26話
授業を終えて、午後六時半。
僕は一度家に帰って、身支度を済ませると酒匂神社の鳥居の前に腕を組んで立っていた。
罪悪感からプルプルと腕が震えてくる。僕は今あれだけ軽蔑していた人間と同じことをしようとしている。偶然でも天然でもなく意図的なダブルブッキングだ。犬井さんの歴代彼女と並べられるほどの蛮行である。
こんなことをしたくはなかった。本当なら逃げてしまいたい。けれど、二人と向き合うためには必要なことだと僕は信じている。
どんなに罵られ、憎まれようと僕はこのイベントを実行しなければならなかった。
目を閉じて深呼吸をする。あからさまに不審者時見ているけれどやらずにはいられない。それだけ僕は緊張をしていた。そんな僕の肩を何者かが叩いた。
「早いね。まだ待ち合わせ時間じゃないよ」
先に待ち合わせ場所に姿を見せたのは黛だった。白地に牡丹の柄をあしらった浴衣に身を包んだ彼女は長い髪をお団子で結って、簪で留めている。普段の長髪とギャップが僕の男心をくすぐった。僕の目の前で小さく手を振る。
「本当はもう少し早く着くつもりだったんだけど、着付けに少し時間がかかってしまって……」
「いや、まだ約束の時間よりも早いんだから、そんな申し訳なさそうな顔でに言わないでよ」
「そういってくれるとありがたいね。じゃあ、行こうか」
「あと少し待って欲しいんだけど……」
「ん? それはどうして」
不可解なことを言った僕に黛は首を傾げる。直後に大きく手を振って近づいてくる人影があった。
あの時見せてくれた朝顔の柄の浴衣。黒ぶち眼鏡。黛とは対照的に普段と同じ三つ編みで山川が姿を現した。
彼女らがお互いに存在を認識して、顔を合わせてから僕を睨んだ。背中にツーっと火や汗が伝っていく。覚悟はしていたが実際に目の当たりにすると迫力が違った。
「ねぇリーダー、どうしてこうなるのかな。なんでレイちゃんがここにいるわけ?」
「……入江君。私にも教えて欲しいんだけど。一言で説明して」
「えーと、その……ダブルブッキング?」
『一回死ね』
二人の声が綺麗に揃った。両者下駄を履いたまま、僕の脛を蹴り上げるタイミングも揃っていた。痛みに耐えかねて、声を漏らして周りにじろじろと見られる。
「デートって言って呼び出して、何で二人っきりじゃないの⁉」
「まったくだね。デートに他の女を連れ込んでくるなんて、ありえない」
「レイちゃん。笑えない冗談止めてくれる?」
「冗談じゃないから笑わなくてもいいよ。全く……」
黛が長く息を吐いて、それから僕を見た。
「入江君。そんなことをしていると大抵の人間には愛想を突かれてしまうよ。気を付けた方がいい。山川さんも見ての通りカンカンだ」
確かに山川は怒りをあらわにして睨んでいる。大事な用事だったとはいえ、彼女の気持ちを考えれば僕の行動は悪手だった。それしか思いつかなかった自分の頭が憎らしい。
「それについては申し訳ないと思ってる。僕は二人に蹴られても文句は言えない」
「本当。ありえない。……舞い上がった私が馬鹿みたいじゃん」
山川が小さく呟くと視線を足元へ落とした。
「でも、僕は二人にちゃんと話をしないといけないと思った。同時に呼び出す方法を他に思いつかなかったんだ」
僕は彼女らにそう宣言する。
彼女たちにしっかりと向き合うため、自分自身と折り合いをつけるために僕に課せられた義務だ。この先僕がどのような人生を送るにしても。
黛がため息を付く。
「まあ、入江君がどんな話をしたいのかは知らないけど……愛想を尽かすかどうかは話の後でも遅くないか。別に、せっかちな人は早く帰ってくれても構わないよ?」
「さっきまであんなことを言ってたのに、何を言い出すかと思えば……。レイちゃんは本当に掌の回転は速いんだから」
『あ?』
黛が微笑んで言うと、山川も応戦した。
怖い、めちゃくちゃおっかないんだけど。何あれ? 笑っているのに敵対心むき出しじゃん。
