27話

「黛、悪い。ありがとう」

「別に良いけど、私そこまで邪険にされると拗ねるからね」


 黛がふいっと顔を逸らす。


「悪かったよ。機嫌を直してくれ」

「そう簡単に私の機嫌が直ると思ったら大間違いだよ」

「綿菓子奢るから」


 僕がダメ元でそう漏らすと、黛がパチパチと瞬きをする。


「……ひとまず、それで手を打つよ」


 結構簡単だったな、ちょろいぞ黛。

 それから彼女の機嫌を取るために綿菓子の列に並んだ。不公平感が出ないように山川にも奢ることにする。


「すぐそこのベンチが空いてるから座ろう」


 近くで空いているベンチを見つけて指差した。ちょうど僕らが座っても問題のない程度の幅だった。薄いプラスチックの容器から輪ゴムを外して、割り箸を割る。

 焼きそばを並んで食べて、その間彼女たちは気を伺うように僕を見ていた。食事も終えて、一息ついたタイミングで話を切り出すことにした。


「僕は、自分が嫌いだ。正確に言えば、バスケができなくなった自分が嫌いだった」


 包み隠さず僕は心情を吐露する。「それはどうして」と彼女らが目で僕に問う。


「バスケこそが僕の生きる意味であり、価値だった」

「……そんなことはないよ」


 黛が首を振る。彼女のやさしさに「ありがとう」と返した。


「でも当時の僕にとっては大真面目だったんだよ。なぜなら、バスケにこれまでの人生の全てをつぎ込んでいた。大げさじゃなくて本気で、寝ている以外はずっとバスケのことしか考えてない。そんな奴だったんだから」


 当時を思い返す。寝ても覚めても自分の目標を考える日々。苦しさを感じる暇もなく、ただただ没頭したあの時間を思い返す。


「僕は証明がしたかった。恵まれてない体格でも、やり方次第では勝つことができるはずだと。中学で結果を残し、少しでも高いレベルの高校に滑り込んで、そこでも結果を残して……いずれはプロになる。そんな夢を実現するつもりでいた。でも……」


 言葉に詰まる。今でも思い返すだけで心臓がキュッと引き締まる。口が上手く動かない。そんな僕を見かねて、山川が助け船を出した。


「……リーダー、怪我したんだったよね」

「……ああ、膝をやった。中二の夏の大会でね。選手生命を縮める大きな怪我だった。リハビリも頑張ったんだけど、復帰できるほど回復はできなかった」


 歯を食いしばって、何とか話を続けた。無意識的に膝をさすっている。


「いつ以来かわからない自由時間は苦しかった。何をして良いのかわからなかったから。それも当然だ。だってバスケしかやってこなかったんだ、それ以外わかるはずもない。だから、何もできない僕に価値なんてない」

 僕の中を満たしていた思考を外に漏らしたのは初めてだった。同情されたくなかった。憐れまれたくなかった。わかったつもりになって欲しくなかった。

 けれど、彼女たちには自分の心の内を知ってもらいたかった。


「でも、きっかけがあって変わったんだ」


 放課後、クラスの不器用な奴を見かけた。そいつは最後までプールに居残り練習して、無理だって言われてもひたむきだった。自分もそんな風に生きられたらと憧れた。ゼロからでも、また積み重ねればいいと思えた。

 惰性で始めたバイトで、底抜けに明るい奴と知り合った。会うと毎回、憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれる。彼女の能天気さに僕は随分と助けられていた。

