【RF外伝】雷兄の約束/Pledge of Lightning-bro~

ウツユリン

20○○年7月13日 JST 20:41

 ——夜の闇に浮かび上がる鋭い象牙色が、迫る。

 大きく弧を描いたカギ爪は、振り下ろされる間際にわずか軌道を変え、その刀めいた切っ先が右の視界——救助体レンジャー訓練生・ユウキの目前へと、寸分違わず狙いをつけてくる。

 やられる。——そう警鐘を鳴らしてくる本能の片隅で、深く記憶に根付いた"声"が泣いていた。

 ——おにいちゃん!

「——ユウキっ!」

 記憶と現実、その双方からユウキを呼ぶ声が耳朶を打つ。同時、迫ったカギ爪が、生やした小柄な体ともども横殴りに飛来した建材を受けて、視界から消え失せた。

「悪ぃ、カナ! 助かったぜ」

 路地の対角にいる蒼いトレンチコートの人影に呼びかけ、ユウキは自分の親指を立ててみせる。

 今は、過去を振り返っている場合じゃない。

 ここは大通りから逸れた住宅街で、近隣住民の避難も済んでいない。相手がだからとはいえ、紛れもなく激情によってタカが外れた"嘆く者ラメンター"——黒狼だ。見境なく人に牙を剥き、激しい飢えを満たすため命を屠る、凶暴な半獣だ。

 それと同時に、ユウキの救わねばならない命でもある。

「限界代謝時間まで、百十秒! ユウちゃん、急がないとっ!」

 高く結いあげた黒髪を、朱色の頭部保護椀ヘッドギアから跳ねさせ、両手を突き出した相棒——カナの、歌うような声音が強張ってタイムリミットを伝えてくる。眼鏡型端末グラシスギアのレンズの向こうで、つーっと小麦色の頬を汗の雫が伝っていた。

「ああっ! オレがいく」

 そう相棒に返事をしたユウキの右手が、小さく震えていた。個有能力ユニーカでまとった紫電のせいでなく、まして負傷したからでもない。

 ぎりっと、噛み締めた音が聞こえそうなほど歯を食いしばり、ユウキは、種々の情報をオーバーレイしたレンズ越しに"それ"を見つめた。

 住宅の塀にめり込むようにして、今は動きの止まった、黒い獣毛の体。

 一見、大型のイエイヌにも見えるその姿は、だがカナのユニーカに拘束されてなお、突き出た鼻先から唸り声を止めない。ヒトとオオカミの合いの子をした、白く濁った眼からとめどない泪の軌跡をあふれさせている。

 そうしてわずかに体毛へ残ったフリルの端切れや、今も狼耳ろっじにぶら下がるピンク色の可愛らしいリボンが、彼女——救助対象者のもとの姿を示していた。

対黒狼正装スーツ、チャージ!」

 震える右手を抑え、ユウキはウェストベルトから提げた円筒形を抜き放つ。極細機能線維ナノファンクショナルファイバーの生地がほのか蒼い光を帯びて、その面積を押し広げる。

 すでにユウキの体は疾駆し、狙いは当然、滂沱の泪を流す黒狼——きょうが始まったころは、ごく普通の幼い少女だっただろう相手だ。


 鎮静剤を即時投与する〈スーツ〉を、小さな背へと押しあてる瞬間、ユウキは声を聞いた気がした。

 ——ありがとう……お兄ちゃん。


 †  †  †


「——ちゃん。ユウちゃん!」

「……ん。カナか」

 まどろみの中で、聞き馴染んだ呼びかけが体を揺らし、ユウキを浅い眠りから現実へと引き戻す。

 待合室の壁へ預けていた頭を起こし、掛けっぱなしだったグラシスギアのつるテンプルに触れて、情報端末をイヤホンサイズにまで縮小させる。

 そうして目を瞬かせ、視界に像を結んだ相棒の名前を呼ぶと、彼女——カナは、やれやれとばかりに腕を組んで形のよい唇を少し、尖らせた。

「わたしでガッカリした?」

「んなことねぇよ。オレがホッとできんのは、カナといるときだけだかんな」

 臆面もなくそう言い切ったユウキに、ヘッドギアを格納してあったカナの肌理の細かい頬がほんのり、色づいた。吊り目がちなトビ色の大きな瞳が泳いで、内心の動揺が正直に表現される。

 が、すぐにカナはまぶたを閉じると、小さく息を吸った。短い睡眠時間を妨げてまでユウキを呼んだのは、たわいもない会話に費やすためじゃない。

 用件を思い浮かべ、知らず、握った拳に力が入った。

「さっきドレスコードした子——」

 案の定、遠い目をしていたユウキの黒眼がサッと焦点を結び、まとった気迫が長らくその幼なじみを務めてきたカナをも気押す。「どうなった⁉」と、肩を揺すぶってくる幼なじみへ、カナは冷静を努めて言った。

