夢を叶えた者へ

きと

夢を叶えた者へ

 桜井善吉さくらいぜんきちは、自身のために開かれたパーティでビールを楽しんでいた。

 今日は単にパーティが開かれたというだけではなく、桜井さくらいにとってとても特別な日だった。

 桜井は、プロの将棋棋士しょうぎきしだ。

 プロとなったのはずいぶんと昔の話で、戦績も平凡なものだった。

 だが先日、転機を迎える。

 長い間、その座を守っていた棋士を破り、タイトルを獲得かくとくしたのだ。

 タイトルを獲得するのは、桜井の夢だった。

 子供の頃から将棋をはじめ、テレビでタイトル戦を熱心に見ていた。

 いつか自分も。

 その想いは、年月を重ねるほど強くなっていき。

 先日、ついにその願いを叶えることができた。

 信じ続けて、諦めないで、夢を追い続けたことが、ようやくむくわれた。

 桜井は、本当に幸せだった。

 窓の外。暗闇を見つめる桜井に近づく二つの影があった。

善吉ぜんきち! 飲んでるか!」

「うわっ!?」

 背後から陽気ようきに肩を組んできたのは、昔からの将棋仲間である柳田やなぎだだった。

 柳田もプロの棋士で、タイトルを獲得してはいないが、戦績も上々だ。

「……柳田。あんた、ただ酒を飲みたいだけじゃないでしょうね?」

 声がした方に顔を向けると、セミロングの女性が呆れた様子で立っていた。

「かたいこと言うなよ、御影みかげ。今日は、祝いの席だろ?」

 柳田の言葉に、御影と呼ばれた女性はため息をつく。

 御影もみじ。彼女は、棋士ではなく病院の事務として働く女性だ。桜井とは中学校時代の同級生で、今でも仲が良い。

「まぁ、今は柳田はどうでもいいか。善吉、おめでとう」

「ありがとう、もみじ」

 素直に嬉しかったので、笑顔でお礼を言う桜井。

 対して、御影は顔を赤くして目線をらしていた。

「……どうした?」

「いや、どうしたじゃねーだろ」

 柳田にツッコまれるが、桜井は何がなんだかさっぱり分かっていなかった。

 桜井は、注意深く御影を観察してみることにした。

 こちらを見ないで手で赤くなった顔を仰いでいた。

 そして、桜井は気づいた。

「もみじ。お前……」

「にゃ、にゃに!?」

「……ポケットに入ってるのって、プレゼントか?」

 周りの人たち全員がガクッと崩れ落ちる。

 その様子に桜井は、首を傾げる。

「やれやれ。先読みはできるはずなのに、鈍感どんかんだねぇ。桜井君」

 その背後からの声に、桜井は振り返る。

冬月ふゆつきさん……」

「やぁ。おじょうさんには悪いが、少しだけ二人きりで話させていただけるかな?」

 先日、タイトルを懸けて戦った棋士――冬月誠士郎ふゆつきせいしろうがそこにはいた。


「ふむ。夜風よかぜが気持ちいいねぇ」

「……ですね」

 冬月誠士郎ふゆつきせいしろうは、この国で将棋をやっていれば知らない人はいないほどの将棋界の重鎮じゅうちんだ。

 還暦かんれきを過ぎた今でも現役をつらぬき通す、厳格げんかくで将棋を愛する男だった。

「そんなに身構えなくてもいい。君に話しておきたいことがあってね」

 冷たい夜風が吹き抜ける。

 身構えなくてもいい、とは言うがどうしても背筋が伸びてしまう。

「まずは、タイトル獲得、おめでとう」

「ありがとうございます」

 頭を下げる桜井さくらいを見て、冬月は少し微笑ほほえむ。

「君は、タイトルを獲得するのは初めてだろう? だから、心にとどめておいて欲しい事があってね」

 そう言って冬月ふゆつきは、月を見上げる。

 その月は、綺麗きれいな三日月だった。

「君は、子供の頃からタイトルを獲得することが夢だったと聞いている。その夢を叶えたのは、とても立派なことだ。でも、ここからがスタートだということは、分かるね?」

「はい」

 その返事に、冬月は再びやわらかく笑う。

「桜井君。タイトルを守るのは、大変なことだ。とてつもない重圧がある。でも、それをはねのけて全力を出さなくてはならない。そして、君には、夢を叶えたという責任もある」

「夢を叶えた、責任?」

 桜井は、冬月の言葉の意味がくみ取れなかった。

 疑問を感じている桜井に冬月は、まっすぐに瞳を見つめる。

「ああ。夢を叶えた、ということは――それだけ誰かの夢を破った、ということにもなるんだ」

「……っ!」

 そうだ。

 桜井は、冬月に挑むまでに何人ものライバルに勝ってきた。

 その中には、桜井と同じようにタイトルを獲ることを夢見ていた人も。

 これを機に、棋士をめる覚悟もした人もいただろう。

 腑抜ふぬけたことをしたならば、彼らの想いは踏みにじることになってしまう。

 桜井は、夢を叶えた。

 だからこそ、頑張らなければならない。

「冬月さん。ありがとうございます。俺も誰かの夢になれるよう、努力を続けていきます」

「うむ。頑張りたまえ。将棋もそうだが、あのおじょうさんのこともね」

 正直なところ、冬月が御影みかげのことを頑張れ、と言ってきた意味に気づけなかった。

 だが、冬月の言葉は。

 タイトルを守り続けて五年経った今でも、桜井善吉さくらいぜんきち𠮟咤しったし続けている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢を叶えた者へ きと @kito72

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