クラゲになりたい君

「僕さ、前の学校でいじめられてたんだ。教科書破られたりリュック教室から外に投げ捨てられたりしてさ。笑っちゃうよね。挙句の果てには、親友だと思っていたやつにも裏切られてさ。踏んだり蹴ったり。そんな時にさ、担任に呼び出されたんだ。その人なんて言ったと思う? 「この町に行きなさい」って。ここ勧められたんだ。いじめを辞めさせるとかじゃなくて僕を学校の外に追いやった。まあその時はそう思ってたんだけど、今は居場所を作ってくれたっていうか?ここに来れてよかったって思ってるんだけどね。こうやって君に会うために協力してくれる友達も出来た」

 凌平たちを見る。背を向けて2人は楽しそうに話している。

「……うみ、か」

「え?」

「私の名前、齋藤、海月っていうの。海に月って書いてうみかって読むの」

「やっぱり、病院にいたの君だったんだ」

 久しぶりに彼女と目が合った。潤んだ瞳が輝いている。「なんで知ってるの?」力のない声が弱々しく僕の耳に届く。

「僕もこの間まで病院にいたんだ。そこで見つけた。でも、その時は君だって確信できなくて会う事を諦めた。でもね名前を見て、君だとはっきりと感じたんだ。間違ってなくてよかった」

 嬉しそうに口角が上がる。波の音が僕ら2人の間をぬけていく。

「私ね、7歳離れたお兄ちゃんがいるの。でも、5年前にいなくなった。凄く頭が良くてスタイルも良くて親切な人だったから町の人ほとんどお兄ちゃんの事知ってたの。だからいなくなって色んな噂が広まった。女の人に騙されたんだ、とか妹庇った時に恨みを買ったやつに殺されたんだ、とか。お母さんに聞いてもね、何も教えてくれなかった。その頃から病気がちで、学校にもあんまり行けなかったから時々行った時に色々言われちゃって。でもそういう時にお兄ちゃんが助けてくれてたから、本当に、大切な人だったのに……」

 次の言葉を躊躇っているようで唇が小刻みに震えている。

「初めて会った時にね、私が「クラゲになりたい」って言ったの覚えてる? あれはね、消えちゃったお兄ちゃんみたいになりたいって思って。でもね、水族館でクラゲ見て、辛くなったんだ。本当に、もう、この世界にお兄ちゃんがいなかったら自分が言った言葉って皮肉だなぁって。お兄ちゃんがよく言ってたの「自然に生きろ」って」

「え」

 僕もそれをどこかで聞いた覚えがあった。どこだ。誰かが僕にそうやって言っていた。誰が。

「だから今はね学校行ってなくて、こうやって平日の朝からフラフラしてお昼になったら帰るの。あの日、君とあった日、久しぶりにお昼の時間に浜辺に行ったら君に会えた。って言ってもずっと君の事展望台から見てたんだよ。話してみたくて行ったの」


-あ、あの人だ-


 彼女の横顔はあの人によく似ていた。苦しそうに笑うその表情が、とく、に。

「……あ」

 その言葉に彼女が僕を覗き込む。

「お兄さんって斎藤光希?」

「え。なんで、知ってるの」

 全てが繋がった。

「お兄さんは、僕にここを教えてくれた、先生だ」

 僕の頬を涙が伝う。急な涙に慌てる。泣く気なんてなかったのに、次々に涙が零れてしまう。

「……前の学校の、僕の担任だ」

 彼女は言葉を失っているようだった。

「生きてるんだ」

 意外だった。そんな反応は想像していなかった。彼女の目からも涙が零れる。

「……私ね、お兄ちゃんいなくなってから大切な人を失う事が怖くなったの。だから大切な人をつくらないようにしてた。なのに、いつの間にか、君が私の大切な人になってから、怖くなったの。いなくなられるのが。水族館に行った時、クラゲ見た瞬間にはっきりとそう感じたの。だから君から逃げたの。本当にごめんね」

 大切な人……。僕が誰かの大切な人である事がこんなにも特別な事だと思わなかった。それが僕にとっての大切な人から伝えられた事も特別だった。その言葉で僕の中に大切な人の概念がはっきりしたような気がした。凌平の背中が遠くにあるのに、近く感じるのは僕だけなのだろうか。

 その日僕らは誰にも言えなかった過去を話して、お互いを同情し合った。帰り際、君と僕の間に「また明日」が存在した事が唯一の希望だった。

 凌平たちとは浜辺で別れたが、帰ってメールを開くと『洸平って強いんだな。会えてよかったな』とだけ来ていた。きっと僕らの話が聞こえていたのだろう。大切な人がいるというのはこんなにも明日に希望が持てる事だとは思わなかった。

