電流ビリビリ棒

がしゃむくろ

一話完結

 輸送トラックの中で、俺はただ、固く握りしめた両手を見つめていた。

 車内には他に、十数人の男女が乗っている。

 トラックが揺れるたびに、手錠や足枷の金属音が響きわたる。微かな音でも耳元で鳴っているように感じられるほど、ここは静かだった。

 無理もない。質問されてもいないのに勝手に口をきけば、すかさず看守の警棒が飛んできて、顔面を叩き割る。

 やつらは俺達を、どれだけ痛めつけ苦しめようが、何のお咎めもない。心が痛むこともない。

 社会にとって俺達は、汚くて、臭くて、排除する以外に選択肢のない、へそに溜まったカスみたいな存在だから。

 それでも、この日だけは違った。世間は、一年にたった一度だけ、俺達に関心をよせる。

 俺はこの日のために、惨めな生活を耐え忍んできた。

 一矢を報いるとは、俺のために作られた言葉に違いない。

「間もなく到着」

 看守がそう告げると、前方のモニター画面が突如光った。

 始まったんだ。

 スピーカーから、哀感を帯びた大仰なオーケストラが流れてくる。

 戦争映画のワンシーンのような映像が流れ、お決まりのナレーションが聞こえてきた。

──西暦20XX年。地球は悪のマシン、ビリビリーナの支配下にあった。この残虐非道なサイボーグが人類に突きつけた挑戦状。人間の能力を超えた集中力と精神力を要する、極限のサバイバル・ゲーム。その名は……電流ビリビリ棒──

 番組タイトルのロゴが印字された巨大なパネルが中央で割れ、大量のスモークが噴き出す。

 白煙が漂う中、パネルの合間から二人の男が小走りで登場し、ステージへと躍り出た。

 観客の万雷の拍手が、それを迎えた。

「どーも、キリチャンアンチャンのキリムラです」

「アンバラです。いやぁ、キリムラさん。今年もやってきましたよ、ビリビリ棒が」

「もう一年経ったわけですか。早いもんです」

「昨年の大晦日もこの番組が、ぶっちぎりの視聴率だったそうで」

「そうみたいですね」

「やっぱり皆さん、ビリビリ棒を見ないと年を越せないんでしょうかね」

「そりゃそうですよ。そばをすすりながら、極悪人が焼け焦げていくのを見るのが、我が国の大晦日の風景ってもんじゃないですか。そうですよね、皆さん?」

 騒がしい拍手が応える。

「ビリビリ棒を見ると、病気も治っちゃうそうですからね」

「それは言い過ぎでしょ」

「ほんと、ほんと。うちの親父なんか、毎年ビリビリ棒を見てたら浮気性が治っちゃったんだから」

「たたなくなっただけでしょ! あら、アンバラさん。視聴者からメッセージが届いていますよ」

「えっと、『ぶっちぎりの視聴率って、テレビ局はひとつしかないんだから、当たり前でしょ』だって。あー! そうでした。失礼、失礼。アンバラ、バン、バン、バンッ!」

 土下座をして、「バン!」と言うごとに額を床に打ちつけるお馴染みのギャグに、客席は沸いていた。

「おい、もういいよ!」

「キリムラー! 止めてくれてありがとー! 死ぬとこだったよ」

「チャレンジャーよりも司会が先に死んでどうするんだよ!」

「そうだよな。っていうか、挑戦者はまだ着かないのかい? おーい、泥門でいもんアナ」

 映像が巨大なドーム型の建物をとらえた、空撮に切り替わる。

「はい、こちら泥門です。ただ今ですね、私はヘリコプターに乗って日本武士道館の上空にいるわけですが、ご覧ください。挑戦者を乗せたトラックが近づいてくるのが確認できます。キリアンさんのお二人、見えるでしょうか?」