怒られる覚悟はしてきたけれど、今になって後悔してきた。もしかしてこの間仲良さそうにしていたのは全部嘘だったりする? 今からでも逃げちゃダメ? ダメだよな……。覚悟は決めたんだろ入江圭。しっかりしろ。
僕はぶんぶんと首を横に振って、怯えを誤魔化した。
「とにかく、話は飯を食べながらにしよう。今日は僕の奢りだ」
「……え? リーダーが奢りって、何か悪いものでも食べた?」
「入江君、そういうこともするんだ……」
「何そんなに驚いてんの」
僕がそこまで金に執着するキャラだと思われてるのか? そりゃあ家も貧乏だし、それなりに執着はあるけど、納得がいくのなら使い道は選ばない方だぞ。
でも、あのひりついた空気が弛緩されたのは思わぬ収穫だった。
「別に冗談でも何でもないよ。二人には色々世話になってるし。日頃のお礼と非礼を詫びるってことで遠慮はしなくていい」
「まあ、そういうことなら」
「入江君がいいなら私は問題ないよ」
彼女らが頷いて、ひとまず僕らは近くにあった焼きそばの屋台に並ぶ。黛と山川が僕を挟んで順番が来るのを待つ。状況的には『両手に花』なのだが……いかんせん花同士がバチバチに火花を散らして言い争う可能性のある火種なので気は楽にはならない。
左隣から着信音が響く。黛が巾着からスマホを取り出した。「ちょっと出るね」と彼女が僕に言う。
一触即発の空気が消えて、僕は長く息を吐く。するとぶらりと垂らしていた右腕が何かに絡み取られて拘束された。
「リーダー、何浮かない顔をしてるの?」
耳元でそう囁いた。こそばゆくて僕は身をよじった。距離を取ろうにも右腕が拘束されている以上、そこまで大きく動けない。
至近距離で山川と目が合う。潤んだ瞳がやけに綺麗だった。
普段見ているはずなのに、こんなにもドギマギしてしまう。僕の気持ちは案外単純にできているのかもしれない。
「別にそんなに変な顔をしていたわけじゃないだろ」
「してた。楽しい夏祭りって時にそんな顔をしないでよ。今日は『埋め合わせ』なんでしょ?」
この間、山川にさせてしまった表情を思い出す。
それだけで罪悪感が自分にのしかかる。けれど、いつまでも放置するわけにもいかない。黙っていれば解決してくれるわけでもないのだ。
「……この間は悪かった」
「いいよ。私も子供だった。ごめん」
山川あっさりとOKサインを出しながら頷く。拍子抜けというか、複雑な気分になる。
「そんなにあっさり許してもいいのかよ」
「メッセージも送ったけど感情的になった私だって悪かったんだよ。だから、別にリーダーだけの問題じゃないの」
「そういうわけにもいかな──」
山川の人差し指が僕の唇に添えられる。僕の言葉を封じた彼女は言う。
「私が良いって言ってるから良いんだよ。お互いに悪い所があって、お互いに謝ったんだからおしまいにしよう。それよりも今、楽しい時間を過ごさなきゃもったいない」
でしょ? と山川が同意を求めるように僕を見た。
僕は本当に彼女のやさしさに救われてしまっている。
「……悪いな。もう二度とあんなことはしないよ」
「よろしい」
山川は頷くと、より強く僕の右腕を抱え込む。近い、柔らかい、良い匂い、三拍子揃った攻撃を喰らって僕は色々とヤバかった。
「でも流石にレイちゃんを連れてきたときは腹が立ったけどね」
「それについては本当に申し訳なく……」
「そう思ってるなら、今度別口で埋め合わせを──」
「入江君、前。注文してよ」
左手を引かれ、山川の言葉が中断される。
反対側に視線を移すと、電話を終えた黛が不機嫌そうに僕を見ていた。視線に耐えながら目の前のおじさんに注文する。既に出来上がっている焼きそばの容器人数分を受け取って、僕らは列の脇に逸れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます