隠れて付き合っている完璧な天使様が、実は『経験済み』だなんてきっと誰も思わない。

もろ平野

100点と『わるいこと』

「わるいこと、しよ?」


俺の体に手を回してそう言った彼女の顔は、ひどく赤い。


「んっ……ふっ……」


か細い、抑えた声が真下の細い体から上がって、そして—。






「今日も柊さんは可愛いよなぁ……」


「な、ホント天使だわ。お前もそう思うだろ、知佐?」


秋の深まる10月の昼休みの学食、目の前に座る友人二人—木崎と白峰という—に、俺こと時任知佐はそう問いかけられる。問いかけられたのは、「柊さん」……とある『天使様』と呼ばれる女子生徒について。


ずぞぞ、とラーメンをすすってから答える。


「んー、言っても普通の子なんじゃない? 清楚で可愛いけどね、確かに」


すると目の前の二人が声を揃えて、


「かぁー、分かってねえなー! これだから童貞はよ」


などと頭を振ってきたので、


「お前らも童貞だった気がするんだけどな」


と、『嘘』を返した。


嘘、というのは、木崎と白峰が童貞じゃないということではない。嘘の部分はただ一文字、『も』というところ。


つまり、どういうことかというと……俺は、童貞ではないということだ。つい昨日から。


え、なんで嘘ついたん?と思われるかもしれない。その理由は、言ったが最後だからだ。当然付いてくる、「どんな子とヤったん?」という質問に、


使


なんて、誰が言えるというのだろう?「修学旅行、同じ班になりて〜!」と、間近に迫る修学旅行を見据えて叫ぶ友人たちを尻目に、俺は昨日のことを思い出していた。







「知佐くん〜」


「ん?」


「今日はとてもつかれたので、かたをもんでください」


「幼児退行してるぞ。……やっぱり疲れるよなぁ、そりゃ」


「うん、『天使様』は疲れるんだよほんと〜」


昨日の放課後、4—『天使様』こと柊 陽菜の部屋でのこと。「お茶飲んでいかない?」というお誘いにのって、お邪魔したというわけである。


「はいはい、肩ね」


と、制服姿の陽菜の後ろに回る。つややかな髪をポニーテールにして、肩を揉みやすくしてくれたのはいいのだけれど、覗くうなじにドキリとしてしまう。


ん、と違和感。


「もしかして、シャンプー変えた?」


あっ、これキモい質問だったりする?勝手に凹みそう、などと思ったけれど、普通に答えが返ってくる。


「変えましたねぇ〜! よく気付きました、褒めてあげます。……どっちの匂いが好き?」


少し考えて答える。


「んー、今のかな。爽やか」


『天使様』が、学校ではお目にかかれない、緩んだ笑顔で「んふふ、ありがと〜」と答えるのに合わせて、自分のそれより二回りはちいさな肩に手を置く。


「んっ……んぅ……」


微かに色っぽい声をあげて、気持ち良さそうに揉まれる陽菜(意味深)。


しばらくして満足したのか、陽菜の手が肩に乗せた俺の手に重ねられる。くいくい、と引かれる手のままにすると、陽菜が胸の前で腕を抱き合わせてくる。いわゆる、バックハグというやつである。


「……陽菜さん? 恥ずかしいんですけど、この体勢」


「私もだし。……ダメ?」


「……今日は甘えたさんなんだ」


「うるさいぞ男子―」


そのまましばらく、体温がお互いを移動する。爽やかなはずのシャンプーの香りが、甘やかに感じられて仕方がない。暖かさに誘われて、腕の中の少女と付き合うに至った経緯を思い出し始めていた。








「時任くんですね、よろしくお願いします」


2年生に進級し、クラスも新しくなった半年前、4月。運悪く—いや、今思えば運良く、俺は『天使様』と共にクラス委員になった。ちなみに籤引きである。クラスの大半の男子が「天使様と同じクラス……!」とガッツポーズを決めているのを横目に挨拶されたのが、初めて言葉を交わした瞬間だった。


「こちらこそ宜しく、柊さん」


はい、と頷いて笑う顔に、思わず見惚れてしまいそうになる。凄い美人がいるぞ、と噂伝いに知っていてもこれである。なるほどこれは『天使様』なんて大仰なあだ名がつくわけだ……と1人納得する。それくらい目の前の女子生徒は魅力的だった。