 カメラがズームすると、俺達が乗せられている車両が映った。

「おお、見えるよ! もうかなり近くじゃない?」

「ええ、到着まで間もなくのようです!」

 車内からは外の様子が一切見えないが、武士道館に群がるヒルどもの卑しい視線を感じずにはいられなかった。

「泥門アナ、ありがとう! それじゃあアンバラさん。こちらもショウを進めていきましょうか」

「いきましょう。それでは、今年のゲストの皆さんの登場です!」

 先ほど司会の二人が現れたパネルが再び開き、スモークとともに大勢のビキニ姿のアイドルがステージへ押し寄せた。

 その間、俺達を乗せたトラックは武士道館の屋内に入ったようだった。エンジンの勢いが落ち、ゆっくりと進んでいるのがわかる。

 テレビからは、司会とゲストの卑猥なトークが垂れ流されていた。そこへ、客席からステージへと伸びる通路を走る、生真面目そうな男の端正な顔が割って入る。

「あっ、泥門アナ。おかえり!」

「きゃあ、泥門さん! 本物だ、ウケる」ゲストの女たちが騒いだ。

「キリアンさん、ゲストの皆さん、そして全国の視聴者の皆さん、こんばんは。本年も実況を務めます、DHKアナウンサーの泥門です」

「あれ。ちょっと泥門さん。何これ?」

 ステージに立ったアナウンサーのズボンに、キリムラが指差し棒を向けた。股間のあたりに染みがついていた。

「おいおい、何だよそれ?」

「もしかして、私たちの水着姿で興奮しちゃいました?」

 きゃあ、きゃあとやかましい。

「ち、違います! 違いますよぉ。最近尿の切れが悪くて……。そんな嫌らしい汁じゃないですから」

「何だよ、嫌らしい汁って」

「もう、イカ臭いんですけどぉ」

「いやーお恥ずかしい。ちょっと着替えてきていいですか?」

「だめだめ、生放送だよ!」

「そうですよね……」

「後でこっそり抜いてあげますよ。泥門さん」

「っえ、いいんですか!?」

 この馬鹿どもの面前で、おもちゃのように弄ばれるのかと思うと、あまりの怒りに吐き気がした。

「それじゃあ早速、泥門アナから今年のコースを紹介してもらいましょうか」

「そうですね。会場の皆さん、せーので、いつものお願いしますよ。いいですか? いきますよ。せーの『いでよ! ビリビリ棒!』」

 後方のパネルが左右に分かれ、レクイエムのような幻想的な調べに乗って、巨大な装置が現れた。二本の細長い金属棒によってコースが形成されたそれは、複雑に入り組んだダクトを思わせる。ところどころ歪曲し、途中にはコースを遮るようにいくつものギミックが仕込まれていた。

 アナウンサーが、語り始めた。

──勝つのは人類か、マシンか。悪の機械王ビリビリーナが人類に与えた究極の試練。その名は、電流ビリビリ棒。スタートからゴールまでは、直線距離でたった二十メートル。しかし、その道のりはあまりにも過酷です。コースは前半のキリチャンコースと、後半のアンチャンコースに分かれています。ご覧の通り、その途中には様々な障害物が待ち構えています。チャレンジャーはコースの間に、このアイアンセイバーを入れ、進んでいかなくてはなりません──

 泥門はリレーに使うバトンのような見た目の棒を、高々と振り上げた。

──アイアインセイバーがコースや障害物に触れれば、一瞬で二千ボルトの高圧電流が体中を巡ります。制限時間の六十秒を超えてしまってもアウト。前半のキリチャンコースを三十秒以内にクリアできない場合も、失格です。もちろん、一度コースに入ってからアイアンセイバーを抜いた場合もアウト。つまり、ゲームが始まったら、クリアするしか生き残る道はないのです──

