12時発、1時着。

PURIN

12時発、1時着。

 時刻はちょうど12時。車内アナウンスが発車を告げた。




「ギリギリ間に合ったねー!」

 乗客のまばらな電車内。安堵の声を上げながら、すいはボックス席の窓際にボスーンと勢いよく飛び乗るように座った。


「ごめんね。メイクに時間かかって」

 向かいの席に腰掛けた、丈の長いワンピースを身に着けた人物はそう詫びる。

「慣れてないんだからしょうがないよ。でもすっごい綺麗にできてるよ!」

「そう? 変じゃない?」

「全っ然! こっちが教えてほしいぐらい!」

 豪快に笑ってから、彗は持参したタンブラーの温かい紅茶を一口飲んだ。




 二人はこれから、電車に一時間乗る。そうして、昔ながらの町並みが有名な観光地に向かう。そこは、以前から彗が行ってみたいと希望していた場所だった。




「着いたらまずはお昼食べる?」

「うん、美味しそうな海鮮丼のお店があったんだよ」

「いいね! 行ってみよう!

 ……どう? 緊張してる?」

 タンブラーをバッグにしまいながら尋ねる彗。

「……いや、『こう』なった直後よりは慣れたと思う」

「そっか。まあ近所には結構一緒に買い物行ったりしてるもんね」

「うん…… でも良かったのかなあ。休学中に日帰りとはいえ旅行なんて」

 少し不安そうな色を浮かべる、彗の向かいの人物。

「いいんだよ、『休み』なんだし。大体、行こうって言い出したのは柊輔しゅうすけでしょ。今更何言ってんの」

 彗が「大体」と言ったあたりで、ボックス席のすぐ後ろのドアが開いた。大学生と思しき若者数名が、笑いながら二人の横を歩き去っていった。


 若者達を視界に捉えた途端、柊輔と呼ばれた人物は狼狽えた。

 彼らが通り過ぎてから、小声で彗に伝えた。

「人前で『柊輔』は止めてくれない?」

「え?」

「だって、そんな名前だったらおかしいと思われるでしょ、だって、その……」

 詰まった柊輔の言葉の先を、彗が続けた。

「……見た目が女なのに、男の名前で呼ばれてたらおかしいって?」

「……うん」

 静かに頷く柊輔。


「……外で見かけただけの他人の名前なんて、みんな気にしないもんだよ?」

「で、も……」

「気になっちゃうか」

「うん」

 再び静かに頷く柊輔。




 一ヶ月半前のことだった。

 朝の5時頃、彗はスマホの着信音に叩き起こされた。画面には柊輔からの着信であることを示す表示がされていた。

 こんな時間に何なんだ、説教してやろうと電話に出て、彗は聞き覚えのない、柊輔だと名乗る声に「朝起きたら女になっていた」と告げられたのだった。




「びっくりしたよ、あの日連絡もらった時は」

「一番びっくりしたのは私だよ」

「そうだろうけどさ」

 苦笑する彗。

「ていうか、今更だけどその喋り方やめてよ。いつも通りに喋ればいいじゃん」

「……」

「今、近く誰もいないから」


 柊輔は少し唇を噛み締め、窓外に目をやった。見慣れたマンションやビルの群れが飛ぶように遠ざかっていく。


 しばし迷ったが、やがて顔を彗に向き直す。徐に唇を開いた。

「……この前、病院の検査結果が出たんだ」

「えっ、そうだったんだ! どうだったの?」


 綻んでいた表情を固くし、顔を近付けてくる彗。

 柊輔にとって、この世で最も大切な人……


 電車が停止した。駅名を告げるアナウンスと共にドアが開く。


 ドアが閉まり、再び電車が動き出してから、柊輔は唾を飲み込んで答えた。

「体、元に戻るって。あと半月もしたら、自然に男に戻れるって……」

「本当!? 良かったじゃ~ん!」

 パッと灯りが点いたように、安堵の表情を浮かべる彗……


 そうか。彗は、自分のことなんて……


 柊輔は静かに目を伏せた。


「……珍しいけど、一時的にこうなる人っているらしいんだ」

「そうなんだねー。じゃあ、また学校にも来れるんだ?」

「……ああ」

「お前いなくて死ぬほど寂しかったんだよ!? あー、本当良かった!」

「……木村きむら寺内てらうちもいるだろ」

 彗と仲のいい女子の顔を思い浮かべながら、柊輔は通路を挟んだ反対側の窓を向いた。

「そりゃね。でもやっぱり私の一番の理解者は柊輔だなーって」


