病院の海月

「転校生は夏休みどうだった?」

 あの日から僕たちは会ってない。海とか展望台とか彼女が行きそうなところに僕は毎日行ったのに、結局会うことは出来なかった。

「そういえばさ! お前、彼女いんの?」

「え?」

 興味深そうに凌平が僕の顔を覗き込んでくる。

「夏休み中さ、お前が女の子と一緒に歩いてたって噂になってたぞ? どんな子? 可愛いの? この学校の子じゃないよなぁ。そんな可愛い子いないし。実はそんな可愛くないとか?」

「おい!」

 つい感情に任せて教室に響くほどの声を出してしまった。その声に、教室のみんなが僕らの方に視線を向ける。

「そんな怒るなよー。冗談じゃん? 名前、なんて言うの?」

 その一言で一瞬にして頭が真っ白になる。


-あれ、そういえば名前知らない-


「え、もしかして知らない、の?」

 僕の様子を見てそう察したのだろう。

「え、まじ? その様子だとこの学校の子でもないよな? え、中学生とか? それはやばいって-」

 それから凌平は次々にあの子と僕の事を馬鹿にするような事を言い続けた。気がついた時には僕の右手が凌平の目の前にあった。

「いっ」

 強く握られた拳がビリビリする。左頬を押さえて倒れ込む凌平が僕の方を睨んでいる。

「お前、何すんだよ!」

 僕らは掴み合いとなった挙句周りの机や椅子を蹴散らし、騒ぎを聞き付けた先生たちによってようやく別室に離された。お互いその後の授業には出てないようで、学校から電話を受けた親が僕を迎えに来て無理矢理お互いが頭を下げあった。当然、先に手を出したのは僕の方だったので、しばらくの間自宅謹慎となった。そうでなくとも、掴み合いの末に右腕と鼻の骨を折った事で病院生活が始まった。

 親には「入院なんて大袈裟だ」って言いまくったけど、「しばらく病院で頭を冷やしなさい」と叱咤された。と言っても1~2週間だけのものだった。

 

 病院での生活は驚くほど暇で屋上に行ったり病院の周りをウロウロしたり。幸い足を怪我していなかったので自由に行動ができた。そして時々病院で凌平を見かける。凌平もまた鼻の骨を折ったらしい。目が合ったとしても逸らすだけの関係だ。

 入院してから1週間経った頃、ようやく退院出来る日が伝えられた。明後日のようだった。退院を明日に控えた今日も朝早くに目が覚めた。窓の外には彼女と初めて行った展望台が見える。

「どこ行ったんだろ……」

 朝ご飯をさっさと済ませ、屋上を目指した。いつもの階段を上がろうとした時、上から凌平の声が聞こえてきたので別の階段を探すことにした。きっとどこかにはあるはずだと信じて上を見ながら案内を探した。

「……え?」

 僕の目にとまったのは階段の表示ではない。

 ある個室の部屋だった。その部屋には「斎藤海月様」とカードが入れられている。

 僕は何故かその名前を彼女だと確信した。この中に彼女がいる。でももし、万が一違ったら? そんな不安が僕の中に生まれ、結局その扉を開ける事は出来なかった。でもきっとあれは彼女の部屋で彼女の名前だ。

 屋上に出た僕は空いてるベンチを見つけて空を見上げた。もしかしたら同じ場所にいるかもしれない。なのに、どうしてこんなにも遠く感じるのだろうか。


 結局、病院で彼女に会う事が出来ないまま、僕は退院した。自宅で何もしない1週間を過ごした後、学校に復帰。その朝は憂鬱だった。きっと、噂が広まって教室に入ったらこれまで以上の疎外感を感じるのだろう。自業自得だが。

 そんな僕の予想は全く当たっていなかった。教室のドアをスライドさせる。皆が僕を見る。でもその視線は痛さを感じないものだ。

「お、おはよう」

 近くに座っていた子が小さな声でそう言った。そんなのは初めてだった。

「……おはよう」

 窓際の、僕の席について荷物を置く。

「なあ」

 真っ先に僕の前に来たのは、凌平だった。

「お前、なんで病院で目合っても声掛けて来ないんだよ」

「え?」

「悪かったよな。俺の知らない人でも、お前にとっては大切な人なんだろ? そんな人の事、面白半分で馬鹿にしてさ。喧嘩の理由、母ちゃんに話したらめちゃくちゃ怒られた」

 そんな事を言って笑う。

「いや、僕も、ごめん。何も言わないで手出すとか最低だった」

「いいって。てか、お前格闘でもやってたの? めっちゃ痛かった」

「ホントにごめん」

「いや、そうじゃなくて! ホントに鍛えたら強くなるって」

 凌平はボクシングのようなポーズをして空気を殴る。

「聞きたい事いっぱいあるからさ、放課後一緒に帰らね?」

「……うん」

 