 そう、一度始まってしまえば、このふざけたゲームに勝つか、死ぬかのどちらかしかない。

 今のところ、勝った者はいなかった。

「さあ。それでは今年も、恒例のゲスト・チャレンジに参りましょう。今回の挑戦者は、今年大ブレイクしたセクシーアイドル、メンデスちゃんです!」

 ゲストの中から、一際若く胸のでかい女が指名された。

「皆さん、こんばんはー! メンデスでぇす」

「やっぱりねえ、今年を象徴する一人といえば、彼女でしょう。本当にテレビで見ない日は、ないですからね」

「そうそう。うちの親父も大ファンで、出る番組全部チェックしてたって」

「嘘!? アンバラさんのお父さんが? うれしー」

「彼女が出る度に、年甲斐もなく息子をいじっていたら、やり過ぎて、とうとうたたなくなってしまったそうで」

「こら、キリムラ! ひとの家族の下半身事情を、何度も生放送で言うもんじゃないよ!」

「いやだー、ウケる」

「さて、メンデスちゃん。用意はいいかな?」

「はぁい、いっきまーす」

 コースのスタート地点に立った女にスタッフが近寄り、ゴーグルや手袋を装着させた。

──ゲストのチャレンジでは、事故を防ぐための安全策を徹底しています。全国のメンデス・ファンの皆さんはご安心ください──

 そして、女に棒が手渡された。

「それではゲスト・チャレンジャー、メンデスちゃんの挑戦です」

「レディ……ゴー!」

 女は「キャー」だとか「怖い」だとかわめきながら、ゆっくり進んでいった。

 コースは彼女の目の高さあたりから始まり、五十センチも進まないうちに急降下する。そして足首ほどの位置まで下がると、Uターンして一気に上昇していく。

 アナウンサーが「キリチャン・バレー」と呼ぶここは、視聴者へサービスショットを提供する場所に過ぎなかった。

 女はコースが下るにつれて前屈みになり、臀部を突き出す。

 すかさずギリギリまで近寄ったカメラが、局部を背後から捉えていた。

──出ました! 番組名物のビリビリセクシーショット! 全国の男達よ、刮目せよ!──

 アナウンサーの実況にも、熱がこもる。

「えぇ、ちょっと嫌だー。そんなところから撮らないでくださいよー」

 女はUの字の真ん中あたりでピタッと止まり、言葉とは裏腹に尻をカメラにさらし続けた。

「メンデスちゃん! 時間! 制限時間あるからね!」

「あっ、ごめなさーい」

 カーブを抜けてコースを上がっていくと、直径一メートルほどのプロペラが回っていた。

 その羽の隙間に棒を入れ、プロペラの回転に合わせて進まなくてはいけない。

 それだけでも厄介だが、ここでは床が上下運動を繰り返して、チャレンジャーをさらに苦しめる。

 ゲスト・チャレンジャーの胸を揺れらすためだけに、設けられた仕掛けだった。そのために、何人の挑戦者がここで息絶えたことか。

 女はプロペラの入り口で固まり、ただ揺すられていた。

「メンデスちゃん! あと十秒以内に前半をクリアできないと、失格だよ!」

「えー! もう、ムリムリムリッ!」

 そう叫びながら、女は勢い任せに棒を動かす。

 次の瞬間、プロペラと棒が接触し、バチンッと爆発音が響いた。

 目の前で火花が飛び散り、驚いた女は尻餅をついた。

──おっと、ここでメンデスちゃん失格です! 昨年のゲストはキリチャン・プロペラの途中で失敗しましたが、今回はその入り口でつまずいたー!──

「もー、めちゃくちゃビックリしたぁ!」

 女がめそめそしながら、司会の二人のもとへ戻った。

「なんかヒリヒリするんですけど、やけどしてないですか?」ゴーグルを外し、顔を二人に向ける。

「うーん、どれどれ」そう言いながら二人は、顔ではなく胸を凝視した。

「ちょっと、どこ見てるんですか!」

 そこからの会話は、緊張のせいで耳が受けつけなかった。

 茶番は終わった。俺達の番がくる。

 トラックが動き出した。

 動悸が激しくなる。怖いのかどうなのか、自分でもわからない。

 周りの囚人たちも同じだろう。全員お面のように顔が固まっていた。

 車が止まった。アナウンサーの声が、はっきりと聞こえた。

