孤島の対空戦車「スカイレーカー」・改

柴田 恭太朗

第1話 氷雪のスカイレーカー

「ティータイムです、そろそろ休憩にしませんか?」


 装填手を務める新兵のアレックスが、作業中の男たちに向かって声を張り上げた。紅茶係の彼を除いた三人の兵士は崖にポッカリと口を開けた洞窟の中で、掘削作業を行っていた。自然にできた岩窟を拡張して、彼らが乗る対空戦車クルセーダーIIIAA Mk.II「スカイレーカー」を隠すための掩蔽壕を掘っているのだ。孤島に取り残されて二週間。孤立した彼ら四人には、みずからの手で活路を見出すほかにがない。いま彼らに与えられているミッションは、どう敵と闘うかではなく、どう生き延びるかであった。


 一九四四年、冬。ここは北海に浮かぶ無人島、シェトランド諸島東方のいずこか。正確な場所は、対空戦車スカイレーカーの乗員四名の誰ひとりとして知りえない。観測機器はそもそも最初から積んでいないし、無線を傍受する受信機は活きているものの、送信機が故障していた。これではただのラジオでしかない。彼らが把握していることといえば、無人島の位置する緯度は英国本土よりずっと高いことだけ。なぜなら朝晩は氷点下となり、地面にできた水たまりが凍結するからだ。ときおり降る雪は、風に舞い散りながら地面に白く降り積もった。メキシコ湾流に囲まれた英国本土周辺の島は、そうそう氷点下にはなることはない。水の氷結は、すなわち高緯度の証である。


 彼ら乗員と対空戦車スカイレーカーは補給物資とともに、スコットランドのクライド海軍基地から戦車揚陸艦LSTに乗せられ、護衛のU級小型潜水艦に守られつつ、目的地まで海上を輸送されていた。その行き先がどこであるかは、スカイレーカーの乗員には知らされていない。なぜなら彼らはただの『積み荷』以外の何ものでもなかったからだ。


 揚陸艦が進んだ航路は、悪名高き海の狼ことドイツ軍のUボートが遊弋ゆうよくする北海の真っただ中。外洋航行能力に劣る巨体の戦車揚陸艦は、あたり前のように発見され、Uボートからの魚雷攻撃を受けた。味方の護衛潜水艦を交えた闘いの末、舵を破壊され、航行能力を失った揚陸艦がこの無人島に漂着できたのは奇跡であった。舳先を岩浜に乗り上げた艦から、かろうじて対空戦車スカイレーカーと食糧と水を満載した補給物資カーゴ一つを降ろしたところで、揚陸艦は大爆発を起こして炎上した。護衛のU級潜水艦を屠ったあげく、送り狼のように後をつけて来たUボートから、ふたたび魚雷攻撃を受けたからだ。


 対空戦車の乗員たちは、浮上してくるであろうUボートとの砲撃戦に備え、待ち構えた。しかし、それきりドイツ軍の海狼は海上に姿をあらわすことはなく、彼らの目前の海はただ静まり返るのみ。敵潜水艦に何かあったのかもしれないが、海中のことゆえ子細はわからない。ただ明らかなことは、対空戦車の兵士たちが静かな北海に囲まれた孤島に取り残されたという事実だけだった。


「お茶が入りますよ!」

 ふたたびアレックスが若々しい声を張りあげる。


 洞窟から十五メートルほど離れた平坦な岩盤に仮置きしたオリーブドラブの簡易テーブルの上に、アレックスはいそいそとアルミ製のマグカップを並べた。テーブルの中央に置かれた電気ケトルから、さかんに白い湯気が立ち昇っている。英国陸軍の装甲車両には、必ず電気ケトルが装備されていた。行軍中であっても、英国人たる兵士がお茶を楽しむ時間を取れるようにとの心憎い配慮である。むろん車外でティータイム中の兵士がしばしば狙撃される事件が多発したことによる、安全面からの対策でもあった。


 戦車のバッテリから電源を取る電気ケトルは、不格好なデザインながら実に良い働きをしてくれる。アレックスは、むきたてタマゴのようにツルツルの頬を紅潮させて電気ケトルを見つめた。彼はケトルを英国陸軍最大の発明品だと思う。なぜならこれさえあれば、どんなへき地でも紅茶を楽しめるからだ。


 洞窟で作業を行っていた男たちがようやくアレックスのティーパーティーに参加する気になったようだ。つるはし替わりのスコップを放り出し、二十歩ほどの距離を歩いてやってくる。


偽装網カモフラージュネットもなしに岩原いわっぱらの真ん中で、のんびりお茶会ティーパーティーとはねェ」

 ポケットに両手を突っ込んで歩み寄ってきた年かさの男、操縦手のハリーがヨークシャー訛りで苦言を吐く。「何もかもルール破りだぜェ」不機嫌な表情で椅子を荒々しく引いた。

