6章 曇りのち花火とザラメ。
24話
十月十五日。
今日は勝負から二日経った金曜日。僕はこの家で一番早く起きたつもりだった。けれど、テーブルの上に置かれた一枚の紙を見てそれが間違えであったことに気が付く。
『けいへ、朝ごはんは机の上。和己とはちゃんと話をしておきなさいネ』
筆跡は間違いなく母の物だ。ここ数日の険悪な雰囲気を察していたようだった。和己と喧嘩をして以降、僕たちは家で会話をすることはほぼなかった。最低限の連絡事項は伝えるけれど、それ以外の雑談は消え失せている。母にとってそれは望ましくないものだったのだろう。
ため息をついて、電気ケトルでお湯を沸かし始める。自分の分のマグカップにインスタントコーヒーを入れた。
今回の喧嘩は全面的に僕が悪い。和己は正しいことをした。友達である山川のことを想い、真剣に怒った。その行為に親族としては誇らしさすら感じられる。彼女の行為に誰が異議を唱えられるだろうか。
まあ、僕は感情で突っ返してしまったのだが……。いくら不安定な精神状態であったとは言え、和己には本当に悪いことをしてしまった。
母の手紙を姉妹に見られる前に処分し、和己にかける最初の言葉を考える。けれどもなかなかしっくりくる言葉は思いつかない。
思考の途中でお湯が沸いた。それをケトルからマグカップに注ぐ。スティックシュガーとミルクを入れてかき混ぜる。一口飲んだタイミングで、ドアノブを捻る音がした。
和己はいつもよりも三十分早く起床して、珍しく眠そうに目をこすっていた。「おはよう」と口にすると不機嫌そうにこちらを睨んだ。
「……おはよう」
「和己も飲むか?」
「ん」
和己は頷くと自分の指定席にどかっと腰をかける。残りのお湯で自分と同じように甘さ控えめのカフェオレを作って彼女の目の前に出す。それから自分の席に着いた。
「僕が悪かったよ」
「何が?」
「お前たち風に言うなら『山川とちゃんとデートしなかったこと』だな」
和己は眉間にしわを寄せて、表情をより一層険しくさせる。
「わかってるのはいい。けどよ、それはアタシに言うことじゃねぇだろ?」
「そうだな。山川とはこの後ちゃんと話をする。ただ謝って許して貰えるとは思わない。けれど、誠意は見せるさ」
「誠意、誠意ねぇ……。まあいいか。アタシはこれ以上何も言わねぇ。部外者だからな。後はさっさと山ちゃんと話をするこった」
和己は表情を緩めてカフェオレに口をつけた。
「ああ、僕だってそうしたいのは山々だけど……」
「なんだ兄ちゃん。できねぇ理由があるみたいな言い方をするなよな。理由があったとしても言い訳をするな。兄ちゃんに許される行動はもう『やる/やらない』じゃなくて『やる/やった』だぜ」
「そうは言っても電話をかけても出るとは限らないし、山川の家に出向こうにも、僕はその場所を知らない」
「ん? 兄ちゃん山ちゃんの家知らないの?」
「知らないよ。聞いた覚えも、言われた覚えもない」
和己は「あー」と呟くと僕から目を逸らした。何やら思い当たることがあったらしい。
「場所が場所だからな……。山ちゃんがそんな風に大胆に動けるわけもなかった」
「どういうことだ?」
「こっちの話。兄ちゃんが気にすることじゃない。でも、そうだな……このままズルズルと疎遠になられてもアタシとしては気分が悪い。助け船を出してもバチは当たらない、か」
和己は頭に手を当て、ボソボソと呟く。聞きにくいったらありゃしない。最終的に
「よし」と何かを決心して、僕のことを見た。
「兄ちゃん、家の近くのバスケットコート覚えてるよな?」
「そりゃあまあ。あれだけ近ければ忘れようもない」
「じゃあ、学校に行く前にそこでベンチに座ってボーっと正面の道路でも眺めてな。遅刻ギリギリまでそこにいること」
……和己が何をさせたいのか理解できなかった。だから「どういうことだ」と和己に問う。
「山ちゃんに確実に会う方法だよ」
「山川に? どうしてそんなことがわかるんだ」
「兄ちゃんもいけばわかるよ。今日は朝ごはんも作ってあるんだし、静香ちゃんの面倒はアタシが見ておいてあげるから、そのおにぎりを持ってさっさと行きな。時間ばっかりは指定できないからなるべく早く行った方がいい」
回答が回答として成立していない。はぐらかされただけだ。けれど、和己は嘘をつけるタイプではないし、他にあてがないのも事実だ。僕はこの提案にすがるしかなかった。
「……わかったよ。ベンチに座ってればいいんだな?」
「ああ、でもスマホは厳禁だぜ。なるべく正面を向いておくこと」
「? なんの意味があるのか分からないな」
「良いから厳守。絶対の絶対だからな!」
「わかったよ」
「わかったらさっさとダッシュでゴー!」
和己は席から立つと、テーブルの上のおにぎりを押し付けた。強引に手を引いて、椅子から立ち上がらせる。それから玄関に向けて背中を押した。
ゴリゴリのインサイドプレーヤーの和己は体格の割にはパワフルで、僕はあっという間に玄関に押し込まれてしまう。和己はいつの間にか鍵を開けて、僕を外に押し出そうとする。
「待て、待ってくれ。和己」
「なんだよ兄ちゃん。今更怖気づくのは無しだぜ?」
「……流石に寝間着で学校に行く度胸はないから着替えさせてくれ」
僕は和己の勢いを言葉で制す。「おっといけね」と和己が失態を自覚する。
「気分的にはこのぐらい早く行けってことが言いたかったんだよ」
「そういうことにしておく。ありがとうな、和己」
僕の言葉を聞き届けた和己は満足したようで、そのまま踵を返してリビングへと戻っていった。僕はそれを見届けて、自室に戻る。制服に着替えてからすぐに家を出た。
和己に指定された場所。かつて妹たちとも自主練習をしていたバスケットコートへ足を向けた。ベンチに陣取って、母が作ってくれたおにぎりを口にする。中身は鮭。僕が好きな具の一つだった。
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