最終話 クルセーダーはミイラとともに

「紅茶はアレックスのアイデンティティそのものだからね、がっかりするのも仕方ない」

 アレックスの後ろ姿を見送りながら、丸メガネのクレイグが気の毒そうに小さく首を振る。

「あの新兵、大丈夫だよな」

 イヤな予感に包まれたケネスが、皆に確認するようにつぶやいた。

「何のことです?」と、クレイグ。

「アレックスはスカイレーカーの始動方法を知らないよな?」

「知らないはずです。まだ教えていませんから」

「もしエンジンがかかったって、俺がいなければスカイレーカーは一ミリたりも動きませんぜェ」

 操縦手のハリーはニヤニヤしながら、スコーンの残りをかじった。


 皆の楽観的予想はすぐに裏切られた。対空戦車の車体後部に設けられた排気塔から、ボンッという音とともに黒々とした煙が吹きあがり、野太い音が無人島に轟然と響き渡る。三百四十馬力のV型十二気筒エンジンが息を吹き返したのだ。


「やるじゃないか、坊や」、はやしたてるようにハリーが口笛を吹く。

 スカイレーカーを注視する三人の耳に、旋回砲塔の油圧ポンプが作動する音が聞こえた。ジャーッと高速にかみ合うギアの音とともに砲塔が軽々と旋回し、二門のエリコン対空機関砲が三人のいるテーブルに正対する。

「よせよせ坊や、降参、降参」、ハリーはヘッヘと笑いながら両手を挙げた。

「戦車を動かせなくても、機関砲は撃てるか。……みんな伏せろ!」

 射撃の気配を察したケネスが二人の兵士の肩を抱いて、横っ飛びに地面へ転がった。


 二連装20mmエリコン対空機関砲が掃射を開始した。ドドドドドドと歯切れのよい連射音が兵士たちの耳をつんざき、音圧が拳のように内臓を叩く。曳光弾を含む二本の射線は、オレンジ色のまばゆい尾を引きながらテーブルを大きくそれて虚空を裂き、二百メートルほど先の巨岩に吸い込まれていった。着弾した岩の尖頭部分が消滅する。20mm榴弾HEの凄まじい破壊力だ。


「脅しじゃない。ヤツは殺す気で撃っている」

 クレイグは左肩に手を当て、食いしばった歯の間から言葉を押し出す。機関砲の掃射を避けて転倒した際、地面の岩盤でしたたかに打ったようだ、

「紅茶野郎が下手クソで助かったぜィ」

「いや、近距離かつマイナス仰角で狙いがつかないだけだ、扱いに慣れれば的確に集弾してくるだろう」

 機関砲の特性を熟知する砲手のクレイグが不吉な予言をする。

「二手に分かれよう。俺とハリーは左、クレイグは右へ。砲塔の後部へ回り込むんだ」

 ケネスが矢継ぎ早に指示をだし、椅子を蹴って低い姿勢で走り出した。ハリーが後を追う。


 ふたたび機関砲の連射音が轟き、さきほどまでクレイグがいた岩盤に20mm榴弾が炸裂して大きな穴をめくり開けた。細かく鋭い岩の破片がピュンピュンと風を切って飛び散り、左右に広がってジグザグに駆ける三人の体にピシピシと当たる。機関砲から排出された円筒形の太い薬莢が、砲塔の中でカンカンと跳ねまわっている音さえ聞こえてくる。しかも凶悪な20mm榴弾を放ってくるのが彼らの乗機という悪夢だ。


「砲塔の旋回スピードより速く走れ!」

 ケネスが叫ぶ。スカイレーカーの砲塔は彼とハリーを追い、ギアのうなりをあげて旋回した。しかし、高機動飛翔体を撃ち落とすべく設計された対空戦車の旋回ユニットも、近距離で接線方向に走る兵士の速力には及ばなかった。


 一方、機関砲に追われない右側を走るクレイグは、スカイレーカーとの距離をじりじりと詰めてゆく。彼は軽く片足を引きずっていた、砕かれた岩盤の破片がクレイグの足に傷をつけたようだ。

「十二秒だ、十二秒逃げ切れば勝ちだ」、クレイグはケネスたちに向かって声を張り上げた。射撃操作に未熟なアレックスが、機関砲のトリガーを引きっぱなしにすることを読んだからだ。

 エリコン対空機関砲の弾倉マガジンには一門あたり六十発の弾しか装填されていない。連射を続ければ、わずか十二秒で弾を撃ち尽くしてしまう。スカイレーカーの乗員なら誰でも知っている基礎知識だ。


 至近距離から機関砲に狙い撃たれながら走る十五メートルは、人生でもっとも長い十五メートルだった。耳をろうする射撃音の中、死との追いかけっこを逃げ切って、ケネスとハリー、それにクレイグはほぼ同時にスカイレーカーの砲塔に取りつく。


「アレーックス!」、ケネスは砲塔の鋼板を拳で叩いて叫んだ。

 返事はない。代わりに砲塔のハッチがゆっくりと開き、一発の銃声が響く。ズドン。上空めがけて銃弾が発射された。砲塔をのぞき込もうと立ち上がりかけた三人が、あわてて身をかがめる。