「安心しろ、ハリー。みなの関心はフランス上陸に向いているご時世だ。こんな無人島には誰も来やしない。敵はもちろん。味方さえも来ない」

 一足先にテーブルについた車長のケネスが、青年将校然としたすまし顔でマグを傾ける。英国軍人は紅茶を気取ったカップではなく、実用本位のマグで飲むのだ。

「アレックス坊やよぉ」、ハリーが無精ひげのあごをこすりながら新兵を見上げた。

「なんです? ハリー」

「どうしてまた、こんな遠くにテーブルを置いたんだァ?」

「だってスカイレーカーの近くは油臭いでしょ。せっかくの紅茶がまずくなります、」

 紅茶係のアレックスは上機嫌に答えつつ、皆の席に焼き立てのスコーンを配って回る。

「ところで、クレイグはまだですか?」

「放っておけよアレックス。考古学者様は穴掘り遊びにご執心だ」

 ケネス車長がクールに答える。砲手のクレイグは、一心不乱に洞窟を掘り続けているようだ。ケネスの言うように、軍隊に召集される前のクレイグは考古学者であった。

「どいつもこいつもイカれてやがるぜェ」

 ハリーが乱暴にマグをつかむと、カップからあふれた紅茶がテーブルにこぼれた。

「こぼすなよハリー。これが紅茶の飲み納めなんだから」

 ケネスの言葉を耳にしたアレックスが凍りついた。顔面がみるみる蒼ざめてゆく。それに気づかず、ハリーはうそぶく。

「飲み納めだって? まあいいやァ、俺はタバコさえあれば」

「ところがだ。そのタバコもないんだよ、ハリー」

「じょ、冗談だろ、ケネス」

「残念ながら本当さ。嗜好品のカーゴは揚陸艦と一緒に燃えてしまった」

「コーヒーもかい?」

「もちろん」

 ハリーは「なんてこったい」とつぶやいて、両手を広げ肩をすくめた。アメリカ兵を真似た大げさなポーズだ。

「車長、僕がもう一度物資をチェックしてもいいですか?」

 アレックスが納得いかない様子で食い下がる。

「無駄だよ、リプトン卿。艦の焼け跡に大量の紅茶パッケージが散乱しているのを見た。間違いなく嗜好品は燃えた方の積み荷にあった」

 アレックスの姓はリプトンである。かの紅茶王とは縁もゆかりもなかったが、彼の人並外れた紅茶嗜好から、しばしば『リプトン卿』と揶揄された。ケネスだけでなく、子どもの頃から誰もがアレックスをそう呼んだ。リプトンという名前が彼の人格形成に影響を及ぼしたことは、アレックス自身も認めることだった。


「おおい、みんな! すごいぞ大発見だ」

 丸メガネをかけた砲手のクレイグが、泥にまみれた木箱を両手に抱え、喜びに声を弾ませながらやって来た。長身の彼は普段の大股歩きではなく、ゆっくり慎重に歩を進めてくる。

「見てくれ、これを。世紀のお宝だ」

 クレイグがテーブル上のマグとスコーンを押しのけながら、木箱を丁重に置き、パッと両手を広げてみせた。

「汚い箱を乗せないでくださいっ」

 潔癖症のアレックスが抗議する。

「なんだい、これ?」

 ハリーが箱の中をのぞき込んだ。

「ボロきれだな」

 興味なさげにケネス。

「よくご覧よ。赤ん坊のミイラマミーだ」


 いわれて見れば、箱の中身は茶褐色の布でぐるぐる巻きにされた乳児の姿かたちをしていた。布からわずかにのぞく顔は干からびた黒褐色の木像のように、硬質でところどころが艶びかりをしている。厚く何層にも重なった枯れ葉を敷き藁として、ミイラは箱の中で静かに横たわっていた。


「なぜ北海の孤島にミイラが?」と、ハリー。

「コイツがヒントになるかもしれない」

 クレイグが棺の中から緑青で覆われた薄く細長い金属片を取りだした。

「鉄くずかな」、ケネスが眉を寄せる。

「いや、これは青銅器だよ。ペルシャ様式のナイフ。ミイラと一緒に発掘したんだ」

「つまり?」

「そうだな、端的にいえば歴史的大発見ってこと。知ってるかい? 発掘されるミイラの北限は年々北上しているんだ。しかもそのすべてがエジプト式ではなく、ペルシャ式なんだよ。要するにペルシャ文化を持った民族が大陸を北上していったことの、なによりの証拠さ。ましてや北海で発見された例はこれまでになかったんだ!」

「すごいぜェ」

「わかるかハリー? すごいだろ」

「いや、クレイグの興奮っぷりがすごいと思ったんだぜェ」

 ハリーはニヤニヤしながら、椅子の背もたれにふんぞり返る。

「クレイグさん、ミイラの周りにあるその葉っぱって何ですか?」

 おずおずとアレックスが口をはさむ。

「これかい? 見た感じ、香草ハーブかな」、クレイグが葉をつまんだ。

「飲めますかね? それ」

 三人がギョッとしてアレックスを見つめる。

「飲めるもんか。すっかり酸化しているから相当不味エグいだろうな」

 クレイグが嫌悪感を露わにして顔をしかめる。表情からして、味に対する嫌悪感とは違った種類のそれだ。

「なら、そのミイラの布はどうですか? イイ感じに紅茶色をしているし、ほぐせばお茶になりそう」

 アレックスの言葉に、三人が互いの顔を見合わせる。誰もが『リプトン卿』の正気を疑った。

「アレックス、いいかい? ミイラは重要な文化遺産であって、食いものでも、お茶でもないんだ」

 考古学者のクレイグは新兵のアレックスを諭すように説いた。

「そうか、そうですよね。よくわかりました」

 アレックスは決然と踵を返し、テーブルを離れた。そのまま崖の前に止めた対空戦車スカイレーカーへ向かい、十五メートルほどの距離を歩んでゆく。


「アイツ、何をする気だ?」

 ケネスは、皆が等しく脳裡に浮かべた疑問を口にした。

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