第16話 新たなる旅立ち

「こ、こんなにいいんですの??」


 換金所で提示された金額に、ニナニーナは素っ頓狂な声を上げた。

 金貨60枚。

 日本円に換算すれば、ちょうど600万円ほどだとニナニーナは説明してくれた。


「なんたって竜種、それも二体分ですからね」


 そうか、山のヌシのほかにも、ギルドを襲った魔人の手下らしき魔獣の分もあった。


「それにギルドを救ってくれたお方です。多少色はつけておきました」


 受付嬢はかわいらしくウインクをしてみせる。

 俺はつい、その顔をぼんやりと見つめてしまう。


「……」


「……どうされましたか?」


「なんというか、とろけるような笑顔だと思った」


「まあ」


 受付嬢はぽっと頬を赤らめ、俯いた。

 前職で俺が提出する経費書類のミスを見つけるたび親の仇のごとく睨みつけてきた経理の熊谷さんとは大違いだ。

 懐かしいな、あのドブネズミを見るような目。


「ヒビノさんも今日は素敵ですね。髭を剃って髪を整えられると、とても精悍で格好良いです」


「素敵……? 格好良い……? 俺が……??」


「はい」


 にっこりと、受付嬢。

 そんなことは初めて言われたので、理解するのに時間がかかる。

 すると、なぜか不機嫌になったのはニナニーナだ。


「ちょっと、勇者さま?」


「ヒビノと呼んでくれ」


「ヒビノ」


「なんだ」


「ニヤついていますわ」


「そうか?」


「そうですわ! それに髭を剃って髪を切ったのはわたしです! もっと感謝されても良いのでは?」


「さんざん感謝はしたが」


「それでももっと!」


「ありがとう、ニナニーナ」


「……わかれば良いのです」


 まるで俺の注意を自分に向けられたことに満足したように鼻から息を吐くニナニーナ。

 彼女はいまいちわからない。


 ともあれ、感謝しているのは本当だ。

 言うとおり、宿屋で借りたナイフとハサミで器用に俺の身だしなみを整えてくれたのは彼女だ。


 山にひとりでいる間、自分で髪を切ったりしていたからお手のものだそうだ。

 服もジーパンの破れた部分を補修して洗濯し、Tシャツも新しく仕立ててくれた。


 群馬風の服を誂えてくれるとも言ったが、それは断った。

 やはりジーパンにTシャツという慣れた服装の方が落ち着く。


 ただ、髭を剃る時、なぜかニナニーナが執拗に膝枕をしたがるのは謎だった。

 彼女の大きな胸がこう、額のあたりにぽよぽよと当たって気が気じゃなく、あれには参った。


 俺とニナニーナのやりとりを微笑ましげに見ていた受付嬢は、立ち上がって言った。


「では、続いて冒険者登録をしましょうか。こちらへ」


 どうやら彼女が続けて対応をしてくれるようだ。

 名を尋ねると、やっぱり魅力的な笑顔で、「ソニアです」と答えてくれた。



    ◆



 ソニアは言った。


「冒険者登録には、ジョブの選択と現時点のステータス登録が必須となります」


 冒険者の登録所は、金のやりとりをする換金所と違ってオープンスペースで、俺たちのまわりには野次馬が集まっていた。


「勇者の生ステータスなんてそうそう拝めるもんじゃないからな」


「Aクラスはくだらないだろう」


「彼が倒した魔人のステータスを計る目安になるかもな」


 好き勝手言うもんだ。

 こっちは人体実験を待つモルモットみたいな気分だ。


「まずはジョブの登録をしましょう」


「ジョブとはなんだ?」


「職業のことですね」


「なるほど、職業か」


 ここはハローワークだったことを思い出した。

 しかし職業か。

 前職では営業のような雑務のような仕事をしていたが、今は残念ながら……。

 素直に答えよう。


「ノージョブだ」


「ノー……ジョブ?」と、ソニアが首を傾げた。


 続いてまわりの野次馬たちがざわざわとし出す。


「ノージョブだって?」


「それはどんな職業だ?」


「新しいジョブか?」


 なにを言ってるんだ。

 ハローワークに来てるんだから、お前らだってほとんどノージョブだろうが。


 そもそもその鎧やら武器やらはなんだ。家に置いてこい。

 ここは就活の場だぞ。

