小説4

 開花宣言から十日後の今日。学校へと向かう道は満開に咲く桜が連なっていて、春のそよ風に花弁が舞い、地に薄紅色の絨毯を敷いている。


 その上を俺と絹輪は共に歩くという現実味のない現実。


 横目で絹輪を盗み見る。艶のある黒髪がなびく様はまるで映画のワンシーンのよう。


 ふと、肩口にひとひらの桜の花びらがひらひらと優雅に舞い落ちた。


 俺は取ってやろうといつもの癖で何の気なしに手を伸ばすが、すんでのところで引っ込めた。


「どうしたの? はる君」


 鞄を後ろ手に持ち、前屈みになって俺の顔を覗いてくる絹輪。


「え、あ、その、あれだ……肩に桜の花びらが、ついてる」


 どもる指摘に、絹輪は自分の肩に視線を向ける。


「わ、ほんとだ。でもなんか可愛いからこのままにしておこ。気遣ってくれてありがとね」


「お、おう」


 俺は絹輪から目を逸らし前を向く。慣れていたはずの幼馴染との会話が、不気味なほど新鮮に感じた。


 視界の隅では尚も絹輪が俺の顔を見つめているのがわかる。だが歩みを止める事はない。


「ねえはる君。大丈夫?」


「大丈夫って、何が?」


 漠然とした訊ねに俺は視線を前に固定したまま問い返した。


「う~ん、なんか今日のはる君は様子がおかしいっていうか、別人というか……怖がるようにカーテン閉めちゃうし、気になって電話しても無視されちゃうし、それにさっき玄関先で顔合わした時だって物凄く驚いた顔してたし…………まるで私が恐怖の対象みたいに」


 気が付いた時には足を止めていた。おっとりとしたようで相変わらず鋭い。


「寝ぼけてただけだ。今朝は人生の中で最も寝ぼけてたと自覚しているからな。そのせいだ」


「ほんとに? 全然しっくりこないんだけど」


「絹輪がしっくりこなくても、事実だから仕方ない。絹輪は俺じゃないからわからないだろうが。だから気にするな」


「そっか、うん。気にしない!」


 卑怯な屁理屈だったと我ながら思う。絹輪も内心では蟠りが残っているはずだ。けど彼女はそれ以上掘り下げてこない。そんな彼女に俺は甘える。


「それよりさ、はる君はいつになったら名前で呼んでくれるの?」


「恥ずかしいから呼ばん」


 生前、耳に胼胝たこができるほど聞かされた言葉だった。そして返す俺の言葉も、お決まり。いつのまにか締めくくりとして定着した会話だ。


「そっか、ざんねん」


 口だけで特段落ち込むそぶりを見せない絹輪は軽やかに歩みだす。


 彼女の後姿を眺める。本当に本人なんだな……そう思いながら俺も続いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死んだはずの幼馴染みがある日突然目の前に現れ、世界が少しずつおかしくなっていく。そんなお話 深谷花びら大回転 @takato1017

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