M・O・E JENESIS

深田くれと

第1話 過去を知る手がかり

 男は手を打ち鳴らし、アンドロイドを起動させた。

 彼女の名は『AZ7』。心血を注いで作り上げた最高傑作だ。次のコンクールでは確実に賞を得られるはず。

 時間をかけた、深い海のような透き通った紺碧の瞳の出来栄えを見て、製作者として満足気に胸を張った。


「本日は2198年5月3日でございます。何なりとご命令を」


 起動シークエンスは順調だ。

 一度目、二度目のテストも無事終えている。

 三度目は運良くアンダーグラウンドで手に入れた『平成を代表する仮想人格』というプログラムを試すつもりだ。

 アンドロイド職人として人格の多様性は必須だ。貴重な資料に違いなかった。

 

「プログラムは認識したか? 何パターンの人格がある?」

「戴いたプログラム『MOE』には17パターンの人格がございます」

「そうか。ならランダムに一つずつ実行してみろ」

「承知いたしました」


 AZ7の鉄面皮がにこやかに彩られた。溢れんばかりの母性を感じさせる笑顔で男に近づくと、優しく両手を回して抱きしめる。


「お姉ちゃんは絶対にどこにもいかないから。だってお姉ちゃんが一番大好きなのは…………以上でございます。なお、結論に至るまでのプログラムが多すぎるため、大部分をスキップいたしました」

「姉が弟を溺愛している……といった内容か?」

「スキップしたため不明ですが、タイトルは『あねラブッ!』となっております」

「まあ、姉弟で、というのは禁忌だったらしいからな。妄想のはけ口としてはあり得るな。よし、次は?」


 男の冷めた声に「少々お待ちください」と言ったAZ7の表情が変わる。

 眉根を寄せ、腕組みをして見下ろす態度を取り、強い口調で言った。


「別にあんたの為に作ったんじゃないんだからね!」

「……なんだそれは? 突き出した手に意味があるのか?」

「こちらも大部分はスキップいたしましたが、本来はチョコレートという食べ物を手に持つようです。なお、タイトルは『ツンデレ幼馴染』となっております」

「渡すつもりはない……空腹にあえぐ者に食べ物を見せびらかしたいだけか? いや、それとも金銭を要求する駆け引きか……昔はこんなやつがうようよしていたとは。難しい世界だったのだろうな」

 

 男は思案気に首をひねった。

「時代が違いすぎて参考になるか怪しいな」と机上に乱雑に積んでいた資料の中から非常に古い書物を取り出してページをめくった。

 その拍子に、集めた様々な資料やペンが床に散乱したが、男は目も向けない。


「まあ、もう少し様子を見てからにするか。AZ7、次を」

「承知いたしました」

 

 AZ7はゆっくりと頷くと、端整な体を動かして床に寝転がった。そのまま後ろ手に組み、横向きになると、顔を歪めて悔し気に言う。


「くっ、殺せ! 我が執念の炎はどのような辱めであっても消せんぞ!」

「……何がしたいのかさっぱりわからん」


 男の呆れた顔を見て、AZ7が衣装の埃を軽く叩いて立ち上がった。


「タイトルは?」

「『くっころ』だそうです」

「ますますわからん。そもそもそれは人格か? 日常生活中に突然今の行動を取る人間が多数いたのか?」

「プログラムと共に戴いた資料によれば――」


 AZ7の視点が虚ろになり、数秒無言の時間が続いた。


「姫騎士が敵対関係にあるオークに捕縛されたところで『くっ、殺せ!』と怒気を露わにするそうです。資料を1000回ほど確認しましたので間違いないかと。なおオークというのは邪悪の手先であり、人間に似た生き物のようです」

「それは性格ではなく、場面のシミュレーションだ。史実には残っていないが、昔はオークと呼ばれた人種もいたのか……姫騎士などいたのか? うーむ、まったくよくわからん世界だ」


 男は困り顔を浮かべたまま室内をぐるりと一周する。

「これは導入するのは危険か」とつぶやきながら、机の資料を見つめる。


「フェイクプログラムの可能性もある。いくら貴重でも、こんな変な性格を商品に載せるわけにはいかん。とても受け入れられるとは思えん。だが、せっかく手に入れたものだしな……」


 男はそう言うと、AZ7に視線を向けた。


「次で最後にするが、先にタイトルを聞かせてくれ」

「はい……選ばれたのは『愛されてヤンデレ』です」

「聞いても謎が深まるだけだな。まあいい、始めてくれ」


 うんざりした表情の男のそばで、AZ7がわずかに身じろぎをして停止した。

 そして、平坦な声で質問する。

 

「性格の振れ幅が選べるようですが、弱、中、強のいずれになさいますか?」

「振れ幅? ……じゃあ、とりあえず強にしてくれ。違いがはっきり出るってことだろ」

「承知いたしました」


 男はAZ7の変化を見逃さないようじっと見つめる。

 しかし、表情も変わらず、奇怪な行動を取ることもない。

 首をわずかにひねって言った。


「もう実行中か?」

「はい……」

「特に変わった変化はないな。未完成のプログラムだったのか。まったく……時間の無駄だった。やはり旧時代のプログラムなど信用がおけんな」


 そう疲れた顔で言った男は「部屋を片づけてくれ」と指示を出す。

 AZ7が無言で床に落ちた写真を手に取り――動きが止まる。


「ご主人様、この女性の写真は何でしょうか?」

「……ん? 理想の女性を作るための資料に決まってるだろ」

「こんなにたくさん見ておられるのですね。理想の女……私はそうではないのでしょうか?」

「お前でようやく90%といったところだ。っと、何の話しだ?」


 AZ7がゆっくりと立ち上がり、足音を消して男の背後に寄った。手には鋭利に尖った銀色のペンが鈍く輝いている。

 そして――


「これだからデータじゃない紙の時代は面倒なんだ」と愚痴をこぼしながら書類を片づける男の背中に向けて、ペン先を素早く振り下ろした。

 瞳には狂気が宿り、壊れたように笑っている。


「私以外を見るなんて許せないっ!」と何度も叫びながら、繰り返し背中にペンを突き立てた。


 しかし――


「ったく、写真を見ただけで怒り狂う人格なんて恐ろしくて使えるか。人間とはこんなに野蛮な生き物なのか。絶滅して当然だな」


 男が手を二度打ち鳴らすと、狂ったように動いていたAZ7が突如停止した。片手にペンを握ったまま、今にも襲い掛からんとする姿勢で固まっている。


「ペンのような柔らかい素材だったから良いものの……」


 男は呆れ声でつぶやき、白衣を脱いだ。数か所に穴が空いていた。

 だが、光沢のある背中には傷一つない。


「人格を変えられる『カレイドスコープシステム』搭載の旧時代アンドロイドは金にはなるが、セーフティについては要研究だな。顧客が間違っておかしなプログラムを取り込むことも考えねば」


 完全自立人型アンドロイド――人類絶滅後に世界を席巻した新世代アンドロイドの男は、鈍い色の瞳を抜き取ると、真っ黒な箱型の読み取り装置にセットしてため息をついた。


「しかし、一体どんな時代だったんだ……まともな人間は一人もいなかったのか。似たような性格が残り13パターンもあるというのに」


 男はぶるりと背筋を震わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

M・O・E JENESIS 深田くれと @fukadaKU

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