それに加えて、


「学年順位、柊さん抜くのを目指してたんだけど結局去年は抜けなかった」


そう、『天使様』は外見だけでなく成績も優秀なのだ。クラスの違った一年時はどちらかと言うとそっちで名前を覚えていたくらい。


「最後の期末テストは危なかったです、それに教科ごとでは勝ったり負けたりでしたから」


と柊さんは笑って答える。はい、確か9教科総合で6点負けました。


「今年こそは勝つよ、一回くらい」


大人げなくなりすぎないようフラットにそう言うと、『天使様』はなぜだか少し驚いた顔をして、


「はいっ」


と笑った。え、なぜ笑う?という疑問が掻き消えるくらいの、花のような笑顔で。





それから委員会の仕事を通して少しずつ話すようになり、「たまに話す人」から「割と話す人」になった。もちろん教室では常に人に囲まれている『天使様』なので、話すと言っても毎日の委員会の仕事の時くらいだけれど。





不意に、腕の中の体重がこちらに寄ってくる。回想から覚まされて陽菜の方に目を向けて見ると、すぅ、すぅと規則正しい寝息を立てて眠っていた。


「今日、すっごいな」


いつもはこれ程分かりやすく甘えてくることがないのだ。疲れたと言っていたけれど、相当だったのだろう。


というか、それにしても、何と言おうか。


「…………きっついわぁ」


腕の中でこうも思い切り眠られるのは、信頼されているのか、それともはたまた。


僅かに開いた桜色の唇がやけに色っぽく見えて、思わず目を逸らしてしまう。何となく自分が『悪いこと』を考えているように思えて、思考を無理やり回想に引き戻した。記憶の中から浮かび上がってきたのは、梅雨の頃のこと。






「柊さん、あと帰ってもらって大丈夫。もう大した量残ってないから」


しとしとと降る雨の音と、シャープペンシルを走らせる音が放課後の教室に響いている。『天使様』と2人きりだけれど、何のことはないいつもの委員会業務だ。


もうすぐ終わるし、と申し出たのだけど、柊さんはやんわりと笑って、


「いえ、申し訳ないですし手伝わせてください」


と言う。うーん、と1つ考えて、反駁する。


「高橋さんたちから勉強会に誘われてなかった?盗み聞きしたみたいで申し訳ないんだけど」


高橋さん、とはクラスメイトの女子生徒だ。柊さんのことが大好きなんだろうな……というのを全身で表しているような人である。


柊さんにもうすぐ終わるものを手伝わせるのも、柊さんを借りっぱなしなのも申し訳ないから、と続ける。


さああ、と静かな雨の音が響いた後、天使様は口を開いた。


「お誘いを頂いたので早く行きたいのも本当ですが、時任さんにお任せするのも悪い気がしますから」


僅かな蒸し暑さが、次に訪れるであろう夏を感じさせている。再び柔らかい雨音と、書類に走らせるシャープペンシルの音が響く。



おお、思ったより早く終わった……と、最後のプリントに記入を終えて、とんとん、とプリントの角を揃える。



「ありがとう、手伝ってもらって助かった」


「いえ、普通のことです」


何のことはない会話を交わした後、もう一度口を開く。


「さっきの今で申し訳ないんだけど、あと10分、時間を貰ってもいいかな」


『天使様』は不思議そうに首を傾げたけれど、頷きを返してくれた。


「はい、構いませんが……」


何をするんですか?という言外の問いには、


「ちょっとした『悪いこと』、かな」


とだけ答えて、教室を出る。廊下に出て外を見ると、雨足は強くなっていた。


歩きながら、1つ質問をしてみる。


「テストで50点の人が10点伸ばすための勉強と、90点の人が100点を取るための勉強、どっちが楽かなぁ」


それほど待たずに、答えは返ってきた。


「90点の人が100点を取る勉強の方が、辛いと思います……?」


何ぞその質問、という表情の『天使様』に同意を返す。


「うん、そう思う。……はい、着いた」


目の前には、やたら種類豊富なことが売りの自動販売機。


「飲み物、ですか?」


そう、飲み物である。もちろん気になるのは、なぜ『天使様』を連れてきたのか、ということだと思うけれど、それは今から。


100円を入れて、缶ジュースを1本、を2回繰り返す。


「はい、これコーラっていう最高に悪い飲み物なんだけど」


ますます分からない、という顔の『天使様』に、言葉を重ねる。


「柊さんは、ずっと全員の100点を取ろうとしてるふうに見える」


取るに足らない、烏滸がましくて罪悪感すら覚えてしまうような、意見の押し付け。ただの知ったかぶりだよ、と続けて、「健康面から考えると100点には程遠い飲み物だけど」と半ば強引にコーラを天使様の手の中に滑り込ませる。炭酸苦手だったらどうしよう。