 明日僕は彼女に提案をする。凌平のような無鉄砲な計画を。


「おはよう」

 もちろん、僕らの待ち合わせ場所は展望台だった。この日は土曜日で朝から会いたいとだけつたえた。それはやはり無鉄砲な計画を行いたかったからだ。

「おはよう。どうして今日はこんなに早いの?」

 時刻は午前8時だった。

「お兄さんに会いに行こう」

 彼女はキョトンとして「ふふ」と笑った。

「いいね。結末を考えない旅はドキドキして好きだよ」

 今度は僕がキョトンとする。こんなにもあっさりしているとは想像していなかった。それでも計画をおるなんてことはしない。

「じゃ、行こう!」

 そう言って踏み出した時。

「洸平!」

 僕は目を見開き明らかに驚いた様子を見せた。

「ちゃんと準備して行こう。駅前に9:30再集合! それから行こ? ……ちなみに、私も病院で君の名前見かけたよ。しかもその部屋から洸平が出てくるのもバッチリ見ちゃいました」

「うわ、まじかー」

 見られたくないところを見られてしまったと知ると急に恥ずかしくなる。

「じゃあ、駅前でね!」

 大きく手を振りながら山を駆け下りていく。やっぱり彼女は自然に生きれているのだろう。


 僕らは約束通りの時間に出発して学校の最寄り駅まで何度も乗り換えた。彼女も緊張しているだろうけど、僕も充分怖い。もしあのクラスの人に会ったら、何か言われたらどうしよう。

「大丈夫? 私はお兄ちゃん似合うだけだけど、洸平は嫌な所行くんだよね?」

「大丈夫。だと思う」

 手が震える。その手に彼女の手が乗っかった。

「大丈夫だよ。もし会ったら私が殴る!」

「いや、やめて? それはなんかわかんないけど怖いから」

 彼女の冗談でようやく心に余裕が出来た。窓の外には見慣れた街が見えてくる。

『帰ってきたんだ』


 学校の事務室で要件を伝えて中に入れてもらう。事務員さんに斎藤先生がどこにいるか聞いてそこに向かう。2年生の教室にいるそうだ。土曜日の朝ということもあって、部活の生徒がチラチラと目に留まる。

「広いし綺麗な校舎だねー」

「うん。僕もそれで入学したの」

 渡り廊下を通過すると、そこは2年生の教室が集まる校舎だ。1つ上の階に上がって教室を探す。

「ごめんね。僕もこの校舎初めて入るからちょっと探すかも」

「そっかー。2年に上がる前に転校したんだ」

「そ。まあ、本当は2年には上がってたんだけど、その時点で転校するって決めてたからその引っ越し準備?的な感じでずっと休んでた」

 扉が開いている教室が見えた。人が動いている影も見える。

「あそこっぽいね」

「だね」

 教室にいたのはやっぱり斎藤先生だった。後ろを歩く海月の足取りが重そうだ。むしろそれが好都合なのかもしれない。

「斎藤先生」

 その声に驚いたような反応を示す先生が僕をパッと見る。それでも僕は冷静に深々と礼をした。

「宮本?」

「はい。お久しぶりです」

 今度は嬉しそうに口角を上げ手元の作業を片付ける。

「どうしたんだよ急に。びっくりしたじゃん」

 このフレンドリーさが生徒からも好評で始業式早々から人気者になった。それにこのルックスとスタイルの良さで女子人気も半端じゃなかった。

「先生に、どうしても会ってほしい人がいて」

 扉に隠れる海月を見た。少し縮こまって緊張しているようだ。

 僕の視線を追って先生がこちらに近づいてくる。近くに来てその身長の高さが際立つ。先生はドアに手をかけそこを覗く。

「……海月?」


-繋がった-


 僕らは相談室に移動して話をすることになった。どちらも黙ったままで気まづい。

「僕、あの町先生に、紹介してもらえて良かったです。「あの町に行け」って言われた時は「なんだこの教師は」って思ったけど、凄い感謝してるんです。落ち着ける場所がいっぱいあるし、受け入れてくれる人もいる。……何より大切な人を見つけた」

「そうか。良かった。微力の俺にはこうしてやる事しか出来なかったんだ。他に方法が分からなかった」

 頭を下げる先生に僕は「やめてください」とだけ促した。

「……海月。本当にごめん。ずっと後悔してた。海月が学校に行かなくなったのは俺のせいなんじゃないかって。病気がちなのに学校行くから色んな事言われてるんじゃないかってずっと思ってた。だからそういう奴から守ってるつもりだったけど、それが逆に海月が傷つく羽目になってたのかなとか。今考えると海月はそれでも学校に行こうとしてたし……」

