25話

 妹の指示通り、スマホをいじることなくベンチ正面の通路を眺める。普段こういう空白の時間にはスマホに没頭してしまうから、一周回って新鮮だった。こんなにも何もしていない時間は久々だ。

 その間、僕は山川について考える。

 あの時の失敗。一緒に出掛けたとき彼女にさせてしまった表情。今にも泣き出してしまいそうな瞳を覚えている。

 僕は山川の欲しいものを知ってしまった。あの場ではそれに応えることはできなかった。

 もし、山川に会うことができたのなら……なんと言えばいいのだろう。

 この間教室で解いた方程式みたいに明確な答えがあればいいのだけれど、この問いにそんなものは存在しない。すべての方面に関して丸く収まるなんてことはない。

 あるとすれば、誰かが傷つく答えだけだ。

 だったら傷つくのは──


「いってきまーす」


 思考を中断する。聞きなれた声がした直後のことだった。道路を挟んで正面。公園前の一軒家の扉が開いたのだ。

 和己の言っていたことの意味がようやく理解する。玄関から目をこすって出てきた三つ編みの少女。それは間違いなく僕が探していた人物だった。

 ベンチから立ち上がる前に目と目が合う。お互いに存在を認識する。

 その後すぐさま彼女は玄関の奥へと消えてしまった。「逃げるなよ」と言いたかったけれど、誰だって家の前で待ち伏せをされていたら逃げるだろう。


 最悪通報をされたって文句は言えない。和己ももう少しヒントぐらい出してくれれば良かったものを……。

 だがまあ、会えたのは良かった。ベンチから立ち上がって彼女の家の前へ行く。インターホンを押すと彼女は観念して玄関から出てきた。本当に仕方がなくといった様子だった。


「おはよう。ようやく会えて嬉しいよ」

「私はそうでもない」

「……そうか」


 ちらりと公園に設置された時計を見る。時刻は七時一〇分。ホームルームまで一時間近く余裕があった。けれど、山川は電車に乗るからそこまで時間はかけられない。

 僕は駅へ向かう通路を指差す。


「大事な話がある。歩きながらにはなっちゃうけどいいか?」

「嫌、聞きたくない」


 首を横に振られた。本当に嫌そうに、そっぽを向く。僕に視線を合わせることのないまま、駅前に向かって歩き出す。

 たぶん山川が想定している話は僕のしようとしている話とは異なる。だから僕は構わずに話を続けることにした。


「埋め合わせの話でもか?」

「え?」

「山川が見たかどうかわからないけれど、僕は確かにメッセージを送ったぞ。『埋め合わせは絶対にする』ってな。今日はその話をしに来たんだ」


 一方的に送り付けただけの言葉。それをきっかけにして山川の目をこちらに向けることに成功する。彼女はフーと自分を落ち着けるように息を吐いた。


「そう。そういう話なら聞いてもいいよ」

「ありがとう」


 頷くと山川と目が合う。山川の微笑みを久々に見ることができた。それだけでもここに来て良かった。心の底からそう思う。


「それで? 埋め合わせだったよね。リーダーは私にどんなことをしてくれるのかな?」

「端的に言ってしまえば……そうだな、デートの誘いだよ」

「で、デデデ、え?」


 山川の戸惑い大きくなる。僕ですらたやすく感じ取れるぐらいには。でもあれだけ妹たちを使って強調してきたくせに、そんなに驚くなよ。


「埋め合わせなんだから、失ったものと同じものを提供すべきだろ」

「いや、それは……そうだけど」

「だったら僕は山川とデートをしなければならない。違うか?」


 僕はそう宣言する。誠実な自分を見せるために。いや、正確に言えば誠実なように見せかけるために。だってこの言葉には大きな嘘があるんだから。

 駅の改札前に辿り着く。僕が付いていけるのはここまでだ。電車に乗って彼女についていってしまえば、この時間でも遅刻は免れないだろう。

 時刻表を見る限り山川に残された時間ももうない


「じゃあ、今日の夜七時。酒匂神社前で待ってる」

「え? 今日なの⁉」

「ほら、早く行った、行った。電車に乗り遅れるぞ」


 山川が時計と僕を交互に見て、ワタワタと足踏みをする。そんな彼女の背中をポンと押した。


「そうなんだけど……」

「都合が悪かったら忘れてくれ」

「忘れられる訳が無いでしょ。絶対に行くから」


 山川は僕を指差してこの場を去る。ローファーがコンクリートを叩く音がだんだんと遠くなっていく。彼女が改札を通るのを見送って、僕はこの場を後にした。


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