「全教科100点ってやっぱ、大変だろうからさ。それを目指すことを否定したりはしないけど、…………俺くらいは100点じゃなくてもいいよって、ただそれだけ」


自分でもカッコつけてるわぁ、という自覚があるだけに、どうも顔が熱い。


恐る恐る、というよりは少しだけ勢いをつけて『天使様』の顔を見ると、どんな表情を選んだらいいか分からない、というような顔をしている。間に流れた時間は嫌ではないけれど、なぜだか言葉足らずだった気がして言葉を滑り落とす。


「それ、めちゃ砂糖その他が入りすぎてて体に良くはないけど、良かったら飲んで。……でも美味しいから、『悪い』けど捨てたもんじゃないよ」


ダメだ、何を喋ってもカッコつけてるようにしかならない。こうなったら即時撤退だとっとと帰ろう……と手を挙げかけると、それと同時に『天使様』が声を上げた。


口を開いて、閉じて、もう一度開いて、音が届く。


「時任さんは、すごいです。……言葉にしてくれて、自分でも納得したというか」


それは珍しく、というかその時な初めて見た、言葉にならない言葉を重ねようとする『天使様』などと大げさな名で呼ばれる、1人の女の子の姿だった。


「だから、その、……ありがとう」


柔らかな雨の匂いに乗せて、ありがとう、と言葉を紡いで『天使様』は笑う。蕾が開くように笑ったその時の天使様は、『天使様』なんて言葉では表せないくらい可愛らしくて、今度はこちらが言葉を失ってしまう。


