後編 なんとか分かり合えないでしょうか
早く帰りたい日に限って、定時では帰れない。パソコンを閉じようと思った瞬間、重要メールを受信したことが運の尽きだった。
静香に帰りが遅れることをチャットで伝え、緊急クエストに集中した。ご機嫌斜めの彼女が既読をつける保障はない。スマホを見ることが恐くて、確認できたのは最寄り駅を下りた後だった。
――二つ前の駅で連絡して。鍋に具材を入れるから。
時計は二十一時を回っている。先に食べておくよう話すべきだったかもしれない。
ケーキ屋はもう閉まっているしなぁ。機嫌を直さないといけないのに、新たな地雷を踏んでしまった気がする。
悪あがきをしても意味がないのは分かっている。俺は、できるだけ遅く歩いて帰宅した。
「た、ただいま。静香」
「やーーーーーっとドロップしたああああああ!」
俺は仕事で疲れているようだ。静香はおかえりなさいと言ったはずなのに、おっさんの怒号を彷彿させる声が聞こえた。恐る恐るリビングのドアを開ける。
スマホを片手で持ちながら、ピースサインをする静香の姿があった。
「駅から走ってきたの? オーちゃんとの幸せタイムがもう終わるなんて」
「……すみませんでした」
伝達不足の後悔と、見てはいけない現場に居合わせた恥ずかしさで胸がいっぱいになる。あと、明らかに肩を落とさないでくれ。俺の嫁に負けたという謎の敗北感は、どこで発散すればいい?
救いの声は、静香のスマホから届いた。
『ご主人様、戦闘で疲れていませんか。ご所望とあらば膝枕しますけど。あぁ、私なんかでは駄目ですよね』
そんなことはない。
俺と静香の声がハモる。
「「あなただから頼みたいの! お願いだから俯かないで。罪悪感で心臓が止まるから」」
鏡を見ているようなシンクロに、感動を通り越して寒気を覚える。
「とりあえずご飯にします……か?」
「そうね」
鍋を囲めば、万事解決するはず。俺は、静香の好きな具を皿によそった。
「どーも。はぁ。こんな醜態を晒したくないからゲーム時間をずらしていたのに」
「俺はいつも、静香が料理作る間にゲームしてたよ」
「同じ空間で、だらしない声を聞かせたくないの」
さっきの声で耐性がついたとは、口が裂けても言えなかった。仕返しとして、俺の検索履歴を読み上げられたくない。「オルガンディ 女神」「オルガンディ 新グッズ 受注生産」「公式さん、もっと活躍の場をください」などなど、思い出せるだけでも熱量が高い。同担拒否には刺激が強いかもしれない。
返事に困った俺は、さっき流れたボイスを思い出す。
「後で膝枕するか? 俺のでよければ」
「いい訳ないでしょ。オーちゃんの柔らかそうな膝が再現できるとでも?」
「すいませんね! 野郎の引き締まった膝で」
仮にも彼氏の膝だぞ。ゴミを見るような目で見ないでくれ。
「どうしても一緒にゲームしたいって言うなら、これだけは約束して。オーちゃんの名前を連呼したり、私の方が可愛いって言ったりしないって」
「……善処します」
どちらも守れそうにないが。ゲームをする静香の顔は見てみたい。
「もしかして、同じ服が似合いそうとかも禁句か?」
「当たり前でしょ。オーちゃんの着こなしは世界で一番なんだから」
二次元ならな。だが、静香の着こなしには負ける。
「なのに、陽一は!」
唐突に火の粉がかかる。
「どうして、こっちの着せ替えを買っていないのよ!」
「ん?」
静香はスマホを見せた。
ホーム画面にはシェイカーを振るオルガンディ。バニーガールの後ろ姿が目に毒で、俺が購入しなかった唯一の着せ替えだ。肌に密着したタイトスカートによって、コメント欄はピンク色に染まった。そんな衣装を、嫁に着させる気はない。
「俺のオルガンディが、ヒップを強調させるポーズなんてする訳ないだろ」
「偏見ね。ほかの子に埋もれないように頑張る姿が可愛いのに」
オルガンディの友達目線なんだな、静香は。