「私、学校に行きたかった。いっぱい言われて病気のせいだって思い込んで、お兄ちゃんが助けてくれるからって甘えてた。でもね、洸平見てて学校行きたいなって思ったの。行きたかったなって。どんな事があっても何か学校に行く理由を見つけて学校に通い続ける洸平が羨ましいって思ったの」

「そっか。俺さ、こっち来る時、海月にこの事言ったら絶対着いてくるような気がしたから言わなかったんだ。自意識過剰だけどさ。……俺には宮本が海月に見えたんだ。弱いけど曲げない気持ちがあるところ? だから2人には自然に生きてほしいと思った。でもその2人が繋がって俺のところに来るとは想像してなかったけど」

 僕と海月は目を合わせて少し笑った。

 斎藤先生と海月は空白の5年間を埋めるために沢山話をしていた。「上京して1人で生活するようになったから自炊出来るようになったんだ」とか「あの展望台でお兄ちゃんがよく読んでた本読んでたよ」とか。その中で印象に残ったのは「俺が教師になろうと思ったのは海月に勉強を教えてあげたかったから。高校じゃあ意味ないかもしれないけど、高校の数学マスターしたら中学の数学も教えられるかなって思ったんだ」という言葉だった。斎藤先生もとい海月のお兄さんは、本当に海月の事を思っている事がひしひしと伝わってきた。そして、海月も消えてしまったお兄さんに会う事が出来てあの考えが変わるのだろうと思った。


「いつでも会いに来いよ」

「うん。ありがとう。また来るね」

 兄妹のやり取りを見守って僕らはあの町に帰った。道中、海月は疲れきってしまったようでずっと眠っていた。

 やはり都会の夜は明るい。その明かりが騒々しくも感じる。やっぱりあの町は落ち着くようだ。


「私、専門学校行きたい!」

 あれから数ヶ月経ち、新しい学年を迎えた週の休日の朝、海月は唐突にそんな事を言い出した。

「教師やってるお兄ちゃん見て、自分のしたい事を本気になってしてみたいって思ったんだ」

「魚?」

「大正解! そういう事勉強できるところがあるらしいから、そこ行きたいなーって。どうかな?」

「凄い良いと思う!」

 海月が前向きになり始めているのを見て、僕もそろそろ進路を考えないといけないと感じて、僕のしたいことを想像する。

「洸平は人を喜ばせる事が得意だよね。水族館に連れて行ってくれたり、いきなりお兄ちゃんのところ行こうって」

「それは、海月だから喜んでほしいと思っただけだよ」

「言葉が足りない」

 不満げだ。

「……海月が好きだから、喜んでほしいと思いました」

「……うん。これ結構照れますねー」

「言った僕の方が恥ずかしいよ」

 お互い視線を逸らし空を仰ぐ。

「おいおい、アオハルやってないで俺らと遊べって」

「わっ!」「きゃ!」

 凌平の声に2人とも間抜けな声が出る。

「クラゲちゃんも無事高校入学できたんだから、今日は皆でパーッとな!」

 凌平は海月の「クラゲになりたい」という言葉がとても気に入ったようで海月の事をずっとクラゲちゃんと呼ぶようになっていた。

 そして僕と海月がお兄さんに会った日から、海月はお兄さんに勉強を教えてもらっていたようだ。その理由はもちろん、高校に入学するためだった。

「18歳で高校1年生なのがどうしても。だって卒業する時は1人だけ21歳だよ? 恥ずかしいよー」

 結局、海月は僕らと同い歳だったらしく僕らより2年遅く高校生になった。通えるのは嬉しいけど、年齢が皆より上で恥ずかしいようだが。

「でも卒業して専門学校に通うっていう目的があるから頑張るよ!」

「よしっ! じゃあ今日は皆で遊びまくるぞ。クラゲちゃん! 今度は俺が洸平と遊ぶんだから、先に予定入れんなよ」

「ごめんね。もう明日予約しちゃった」

 手を合わせて凌平に謝ってるけど、僕はまだそんな約束をしていない。でも。

「明日があるって幸せだよな」

「……そうだな。はー、仕方ない、明後日は俺だからな」

 

-クラゲになりたい君が、今では僕の海月になって消えない存在になっていく。きっといつまでも-

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海月になりたい君 青下黒葉 @M_wtan0112

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