第2話 石の海


 やがて女は男児を出産した。難産だったが、これには父王も一目置かざるを得ない。宝石など、たんまり褒美を出した。


 産後の疲れが癒えてくると、女はたまらなく子が厭わしくなった。石のように固く、冷たく重い。乳を与えると砂を擦られたように痛む。生む時も体を引き裂くほどの激痛を与えて、憎しや憎し。


 女は子を愛せなかった。


 そればかりか、周りの静物まで石に見えてくる。やがて人間も石の寄せ集めと感じるようになった。石と死の世界がそこまで迫っていた。


 意識の変化をよそに、子を生んだことで正式な妻として認められた。それをよく思わない人間がいることを女は知らない。


 階段から突き落とされた時は子は抱いていなかったが、額が割れた。床に血だまりができて、王太子はいたく気の毒がった。


「大丈夫でございます。すぐ治りますゆえ」


 女がものぐさく言うとおり、傷口はすぐに塞がった。白蛇の加護。蛇血が一際濃いため、どんな病も傷もよせつけない。


 気味悪がる者がほとんどだが、王太子は感激していた。


「素晴らしい力だ。国の平癒と戦の支援をして欲しい」


 新しく神殿を設け、そこに女を奉る計画があるという。誰かから入れ知恵されたのだろう。


 女は初め、しぶる素振りをしたが、内心ほっとしていた。子から離れられるし、余計な詮索を避けられる。


 男は太陽のような野心で世界を照らさずにはいられない。新しい鳥を買い集め、まだ見ぬ世界に憧れる。女にそれを止める術はない。西との大きな戦が始まろうとしていた。


「メディナよ。俺とこの国を守ってくれ」


 口ではありがたがりながらも、男は女に倦んでいた。


 愛した男の顔までもが、巌のように女を苛んだ。



 孤島の神殿には初めこそ訪れる者はあったが、すぐに忘れられた僻地となった。


 鳥が所かまわず巣を作り、糞で床を汚す。


 女はここで朽ちることを覚悟した。それもいい。愛した男のために祈りながら死んだなら、人間としての体裁は保たれる。


 一年、三年、五年が経った。子の息災を伝える手紙は二年前で止まっている。乳母に任せれば大丈夫だ。戦争は勝ったのだろうか。負ければ西の兵が自分を見つけ、最後の東の民として処刑してくれるだろう。


 彼女の前に現れたのは西の民でも東の民でもなかった。


 鳥の羽を団扇にして、跳ねるような足取りで神殿に入ってくる。細身の体に羽根模様の上着を羽織っていた。


 灰色の髪を鶏冠のように立たせ、目にはアイシャドー。化粧は呪術的な意味合いを持っている。


「あちきは、郭公かっこう


 団扇で口元を隠しながら、見知らぬ女は名乗った。メディナはぼろくずのようにうずくまり、動かない。


「死んだふりはおよしよ、古き神」


「……、なにかご用ですか」


 メディナの消え入りそうな声に、郭公は目を丸くする。


「あんた、自分が呪いになってるの気づいてないの? ダーリンもあんたが邪魔だってさ」


 男はメディナのことなどとっくに忘れ、新しい所帯を持っていた。郭公は戦で手に入れた側室の一人だった。それを聞いても、メディナの心はほとんど動かなかった。


「子供は……、私の子供は」


 郭公は小さく吹き出したが、やがて高笑いに変わった。


「ああ、あれ。どうなったと思う? 私は郭公。人の巣を荒らすのが大好き。子供の命と引き替えに抱かせてあげると言ったらあの男、喜んで差し出したわ。あー、おっかし」


 子供はもうこの世にいないのだ。メディナを引き留めるものがまた一つ失われた。


「殺してください……」


 メディナの嘆願は、郭公を不愉快にさせた。


「あらら、つまんないの。ともがらかと思ったら違うのね。もっと古い原初の何かか。あちきはね、双子山から来たの。門が閉じたから、こっちに居残ることにしたわ。ダーリンもいるし、あんたの分まで幸せになってあげる!」


 郭公の団扇の陰から黒い嘴が伸び、メディナの腹に風穴を開けた。


「さよなら古き神」



 東の国では疫病が蔓延していた。体が徐々に石に変わる病だ。治療法もわからず、人々は恐慌をきたした。


 王太子だった男は王になったが、毎日を不安に過ごしていた。后も子供たちも次々と命を落とした。メディナの仕業を疑った。よって刺客として郭公を差し向けたのだ。


「王様、郭公戻りました」


 寝室には魔除けの鳥籠をたくさん置いてある。それらを押し退け、報告を受けるために扉を開く。


 夥しい羽毛が、音もなく舞っていた。


 扉の外は控えの間になっており、そこに鳥かごが置かれていた。血にまみれた臓物が納められている。


 王は冷や汗が止まらなかったが、戦で慣らした剛の者である。悲鳴は上げなかった。


「どうしてですか?」


 曲がり角からメディナが歩いてくる。出会った頃のような瑞々しい肌をして、生娘のように小さな足を踏みしめた。まるで脱皮したての蛇のように輝いていた。


「ゆ、許してくれ……! 郭公が悪い、あいつが俺をそそのかして」


 透き通るような指で、メディナは王の頬を包んだ。


「そんなことはもうどうでもよいのです。どうして私を人として死なせてくれなかったのです」


 王にはメディナの怒りの原因がわからない。ただ、自分が助かることばかり考えていた。


「子供が死んでも、なにも感じない。もはや、私は人ではない」


「そんなことはないだろう。お前は出会った頃のままだ。まだやり直せる。そうだろう?」


 メディナの服や口元には血の痕が濃く残る。郭公を食ったのだ。扉の声は、蛇血で首だけ生かして喋らせたに過ぎない。後戻りはもうできない。


「あなたは私に様々なものを与えてくださいました。名をくださり、子をくださり、後は全てを奪ってくれさえすればよかったのに」


 血の涙を流してメディナはすすり泣いた。王は這うようにして、逃げだそうとしていた。当然見逃されることはない。


「一つ、試してみましょう。私が人かどうか、あなたの体で」


 王の四肢に力が入らなくなる。首から下が石化して粉々になった。死ぬことだけは許されず、気が触れてしまった。


「ああ、私はやはり人ではなかったか」


 メディナは首だけになった王を抱いて死の都を闊歩する。やはり心は動かず、やるせない虚しさが募る。


 本当は男と里を出る前からわかっていた。石生みの里から出るのは石と死だけだと。それを気づかせたのが男の罪だった。


 メディナの歩いた土地は残らず生命が絶え、くすんだ石と岩で覆われる。


 嘆きは怨みとなり、石の海が世界を塗りつぶした。

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怨歌 濱野乱 @h2o

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