第13話 蹴り高だ

 俺の背後の扉口でニナニーナが震えながら言った。


「信じられない……! 魔人を真正面から蹴り倒すなんて……!」


 俺の目の前には床に這いつくばるのは、マジンの男。


「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す……!!」


 全身から殺意をみなぎらせて、呪いの言葉を吐き続ける。

 そして、うつ伏せのまま手のひらをこめかみのあたりに当てると。


 ――ゴキンッ!


 と、折れていたように見えた首の骨を正常に戻した。


「な……!?」


 さらに、複雑骨折していたはずの腰から下の骨も、ゴキゴキという音を立てて無理矢理整骨していく。

 10秒ほどたつと、マジンはすっくと立ち上がり、何事もなかったようにその場で跳躍をした。


「……ふぅ、まぁこんなもんかぁ?」


「な……治った……のか?」


 信じられない。完全に回復したように見える。

 俺は怒り任せに蹴ったのだ。

 足の骨なんか完全に粉砕されていたはずだ。

 なのに。


「あったり前でしょぉ? オレは魔人なんだからさぁ?」


 マジンのニヤニヤ笑い。


「無限再生。知らないの? 魔人はみんなそう。ただの打撃じゃいくらやっても意味ないよぉ?」


 シュッシュッとおどけてキックボクシングのシャドーを繰り返す。

 馬鹿な。

 無限再生だと? 打撃に意味はない?

 何度骨を折られてもすぐに回復できるってことか?

 人間業じゃない。


 これが『魔法』ってやつなのか?

 これが群馬県という未開の土地に根付いた土着の呪術……!


「どぉう? 絶望しちゃったぁ?」


「絶望?」


 俺はゆっくり首を振る。

 馬鹿な。そんなものであるはずがない。

 蹴っても蹴っても無限に治る?

 そんなもの……そんなもの……。


 俺は夢見心地でつぶやいた。


「……希望だ」


 うっとりと。陶酔するように。


 マジンは「はぁ?」と不可解そうな顔をした。


「なーに強がってんのぉ? どれだけ攻撃しても治っちゃうんだよぉ? 人間はマジンには絶対敵わないの! なのになにが希望だってんのぉ!?」


「それが希望なんだ」


「はぁぁあ??」


 俺は興奮していた。

 これは武者震いなのか。なんなのかわからない。

 でも全身が喜びにうち震えている。

 右足が疼くのだ。


「なぜなら何度でも蹴っていいということだから!!」


「はぁぁあああ!!?」


 希望だ!

希望以外のなんと言えばいい!

 やつはただでさえ強靱な下半身を持っている。

 蹴り甲斐は抜群だ。

 なのに俺が怒り任せに蹴ってもすぐに元通りになるだと?


「蹴り高! 蹴り高だな!!」


 俺は両手を広げ、高らかに叫ぶ。

 こんな常識離れした存在がいるなんて!

 ああ群馬県! 群馬県! なんて魅力的な土地なんだ!


「な、な、なにを言っているんですかあなたはーーー!!?」


 ニナニーナがなにか叫んでいるが耳に入らない。


「このローキック馬鹿ーーーーっ!!」


 それは聞こえた。

 ローキック馬鹿か。いいじゃないか。俺はローキック馬鹿だ。

 それ以上でもそれ以下でもない。


 マジンが言った。


「ニヤニヤしやがってぇ! 気味の悪ぃ人間だなぁ!?」


 俺はいつの間にか、マジンに負けないほどのニヤニヤ笑いを浮かべていたらしい。


「気味が悪くてすまない。さあ、下半身を蹴らせてくれ」


「変態かてめぇぇぇえええ!!?」


 マジンが困惑と怒りの入り混じった形相に変わる。


「誰が二度と蹴らせるか! 魔法で焼き尽くしてやるよぉ!」


 マジンは左胸の紋様に右の手のひらを当てた。

 紋様と手のひらの触れた部分が光り輝く。

 そしてなにやら聞き取れない言葉を高速で詠唱すると、右の手のひらをこちらへ向けた。


「【爆火球(フレアボム)!】」


「っ……!?」


 直後、マジンの右の手のひらから巨大な炎の球が現れ、こちらへ向かって飛来する。

 俺の体をすっかり飲み込んでしまうほどの巨大さだ。

 まだ数mの距離があるのにジリジリと肌や髪の先が焼けるのがわかる。

 怖るべき群馬県土着の呪術!


 ニナニーナが叫ぶ。


「炎の上位魔法! いきなりあんなのっ……!!」


 そして彼女は、俺に「逃げて」と叫んだのだろうか。

 迫り来る炎の轟音でかき消されて聞こえない。

 マジンのものらしき高笑いもかすかにしか聞こえない。

 逃げろと言われてももう逃げられない。

 あの巨大な炎に飲まれて死ぬだけだ。


 ……なにもしないままならば。


「フゥゥゥゥ……!」


 俺は大きく息を吸うと、いつもよりコンパクトな振りでローキックを蹴り出した。


「……シッッ!!」


 最も人間が高速回転するスポーツと言えばフィギュアスケートだろう。

 俺は、ローキックと少しでも関係のあることには詳しいと自負している。


 現在、人間の限界と言われている4回転ジャンプの回転速度はおよそ400rpm(回転/分)。

 一般的な調理用ミキサーの回転速度は、一番早い設定で255rpmだから、それの倍近い。

 目下トップスケーターたちが夢見る5回転ジャンプにはそれ以上の回転数が必要だが、それも数年の間に達成されるだろうと言われている。

 彼らは足を閉じ、腕を体に巻き付けることで回転軸をつくり慣性モーメントを極限まで減らす。


 俺はそれと同じ要領でローキックを蹴り出した。

 ローキックを蹴る時、ただでさえ目にも止まらぬ回転速度を実現していた俺の体はさらに速度を上げる。

 そしてそれを何度も繰り返す。

 ドリルのように回転する。

 結果、どうなるか。



 ――竜巻が起こる。



「な、なんだってぇ!!?」と、マジンの男。


 ゴォォォオオオオオというくぐもった音とともに、足下から旋風が巻き上がる。

 そしてそれは次第に大きくなり、俺を中心とした竜巻へと変じる。


 部屋の中の家具が風に巻き上げられ、壁や天井にぶち当たる。

 風に押し上げられた天井は何度か軋む音を立てた後すぐに外れ飛び、部屋の中から青空が見えた。


 ニナニーナがしゃがみ込み、悲鳴を上げる。

 俺は泥田を心配したが、着ている鎧の重さのおかげで巻き上げられずに無事だった。

 マジンの放った大火球は、その竜巻に飲まれてかき消えた。


「……ふぅ」


 回転を止めた俺は一息つく。

 体に火傷の痕はない。

 少し髪の先が焦げた匂いがするが、その程度。

 どうやらうまくいったようだ。


「な、な、なにそれ……?? なにそれーーー!!?」


 ニナニーナはわなわなとして、叫ぶことしかできないらしい。

 聖剣とやらを折った時にも旋風は起こったが、今回はそれとは比にならない。

 あの時の旋風は副次的に起きたものだが、今回は意図して竜巻を起こしたのだ。

 まあ、ここまでのものになるとは、俺自身も思わなかったが。


「な、な、なんだそりゃぁああああ!?」


 マジンもニナニーナと同じようなことを叫ぶ。

 何かと問われれば、こう答えるのみだ。


「ローキックだが」


 マジンのこめかみに血管が浮き上がり、頭に血がのぼるあまり、ブチブチブィィという音がした気がした。


「そんなローキックがあるかクソがぁぁぁぁ!!!」

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