 放課後、凌平と僕はあの展望台に向かった。それまでの間、僕らは何も喋らなかった。

「そもそも、彼女って本当の事なの?」 

 少し後ろで立ち止まった凌平が僕に問いかける。

「本当だよ。でも彼女なんかじゃない」

 そしてまた静寂が続いた。

 僕らは展望台のベンチに腰かけた。

「夏休み入る前の日に会った子なんだ。名前は分からない。何歳なのかも知らない。しばらく会えてないんだ」

「そっか」

「でも、病院であの子の名前を見つけた気がする」

「わかんねぇんじゃねーの?」

「分からない。本当にあの子なのかも確証はないんだ。それでも、あの子だと思ったんだ」

 隣にいる凌平はあの時とは違う真剣な眼差しを僕に向けていた。

「探したいんだ。彼女のこと。……どうすればいいのかな」

 僕の右肩にポンっと手が置かれた。

「俺に任せろ。これでも人脈だけはある。その子が行きそうな所とかないの?」

「ここ」

 凌平は展望台を360度見渡し「ムズいな」って言って笑った。ふと凌平が閃いたような顔をする。

「連絡先交換しない?」

「ん、え?」

「え、スマホ持ってない?」

「いや、持ってるけどなんで?」

「これも作戦の一部なのです」

 左手の人差し指を立ててそう言う。

「ふっ」

「おっ! 何笑ってんだよ。いいか、俺の作戦はこうだ-」

 

 次の日僕は朝から展望台に来ていた。眼下に見えるあの砂浜には凌平が見える。ポッケに入ったスマホが震える。

「もしもし?」

『着いてるか?』

「着いてる。ここから凌平見えるよ」

 しばらく沈黙が続く。

「おーい?」

『あ、ごめん。俺、ずっとお前の事、転校生とかお前って呼んでたよな』

「あーそうだね。ま、いいよ」

『ダメだ。いいか、今日絶対俺はその子を見つけて再会させる。わかったか! 洸平』

 浜辺にいる凌平が僕に拳を突き上げた。

「もちろん!」

 正直無謀だと思った。彼女がよく行くと言っていた、展望台と砂浜、神社にそれぞれ人を置いて来たら連絡するという無計画な作戦。僕が展望台担当になったのは簡単な理由で、もし僕が別の場所にいて展望台に彼女が現れたら急いで登らないと行けないからだ。初めて登った日から結局体力はついてないので展望台担当となった。そして神社には凌平の友達がいるそうだ。

 あの日から会えていない人が、偶然今日現れる可能性なんてそうそうない。気が遠くなるような作戦だ。

「じゃあ、電話切るね」

『おう! 神社の方は連絡来たらめーる、す、る……』

「どした?」

『あの子か?』

「ん? どこ?」

 凌平が見つめる方を見ようとするが何も見えない。木の枠に体重を預けて少し身を乗り出して見てもやはり何も見えなかった。

『下りてこい。早く』

 冷静なその言葉に圧倒された、僕は全速力で山を下りた。何度も何度もつまづいたがお構い無しに駆け下りる。それくらい何も考えられなかったのかもしれない。

 彼女と初めて展望台に行った時「こっちだよ」って教えてくれた道が見えてくる。僕の足も体力も限界が近づいていた。それでも僕は足を止めない。

 道に飛び出した瞬間、君と目が合った。

「はぁ……はぁ……」

 肩で息をする僕を見て、彼女「なんでいるの」とでも言いたげだった。

「……ずっと」

 まだまともに呼吸も出来ないのに次の言葉を繋げようと試みた。

「……ずっと、あ、会いたかった」

 真っ正面から彼女と視線を交わらせた。彼女の視線は揺らいでいた。うっすらと涙が浮かんでいるのもわかった。でも僕は逸らすつもりはない。

「…なんで、いるの?」

 彼女が小さな声で振り絞った言葉はそれだった。

「学校は?」

「休んだ。それでも君に会いたいと思った」

 彼女はゆっくりと顔を伏せた。しばらくして肩が震え始める。ついに僕も彼女から視線を逸らし凌平と連絡を受けた凌平の友達に視線を向ける。2人は帰るわけでもなく防波堤に上がって僕らに背を向けて座った。

「ずっと教えてほしかった。なんであの日から明日がなかったのかとか水族館行った帰り、悲しそうだったのか。考えたけど、分からなかった……」

「……ごめんね」

 涙を殺したその一言に心臓が押し潰されそうだった。

 僕は彼女と腰掛けられる場所を探して2人で座り込んだ。しばらくどちらとも喋らなかった。僕からすると泣いてる子にこれ以上追い打ちをかけたくないというのがあった。彼女からすると僕の言葉を待っているのだろう。


 僕は涙が落ち着く頃を見計らって話し始めた。

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