第14話 勇者の誕生

「何がローキックだ! ナメてんのかてめぇはぁぁああああ!!!」


 聞かれたから「ローキックだ」と答えたのに、マジンは針金のような白髪をバキバキに逆立てた。

 頭をぐしゃぐしゃとかき乱し、金切り声を上げる。


 なんなんだ、感情の起伏が激しすぎる。

情緒不安定か?

 最近の若者は堪え性がないとは聞いていたが、ここまでとは。


「おい、お前、カウンセリングとか受けたらどうだ? 一度役所へ相談に行くといい」


「うるせぇうるせえぇうるせぇぇ!! ワケわかんねぇこと言ってんじゃねよクソがぁ!!」


 気遣ってみたものの、日サロ通いのチャラ男に俺の言葉は届かない。

 これがキレる若者か。


 そんなことを考えていると。


「ちくしょうがぁぁぁあああ! こいつを攫っててめぇも殺す!!」


「いやぁっ!」


 マジンはいつの間にか俺の背後にいたはずのニナニーナの髪を鷲掴みにしていた。

 ブチブチッと、彼女の髪の束が抜ける音がして、ニナニーナは顔を歪める。


「な……!」


 いつの間に俺の横を通り抜けた?


 まったく気が付かなかった。なんて速度だ。

 なるべくニナニーナを俺の背に隠すように注意していたのに。


 やつはニナニーナを狙っていると泥田は言っていた。

 理由はわからないが、彼女を守らなければならない。


「なんでこんな権能もねぇただの出がらしが必要なのかわからねぇけどよぉ!?」


「……っ!」


 とらわれたニナニーナが唇を噛む。


「ま、でもこいつのせいでみんなやられちゃったわけだしぃ? ここのやつらにとっちゃいなくなった方が都合いいよねぇ? へへぇっ!」


 ニナニーナはまた悔しそうな顔をした。

 そして罪悪感で下を向く。


「この女、カラダだけは一人前だし、これで遊ぶってことかなぁ? こんな……風にっ!」


「……い、やっ! 痛いっ!」


 マジンは爬虫類のように長い舌を出しながら、ニナニーナの胸を潰すようにわし掴んだ。

 彼女の大きな胸は爪を立てられ、柔らかいゴムボールのようにひどく変形する。


「ひゃはははははははは!」


「……い……や…………!」


「疫病神の没落女神! お前さえいなきゃここのやつらはこんな目に遭わなかった! 150年前だってこの町は襲われなかった!」


「……!」


 ニナニーナは倒れたまま動かない泥田を見た。

 あちこち壊れた建物を見た。


「この町のやつらにお前ができることはひとつ! 死ぬことだ! 散々オレたちに弄ばれた後になぁ! ひゃっはは! 死ぬ時ゃ俺が手伝ってやるからよぉ!」


「……! ……!!」


 ニナニーナの気丈な瞳に水滴が浮かぶ。

 屈辱だろう。体がブルブルと震えている。

 ぐっと噛み締めた奥の歯は、こんなことで涙を見せたくないという悔しさからだ。

 泣いたら負けだ。

 心が折れたら負けだ。

 そうしたら自分がこれまで続けてきたことも無駄になる気がしたんだろう。

 本当に自分が無価値になる。

 この町の人間たちに報えなくなる。


 けれど。

 たまらず、ニナニーナの瞳から涙が一筋こぼれた。


 ニナニーナは俺を見た。

 そして喉の奥から絞り出すように言った。

 聞き取れないかすかな声で。

 

「……たすけて……」


 俺には口の動きでわかった。

 彼女の葛藤もわかった。

 これまでの努力やプライドを踏みにじられて、持ち前の気品も地に落ちて、その上で人に頼るという情けない選択をせざるを得なかった。


 彼女は俺に助けを求めている。


 その時、俺の耳の奥で、亡くした母の言葉が聞こえた。

 

 ――人の役に立ちなさい。


 こうとも言った。


 ――いつかお前も誰かのヒーローになれたらいいね。


 なれるわけがないと思っていた。

 人を救う前に、まず俺を救ってくれよとさえ思っていた。


 でも母さんひとりだけは、みんながどれだけ俺を否定しようと、本当に俺がそんな立派な人間になれると信じてくれていたような気がする。


 母さんは今わの際に、「お前は要領が悪かった」と言った。

 けれど生前はいつも「お前ほど真面目で優しい子はいない」とも言ってくれた。


 慣れない倉庫内作業と根を詰めた内職で手首を痛め、いつも湿布の匂いがしていた手で俺の頭をなでながら。


 母親というのはいつだって息子贔屓なんだろう。

 彼女の最期の言葉は、俺への侮蔑なんかじゃない。

「要領さえよければ。それさえよければ」という、願いにも似た悔恨の言葉だったように思う。


 ああ、母さん。聞いてくれ。

 そこにいる美しい少女はこんな俺をつかまえて『勇者』だなんて呼んだんだ。


『勇者』というのはよくしらない。

 でも、苦しむ人々を救う偉大な存在らしい。

 そんな彼女がいま、心の底から俺に助けを求めている。


 今まで誰の役にも立てなかった俺に。


「その子を放せ!!」


 俺は叫んだ。


「誰が離すかバァァァカ!!」


 瞬間、俺は木床を蹴った。


 そして氷の上をすべるように移動する。


「っ……!」


 マジンが、俺の移動速度に目を見張り、咄嗟に身構える。

 

「縮地!? それとも風系の魔法を使った歩法かぁ!?」


 俺は否定する。


「ただの踏み込みだ」


「はぁぁ!?」


 そう。これは技でもなんでもない。ただのローキック前の予備動作。

 難なく攻撃範囲に相手を捉えると、俺は右足を蹴り出すモーションに入った。


 しかしその刹那、マジンは不敵に笑う。


「魔法障壁を展開ぃぃ!! はっはぁ! これでどんな物理攻撃も効かないぃぃい!」


 マジンの男の下半身が鈍く光り、謎の斥力を発した。


 振り出した右足が押し戻される感覚。


 有無をいわさず何物をも撥ね退ける理外のバリアだ。


 これも『魔法』というものか?