 そんな恰好で面接に行ったら頭のおかしいやつだと思われるぞ。


 ソニアは腕組みをして考える。


「うーん……どんなジョブがいいか希望はありますか?」


「希望か……安定を考えると公務員がいいな」


「コームイン?」


「ソニアも公務員だろう?」


「いえ私は違いますが……」


 どうやらソニアは派遣かパート勤務らしい。

 若く見えるが小さな子供がいたりするのかもしれない。


 ともあれ、ここに公務員の求人はないようだ。

 安定した仕事にはそう簡単には就けないということか。


 横からニナニーナが口を出した。


「ひとまずジョブはなしで構いませんわ。何しろ彼は勇者さまですから!」


「んー……確かにそうですね。ではいったんご希望の『ノージョブ』で登録しておきますね」


 よくわからないが俺は引き続きノージョブらしい。

 まあ、別に仕事を求めてここへ来たわけではないからいいのだが、なんだか空しさを覚える。


「では次はステータスを計測しますね。こちらへ」


「すまない、質問ばかりで悪いがステータスとはなんだ?」


「ステータスというのは……うーんと……その人のスペックですね」


 ソニアは細い指を顎に当て、考え考え答えてくれる。

 どうやらこの手の質問はあまり受けないらしい。

『ステータス』というのはこの辺りでは誰にでも通じる言葉のようだ。

 俺にはよくわからないが、方言みたいなものか。


 ステータスとはスペックだと彼女は言った。


 ……要は身体測定のようなものか。


 確かに、就職する際に健康診断の結果を提出するな。

 健康状態に問題がないか確認するのに必要だ。


 ソニアが手招きするのに従って、足下になにやら陣が描かれた場所に案内される。


「これが現状のステータスを読みとってくれる魔法陣です。基本、どこのギルドにもありますね。この上に立ってもらうと、こちらのスクリーンにステータスが映し出されます」


 魔法陣とやらは部屋の隅のフリースペースに置かれた石版に描かれていた。

 石版はおよそ50cm四方の四角形で、厚みは10cmほどあった。

 円形の紋様にラテン語のような読めない文字が描かれている。


 不思議なデザインだが、これが体重計だろう。

 スーパー銭湯に行くと体重計が部屋の隅に置かれているが、ちょうどあんな感じだ。


 そしてスクリーンというほどでもないが、すぐそばの壁に羊皮紙のようなものがピン留めされている。

 妙に凝っているが、ここに結果が映写されるらしい。


「では、その魔法陣の上に乗ってください」


「わかった」


「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」


「……どうした?」


「服っ……服をっ……!」


 突然両手で自分の目を隠すソニア。

 身体測定だというから、Tシャツとジーパンを脱いだだけだが、まずかっただろうか。


「ちょ、ちょっと、ヒビノ! どうして脱ぐんですの?? 早く服を着て!」


 ニナニーナもソニアと同じように両目を隠しながら、指の合間からズボンを半分下ろして尻を突き出した体勢の俺を覗き見る。


 どうやら服は脱がなくていいらしい。

 そうか、最近は着ている服の分は差し引いて体重を計るのか。

 俺はいそいそとまた服を着る。


「はぁ……驚かせないでください」


 顔をほのかに赤らめながらそう言うソニアがかわいらしかった。


 俺は石版の上に乗る。

 数秒後、「そろそろですね」とソニアが言った。


 足下の魔法陣がぼうと明るむと、スクリーンに向かって光を飛ばす。

 周囲の野次馬がざわつく。


 ニナニーナも興味津々という様子で食い入るように見つめている。

 俺はどこかいたたまれない気持ちでスクリーンを見つめる。


「各能力値は最低値のFから最高値のSで表されます。ごくまれにSSという測定不能の超越値が表示されることがありますが、まずありえないでしょう」


 ソニアが説明してくれる。


「各能力値は、魔力、体力、耐久力、敏捷性、スキル強度などがあります。その他、使用可能なスキルや魔法もわかります。魔法にも属性があって……」


 しかし。