「クレイグ、銃は?」、ケネスが尋ねた。

「持ってません。洞窟の中です」、クレイグが首を振る。

「ハリーは?」

「同じく丸腰ですぜェ」

「戦争中だというのに、みんなどうしちまったんだ」

「そういう車長は?」

「砲塔の中。アレックスが撃っているのが私のエンフィールドだ」

 ケネスは怒りと屈辱で顔を赤らめた。

「それなら、ハッチから岩を落としてみるかい?」、ハリーが提案する。

「原始人か! 確度が低すぎる」

 ケネスが即座に否定した。手榴弾さえあれば解決が早そうだが、そもそも対空戦車の乗員は歩兵と異なり、手榴弾を装備していなかった。

「車長、どうしますか?」、クレイグがメガネを光らせ、真摯に指示を待つ。

「いま考えている」、ケネスは徐々に冷静を取り戻してきたようだ。立ち直りの早い性格が、彼を車長たらしめている。

「こうしよう。最善の策だ、」

 ケネスがハッチの中へ向かって、声を張った。

「聞こえるか、アレックス! 君の望みどおりにしよう、ミイラでお茶しよう」

「車長、冗談はよせ」

 クレイグがケネスの胸倉をつかむ。

「クレイグ、ミイラは君の所有物か?」

「いや、ちがう。でもあれは人類の」

「全部とは言わない、ミイラを巻いている布のほんの一部でいいんだ。それでアレックスの気が済む。仲間同士で殺し合いをして得るものがあるか?」

「……わかった、ケネス。ほんの少しだけにしてくれ。頼む」

 クレイグは握りしめていたケネスの胸元を離した。


 ◇


 『お茶会ティーパーティー』の前に、ひと言いいたいと砲手のクレイグは、三人の兵士を対空戦車クルセーダーIIIAA Mk.II「スカイレーカー」の前に並ばせた。乳児のミイラを片手にして対空戦車の旋回砲塔横に立った彼が、高らかに声を張り上げる。


十字軍兵士クルセーダー諸君に問う!」

「おやおや、学者先生の演説が始まっちまったぜェ」、ハリーがぼやき、ケネスは肩をすくめる。

「もしこの布がキリストの遺骸を包んだとされる聖骸布だとしたら、敬虔なるカトリック教徒のハリー、あなたならどうする?」

 クレイグは操縦手のハリーを指さした。

 ハリーは不意の指名にたじろぎ、「ムリだな。傷つけることはできないぜェ」と首を横に振った。

「もしこれが遺体を収めた棺桶の内布だとしたら、葬儀屋のケネスはどう思う?」

「ケネスって葬儀屋だったの?」、驚くハリーにケネスが「そうだ」と短く答える。

 さらにケネスは少し考えて「俺も遠慮する。死者への冒涜だ」と答えた。

「アレックス、君はどう思う?」

「紅茶がなければ仕方ないと思います」

 アレックスは教師に指名された生徒のように右手をあげ、胸を張る。

「うん。君に聞いた私が間違ってたね、」

 クレイグはニッコリ寛容にほほ笑むと、砲塔に片足を掛け、丸メガネを光らせながら吠えた。

「さあ、遠き過去からの贈り物をいただこうではないか。ただし、諸君らのなさんと欲するものが、いかほどに罪深い行為であるか、知覚し畏れよ!」

 彼の言葉に呼応するように空からチラチラと粉雪が舞い落ちてくる。クレイグの全身に雲間を抜けた太陽の光芒がサッと降り注ぎ、暗いグレーの雪雲を背景として彼を明るく浮かび上がらせた。その神々しい雄姿に三名の兵士はブルっと身震いする。


「さぁてと。みなさんにご理解いただけたところで、お茶にしますか」

 クレイグはミイラを小脇に抱えて、対空戦車の車体から飛び降りた。

「い、いいのかよ?」、聖骸布の例えに恐れをなしたハリーが、及び腰で尋ねる。

「少しだけなら、考古学の神も許してくださることだろう」

 クレイグはミイラの衣をつまみ、腰ベルトから引き抜いたナイフで引き裂いた。


 ◇


 アレックスは上機嫌にオペラの一節を口ずさみながら『茶』を淹れている。曲はヴェルディの「椿姫」だ。ティーポットの中身はミイラの布をほぐした特別な茶葉。


「これ飲めるのか?」、いざマグを手にしてハリーは不安を口にする。

「微量なら死ぬことはないだろう。中世では薬に使われたぐらいだから」

 クレイグは口では肯定しながらも、自分からは飲もうとしない。

「!?」一口含んだケネスがおや? という顔をした。「これは紅茶だ」

「ほらね、僕が言ったとおり紅茶じゃないですか!」

「ンまいね、こりゃ、ンまいぜェ」

「みんな勇気あるな」、クレイグは最後までマグを持て余していたが覚悟を決め、鼻をつまんで中身をあおり「ホントに飲めるよ、これ」と目を丸くする。

「もっとミイラ埋まってないかな。僕探してきます!」

 洞窟へ向かって走り出すアレックスを、マグを手にした三人が目を細めて見送った。


 紅茶こそ英国人が心から愛する宝。

 一途な愛とは、かくあるべきもの。


 もし歪んで見えるのであれば……

 それはあなたの愛が足りていないだけかもしれない。


 ◇


 戦後の調査によると、行方知れずだった対空戦車スカイレーカーの乗員四名が無事救助された旨、軍の記録に残されている。そのうちの一人、考古学者のクレイグ・ハーディは、北海の孤島でペルシャ様式の青銅器数点を発掘するにいたった経緯を考古学上の重大な発見として喧伝した。しかし、学会は彼の新しい学説を文化を持つ住民の痕跡なしと、あっさり黙殺する。考古学者は学説を補強する証拠を求めて、ふたたび北海へと船を乗り出した。その後のクレイグの消息は、誰も知らない。


 完

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孤島の対空戦車「スカイレーカー」・改 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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