる。鋭い感受性の持ち主なら、遅かれ早かれ、それを覚ることになるのだ。そして、世界と自分との間には隔たりなどなく、ひと続きに繋がっていることを知るのである。

そういった美や愛への気づきが、世界の終わりに主人公のもとにやってくる所がシニカルなユーモアを感じた。世界の全てが終わる頃になって大悟を得たようなやるせなさの中に悟ることができて良かったという安心感が綯い交ぜになったかのような感覚を味わえた。