「……あれ? おかしいですね?」と、ソニア。


 いつまでたっても、スクリーンにはなにも表示されない。

 ニナニーナも小首を傾げ、野次馬連中も互いに顔を見合わせて不思議そうな顔をしている。


 ソニアは石版の横にしゃがみ込んで、「おーい? どうしましたかー?」と、こつこつと指の関節で石版を叩いてみる。


 しかし、やはり反応はない。


 すると、「あ、もしかして……」とニナニーナが手で口を押さえて言った。


「どうされましたか?」と、ソニア。


 ニナニーナは言いづらそうに視線をよそにやりながら言う。


「いえ、その、実は彼の右足、聖剣の力が宿っているようでして……」


「聖剣の力が?」


 そう言えばニナニーナがそんなことを言っていた。

 あの魔人を倒した時、本来再生するはずの肉体が再生しなかった。

 その理由が聖剣の力だという。


 俺が蹴り折った聖剣には『破邪』の力とやらがあって、それが魔人の再生を阻害したそうだ。

『破邪』の力というのは、魔法を無効化するらしい。


 ちなみに俺の右脚に宿ったのはその『破邪』という力のみで、ローキックの威力に変化はないらしい。

 それを聞いてほっとした。


 聖剣の力を得た結果、むやみにローキックの威力が増すなどしていたらショックで立ち直れなかった。

 俺は自分の力だけでローキックを鍛え、その可能性を追い求めたかった。


 ソニアは目を白黒させながら言う。


「つまり、ヒビノさんには聖剣の『破邪』の力が宿っていて、そのせいで石版の魔法陣の力が無効化されたと……?」


 ニナニーナはこくんと頷く。


「そんなことあるのか?」


「なぜ聖剣の力が足に?」


「どういう経緯でそんなことに?」


 などと、野次馬がまた騒ぎ出す。


「……あ……いや……その…………」


 ニナニーナは騒ぎが大きくなるほどに、肩を縮めて小さくなっていく。

 だらだらと流れる冷や汗。


 なんだその「触れられたくないものに触れてしまった」みたいな顔は。

 まるでいたずらがバレた子供のような、いや、犯罪者のような顔だ。


 どんな経緯でと言われたら、理由はひとつしかないだろう。

 俺は背中に背負った皮のバッグから、『その理由』を取り出した。


「これのことか?」


 折れた刀身をぐるぐる巻きにしていたボロ布をはぎ取り、半分になった聖剣を野次馬たちの目の前にガラン、と放り投げた。


 ちなみに柄のある側だけだ。地面に突き刺さった剣先の側はとても抜くことができず、そのままにしてある。


「こ、これは……??」と、ソニアが瞳をぐるぐるとさせながら言う。


 わなわなと震えながら「まさか……まさか……」と繰り返す。


「ちょっ……ヒビノ!? やめて!?」


 ニナニーナがあわてて俺の口止めをしようとしたようだが遅かった。


「これは聖剣だ。俺が蹴り折った」



「「「「「はぁぁぁぁああああああああああああ!!?」」」」」



 ギルド内の声がひとつになった。



「「「「「聖剣を折ったぁぁぁぁあああああああ!!?」」」」」



 ニナニーナが「言っちゃった……」という顔をしてうなだれる。

 

 全員の目の色が変わる。

 俺をぎろりとにらみつけ、「あいつを絶対に逃がすな」という尋常じゃなく強い意志とともに、壁を作りながらじりじりと距離を詰めてくる。


 中でも火花が散らつくほどの怒りの目を向けるのは泥田(でいだ)だった。


「ヒビノ貴様……自分がなにをしたかわかっているのか……!?」


 ゴゴゴゴゴ……という擬音が聞こえてきそうだ。


「逃げますわ! ヒビノ!」


「お、おい……!」


 ニナニーナが俺に駆け寄り、手を掴んだ。


 そしてギルドの出口に向かって走り出す。


「おい待てヒビノ! 逃げるな! まさか女神も共犯か!?」


 泥田は車いすをギャリギャリと転がし、猛烈な勢いで追ってくる。

 そしてほかの連中も鬼の形相で追随する。 


「なにかまずかったか?」


「まずかったどころじゃないですわ! 聖剣はその名の通り聖なる剣! この町の人たちにとっては救世と平和の象徴ですの! それを蹴り折られたとなればみんな烈火のごとく怒りますわ!」