 いつの間にか停車していた電車のドアが、アナウンスと共に開く音がした。


「……田口たぐちも忘れないでやってくれ」

「もちろん! でもやっぱり一番は柊輔だよ」


 ドアが閉まる。電車が動き出す。


 柊輔は一つため息をついた。

 電車の駆ける、たたんたたん、たたんたたん、という音だけが響く。


 左側でサイドテールにした髪をいじりながら迷い、しばし言い淀んで、けれど決意して言った。

「普通、一番は恋人じゃないのか」

 すっかり高くなった自分の声は、少し掠れている気がした。


「えー、そう? もちろん田口くんのことは大好きだけど、私は親友が一番大事だけどな」

 彗は首を傾げている。

 

 小学校3年生の時にクラス替えで出会って親しくなり、高校生になった今でもこうして一緒にいる、親友。

 趣味も似ていて、頼りになる、彗。柊輔の、親友……



 

「あのさ」

 過去に思いを馳せていたら、いつの間にか親友の顔が目の前にあった。

「何か言いたいことある?」

「え」

 そうだ、彗は時々妙に鋭いところがある。

 中学1年生の頃、色々あって落ち込んでいた日にいつも通りに彗にスマホでメッセージを送っただけのつもりだったのに、「どうしたの!? 何かあった!?」と見抜かれたような返信を受け取り、こいつには隠し事はできないな、と思った記憶が蘇った。




「……なんかさ」

「うん」

「いや、いきなりこんな話するのも変なんだけどさ」

「うん」

「……」

「……」


 知らぬ間に、電車は次の駅に停車していた。


「……俺ら、いつまでこんな風にしてられるかなって」

 消え入るような声だったが、彗には届いた。

「どういう意味?」

「……三ヶ月くらい前さ、田口とお前が付き合い始めて。そしたら、周りの奴らに散々『柊輔は彗と付き合ってるんだと思ってた』って言われて。

 最初は笑って返してたけど、段々思うようになったんだ。

 お前と田口は恋人同士だ。だから、男の俺が彗と一緒にいたら、それは浮気になるんじゃないかって」


 彗は柊輔から目を逸らさない。眼鏡の奥の黒目がちな目で、じっと見つめている。

 柊輔はワンピースの両の腿のあたりをぎゅっと握りしめた。


 気が付けば、電車は走り出していた。


「親友同士だと思ってるのは俺ら自身だけで、周りはそう思わないんじゃないかって。

 彗は、田口と付き合ってるのに俺とそういうことをする浮気者だと思われるんじゃないかって……」

「……田口くんには、『柊輔は親友だから、浮気なんかしない』って伝えたよ。田口くんも分かってくれた。お前だって、田口くんの性格は分かってるはずだよ」

 柊輔は強く首を横に振った。

「それでもっ! 疑われたらどうするんだよ! それに、田口は良くても他の奴らにそういう目で見られたらっ、どうするんだよ!」

 彗の目線に耐えきれず、両目をつぶった。

 電車の走る音と自分の心音だけが、時が流れているのを教えてくれた。




「……そっか。だからか」

 電車が再び停止した頃、彗は口を開いた。


「男に戻れるって話の時、お前あんまり嬉しそうじゃなかったよね。

 あれなの? もしかして『このまま女の子のままだったら、彗と堂々と親友でいられるのに』って思ってるの? 戻りたく、ないの?」


 ああ、すごいなあ。こいつは、本当にすごい。

 



 男と女が一緒にいれば、カップルだと思う者は少なからずいるだろう。


 自分は、彗とキスしたいと思わない。性行為をしたいとも結婚したいとも思わない。

 彗とそういうことをするのは、何か違う。

 彗の恋人には、なりたくない。


 けれど、彗のことは大好きだ。恋人ではなく、親友として。

 くだらない話で笑い合ったり、遊びに出かけたりしたい。ずっと一緒にいたい。


 でも世間は、きっとこういう関係性の男女を恋人だと認識するのだろう。


 それならば。

 いつか彗が結婚して、仕事をして、子どもを持って。そうして築くであろう幸せな未来を、自分の存在が壊してしまうことになるのではないか。


 そんなことはあってはならない。

 けれど、大切な親友と離れたくなどない。

 だが、自分の存在はきっといずれ彗の邪魔になる。

 どうすればいい。

 

