聖なる夜に導かれ

おもちさん

聖なる夜に導かれ

 年の瀬。陽が沈めば寒風は厳しさを増し、家路を辿る足を急かす。しかし、それらが一様に重たい訳ではないのは、スマートフォンを片手に「今年も早かったね」と定型文で談笑する男、あるいは「ケーキ買ったよ、すぐ帰ります」と報告する者達が少なくないからか。


 今宵は、取り分け活気づく特別な夜。それは帰宅者もまばらな、閑静なる住宅街であっても変わらない。しかし今この場において、一般的なものと様相が異なるのは、怒号混じりであるせいだった。



「てめぇコラ舐めてんのかッ!」



 ドスの利いた一喝はよく響いた。怒りを撒き散らす男は壮年で、黒髪を全て後ろに撫でつけ、夜中であっても黒色サングラスをかけたままだ。厚手のコートを羽織るくせにインナーシャツは胸元まで開けるという、どこか噛み合わない格好ではあるものの、憤りだけは本気であった。



「見てみろや、ケーキがグッシャグシャじゃねぇか! こちとら2時間も並んでようやく買ったんだぞ、どうしてくれんだ!」



 持ち帰り用の箱を開けば、確かに大惨事である。箱の内は生クリームで散々に汚され、剥げた装飾からも荒地の様なスポンジが飛び出す。さらにはサンタを模したチョコレートが、頭からクリームに埋もれて足先だけ出すという有様だった。


 ホールケーキ。本来なら祝福の代名詞なのだが、手元の物に関しては、脅しにも似た光景を実現していた。お前もこうしてやろうかと言葉を添えるだけで、何らかの罪に問われそうである。彼の高圧的な外見も手伝って。