シメのうどんを入れながら熱弁された。
「うなじまで赤くなっているくせに、ピチピチのタイトスカートを履くなんて。いつかショートパンツも実装されるって、期待してもいいよね。その前に、今年こそクリスマスイベでサンタ衣装を拝ませてくれないかしら。でも、トナカイとかリボンを巻き付けただけの着せ替えは許せない。王道こそ崇拝できる」
彼女は予想以上にガチ恋でした。
ただ、失言しないうちに地雷を教えてくれたおかげで、首の皮は一枚だけ繋がった。
静香さま、二次元だけでも願望を許してくれませんか。きみに寒そうな格好をさせない代わりに。心の中で溜息をつきながら平生を装う。
「そういえば、俺が帰ってきたときにドロップしたって言ってたよな。何の素材だったんだ?」
「知らない」
そっけない返事に、菜箸で取ろうとした麺がすり抜ける。また失言したっけ。
会話の内容を思い出しているうちに、今日がメンテ日だと気付く。青い鳥のアイコンをタップして、公式ページを開いた。改修内容が明記されているはずだ。
「うおっ! こ、これは……!」
新キャラは、幼少期とおぼしきオルガンディだった。治癒魔法がうまく発動しないことを嘆き、頬に両手を当てている。銀髪は肩にかかる長さで、幼さが強調されていた。
入手方法はガチャなのだろうか。天井まで回す資金はあるぞ。わくわくしながら文章を読んでいくと、俺の表情は曇る。
「最新ストーリーの上級のみドロップだと?」
「そうよ。ひょっとして陽一はストーリーを放置していたの? ちっちゃいオーちゃんを入手するまで、果てしない道のりになるかもね」
静香は袖で口元を隠した。ずっと入手しなければいいのにと願っているようだ。
「ゲーマーの意地を舐めるなよ。徹夜で追い付いてやる」
「言っとくけど、脳死周回しないと出ないから。排出率、いつも以上にえぐいからね。私よりも早くお迎えできたら刺す」
「上等だ。そんな脅しに屈するほど、俺の愛は薄っぺらくない」
売り文句に買い文句だった。俺は二時まで粘ったものの、睡魔には勝てずに寝落ちした。最後に見た視界の端には、金色の光が見えた。
それが新キャラ獲得時の演出だと分かったのは、静香に叩き起こされたときだった。
「三時間で出すとか信じられない。私だってリリースからプレイしているのに!」
「悪いな。一発で出して」
襟元を掴む静香の力が強くなった。
出るまで周回を続けた静香の方が、よほど愛情が深いと思うぞ。彼女の頭を撫でながら、心の中で呟いた。
「陽一に負けるの悔しい。充電五パーセントになるまで消耗して」
「マジか! 夕方まで保たないじゃん!」
会社に着いた後で電源が切れそうだ。俺は静香に頭を下げる。
「モバイルバッテリー、貸していただけないでしょうか?」
「推し変してくれる?」
「しねーよ! 絶対にな!」
静香は鞄を持ち、ひらひらと手を振った。
「芳貴くんに貸してもらえるよう、伝えといてあげるから。用意した朝ご飯、さっさと食べた方がいいよ」
絶対に逃してはいけない電車の発車時刻まで、三十分を切っていた。
「静香、先に行きやがって」
急ピッチで出かける支度をすませると、サンドウィッチをラップで包む。これは電車の待ち時間で食べるしかない。
空きっ腹での全力疾走。二十代を過ぎた脇腹が悲鳴を上げる。まったく、うちの同担拒否め。
「オルガンディの結婚衣装と同じドレスを着せてやるからな! 覚えとけよ」
「ふえっ?」
踏切で待っていた静香が、勢いよく顔を上げる。
「おっ、同じドレスなんて恐れ多くて着られないよ」
嘘つけ。思いっきり目が泳いでいるぞ。
「行くぞ。嫁さん」
握り返された手は温かい。結婚指輪をはめたときに触れた、オルガンディの手よりも愛おしかった。
同担拒否の彼女と俺の嫁が被ってしまった 羽間慧 @hazamakei
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