照れ隠しついでに、もう一つ記憶の中にカッコつけてみる。


—その時抱いた気持ちを、人は『恋』と呼ぶのかもしれない。






「……知佐くんってば〜!」


はっとして顔を上げると、陽菜が腕の中から脱出してこちらを睨み上げていた。あっ、俺も寝てたわこれ、と気付く。


「ごめん、起こしてくれてた?」


「3回くらいね」


「かたじけない。しかし陽菜さんも寝てらっしゃっt……」


「それはいいの!」


「さいで」


静かな部屋に心地良い沈黙が流れる。沈黙が苦にならないというのは、普段思っているよりずっと貴重だよなぁ……などと寝ぼけながら考えていると。


「知佐くん、最初の『悪いこと』って覚えてる?」


文脈から察するに、


「コーラ」


「次は?」


「寄り道して買い食い。歩きながら食べましたね」


アイスを2つ。一度も放課後の買い食いをしたことがない、と言う彼女を連れてコンビニに行ったのだ。


「……一番直近の『悪いこと』は?」


「……それ口で言う?」


じーっ、と見つめられて、諦めて口を開く。思い出すだけで恥ずかしいんですが。


「この前放課後の教室で、……キスしたっすね」


新手の羞恥プレイかな?と内心悶えつつ、『天使様』の顔を見上げる。すると、梅雨の自販機に見た、どこか必死な表情で。


「……今日の『悪いこと』は、ないの?」


理由もないけれど息を詰めてしまって、その隙間にさらに言葉が重ねられる。


真っ赤な顔で、泣き出しそうにも見える顔で。


「今日、わたし、頑張って誘った…………だめ?」


「誘った、って」


思わず出た問いに、『天使様』はこくりと頷きを返す。


「『天使様』なら絶対言わないのかもしれない、けど、……私だって、先に進みたいんだよ……?」


瞳は熱っぽく潤んで、目が離せなくなる。


そして『天使様』……陽菜は、もう一言。


「……わるいこと、しよ?」







コトを済ませた後、もとい、『わるいこと』をした後。


「……こういうのって、こっちから言いたかったわぁ……」


今どき時代遅れかもだけど、と言って陽菜の方を見ると、『天使様』は掛け布団に包まって何やら悶えていた。


手早く服を着て、布団の上からポンポン、と頭のあるらしい辺りを撫でる。


撫でてみたはいいものの、何を言えばいいか分からず撫で続けていると、

「んっ……」


と、布団から顔だけを出してきた『天使様』と目が合う。


そのまま撫で続けてみると、気持ちよさそうに目を細めて笑う様子が猫のようで、思わずこちらも笑ってしまう。


ただ、まあ、何と言いますか。


「服着よっか、陽菜さん」


「〜〜〜っ……!!」


『天使様』の脱いだ、もとい脱がせた服がどうにも生々しい、というかリアルで、正直目のやりどころに困ってるんですごめんなさい、と誰とはなしに謝ってみる。


「着替えるから出てってっ」


「はいっ」


数分後。


「……いいよ」


と許可が出たのでドアを開けると、ばすっ、と抱きついてくる。顔を見ようとすると、ぷいっ、と背けてくるので、恥ずかしさは消えていないらしいけれど。


『天使様』の背中に手を回して、ハグを返す。


「わるいこと、しちゃったね」


言葉とは裏腹に、嬉しそうに言う天使様は抑えきれなく弾んだ声で続けて、


「ひとつ、決めたの。……取りたい『100点』が出来たので、明日から見てて」


と言う。何のことか良く分からないけれど、悪いことではなさそうなので、


「うん」


と頷きを返す。


「そろそろ、皆さん帰ってきたりする?」


「……うん、そうかも」


「そっか、じゃあそろそろお暇しようかな」


実はご両親に挨拶させてもらったこともあるのだけど、今日ばかりは流石に気まずすぎる。

『天使様』は顔を肩に埋めたまま頷きながら、


「『わるいこと』、一緒にしてくれてありがとう」


と言う。懐いた猫よろしく顔をくっつけて離さないまま。……こっちの身がもたない、と口の中で呟いてから、耳元に囁きを返す。


「…………あんまり誘われると、抑えられなくなる」


ぼんっ、と音が立ちそうなくらいに『天使様』は顔を真っ赤にしたけれど、一瞬の間の後にカウンターを決めてきた。


「……私は、それでもいいよ」


そこからどうやって帰ったのか、どうにも記憶が薄い。無事に帰ったことは帰ったのだけれど、意識がはっきりしたのは風呂に入ろうと服を脱いだ時にふわりと甘くシャンプーが香った時である。お前バカになってるぞ、という指摘には耳を覆うことにしたい。








「——っくぅー、マジで『天使様』と修学旅行行きてえーっ」


「なあなあ時任、クラス委員の力でなんとかならねえ?」


はっ、と回想から覚めて目の前の友人2人を見る。昼休みの学食はまだまだ喧騒に包まれていて、伸び気味のラーメンを食べ切って答える。


「残念ながらならない。できたら俺が『天使様』と行こうとしてるよ」


返却棚に食器を載せたトレイを返し、秋が深まって寒くなってきた廊下に出る。寒い寒い、と言い合いながら教室に向かう。


階段を上がる途中、白峰が声を掛けてくる。


「時任、何かあった? 今日ぼーっとしてるように見えるけど」


……心当たりがありすぎる。木崎は「そうかぁ?」と言っているけれど。


「いや、そんなことないでしょ」


と、誤魔化しておく。それとほぼ同時に、木崎が目敏く教室前にクラスメイトと立っている遠くの『天使様』を見つけたので、有耶無耶になってほっと一息。


「あっ、『天使様』だ」


「お、ほんとだ」


こいつらずっと陽菜のこと話してるな、と思ったものの声には出さないでおく。


「さて、次のホームルームはお待ちかね、修学旅行の班決めだ」


「うっひょ〜!」


「早めに誰か誘っとくとしようかな」


さて、と教室前に到着すると、『天使様』がこちら側に歩いてきた。何だろうと思っていると何と、俺の目の前で立ち止まる。


そして、一言。とんでもない爆弾発言が飛び出してきたのだった。


「時任さん、一緒に修学旅行に行きませんか?」


と。後ろで木崎が騒ぎ、白峰が唖然とし、高橋さんたち女子もぽかーん、としているけれど、ほとんど思考のうちに入ってこない。


そして耳元に口を近づけて、


「知佐くんの『100点』が取りたいんです」


と、はにかんだ声で『天使様』は囁いた。


「……うん、一緒に行こう」


と辛うじて返す。嬉しそうに『天使様』は笑って、「ホームルーム、始めましょうか」と教室に入る。


「…………クラス委員の力か?」


迷って、返す。


「…………いや、違うかも」


そういうことか、と納得すると同時に、胸の動悸が止まらない。けれどもそれは、決して不快なものではなくて。



だから、つまりはこういうことなのだろう。



もう一度、今度はこちらが捕まえて、耳元に言葉を落とす。


「ありがとう、あと、超可愛い」



————『天使様』との恋は、まだまだ始まったばかり。








———————————————————————

作者より


如何でしたでしょうか……!楽しんで頂けたなら幸いです。

運営さんに怒られない程度のエロさを入れたかったんです(自首)。


「天使様と付き合いたい……!」

「修学旅行行きたい……」

「この2人がもっと見たい!」

と思って頂けましたら、是非ブックマークと評価を宜しくお願いします。モチベーションに繋がりますので……!


それでは、またどこかで!

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隠れて付き合っている完璧な天使様が、実は『経験済み』だなんてきっと誰も思わない。 もろ平野 @overachiever

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