 一方で、叱責される男は顔面蒼白だ。頭を下げる度に首の贅肉がプルンと揺れた。



「誠に申し訳ありません。金銭に代えられるかはさておき、弁償しますので!」



 小太りの男は平謝りだ。合間合間に頭を下げ、謝罪の言葉を並べ立てる。もちろん口先だけで話が終わる訳がなかった。


 誠意を見せろ、という言葉がいよいよ飛び出したのだ。



「それは、具体的にはどのような……」


「クソ寒い中で2時間待ちしたんだぞ、その苦労を汲み取らんかい」


「えぇ、そうですよね。大変でしたよね」



 小太りは震える手でバッグを開いた。パンパンに膨らんだそれは、口が開くなり中身が溢れだした。聞こえる音も重たく、大量の冊子が嫌でも目に付いた。



「何だよ、そのスゲェ数の求人誌。てめぇは編集者か?」


「いえ、今の職場が辛すぎるので、他の仕事を探そうかと」


「何でだよ。キツイのか?」


「えぇ、まぁ。この歳で転職を考える程度には」


「ふぅん。そっか……」



 声の響きは落ち着き、不可解な静寂が辺りを包む。だが、そんな気配も刹那ばかりだった。



「んな事ァどうでも良いんだ! てめぇ、人様の手土産イワしといて、のほほんと帰れると思うなよ!」


「はい、誠意をもってして弁償致します」


「早くしろよ、こちとら寒空の下で延々待ってんだぞ!」


「もちろん今すぐに……」



 財布を探る間、またもやバッグから物品がこぼれ落ちた。それはプラスチックケースに小分けされた、大量の薬物である。


 これは流石に色眼鏡の男も、内心で後ずさってしまう。



「おいおい……クスリに手を出しやがるとは。それとも売人か?」


「いえ、医師より処方されたものです」


「何種類あんだよ。これ、全部飲んでんの?」


「はい。無茶な働き方が祟って、身体を壊してしまいましたから」


「それなのに、遅くまで働いてんだな」


「師走はどこも忙しいものです」


「そっか……」



 またもや訪れる静寂。今度は長く、夜空に響く電車の音がうるさいくらいであった。


 それから再び、声を荒らげた色眼鏡だが、今度は様子が異なる。顔を上向けて髪を掻きむしる仕草は、やり場のない怒りを放つようにも見えた。



「もう良いよ、ケーキの事は忘れてやる。とっとと帰って寝ろよ!」


「いえ、それは流石に。落ち度は私にあるのですから」


「そう、それ! そこを教えてくれたらチャラにしてやる」


「そんな事で宜しいのですか?」


「お前さ、いい年した大人が天下の往来でよ? イヤホン耳に突っ込んで前も見ずに歩きスマホたぁ、どんな了見してんだ。見た所、もう四十路超えてんだろ?」


「32です」


「ほぼ同世代かよ! いや、それでもダメだろ! 何でマナー違反の役満かましたのか教えやがれ」



 色眼鏡はイカつい容姿の割に、人情的な着地点を提示した。それ程に気になっていた、とも言えるが。



「お恥ずかしい限りです。実を言うと、某タレントのファンでして。彼女らは最近まで活動休止を続け、引退疑惑すら囁かれました。そこへ活動を再開したとの一報を知り、年甲斐もなく嬉しくなってしまいました」


「追っかけかよ。別に他人の趣味にとやかく言わねぇけどよ、そういうのは迷惑かけねぇ範囲で楽しめや」


「返す言葉もございません」


「ちなみに、なんてタレントだ?」


「おかわりコンクエスト、というアイドルグループでして」


「えっ! おわコン再開したのか!?」


「はい、そうです。ご存知ですか?」


「知ってるよ。マジで推しまくってたもん。そっかぁ、また活躍が見れるのかぁ!」


「新曲もリリースされてますよ」


「マジかッ! じゃあ早速買ってこねぇと!」



 予期せぬ展開に眼を丸くした小太りだが、彼は無言のままでイヤホンを掲げ、見せつけた。


 場所は変わって公園。曇りがちな街灯に照らされるベンチの下、仲良く肩を並べる2人が居た。先程の色眼鏡と小太りである。



「かぁーー、堪んねぇ! これがブランク有りのアイドルかよ。すげぇ良い声してやがる!」


「歌詞も聴きごたえ有ると感じました。休止中の葛藤や、不安を赤裸々に綴った言葉に」


「そう、それ! メッチャ良く書けてる! 才能の塊だよマジで!」



 すっかり気を良くした色眼鏡は、もう1度聴かせてとせがむ。小太りも応じようとしたのだが、その指は液晶の手前で止まった。



「あの、宜しかったのでしょうか?」


「うん? 何が?」


「ケーキですよ。私達で食べてしまってますが、どなたかに贈るつもりだったのでは?」



 ケーキはもはや見る影もない。大部分が食われ、サンタこそ救出されたものの、半壊以上の被害が生じている。デザートと言うより残飯寄りの現状だった。


 しかし色眼鏡は、寂しげな笑みを浮かべるだけだ。そして、静かに、とつとつと語り始めた。



「オレってよ、昔から全然モテなくて。嫁さん子供どころか、彼女にすら縁の無い人生でよ。だからコイツも、1人で食べようって買ったもんなんだ」


「そうだったのですか」


「親父が貧乏でね。丸いケーキなんざ1個も食った事ねぇ。だから今年こそはって気合い入れて、有名店に行ってきたんだよ。どんだけ美味ぇのか知りたくなってな」


「そこを私が邪魔をしてしまったのですね。申し訳ありません」


「いや、もう良いんだ。ケーキも一応は食ったし。ただ甘ぇだけで、噂ほどじゃ無かったよ」


「それでも楽しみを奪ってしまいました。あなたの優しさで許されようとしてますが」


「別に優しくなんかねぇよ。あぶく銭なんか貰っても虚しいだけだしな」



 色眼鏡が夜空を見上げた。黒い視界の中で、青い満月と星々がぼんやりと浮かぶ。



「今は、幻のセカンドシングル……とか欲しい気分だなぁ」


「もしかして、恋はアサルトライフル?」


「それよそれ! 運悪く不祥事が原因で回収騒ぎ、いまだにオンラインでもライブでも見かけねぇ、伝説の曲だよ。アンタ知ってるのかい?」


「知ってるも何も……」


「あれってもうプレミアもんだぜ? 原盤が出回っちゃいるが、ネットで50万だ100万だって代物だ。1度くらい聴いてみてぇがよ、さすがに高すぎて尻込みしちまってなぁ」