──皆さん、ご注目ください。チャレンジャー、入場!──

 コンテナの側面が、上側に開いた。あまりの眩しさに、思わず目をつむる。

 明るさに慣れてくると、ステージと客席から注がれる無数の視線を浴びた。あまりにも冷たい視線だ。さっきまでとは打って変わり、気味の悪いほど静かだった。

「出ろ」看守の一声で、俺達は腰を上げ、トラックから順番に降りていった。

 ジャランジャランと、足につながれた鎖と鉄球が音を立てた。

 黒い上下の囚人服に身を包んだ集団が、とぼとぼと進んでいく。

 でかい銃を持ったゴリラのような男達が、列に沿って等間隔に並んでいた。

 突然、俺の前を歩いていた老人の白髪頭に何かが飛んできた。

 俺の足下に、それは落ちた。紙コップだ。中に黄色い液体が入っていて、ツーンとした刺激臭が鼻をつく。

 小便だった。

「さっさと歩け! のろま!」この一言を合図に、客席から罵詈雑言が飛び交い、いろいろなものが投げつけられた。

 ステージに着く頃には、俺は卵やジュースでべとべとになっていた。

 まるで蟻の列でも眺めているかのように、無表情で俺達の行進を見ていた司会が口を開く。

「今年も変わらず、臭いですねぇ」

「この臭いを嗅ぐと、ビリビリ棒って感じがしますね」

「やっぱり今年も消臭しないとダメですね」

「それではチャレンジャーの皆さん、服を脱いでください」

 俺達は黙って従った。下着は着ていなかったので、服を脱ぐと性器が丸出しになった。

 ただ一人、四十くらいの婦人が頑に動こうとしなかった。

 彼女の前に立った看守が、ただ一言「脱げ」という。それでも、婦人は固まっていた。

 看守が手を挙げて合図をすると、屈強な男達が数人よってたかって、無理矢理彼女の服をつかんだ。

 「やめて! お願い!」

 抵抗空しく、服が引き裂かれていく。婦人の裸体がカメラの前に晒された。

 そこにホースを抱えたスタッフがやってきて、俺達に水流を浴びせた。まるで滝行だ。

 おそらく一分くらいは続いただろう。放水が終わると、すっかり体が凍えていた。屈辱を受けた婦人も含め、数人のすすり泣きが聞こえた。

「今年はいつも以上に、たっぷり大放水でサービスしましたよ!」

「今回のチャレンジャーは全部で十八人。メンデスちゃん、どうですか? 今年のチャレンジャーを見た感想は?」

「えーと……。あっ、あのおじさん、包茎!」

「いや、そういう感想じゃないよ!」

「やっぱりメンデスちゃんは、目の付け所が違うねぇ」

「エヘヘヘヘ」

「では泥門さん、進行よろしく!」

──ここに集いし十八人のチャレンジャーは、いずれも半社会的な重罪を犯した者たちです。全員が極刑を言い渡されていますが、この国の寛大な指導者たちは、彼らにチャンスを与えました。悪の機械王からの挑戦状、ビリビリ棒です。この究極の試練をクリアし、ビリビリーナの魔の手から人類を救うことができれば、死刑を免れ、一から人生をやり直すことが許されます。それだけではありません。何と寛大なことか、人生のリスタート応援資金として、一億円が贈呈されるのです!──

 割れんばかりの拍手が起きた。

「今宵最初の挑戦者は……」

 アナウンサーの手が、会場の視線をステージの後方にある巨大なモニターへと誘う。

 ドラムロールが鳴り響くと、モニターに次々と十八人の顔写真が、高速で映し出された。

 そして、ドン!という一音に合わせ、眼鏡をかけた髭面の男の顔で止まった。

「ホ四二〇一番、前へ!」

 看守が叫んだ。端の方にいた男が、一歩踏み出した。齢は五十くらいだろうか。

 彼が看守に連れられて進む間、アナウンサーが罪状を伝えた。

──ホ四二〇一番。この男は、インターネット上に「正しい歴史ブログ」なる裏サイトを開設し、偽史を流布したことによる国家侮辱罪で、二年前に逮捕されました。かつて我が国が隣国を侵略した。虐殺をした。戦争でアメリカに敗北した。そんな戯言を垂れ流し、世間に誤った歴史観を植え付けようとしたのです。姑息な手段で数年間逃げ回っていましたが、正義の警察の追求から逃れることはできませんでした──