「——亡くなったわ」


 淡く照明の落とされた病室へ駆け込むと、黒狼用拘束寝台ポッドのライトがちょうど消されたところだった。

 大人がひとり、余裕で収まる銀色のカプセルは普段、生体情報バイタルをモニターして、まるでイルミネーションさながらに光鮮やかだが、今は棺のようにひっそりと部屋の中央へ横たわっていた。

「先生! あの子は?」

 ポッドの傍らで手元の端末へ目を落としていた白衣に、ユウキが駆け寄る。丸眼鏡をしたその医師の顔に生気は薄く、首を横に振るかわり、「きみがID:889086を沈静化したレンジャー見習いかね?」と乾いた問いを返した。

「はい。オレがあの子をドレスコードしました」

「名前は知っているかね」

「いや……。なぜ、名前を?」

「そうか。いやなに。巻き込まれた負傷者が、襲った者の正体を知りたいと言っていてね。〈リド〉本部へ問い合わせたところで、『プライバシー保護』だの、『こちらで対応する』だの、明かしてくれないからね」

「……だからわたしたち見習いから聞きだして、伝えるんですか? あの子へ、憎しみをぶつけるために」

「カナ……」

 割って入ったカナの声が硬い。こういうとき、相棒の言葉に"遠慮"の二文字は存在しない。

 が、医師はわずかに目を細くしただけで、開き直るように肩をすくめると答えた。

「患者の希望に添う努力をするのが、私の職務だ。そのあとのことは、彼らの決めることだよ」

「そんなの——」

 それにと、抗弁しかけたカナの言葉を遮って、眼鏡を外した医師が続ける。

「私からみれば、きみらレンジャーは、ラメンターに拘泥しすぎていると思うがね。彼らは加害者だ。自らの意志があろうと、なかろうと、だ。レンジャーの職務は、救命のはずだろう。命を救うことにもっと、力を注ぐべきではないのかね」

「わたしたちは——」

「——先生」

 言いかけた相棒を手で制し、ポッドへ当てていた手を離す。冷えきった手は少しも温まらずに、金属の冷たさだけが離れようとしなかった。

「相手がだれだろうと、それを救うことが、オレたちの使命です。だから救えなかったのは、オレの責任です。負傷者には、そう伝えてください」

 トレンチコートの左胸を叩き、ユウキは手のひらを差しだした。細かな傷の目立つその手には『救助体訓練生・階上勇義』と、白の蓮の花がたゆたうレンジャーエンブレムがほのか揺れる。その手に重ねるように、カナも、己の証を医師へと示した。

「おなじく、阿座上華南です」

「……わかった。伝えよう」

 瞬刻、驚いたように大きく目を見開いた医師は、だが少しだけ表情を和らげて頷いた。

 そうして病室を出ていく間際に、立ち止まって言葉をかけてくる。

「ID:889086——いや、その子は、穏やかな顔をしていたよ。救われたよう、というのは、彼女の表情をいうのだろうね」

 部屋のドアが閉まり、足音が遠のいていく。

 そうして堪えていたものが喉元を駆けあがって、ユウキは静かに床へ膝を突いた。

「ごめんな——っ」

 謝罪なんて、無意味だ。

 その一言で命が救えるのなら、何度だって謝ろう。謝って、彼らが帰ってくれるのなら、血を吐いてでも謝り続けよう。——が、空虚な言葉で救える命など、ひとつもありはしなかった。

「——謝っちゃ、だめだよ。ユウキ」

「——え?」

「あの子、言ってたんでしょ。『ありがとう』って」

「ああ」

「だったら、べつの言葉を言ってあげなきゃ」

 肩へそっと置かれた温もりに、振り向くと相棒の赤らんだ目と合った。いつだってユウキを励ましてくれたその相棒が、「ね? ユウキ」と無理やりに笑ってみせる。

「そう、だな」

 ゴシゴシと乱暴に顔を拭い、相棒の手を握り返した。返った「ちょっとユウちゃん、ばっちいよ」のおどけた声へまた、「んだよ」と苦笑を返す。いつも通りの、二人のやり取りだった。

 そうしてどちらからともなく背筋を正し、横たわるポッドへと向きなおった。

「オレたちが——」

 それは、相棒と二人だけで決めた、秘密の約束の言葉だ。

 だれからも忌み嫌われ、その存在さえも忘れてしまおうと目を背けられる、ラメンター。そんな彼らにしてやれることは、あまりに少ない。

 だからせめて、自分たちが——。

「——忘れないから」

 謝罪でも、ありきたりな返事でもない、誓いの一言。

 言葉は何の役にも立たないけれど。——それしか、自分たちにはできないから。


〈了〉

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