 おかげで引きずり続けるのも止めることができた。

 彼女ら会う度に、自分を少しずつ好きになれた気がした。


「二人ともありがとう。それから……ごめん。見て見ぬふりはもう止める。二人の気持ちを踏みにじることはもうしない。僕は……向き合ってちゃんと答えを出すよ」


 僕が二人を見て宣言する。聞き届けた彼女らは長く息を吐いた。それからホッとしたように頬が緩む。緩やかな沈黙が数秒続く。それを破ったのは山川だった。


「……てっきり、私達のどちらかが振られるのかと思った」

「そうだね。ライバルが減らなかったのは残念だ」

「おっ、言ってくれるね~。私もレイちゃんの泣き顔が見られなくて残念だよ」


 二人が言葉のジャブを交わして、火花が散った。けれどそれも一瞬だ。瞳の標準機はすぐに僕に向けられる。


「まあ、レイちゃん。言質取ったからこの場は収めますか」

「……そうだね。ここで言い争ってもメリットはなさそうだし」


 彼女らは互いに向けていた矛を収めて、じりじりと詰め寄ってくる。


「私は逃がさないからね。入江君?」

「逃げても必ず捕まえるからね。リーダー?」

「……ああ、望むところだ」


 僕はぎこちなく笑って詰め寄る彼女らから距離を取った。背中がひりつく危機感があったのだ。山川が不満げに眉をひそめる。


「なんだ。なんだ~? リーダーは早速公約違反か~?」

「違うって。時間が時間だ。そろそろ花火が上がる。移動して場所を取らないと」

「それもそうだね。心なしか人も増えてきた」


 黛がちらりと目の前の通路を見る。ベンチに座る前に比べて確かに人通りが増えてきた。


「ならしょうがないか。それで? リーダーは良い場所知ってるの?」

「ああ、ここから少し山に向けて離れる。時間はそこまでかからないと思う」

「じゃあ、入江君の案内で向かおうか。人が増える前に」


 黛が一足先にベンチから立ち上がると先陣を切って歩き出す。行き先を知らないはずなのにどうして前に出るんだ。まあ、偶然にも方向は合っているけれど。

 この人の多さ、放って置くとはぐれかねない。僕は彼女を追って席を立った。


「ほら山川、行くぞ」

「え? ああ、うん」


 ここに来て妙に反応の悪い山川を誘導して、僕は目的地へ歩き始める。少し離れた黛を引き留めるためにやや駆け足だった。僕は黛の手を取る。


「待て、黛。そんなに先行するとはぐれるだろ」

「おっと、ごめん。花火を見るのは久々でね。つい気持ちが高ぶってしまった」


 言葉通りに黛の声が弾んでいる。楽しみなのは良い。だが、団体での行動中に率先して単独行動は勘弁して欲しかった。普段は合理的で意味のない行動をしない黛らしくない。


「ところで、入江君。山川さんはどうしたんだい?」

「え?」


 黛の指摘を受けて即座に振り返る。付いて来ているはずの山川の姿はなかった。どうして? さっきまで一緒に行動をしていたはずだ。けれどいくら後ろを見渡しても知らない人ばかり。あの印象に残っている朝顔の浴衣は見当たらない。