 スタート地点に立ったホ四二〇一番の両手に、ベルトで棒が固定された。コースに触れた時、棒が手から離れることを許さないためだ。

 さらに、両足には銅板を下駄のようにして履かせる。これで、両手と両足がそれぞれ電極となる。

「チャレンジャー、何か言いたいことは?」キリムラが聞いた。

「……ありません」

「何だよ、遺言になるかもしれないのに」アンバラが呆れた表情を浮かべる。

「それでは始めましょう。一人目のチャレンジャー、レディ……ゴー!」

 タン、タン、タン、ターン。スタートを告げる電子音が流れた。

 彼はまぶたを閉じ、一度だけ大きく息を吸うと、棒をコースに入れた。落ち着いた動きで、Uの字のカーブを難なく抜けていく。

 そのままためらうことなく、プロペラのゾーンへ飛び込んでいった。

──出だしは順調。キリチャン・バレーはスムーズに攻略しましたが、続くキリチャン・プロペラはどうか!?──

 床の振動に耐えつつ、プロペラの回転に合わせて、慎重に棒を動かす。

──おっと、ここは際どいが、どうだ……抜けた。抜けました!──

 プロペラを過ぎると、コースは頭上へと伸びていく。ここからは、棒を上に突き上げる形で、進まなくてはいけない。

 つまり、顔は上を向くことになるわけだが、ここの床にも厄介な仕掛けが施してある。

 そこかしこが凸凹で、つまずきやすくなっていた。

 ホ四二〇一番の表情が、明らかに険しくなった。無理もない。慎重に進まなくては足を取られて、お陀仏だろう。一方で、残り時間は限られている。

 挑戦者の七割は、ここまでに死んだ。

 ホ四二〇一番も例外ではなかった。

 焦って窪みに右足を引っかけ、バランスを崩した彼の棒が、コースに触れた。

 その瞬間、棒とコースの間に強力な磁気が発生し、人力では引き離すのが不可能になる。 高圧電流のショックで失神したホ四二〇一番は、だらんとコースにぶら下がる形となった。

 その身体は、壊れた電動おもちゃのように、小刻みに震えている。白目を剥いていた。

 舌が垂れ下がり、やがて皮膚から煙が上がり始めた。水分が蒸発しているのだ。

 両腕の皮がただれていく。肉の焼ける臭いが、漂ってきた。

 そこら中の皮膚がめくれたり、膨れたりしている。グリルに放り込まれた魚みたいに。

 放電が数分も続くと、ホ四二〇一番の身体は発火し、火だるまとなった。

 その瞬間、観客が快哉を叫んだ。花火を見ているかのようだった。

──ご覧ください! ビリビリーナの業火に、また一人飲み込まれていく!──

 裸の人間が焼け焦げていく姿は、大晦日の風物詩ではあるが、生で見るショックは大きい。俺達の場合は、自分もああなるのだという恐怖も、そこに上乗せされる。

 包茎の男が、こらえきれず吐いていた。

 ビリビリ棒の電力が落とされ、焼き過ぎたベーコンの塊のような、人の形をした物体がドサッと落ちた。棒が回収され、死骸はコースの横に設置されている、巨大な透明の筒の中に放り捨てられた。

 その間、司会とゲストたちはホ四二〇一番の死に様について、感想を述べ合っていた。

「それでは、次のチャレンジャーを紹介しましょう」

 アナウンサーのかけ声で、再びドラムロールが鳴り響いた。今度は、老人だった。俺の隣にいる男だ。

──ヘ〇〇三四番。半年前、公共衛生法に違反し、収監されました。住居を持たず、職もなく、頼れる家族もいないこの男は、昼間は子連れで賑わう森林公園で寝泊まりしていたのです。逮捕時、彼は枯れ葉をかぶって、警察の目をごまかそうとしていました。その時の写真がこちら──

