第15話 ヒーローの帰還
魔人によるギルド襲撃があってから、3日後の朝。
「……2038! ……2039!」
俺は城下町の外れにある宿屋の前で、ローキックの素振りを繰り返していた。
魔人を倒した夜、泊まる場所がないため宿屋の場所を教えてくれとギルドの受付嬢に話したら、ここを紹介された。
宿代もタダらしい。
申し訳ないと固辞しても、「恩人なので」と押し返された。
中心街とは隔絶された森の中にあるし、他の宿泊客もいないというので、仮にニナニーナを狙って何者かが現れても被害は少ないと踏んだ。
念のため宿の店主には、俺たちがいる間は避難していてほしいと伝えたが、店主は腕自慢の元傭兵でもあるらしく、そのまま残った。
結局、襲撃はなく、ほっとした。
「勇者さまー? あ、いたいた!」
ニナニーナが林の方から手を振りながらやってきた。
「……ニナニーナ」
俺は毎朝のルーティンを一度やめ、ニナニーナに目配せで挨拶した。
彼女はボロボロの服ではなく、同じ型の服を新調して身に着けていた。
魔人による襲撃を受けたギルドの人々は、全員無事だった。
気を持ち直した受付嬢とニナニーナの素早い対応により、すぐに癒術師と呼ばれる医者が駆けつけ、適切な治療を受けられた。
もっとも重傷だった泥田はすぐに医療施設に運ばれ、翌日目を覚ますと、ニナニーナから経緯を知らされたそうだ。
そして俺に伝言をよこした。
「ありがとう。悪かった」と。
短い言葉でも、やつの感謝の気持ちと複雑な思いは俺に届いた。
「どうぞ、これ頼まれていたものですわ」
「悪いな」
ニナニーナは、両手で持った大ぶりなレモンらしき果実をひとつ、俺に手渡した。
俺はそれを鼻に近づけ、匂いを嗅ぐ。
「いい香りだ。少し大きいが、これはレモンか?」
「その近縁種ですわ。この世界には現世からいろいろなものが持ち込まれていますので」
群馬県だって同じ世界だろうに、この世界、とは大袈裟な物言いだ。
まあ、未知の生物もいるし、文化だってかなり違うので別世界というのも頷けるが。
「でもどうして香りのいい果実なんか? 食べるんですの?」
「いや、こうする」
香りのいい果実がほしいとニナニーナに頼んだのは俺だ。
俺はレモンのような果実をひとかじりすると、そのかじった箇所を右足に向け、ぎゅっと搾った。
果汁が吹き出し、辺りに酸っぱくて爽やかな香りが漂う。
「何度もローキックをしていると、飽きがくるからな。こうしてたまに香りを変えて続けるんだ」
「フードファイターの理論!」
それに柑橘系の香りは集中力が増す。
ロー活の基本だ。
「でもあと1時間ほどで出発しますからね?」
「もうそんな時間か?」
「はい。もうすぐで9時ですわ」
今日は10時にはここを発つ予定だった。
そうしたら、しばらくこの町に戻ることはないだろう。
ニナニーナは満面の笑みで言った。
「ついにわたしたちの冒険が始まりますわ!」
◆
魔人の襲撃により、いや正確に言えば俺のせいで半壊状態に追い込まれたギルドの建物は、町の住民総出で修復された。
ギルドというのは町の象徴のようなもので、住民は協力を惜しまなかったらしい。
ちなみに建物が壊れたのはほとんど俺のせいなので、建物の工事には俺も2日間参加させてもらった。
損壊のひどかった部分はまだ厚手のシートがかけられていて出入り禁止らしいが、今日から仮営業を始めているとニナニーナは言った。
「まずは冒険者登録をしましょう!」
「それは何か意味があるのか?」
「基本的に魔物の討伐をするにはどこかのギルドで冒険者登録をしなければならないですの。そうすれば何かあった時には捜索隊が出たり、各種援助も受けられますわ」
「そういうものか」
「ええ、そこは勇者さまであっても同じですわ!」
勇者。
ニナニーナはいつの間にか俺をそう呼ぶようになった。
どうもくすぐったくてかなわない。
「その勇者というのはやめてくれないか」
「どうしてですの? 勇者さまは勇者さまですわ」
「俺にはヒビノという名前がある。そう呼んでくれ」
「……勇者さまがそう言うのでしたら」
ニナニーナは不承不承という感じで頷いた。
今日、俺とニナニーナは旅に出る。
新たな『女神パーティ』として。
俺がここ群馬県に迷い込んだのはきっと運命だ。
ここにはまだまだ俺が蹴られるものがある。
果てのないローキックの旅だ。
正直、わくわくしてたまらない。
そしてニナニーナは魔物を束ねる王、復活した魔人王とやらを俺に倒してほしいらしい。
そんな大それたことが俺にできるかわからないが、
「蹴り高か?」
そう俺が尋ねると、
「蹴り高ですわ!」