「はぐれたのか?」

「……そういうことみたいだね。ごめん、私のせいだ」

「謝らなくていい。黛だって悪意があったわけじゃないんだろ?」


 僕は宥めるように言って、ひとまず山川に電話をかけた。ワンコールもしないうちに彼女の声が聞こえる。


『リーダー、今どこ?』

「えーっと、鯛焼き屋の前だ」


 ちらりとすぐ近くに見えた景色を告げた。山川は『あー』と声を漏らす。


『随分離れたみたいだね。こっちから屋台はかろうじて見えるけど、リーダーたちがどこにいるのかわからない』

「山川はどこにいる?」

『最初に焼きそばを買ったところ』

「それは確かにだいぶ離れたみたいだな」


 一本道とは言っても、この人の量だとこっちまで来るのに時間がかかりそうだった。


「もう少し先に進めば人はかなり少なくなるんだけどな……」

『そうなの?』

「この先は木で空が見えない場所になってくるからな。花火が見えないから、大抵の人はそこまで来ない」


 まあ、何事にも例外はあり。今回の目的地は隙間から花火が見える穴場なのだ。


『リーダー、この先変に分かれ道はない?』

「ないよ。ただ真っすぐ来てもえれば目的地だ」

『じゃあ、そこで待ってて。花火が途中で上がってたら他の人は動かないでしょ?』

「わかった。待ってる。慌てて転んだりするなよ。下駄履いてんだから」

『それは大丈夫。心配してくれてありがと。じゃ、またあとで』


 山川との通話が途切れ、それから黛と目が合う。瞳がほんのりと潤んでいる気がした。


「というわけで、この先で集合だ。後で山川に謝っておけよ」

「……わかってるよ。山川さんには本当に悪いことをした」


 うつむく彼女の背中を叩いて、繋いだままの手を引いた。


「行こう、ここに留まってたら今度は僕らもはぐれそうだ」


 黛が「うん」と頷いて、僕らは歩き始めた。先に進むにつれて人の数は減っていく。目的地のベンチが見え始めたタイミングで、黛がポツリと声を漏らした。


「変わってないな、入江君は」

「変わってない?」

「うん、昔と同じだ」


 昔、その単語に違和感を覚える。黛と知り合ったのは高校に入ってから。関わるようになったのはここ数週間だ。そんな言葉を使うのは相応しくない。


「小学生の時かな。あの時から変わらず君はどこか大人びていた」

「小学生……」


 額に手を当て、記憶を辿るけれど、彼女の言うことがしっくりと来なかった。黛はゆっくりと話を続ける。


「夏祭りの日。怪我した私に絆創膏をくれたの。男の子なのに、魔法少女の柄でさ。良く覚えてる」

「……それはなんか僕っぽいな。妹が好きで、よく持ち歩いていた」


 当時の妹達はよく走り回り、擦り傷を作っていた。だから持ち歩くのが癖だった。他にそんな男子もいないだろうから、彼女が会ったのは間違いなく僕だろう。


「でも……悪い、思い出せない」

「ううん。思い出せないのも無理はないよ。何年も前だし。入江君にとって当たり前の事だっただろうし。……ただ、それが私にとっては大事なことだっただけ」


 黛が一度僕から視線を外す。少し遠くを眺めている。何かを躊躇う間を彼女は作っている。


「あの時はありがとう。例え君が覚えていなくても、それだけは言っておきたかった」


 黛は僕に微笑みかける。

 たぶん、これが僕を夏祭りに誘った理由だったのだろう。彼女は何年も前に受けた気まぐれな善意をずっと忘れていなかった。その事実が彼女の魅力をより一層際立たせる。


「どういたしまして。でも、覚えていないことに礼を言われるって、変な気分になるな」

「フフッ、そうかもね」


 ふと黛の背後を見ると少し離れた所に大きく手を振っている人影が見えた。浴衣の朝顔柄を見てその正体を確信する。


「あ、山川が来たみたいだ。なんとか花火には間に合ったみたいだな」

「……そう、残念。本当はもう少し話したかったんだけど」


 露骨に弾んでいた声のトーンが落ちた。まあ、黛や山川の関係性を鑑みると仕方ないだろう。

 ヒューと花火が打ち上がっていく音に気が付いた。見上げるとすぐさま破裂して、空に大輪を描く。


「ねぇ、入江君」


 花火から視線を切った。黛の手が僕の後頭部へ回される。力強く、僕は黛の顔へ引き寄せられる。星に近づきすぎた流れ星みたいに引力に逆らえない。

 三秒。唇に感覚を刻み込むには十分な時間だった。黛が僕から一歩離れて、自分がした行為を確かめるように、唇を人差し指でなぞった。


「私、初めてだから」


 黛の満足気な笑みが花火の明かりで照らされる。僕の口元にはうっすらとザラメの味が残っていた。



第一部 了







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今後については近況ノートに投げます。

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気が付けば深窓の令嬢とバイト仲間が僕を奪い合っていた。 イーベル @i-beru-54

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