最終話 現世への帰還

 博はしばらく泣いていた。声を上げず静かに涙を流すだけだったが、それこそが彼の感情の動きの大きさを物語っているようだった。


「……とはいえ私は狐です。鬼でも悪魔でも無いわ。あほな事を進める王宮に加担する事は出来ないけれど、あなた達の本当の願いを叶える事ならできるわよ。大丈夫。

「本当の、願い……?」


 玉藻の言葉に反応したのはクラスメイトの川田君だった。玉藻は微笑みながら続ける。


「私たちを王宮に連れて行ってくれるかしら。今の私ならば、あなた達を現世に返す事が出来るわ」

「それは本当ですか、玉藻さん!」


 佳彦は身を乗り出し、半ば叫ぶようにして問いかけていた。現世に戻る。その話は夢を見て以降特に口にしていなかった。もう戻れないと思っていたからだ。しかもそれを本当の願いだと言うなんて。


「もちろんよ。むしろ私はそのために力を蓄えてきたんですから。ずっとここで暮らすだけだったら、元の妖力だけでも事足りたもの」


 言いながら玉藻は八尾を揺らしていた。このふさふさした尻尾の一本一本に、膨大な妖力が詰まっているのだろう。佳彦は妖気を感知できないがぼんやりとそう思った。


「安心して頂戴。私の術であなた達はあのファミレスでこちらの世界に召喚される前の時間軸に戻してあげるから。こっちでは何か月も経っているかもしれないけれど、失踪騒ぎになるとかそんな事はありません。普通にファミレスを出て、普通に家に戻れば良いだけよ。

 というよりも、ここにいた時の記憶とかも消しておくわ。この世界で見聞きした事、やってきた事を覚えていても、これからの現世での暮らしにはむしろ邪魔になるでしょうから」


 玉藻の言葉に博たちも佳彦もただただ驚くだけであった。現世に戻りたい。この願いを博たちも抱えているはずだ。しかし玉藻の提案は至れり尽くせり過ぎないか? そのような疑問を抱いているに違いない。

 ちなみに佳彦は、玉藻の言葉に不吉なものを感じ取っていた。異世界での記憶を消されるという所にだ。博たちが辛い思いをしたのはよく解る。しかし佳彦は玉藻と楽しく暮らしてきたつもりだ。その記憶まで消すとはどういう事なのだろう。


「あまりにも出来過ぎた話だと思うんです、狐さん」


 ややあってから、恵子が口を開いた。


「もちろん私たちも現世に戻れるのなら戻りたいと思ってます。ですけど、私たちが困らないようにおぜん立てされ過ぎていてそれが却って不気味なの。

 失礼ながらあなたの出自のせいでそう思うのかもしれないけれど……まさか後々でとんでもない代償があるとかいうんじゃないでしょうね。とても大規模な術だから、何も喪わずに行使できるとは思えないわ」

「あなたは魔法の才に秀でているようね、長澤さん」


 恵子のいささか過激な口調を前にしても、玉藻は静かに笑っているだけだった。


「もちろんあの術の行使には犠牲は必要です。だけどあなた達は何一つ心配しなくて構わないわ。膨大な妖力を持つなんですから」

「玉藻さん! 本気で言ってるんですか!」


 佳彦は思わず声を上げた。問いかけの体を保っているが、心の底では玉藻が本気である事は既に解っていた。だからこそ異世界での記憶を消すと言ったのだろう、と。玉藻そのものが消えたとしても、玉藻との記憶が無ければ佳彦は苦しまないはずだから、とでも思っているのだろうか。


「僕は嫌ですよ! 現世に戻れたとしても、玉藻さんがいないなんて……僕は、玉藻さんのお陰でこうして生きていられるんですから。そんな、一緒に現世に戻りましょうよ」

「玉藻さん! 犠牲が必要なら俺を使ってください」


 激する佳彦に次いで口を開いたのは博だった。


「そもそも俺は皆を現世に戻すために王宮の駒になりました。それなら、俺の方が術の犠牲には……」

「残念だけど、あの術の犠牲になるにはあなたの力はちっぽけすぎるのよ」


 佳彦の申し出を玉藻はにべもなく断った。


「それに佐藤君。あなた抜きで他の皆が現世に戻ったとしても、あなたがいなければ失踪扱いになるわ。そして失踪するまでに一緒にいた他の仲間たち――もちろんキビたちの事ね――に嫌疑が掛かる。やってもいない罪科について糾弾されるのかもしれないわよ」


 それに引き換え。玉藻は一息ついてから言葉を続ける。


「私は元々いないのと同じ存在よ。確かにキビにずぅっと憑いていたのは事実だけどね」


 いつの間にか佳彦の視界はぼやけていた。ぼやけた視界の中で玉藻が儚く微笑む。


「キビ。あなたは私がいなくても生きていけるわ。元々私の存在を知らなくても、特に困らずに生きてきたんですから」

「そんな、俺は――」


 言葉はそれ以上出てこない。視界は一層ぼやけて歪んだ。


「私は殺生石のかけらから派生した玉藻の一部に過ぎないわ。だから私が消えたとしても、大本の玉藻の魂が損なわれるのとは別問題なの。

 それに向こうには私の子孫も少なからずいるわ。もし縁があったら、キビも彼らに会えるかもしれない」


 子孫。その言葉を聞いて佳彦は玉藻が永い年月を生きていた事を思い出した。彼女は自分をどういう存在に思っていたのだろうか。だが佳彦は、この言葉だけは伝えねばならないと思っていた。


「玉藻さん。あなたの事は愛していました」

「私もよ」



 玉藻の妖術と博の計らいにより佳彦は再び王宮に舞い戻った。何とも陰鬱で退廃的な空気が漂っているという印象を抱いただけだった。



 気が付くと、佳彦はファミレスの一角で突っ伏していた。いや、他の面々も突っ伏していたり起き上がったりしている最中だった。ずっと先程まで騒いではしゃいでいたはずなのだが、少なくとも自分の周囲は静まり返っている。


「あの……お客様……」


 気付けば制服を着た店員がおずおずとこちらを覗き込んでいる。二十代半ば程の青年で、整った面立ちだがややおどおどした様子を見せていた。ネームプレートには片仮名でシマザキと記されてある。


「大丈夫、ですか?」


 その店員によると佳彦たち一行は急に眠りだしたのだという。救急車を呼ぼうか否かと考えているうちに目を覚ましたのだと、件の店員は言った。

 そう言われてみると、みんな寝ぼけたような、そんな表情を見せているではないか。

 それから佳彦は、自分が何か夢を見ていたような気がした。ここにいる皆が異世界に飛ばされるという長い夢を。自分は何故か野宿生活をしていた……サバイバル経験のない自分が野宿できたのは誰かが自分をアシストしてくれたからだった気がするが、詳しい所はよく解らない。

 よく解らないのがもどかしくて思い出そうとした。だがそうすると急に胸の中に隙間風が通り抜けるような感じがして、目がしょぼしょぼしてくる。

――結局は夢なんだ。支離滅裂でも致し方なかろう。佳彦はそう思う事にした。


 そんな佳彦は帰宅してから、ポケットに何かが入っている事に気付いた。

 それは狐を模した粘土細工だった。黄土色の土で作ったと思しきそれは白っぽい黄土色で、何故か尻尾は複数生えている。

 これは自分が作ったものだ。何の確証もないけれど佳彦にはそう思えてならなかった。

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