第41話 新しい夢②
こずえのマンションに到着すると、以前と同じように、部屋番号を押して呼び出した。朱美さんはすぐに応答した。
「はい」
「沢渡と八神です」
「入ってください」
今日向かうとはこずえにも言ってなかったが、後日伺うことは伝わっていたからか、俺たちは当然のように中へ通された。俺と八神は一度視線を通わせると、部屋へと向かった。
扉の前で再びチャイムを鳴らすと、すぐに朱美さんが出てきた。
「どうぞ」
言葉少なく、俺たちを部屋へと上げる。表情自体は以前と変わらないが、それがかえって怖かった。
リビングへと通されると、俺は即座にひざをついた。予定どおりの土下座である。
「昨日はすみませんでした!」
「イスに座ってください」
「こずえを学校に戻したい一心でやってしまいました」
「イスに座ってください」
八神は、俺を見てちゃんと引いているだろうか。それにしても、朱美さんは俺の土下座攻撃にも動じず、イスに座れの一辺倒である。やはり、これくらいでは怯んでくれない。
俺はカバンからあるものを取り出す。それは、封筒だった。この中には一〇万円が入っている。貯めていたお年玉をおろしてきたのだ。
「足りないとは思いますが、飛行機代の補てんに充ててください」
「ーーちょっと! 虎太くん!」
それに反応したのは、八神だった、
「聞いてないよ! 私も出すから!」
「お前は黙って引いてろ」
「いくら? カッコつけないでよ!」
「俺が言い出したんだ」
「だからーー」
「イスに座ってください」
俺と八神は、機械のように繰り返される言葉に反応し、朱美さんのほうを見た。彼女は、以前よりも柔らかい表情をしていた。
「沢渡くんは、私のことを手伝うから、こずえを連れ去ることを許してほしいと言っていました。許す条件とはそこにあるはずで、土下座ではないです」
朱美さんは、昨日の俺の言葉を引用しながら、極めて論理的に諭す。これには、俺も引き下がるしかなかった。俺は立ち上がる。
「それでは、まずはイスに座ってください」
「はい……」
朱美さんに圧倒され、俺たちはおとなしく席についた。朱美さんは、飲み物の準備のため、キッチンのほうに移動する。
黙って待っていると、俺たちの前に紅茶が置かれた。朱美さんも正面に座る。
俺は紅茶には手をつけず、じっと朱美さんの様子を窺っていた。
昨日、こずえを連れ去った時の、朱美さんの寂しそうな表情がフラッシュバックする。朱美さんの顔を見ていると、罪悪感で胸が痛くなってくる。
「昨日、こずえと話をしました」
朱美さんは軽く目を伏せたまま、淡々と話し出した。
「まず、高校を辞めようとしたことを謝られました。そして、現在は学校生活が充実していて、どうしても学校にいたい、と」
こずえが、自分が悪いと嘆いていた部分だ。前者があって、後者を伝えていなければ、心配するのは当然のことだった。
「もっと、私に話しておくべきだったとも言われました。私とこずえのコミュニケーション不足を指摘したのは、沢渡くんだそうですね」
「……はい」
「……この前の帰り際、あなたが私に言ったことの意味を、それで理解しました。こずえが私に言わないから悪いんじゃない。私がこずえに訊かないから悪いんです」
自身を罵倒するように言う。俺は慌てて口を挟む。
「いえ、別に朱美さんだけが悪いと言いたかったのではなくーー」
「私は母親ですから。こずえのことを正しく理解していなかったことを含め、私の責任なんです」
そう言われてしまうと、どちらにも非がある、とも言いづらくなってしまう。朱美さんにとっては、こずえの非も自分の非なのだろう。
「ですので、もう謝らないでください。本来、私はあなたたちを許せる立場ではありません。むしろ、感謝しているくらいです」
感謝、という言葉を聞いて、俺は胸を撫で下ろした。朱美さんは、昨日のことについて、悪く思っていなかったのだ。
朱美さんは、俺たちの様子を見て、小さくほほ笑んだ。それは、ドキッとするほどかわいらしい笑顔だった。
「あの……それでは、もうアメリカへはーー」
「はい、中止にしました。夫には悪いですが、こずえがここまでしてまで日本にいたいのなら、私はその気持ちを尊重したいです」
俺と八神は顔を見合わせる。一時的なものではなく、改めてこずえと過ごせることが決まったのだ。こずえが奇跡だと言った日常が、正式に戻ってきたのだ。
「良かったです」
「その上で、お二人にお願いがあります」
朱美さんは、背筋を伸ばして言う。俺たちも、それにつられて姿勢を正した。
「昨日のことは、私の理解不足と力不足が招いたものだと思っています。それは、私が母親として未熟だからです」
俺はその言葉を否定しようとするが、口を挟む隙を作らず、朱美さんは話を続ける。
「空港で、沢渡くんが私を手伝ってくれると言ってくれたことで、私は考えました。
自助努力もしますが、こずえは成長の早い子です。父親と一緒にいられないため、こずえとしてももっと頼れる人が必要だと思います。
そこで、もしよろしければ、お二人の力をお借りできませんか? 私には言えないこともあるでしょうし、私も学校でのこずえの様子などを、お二人から定期的にお訊きしたいんです」
俺が空港で言ったことを、朱美さんはそんな風に受け取ってくれたようだ。もちろん、返事は決まっていた。俺と八神は顔を見合わせ、大きく頷いた。
「私からお願いしたいくらいです!」
「俺も、昨日の責任はしっかりと取ります」
俺たちは力強く言った。すると、朱美さんは笑顔を見せてくれた。信じられないほどキレイだった。
「それでは、これからよろしくお願いいたします。
沢渡くん、ですので、こちらはお返しします」
朱美さんは、テーブルの上にある封筒を、俺のほうへと寄せる。俺はその封筒をじっとにらんでから、再び朱美さんのほうへ押し出す。
「……いえ、これは昨日の補てんに充ててください。大金を無駄にしたと思うので」
何せアメリカへの飛行機代だ。調べた限り、こんなものでは足りないはずである。
しかも、二人分だ。これだけの損失が出ることがわかっててこずえを連れ去ったわけだから、このお金は当然、朱美さんが受け取るべきなのである。
「高校生からこんなお金を受け取るわけにはいきません。それに、キャンセル料もある程度は返ってくるんです」
「それでも足りないでしょう。こずえのために使ってください」
封筒が行ったり来たりする。朱美さんの言うこともわかるが、俺も引けない。昨日の朱美さんの表情を思い出すと、これくらいでは許されないとすら思っている。
「……えっと、虎太くん、朱美さんもそう言ってることだし」
八神は、朱美さんの言い分が正しいと思ったのか、俺が引くように促す。
しかし、俺とて簡単には引き下がれない。別の手段も模索できたはずなのに、わざわざ強引なやりかたをしたのだ。その責任は果たしたかった。
「八神さんの言うとおりです。私は絶対にこれを受け取りません」
「俺の責任なんです。払わせてください」
朱美さんは、少し怒っているようだ。でも本気ではなく、すねているような表情に映る。それは、こずえとも重なるくらい、その美少女的な見た目と合った表情だった。
「……責任、ですか」
「はい。これは最低限です」
そう言うと、朱美さんは小さくため息をついた。
「わかりました。では、こうしましょう。実は、昨日からずっと考えていたことなのですがーー」
朱美さんの提案を、俺は了承した。朱美さんは絶対にこのままじゃ受け取れない。だから、形を変えてしまうのである。
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