 照れ笑いを浮かべた色眼鏡は、懐をまさぐり、タバコケースを取り出した。器用にもタバコを片手だけで抜き取って咥え、同じくオイルライターも片手だけで開いた。


 慣れきった手付きだ。付近に灰皿の類は見えないが、ここは人気(ひとけ)のない広々とした公園。咎める声はどこにもない。



「差し上げましょうか?」


「はぇっ?」


「幻のセカンドシングル。お詫びとして差し上げますよ」



 思いもよらない話に、色眼鏡は口元からタバコを落とした事に気づかない。延々とライターの炎を掲げるだけになる。「危ないですよ」との声でようやく一式を片付けたのだが、話題はヒートアップするばかりだ。



「いや、でもアンタさ、あれって100万近くすんだぜ? こんなケーキと交換じゃ割に合わねぇって!」


「私はもう、脳に焼き付ける程、繰り返し聴きました。これも何かの縁なのだと思います」


「それにしたってよぅ……」


「アナタのお人柄を見込んでの申し出です。きっと大切にしていただけるであろうと。彼女達の軌跡を、純真なる夢を、金に目が眩んで売り飛ばす事はない。そう感じましたので」


「もちろんだよ、そりゃもう家宝にするぜ! 一生大事にしてよぅ、神棚にも飾っておくか!」


「そこまでしていただかなくとも、手元にさえあれば十分ですよ、私としては」



 口約束ではない。小太りと住所等を教えあった事で、いよいよ信憑性が増した。色眼鏡もすっかり落ち着きを無くしてしまい、全身のあらゆるポケットを慌ただしい素振りで探り出す。



「これじゃあ流石に貰いすぎだわな。何かお返ししねぇと」


「お気になさらず。そもそも償いの意を込めましたので」


「そうは言ってもよ、オレだけ良い思いしちゃ寝覚めが悪い……」



 しばらくして、色眼鏡が長財布を開いた時に動きが止まった。中から飛び出した薄い封筒を手にすると、微かな迷いの後、それを差し出した。



「なぁアンタ。生コンって知ってるか?」


「生意気★コンクエスト。妹分のグループですよね。私もささやかながら、応援させていただいてます」


「それなら話は早ぇ。これは年越しライブのプレミアムチケットだ。返礼として受け取ってくれよ」


「アナタにとって大切な物なのでは?」


「そっちこそ、繰り返し聴くくらい大切なCDをくれるんだ。おあいこだろうが。オレの心意気、笑って受け取ってくれや」



 急かすように揺さぶられる封筒の端を、小太りは静かに掴んだ。中身をあらため、優しく微笑むと、一枚だけを懐にしまい込んだ。そして残りの封筒は差し戻した。



「どういうこった、これは?」


「私には趣味を伴にする者がおりません。1枚だけで十分ですよ」


「でもよぅ、釣り合いが取れねぇ……」


「邪推や勘繰りは致しません。ペアチケットであった事が幸いし、私もアナタもライブに行ける。素晴らしい事ではありませんか」



 片割れが、色眼鏡の手元に柔らかく戻された。僅かに残された温もり。彼の胸の内を震わすのに十分であった。それからは封筒を財布に戻し、鼻を大げさに啜った。



「いやぁ、寒さが堪えるなぁ! 身体が冷えちまったよ」


「そうですか。今宵は比較的、暖かだと聞いてますが」


「なぁ、酒でも飲みに行かねぇか? 美味い店知ってんだよ奢るぜ?」


「大変恐縮ですが、本日は体調が優れません。週末でしたら都合がつきます」


「つうかアンタ、身体悪いんだよな。済まねぇ気が利かなくて。さっさと帰ろうぜ」



 こうして2人は初対面にも関わらず、肩を並べて家路についた。



「へぇ、アンタの家はスーパーの裏手か。ちょうど帰り道だよ」


「そうでしたか。またご迷惑をおかけしたかと、ヒヤリとしました」


「あのさ、その堅苦しいの止めねぇ? オレとお前って感じでいこうぜ」


「これは昔からの癖でして。お聞き苦しいでしょうか?」


「そういうんじゃねぇけどよ……まぁいっか!」



 街灯の下、並んで伸びる影。見た目も気質も違える2人が、付かず離れず歩いていく。


 本来なら交わる事のなかった人生を、引き合わせてくれた奇跡の夜。今も星空は、その前途を優しく照らしていた。


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