 誰にも、とりわけ彗にはもちろん言えず、密かに悩んだ。




 そんな中で、突然自分の身に起きた異変。

 昨夜、いつもと同じように眠りについただけなのに、目が覚めたら女の身体になっていた。


 親に驚かれるに違いない、学校には何て言えばいい、病院で治るのか、治るまでどうすればいいのか、もし治らなかったら今後の人生どうすればいいのか……

 

 激しく混乱する中で、彗のことに思い至り……

 途端、叫びだしそうにさえなっていた心に歓喜が湧き上がった。

 直前までの感情が嘘のように収まり、むしろ大きな安堵感に包まれた。


 これで、彗とずっと親友でいられる。そう思えた。




「男に戻ったら、親友じゃなくなると?」

 やっと目を開けた先にあった彗の表情は、少し怒りを滲ませていた。


「そうじゃない。でも何というか、親友でいづらくなると思うんだ。

 俺達はこれから大人になっていく。そうしたら、付き合ってない異性とずっと一緒にいるのはおかしいと思われるようになる。

 浮気と見なされて家庭が崩壊するかもしれない、社会的制裁を受けるかもしれない。


 でも、女同士なら、まず浮気だとは思われない。気兼ねなく、普通に、友達でいられる。

 だから、女でいたいって、思ったんだ。彗とずっと親友でいたいから……

 でも、もう戻っちまうから…… だから、女として過ごせる最後に思い出を作れたらって……」

 訴えかけながら、頭の片隅で、電車はいつから走り出していたんだろうと思いもした。


 彗は、ふう、と一つ息を吐いた。

「私はね、どんなお前でも親友だと思ってた。お前は違うの?」

「そうじゃないんだよ! 彗は、女になった俺にも普段と変わらず、普通に接してくれた! メイクも服の着方も教えてくれた!

 やっぱりお前は、親友なんだって思えた!

 でもな、きっとずっと今みたいな関係性ではいられないんだよ」

「うん」

「大人になったら、俺にも恋人ができるかもしれない。今みたいにしょっちゅう遊びに行くこともできなくなるだろうし、そもそも会う機会も減るかもしれない。

 それでも、せめて同性だったら、『親友だから』って、少しは親しくできるかもしれないのに……」

「うん」

 彗は取り出したタンブラーに口を付け、再びバッグにしまった。

 頬杖をついて窓外を流れる景色を眺めつつも、どこか違うところを見ているような目をして……


 やがて柊輔に向き直った。

「面倒くさいね、私達ただの親友なのにね」

「……うん」

「私、お前の恋人にはなりたくない」

「うん」

「でも」


 電車が停止する。


「お前のことは大好き。親友として。分かって、くれてるよね?」

「うん」

 柊輔は強く頷いた。


 電車が動き出す。


「だったらそれでいい。私達は親友。誰が何と言っても」

「でも」

「そうだね。分かってくれない人もいるかもしれない。今ここで二人で話し合って解決できることなんかじゃない。

 でも私達は同性同士の親友と同じ、親友。性別の違いなんて関係なく親友なんだ。

 恋人とは違う。それは誰に対しても主張するし、何としても証明するよ。

 ずっと柊輔と親友でいたいから」


 そんなに単純な話じゃない。

 自分は男に戻る。そうしたら、異性の友情を理解してくれない人はきっといる。

 それにこの先、仕事や家庭を持ったりしたら、今のように一緒にいられる時間はきっと少なくなる。

 



 でも。

 そこまで言ってくれるのなら。少なくとも、今は。


「彗」

「ん?」


「ありがとう」

 信じよう。ずっと親友でいられると。


「うん」

 小さく頷き、直後、彗ははしゃいだ声を上げた。

「見て!」

 窓の外には、二人の目的地を象徴する古めかしい時計台が現れていた。




 時刻はちょうど1時。車内アナウンスが到着を告げた。


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12時発、1時着。 PURIN @PURIN1125

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