 そう言えばニナニーナも俺が聖剣を折った時、相当キレていた。

 彼女にとって特別なだけかと思っていたが、町全体の宝のようなものだったのか。


 泥田も子供の頃からずっと、必死に聖剣を抜くために努力していたと言っていた。

 聖剣というのはやつの憧れだったのだ。


 俺はニナニーナに引きずられながら、背後に謝意を伝える。


「すまない、知らなかったんだ!」


「「「「「すまないで許されるかぁ!!!」」」」」


 キレ方がすごい。半端なヤクザなら漏らしてもおかしくない。

 それほどあの聖剣は貴重でありがたいものだったのだ。


 それは実際にあの剣に本気で対峙した俺にだってわかる。

 だから伝えたい。

 俺からも、あの聖剣の素晴らしさを。


「だがこれだけは言わせてほしい! あの聖剣を折った時……俺は最高に気持ちよかった! 何度も何度も蹴り折りたいと思うほど……最高に気持ちよかった!!」


「「「「「ナメてんのかてめぇぇぇええええええ!!!」」」」」


 しかし火に油を注いでしまったようだ。

 さっき以上の怒りを噴出させてしまった。


 たぶんこれは捕まったら殺される。

 俺はあの聖剣の素晴らしさを伝えたかっただけなのに。


「バカ! ヒビノの大バカ!! どうしてそんな煽るようなこと言うんですの!!?」


「いや、よかれと思ってだな……」


「なにもよくないですの!!」


「痛い!」


 平手で頬をぶたれた。

 ニナニーナまで怒らせてしまった。

 まったく、俺は昔からこうだ。


「もう~! せっかく英雄としての船出ができると思ったのに! 台無しですわ~!!」


 ニナニーナの悲痛な叫びが響く。


 俺たちは命からがらギルドの建物を飛び出した。

 背後からは怒号とともに大勢の荒くれ者たちが地鳴りを上げて追ってくる。


 やむを得ない。このまま旅立ちだ。

 もうこの町には戻れないだろう。


 すると、ニナニーナが突然吹き出した。


「……ぷっ……ふふふっ……。おっかしい……」


「どうしたニナニーナ? 気でも触れたか?」


「触れてませんわ!」


 ややメンタルに不安がある彼女だから心配した。


「……こんな旅立ちも悪くないと思いましたの。わたしは嫌われ者の没落女神。この町の人たちには嫌われたままの方が、後腐れなくていいのかもしれません」


 ニナニーナはそう言って笑った。


「そうか」


「そうですわっ!」


 ニナニーナはいたずらをした子供のように無邪気に笑いながら走る。


 気づくと、背後から地鳴りのような足音は消えていた。


 俺が振り返ると、さっきまで俺たちを追いかけていたこの町の連中が並んで、遠くから手を振っているのが見えた。


 泥田も。トサカ男も。


 みんな柔らかい笑みを浮かべていた。


 俺たちの旅の無事を祈るように。


「どうしましたの?」


「いや、なんでもない」


 きっと彼らは、ニナニーナが後ろ髪を引かれることなく故郷を後にできるように考えてくれたんだろう。


 こんな旅立ちも悪くない。


 なにも知らないニナニーナは、前を見たまま、走る速度をまた上げた。


「さあ旅立ちですの! 目的地は決まっていますの!」


「どこへ行くんだ?」


 尋ねると、ニナニーナは大きな声で答えた。


「現世からの転移者や転生者が集まる街……『転生人街』ですわ!」

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俺はまだ異世界をしらない ~ローキックを極めすぎた男、お約束がわからず聖剣を蹴り折る~ 石原宙 @tsuzuku

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