 モニターには、大量の落ち葉が映っている。よく見ると、足が飛び出ていた。怪我をしていたのか、包帯でグルグル巻きになっている。

「頭隠して尻隠さず、ならぬ、足隠さず、ってか!」

 観客が爆笑する中、老人は片足を引きずりながら、死地へと向かっていく。

「さあチャレンジャー。言いたいことはありますか?」

 彼の口がわずかに動いている。ぶつぶつと独り言ちていた。

「えっ、何です?」

 アナウンサーが、自身のマイクを老人の口元へ近づけた。

「折れていた。折れていたんだ。だから動かせなかった。折れてさえいなければ……」

「……だそうです」またも観客の爆笑。

「今も足が不自由な二人目のチャレンジャー。はたしてクリアできるでしょうか。レディ……ゴー!」

 老人はゆっくりと進み始め、すぐに止まった。Uの字に入る前の、急降下する途中だった。

──おっと、いきなりストップ! どうした? 何があった?──

 彼は一生懸命、棒を下げようとしているように見える。しかし、プルプルと体が震えるだけで、一向に進まない。

 俺の後ろにいた囚人がボソッとつぶやいた。「腰が曲げられないんだ」。そうだ、彼はあれ以上前屈みになることができない。これ以上進むことは、不可能だった。

──おやおや、どうした。キリチャン・バレーに差し掛かる直前で、完全に止まってしまった……。あっ、泣いています!  ヘ〇〇三四番が滂沱の涙を流している! そんな場合ではないのに!──

 彼が何に泣いているのかはわからない。何もできないことへの不甲斐なさなのか、これほど惨めな思いの中死んでいくことへの悔しさなのか……。

 みんな、腹を抱えて笑っていた。

──タイムリミットが迫っています。五、四、三、二、一──

 制限時間が過ぎると、磁力が発生し、強制的に棒がコースへ吸い寄せられる。

 しばらくしてヘ〇〇三四番も丸焦げとなり、ホ四二〇一番と同じ筒へと捨てられた。

 そうして、筒の中の黒い塊は増えていった。一人、また一人と、朽ちていく。

 俺の番が近づいてきた。


「さあ、早くも十人目のチャレンジャーですよ、アンバラさん」

「あっという間だね。しかし、一人もキリチャンコースをクリアできていないなんて、情けない」

「ただね、次は期待できますよ」

 若く、利発そうな長身の男が、スタート地点に立っていた。囚人番号、ト〇〇一一番。

「彼はですね、何と、ビリビリ棒に挑むため、わざと逮捕されたそうです」

「えっ、嘘? 初めてのパターンじゃないですか」

 会場がざわついた。

「チャレンジャー、今の気持ちは?」

  ト〇〇一一番が、鋭い眼光を司会に向けた。

「賞金は必ずもらう」

 キリムラがヒューと口笛を鳴らした。

「随分いきがってますね。それではお手並み拝見といきましょう」

 ト〇〇一一番のチャレンジが始まった。

──さあ、大口を叩いていましたが、はたしてその実力は……。おーっと、早い! 早いぞ! たった五秒でキリチャン・バレーを突破! そのままスムーズに、プロペラ・ゾーンも抜けていく。これは凄い。これほどの実力者は、かつてお目にかかったことがない! いま、頭上のコースも首尾よく進んで……。クリアー! 本日初めて、キリチャンコースを制しました!──

「何だよ、こいつ! ずるいぞ!」

「こんなに凄いなんて聞いてないぞ!」

 司会の二人が文句を垂れる中、ト〇〇一一番は歯牙にもかけず、後半のコースへ突き進む。

 この男は、自作したビリビリ棒の模擬コースで毎日鍛錬を積んできた。金が必要だったからだ。すべてはこの日のために、投獄生活も耐え忍んできた。

 子どもの治療費を手に入れるため……。

──三十五秒を残して、ト〇〇一一番がアンチャンコースに入りました。最初の関門は、お馴染みのギャグから生まれたアンバラバンバンバン・ゾーン。アンチャン・ロボの土下座攻撃が、チャレンジャーの行く手を阻みます。さあ、ここをどう攻略するか……。何と! 驚きです。三台のアンチャン・ロボを、止まることなく一気にかわしました! 凄い、凄過ぎる!──

