第42話 新しい夢③

 夜は冷えるが、昼はそこそこ暖かい一二月。帰りが遅くなるたびに、そろそろコートを出すべきだったと後悔する。


 俺は、ダッフルコートを着て温かそうなこずえを横目で見ながら、ブレザーのみで歩いていた。中は着込んでいるのだが、それでも寒い。


「こずえ、ちゃんと前を見て歩かないと危ない」

「あ、はい。すみません」


 こずえは、胸にぶら下げているものに夢中だった。そこにあるのは、新しいカメラである。


 前日、朱美さんからの資金提供ということにして、あのお金を使い、写真部全員でこずえのカメラを買いに行った。


 安いものにしてください、と言われたものの、俺は限界まで良い物を選んだ。カメラの価格はピンキリであり、一〇万円でもそれほど高額品には感じられなかった。


 購入したのは、八神が普段使用しているものと同じような、ミラーレス一眼カメラにした。持ち運び易さを考えると、それがベストだと八神もオススメしてくれたのだ。


「ご機嫌だな」

「はい! これは私の宝物です!」


 それほど表には出さないものの、こずえが浮かれているのは明白だった。

 今日、何度このカメラで撮影されたのかわからない。『沢渡虎太展』でもできそうなくらいの枚数は撮ったはずだ。もちろん、それは全力で阻止するつもりだし、できることならば現像も阻止したいと思っている。


「朱美さんはカメラのことで何か言っていたか?」

「よかったですね、と。そのあと、品番を見てネットで性能などを調べていました」


 とすると、価格がバレたわけか。これはまた叱られるかもしれない。


「……虎太さん、なんで母のことを名前で呼ぶんですか?」


 ふいに、こずえがそんなことを言う。


「八神に訊け」

「愛守さん? なぜですか?」

「あいつが呼び始めたからな」


 俺は、八神に責任をなすりつける。実際そうだし、俺に問い詰められても困るのである。


「……そうですか。では、虎太さんは母のことをどう思っているんですか?」

「なんだよその質問は?」

「虎太さんの好みの女性は母だそうですので」


 嫌味のある言いかたである。これも嫉妬なのだろうか。


「もうそれは忘れろ。同級生の母親にそんな感情は抱かん」

「本当ですか?」

「当たり前だ。おまえはちょっと過敏すぎるんじゃないか?」


 かわいらしい人だと思ったことは事実だが、所帯持ちで子どもまでいる相手を好きになるわけがない。しかも、同級生の母親だ。好意なんて見た目だけでは決まらないのである。


「……母が好みなら、わたしにもまだ脈はありますか?」


 こずえは俺の顔を覗きこむようにしながら訊く。


「脈って……。前も言ったが、お前はまだ子どもだから」

「わたし、ファーストキスの相手と結婚するのが夢なんです」

「……は?」


 そう言って、こずえはくちびるに指をつける。この子は、またとんでもないことを言い出してしまった。


「あれはお前が強引にしたんだ。それでそんな大きな話にされてはたまらん」

「あ、あれはその……お別れだと思って最後のわがままをしたつもりでしたが、したことは事実です。だから、わたしは虎太さんと結婚することを夢にします」


 そんな夢がありつつ、キスをしてきた。もはや確信犯ではないか。嫌とは言わないが、あまりにも重いキスだった。


「……やめてくれ。そんな重責は背負えん」

「これはわたしの夢ですから。わたしは諦めません」

「お前なあ……」


 多分、こいつは本気である。天才のくせに、世間知らずにも程がある。世の中にはもっと良い男なんていくらでもいるだろうに。

 恋愛については猪突猛進。まったく、こずえらしいものだ。


「……六年後、覚えていてくださいね」


 六年後、すぐにでも結婚の選択が迫られそうな勢いである。最初は八神と比べるだけのはずだったのに、いつの間にか人生の分岐点くらいになっていた。


 吐く息が白く光る。これから、こずえと過ごす日々にはどんなことが待ち受けているのだろうか。俺はいつしか、それを楽しみに思うようになっていた。

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飛び級天才少女が俺にグイグイくる~天才少女と変人ホイホイ~ 秋月志音 @daidai2525

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