 さっきの巨大な火の玉と同じだ。

 今まで見たことがない現実離れした現象。

 マジンの下半身が、鋼材よりも戦車よりも硬いもののように見えた。


 一瞬だけ思った。

 俺のローキックが通じないのでは? と。

 

 ただ、一瞬だけ。

 すぐに脳内に大量のアドレナリンが分泌され、そんな戯言はかき消される。


 蹴りたい。

 蹴り破って破壊したい。

 そんな衝動が俺の全身を満たした。


「ははぁ! 今のオレの身体強度は竜の鱗の約3倍!! オレを傷つけたきゃ聖剣でも持ってこい!!」


「聖剣?」


「ああ、無理だろうがなぁ!」


「なるほど。それはさっき蹴り折った」


「……は?」


 俺は蹴った。



 ――ボギボギボギボギゴギゴギゴギ!!!!



「なぁんでぇぇぇえええええええええええええ!!!?」


 強靱な筋肉繊維の一本一本が弾けるように千切れ、鋼鉄よりも硬い骨が粉砕される音が響く。


「……ふぅ」


 残心。


 俺の右足はマジンの下半身に直撃し、よくわからない障壁ごと破壊した。

 少しばかり力を入れすぎてしまったがやむを得ない。

 力を抜けばこちらが大けがをしていた。


「……が……あぁ………………??」


 マジンはボロ雑巾のように床に倒れていた。

 下半身の損傷具合はさっきよりもひどいが、まだ意識があることがやつの尋常ならざる強靭さを物語る。

 きっとすぐにこれも元通りになるのだろう。


「……まだ……まだだぁ…………!」


 ぐっと拳を握り、敵意に満ちた目を俺に向ける。


「……こんなモンで…………こんなモン……すぐに治……! なお…………?」


 マジンはさっきと同じ要領で、砕かれた下半身の回復を図ろうとする。

 しかし、身体は元に戻らない。


「……なんで……? なんでだぁ…………??」


 マジンは泣きそうな顔で疑問を口にする。


 俺も何が起こったのかわからない。


「まさか……」


 ニナニーナが言った。

 彼女は俺の右足を黙って指さしていた。


「ん?」


 俺は自分の右足を見る。

 右足の付け根からつま先までが、ほのかに光を発していた。


「これは……」


 覚えがある。

 山でヌシを倒す前に起きた現象だ。

 謎の声が脳内に聞こえて、「力を貸してやる」だとか言っていた。

 せっかくのローキックに横やりを入れられるのはまっぴらだったので即座に断ったが、あの力が残っていたということか?


 ニナニーナが言った。


「聖剣の力ですわ……! 聖剣だけが持つ……『破邪』の力!」


 ニナニーナの大きな瞳から涙がこぼれ落ちていた。


「唯一魔人に対抗できる聖なる力! その力で傷つけられた魔人は再生ができない!」


 言われても、なんのことだかわからない。

 だが、最初にやつを蹴った時には、確かに右足は光っていなかった。


「ゆえに聖剣! わたしたちの信じた……聖剣!」


 どうやら俺は、意図せず聖剣とやらの力を使い、マジンに致命傷を与えたということらしい。

 右足に確かな感触が残る。


「……あ…………あ……なん……で……………………?」


 マジンの体が砂のように、サラサラと空気に溶けていく。


 足の先から順に、太もも、腰、胴体、腕と消えていき、最後にまだ何が起きたかわからないという表情を浮かべたままの顔が塵となった。


 さっきまでマジンがいたところには、怪しい輝きを放つ石が残されていた。


 俺は屈み込み、それを拾う。

 これがマジンの魔晶石。


 体が消えて石になったということは、こいつは渋谷にいるチャラ男ではなく、ニナニーナのいう魔物の類だったわけだ。

 人間では、ない。


 じっと見ていると吸い込まれて自我を失ってしまいそうな危険な美しさを持った石だ。

 俺は目を閉じ、その石を両手でしっかり包み込むと、床に片膝をついた姿勢で数秒間祈りを捧げた。


 人ならざる者とは言え、ここで止めねばならない相手だったとは言え、人の姿を持ち、会話をした相手だ。

 安らかに眠れ。


 目を開き、もう一度右足を見ると、ほのかな光は消えていた。


 また頭の中で声が聞こえた。



 ――あとは任せた……その子を頼んだぞ……。



 これを最後にその声は聞こえなくなった。

 優しい声だった。

 まるで遺した娘を思いやる父親のような、あたたかな男の声だった。


 ニナニーナがつぶやいた。


「先代さま……ついに現れました……あなたの意志を継ぐ次代の勇者が」


 ニナニーナは床に両膝をつき、祈るような姿勢をとる。


 その姿は美しく、まるで美術品のようだった。


 ボロボロの建物。

 倒れたままのけが人たち。

 涙を流して祈り続ける少女。


 マジンは消え、危機は去ったが、やるべきことはまだまだあった。


 でも俺はまた、亡くした母の面影を思い出していた。


 なあ、母さん。

 俺の出来が悪いせいで苦労をかけ続けた母さん。


 俺がもし、この見知らぬ土地で誰かのヒーローになれるとしたら、あなたはまた笑ってくれるだろうか。

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