 泥門アナウンサーがこれほど興奮するのは、初めてのことだった。

 彼の恍惚の表情とは裏腹に、司会の二人は悔しさを滲ませている。

──残るトラップは二つ。一つ目は、アンチャン迷宮だ!──

 その名の通り、コースが脳みそのシワのような迷路になっている。もちろん、コースは毎年刷新されるため、昨年の正解を覚えていても無意味だ。

 ト〇〇一一番は、ここで初めて止まった。

──黙ってコースを見つめています。まず迷路を解いてから進む算段なのでしょう──

 五秒か六秒ほど沈黙した後、彼は堰を切ったように進み始めた。全く迷いがなく、無駄がない。正解のコースを完全に見極めている。

──この男は、何者か?! ビリビリ棒を制覇するために遣わされた人間なのか!? とうとうたどり着きました、最後のトラップ。アンチャン・フリーダム! ランダムにコースが動く最大の難所を、この男はくぐり抜けることができるのか──

 複数に分解されたコースが、回転したり、上下に移動したりを繰り返している。その動きに、規則性はない。コースとコースがつながった瞬間、次に進めばよいが、選んだコースが悪ければゴールから遠ざかる場合もある。

 技術だけでなく、運も試されていた。

──いま、アンチャン・フリーダムに入りました。残り時間は十三秒。ミスがなければ、十分クリア可能な時間です。ゴールへの道筋を考えながら、慎重に進んでいるようです──