とニナニーナが答えたから、俺は決断した。
俺に蹴り高以上の生きる目的など残されていない。
聞けば、聖剣というのは俺が蹴り折ったもののほかにあと3本あるらしい。
あの聖剣を蹴り折った時の快感は忘れられない。
蹴りたい。心の底から。
そして叩き折りたい。
……そんなことを言ったらニナニーナにどやされるから言えないが。
ギルドの建物が見えてくると、ニナニーナは俺の手をとった。
「さっそく賑わっているみたいですわ! さあ、まいりましょう!」
「お、おい、急に手を引くな」
「さあ、急いで!」
まるで子供のように、俺の手を引いて走り出す。
なんだか微笑ましい。
彼女にとってこの旅は、長い間待ち望んだものだった。
あの寂しい山にひとり籠もって、俺のように迷い込む人間を迎え入れる役目をしていたという彼女は、同じようにひとり山に籠もってローキックを蹴り続けた俺の姿と重なった。
彼女が旅に出るのは、この町の人々に迷惑をかけないためだ。
理由はわからないが、魔人とやらはニナニーナを狙っていた。
なぜ直前まで彼女がいたギルドがピンポイントで襲われたのかは謎だが、なにかしらの方法で彼女の居場所を探っているのかもしれない。
『女神狩り』なるものの存在も気にかかる。
あの魔人は何者かの指示を受けてニナニーナを捕らえに来たようだった。
それが『女神狩り』なのか?
わからないが、ここに留まったままでは、また町に被害が出かねない。
みんなのために、彼女は故郷同然のこの町を離れることに決めた。
自分を犠牲にし、他人のために考え、行動する。
俺はそんな彼女に格別の共感と敬意を抱いている。
それが、彼女とともに旅に出ることを決めた大きな理由だ。
――ギィ。
ギルドの木戸を開けると、驚いたことに、俺は拍手で迎えられた。
――パチパチパチパチパチパチ!!
「な、なんだ?」
ニナニーナは戸惑う俺の顔をニコニコ顔で覗き込んで言った。
「だって、あなたはこの町の勇者さまですから」
全員が立ち上がり、あちこちから、
「ありがとう!」
「俺たちのヒーローのお帰りだ!」
などと声を投げかけてくる。
なんとも面映ゆい。
こんな風に人に歓迎されたことなど一度もない。
まるでハリウッド映画のラストシーンだ。
絶体絶命の危機から世界を救った英雄の凱旋シーン。
俺はこんな風に人に喜ばれたことがあっただろうか。
感謝されたことがあっただろうか。
ただ毎日ローキックを蹴るという間違い続けた人生の果てに、こんな出会いがあるなんて。
すると、木製の車いすに乗せられた男が俺のもとにやってきた。
「よく来たな」
俺は驚いて尋ねる。
「もう退院したのか?」
「ああ。頑丈さだけが取り柄でね」
泥田だった。
まだ体中あちこちに包帯が巻かれていて痛ましい姿だが、顔色は悪くなさそうだ。
そしてその車いすを杖代わりにして立っているのは金髪トサカ男で、俺の顔を見てやけに親しげにウインクしてくる。
俺はどうしたらいいかわからないので、気まずそうに目をそらしておいた。
泥田は挨拶でゆるめた顔をキュッと引き締めると、俺に頭を下げた。
「ヒビノ。心から礼を言う。お前がいなければみんなどうなっていたか……」
トサカ男はじめ周りの連中もじっと俺を見てうなずいた。
「そして侮ってすまなかった。魔人を倒すなんてお前は本当に強いんだな」
「いや、強いかどうかはわからない。俺はローキックを蹴るだけだ」
「ふ、そうか」
泥田の顔に笑顔が戻る。
そして言った。
「次の勇者はお前に任せる。女神を……ニナニーナを守ってくれ」
「ディーダさん……」
俺の横で、ニナニーナが泣きそうな顔になる。
「ま、お前がダメだったら次は俺だ! 怪我が治ったら鍛錬を再開してすぐにお前にも追いつくからな!」
泥田は破顔して、折られた右腕を威勢よく持ち上げる。
「右腕、動くのか?」
「ああ。いい術師がついてくれてる。完全に元通りとまではいかないが、使うことはできると聞いてる」
「そうか」
ほっとした。
もし俺が同じような目に遭って右足を失っていたらその絶望感は計り知れない。
聞けば、トサカ男の左足も治る見込みがあるという。
群馬の医者は有能だ。
すると、靴音が響かせて女性がこちらへ歩いてきた。
「そろそろよろしいですか?」
何度も世話になった受付嬢だった。
彼女もすっかり元気になったようだ。
「お待ちしていました。まずは魔晶石の換金が済んでいますので、こちらへ」
俺たちは泥田やトサカ男に挨拶をして、換金所の受付へ移動した。
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