 いまや、あれほど罵声を轟かせていた誰もが黙り、彼の美しいまでの快進撃に見とれていた。

──おっと、ここで痛恨の選択ミス! ゴールから離れて上昇していくコースに乗ってしまった。残りは五秒。とうとう、神に見放されてしまったのか!?──

 ト〇〇一一番の顔には、いつの間にか大粒の汗が噴き出ていた。焦りも見て取れる。

 しかし、判断を誤りはしなかった。

 彼は最後のチャンスを見逃さなかった。

 三つのコースが連結するほんのわずかな瞬間。彼の操る棒が、全くぶれのない美しい直線を描いて、一息でコースを貫いた。

 たどり着いたのは、ゴールの目前で回転をしているコース。これがゴールと結びついた時、彼の挑戦は終わった。

──神! まさに神業! 信じられません。史上初めて、アンチャン・コースをクリアしました!──

 極度の緊張から解放され、ト〇〇一一番は膝から崩れ落ちた。「やった。俺はやったぞ。やったんだ」そう呟きながら。

 パチ……パチ……パチ。

 司会の二人が、ゆっくり、ゆっくりと拍手を始めた。テンポが段々と早くなり、ゲストや観客もそれに続いた。

 手と手の大合唱が、武士道館を包み込む。

「すばらしい。すばらしかった」

「今の感想は?」

 ト〇〇一一番は挑戦前の同じように、司会を睨みつけた。

「早く賞金をよこせ。下衆ども」

 返事をする代わりに、二人は嫌らしい笑みを返した。

「何だ。早くよこせ」

「あなたは勘違いをしている。目に見えているものだけを、信じすぎるんだ」

「何を言っているんだ」思わずト〇〇一一番は立ち上がった。

「ここに出ているコースで終わりだと、誰が言ったのかな?」

 キリムラがそう言い放った直後、ト〇〇一一番の背後の床から、何かが迫り上ってきた。

 彼はただ、それを呆然と見つめていた。

──我々が未だかつて目にしたことのない、究極のビリビリ棒。鋼鉄の悪魔が、いま、姿を現しました──

 何の変哲もない、直線のコースだった。長さは三メートルほど。今までと違い、ギミックはない。

 しかし、ただ一点において、それは大きく異なっていた。幅がたった数センチしかないのだ。棒の直径よりもわずか数ミリ余裕がある程度。

 不可能という言葉を可視化したようなコースだった。

──このシークレット・ゾーンを、五秒以内にクリアすれば、チャレンジャーは賞金を──

「ふざけるな!」アナウンサーが言い終わるのを待たず、ト〇〇一一番が叫んだ。

「こんなもの、人間がクリアできるわけない! お前ら、はなから俺達を生かすつもりなんてないじゃないか!」

「おいおい、最初から諦めたてどうするんだよ」

「諦めたら、そこで試合終了ですよ」

「アンバラさん。そんな古いネタ、誰にも通じないよ」

「失礼、失礼。アンバラ、バン、バン、バンッ!」

 額を打ち付けるアンバラ。

 こいつらは、どこまでふざけているんだろう。へト〇〇一一番は、これ以上こみ上げるものを抑えることができなかった。

「殺してやる」

 土下座をするアンバラに向かって駆け出す。

 アンバラは、構わず額をぶつけ続けている。

 へト〇〇一一番が、棒を振り上げる。

 脳天めがけて殴り掛かろうとする矢先、鋭い銃声が響いた。

 キリムラの放った銃弾がト〇〇一一番の左眼に入り込み、そのまま脳を蹴散らし、後頭部から出ていった。彼の顔は半分ほど、床へ散らばった。

「キリムラー! またもや、ありがとー! 今度こそ死ぬとこだったよー」

 アハハハ。みんな愉快に笑っている。

 温かい微笑みに包まれながら、脳髄を剥き出しにしたト〇〇一一番が筒へと放り投げられた。


 十三人目。ト〇七〇六番。

 ようやく俺の番が回ってきた。

──この男は、残酷非情な凶悪犯。警察署に爆弾を仕掛け、数十人に及ぶ同志の命を奪った外道中の外道です。これほどの罪を犯しておきながら、更正のチャンスを与えるとは、我が国の指導者達は何と慈悲深いのでしょうか!──

 会場に押し寄せた警察官の遺族が、ありとあらゆる憎しみの言葉をぶつけてきた。

「チャレンジャー、聞こえますか? あの悲しみと怒りの声が」

 黙ってうなずく。

「遺族に対して、言うべきことがあるんじゃないですか? どうなんですか?」

 この質問に答える気はなかった。その代わり、俺の尋ねたいことを聞いた。

「四年前、ビリビリ棒に挑み、ここで死んだ混血の男のことを覚えているか?」

 司会の二人は互いの顔を見て、かぶりを振る。

「そんな昔のことは、覚えていないね」

「囚人番号、ロ九三五〇。外国人の血が流れているというだけで、ここに連れてこられ、死んだ男だ。そこのお前は、ロ九三五〇 番の頭をさっきみたいに、銃で吹き飛ばしたんだ」俺はキリムラを指差した。

「すまない。撃ち殺した男の顔は覚えられないんだ。粉々になってしまったからね」

 みんな笑っている。みんなが。

「ロ九三五〇 番は、警察署でリンチを受け、心が壊れた。生ける屍となった。ゲームなんてできる状態じゃなかった。それなのに、勝手に参加させられ、何をしたら良いかわからず呆然としていた男を、お前が撃ち殺したんだ」

「だから、覚えていないと言っている。早く始めないと、お前の頭も消し飛ぶぞ」

 キリムラが銃口を俺に向けた。

「良いだろう。始めてやる。一言だけ。その男は、親友だった」

 タン、タン、タン、ターン。

 俺のゲームが始まった。

 それは同時に、終わりでもあった。

 俺は棒をコースに叩きつけた。

 体内に流れた電流が引き金となり、刑務所に入る前から体内に忍ばせていた爆弾が破裂した。

 無論、そこから先のことは知る由もない。

 だが、忌まわしいビリビリ棒と、ステージにいた馬鹿たちは跡形もないはずだ。 

 願わくば、一人でも多くの観客が巻き込まれていると良いのだが。

 残念ながら、それを確かめる術はない。

 まあいい。

 一矢を報いるとは、俺のために作られた言葉なんだ。


(終)

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