僕&ロイド

幕画ふぃん

僕とロイド

 僕には両親がいない。


 母さんは、僕が小さい頃に病気で死んだと父さんから聞いた。もう顔も覚えてない。

 その父さんはと言うと、去年――僕の十五歳の誕生日、仕事帰りに交通事故に巻き込まれて死んだ。


 そんな一人ぼっちの僕は今、両親が遺した大きな家で生活をしている。

 一人と言っても、ではないのだけど――――。



「うぅん……」


 朝起きて、いつものようにダイニングに向かう。

 高校生になってから朝が早くなった。まだ眠い目をこすりながら、僕は食卓に座る。

 テーブルの上には焼き立てのトーストが二枚と、黄身がしっかり焼けた目玉焼き。それと淹れたての暖かいコーヒーが用意されてある。

 こうやって毎朝決まった時間に朝食を用意してくれるに、僕は小さな声で挨拶をした。


「おはよう。ロイド」

『おはよう、圭太』


 僕の言葉にそう返事をしたのは、自律行動型人工知能搭載家事支援アンドロイド――通称、ロイド。

 パッと見ると、若くて綺麗なお姉さんのような見た目。だけど実際には、関節のあちこちにギアみたいなものが見えてて、耳元にはアンドロイド特有のヘッドホンみたいなデバイスが装着されている。もちろん呼吸なんかもしていない。

 研究で家を空ける事が多かった父さんが、僕のお世話の為に――と開発したアンドロイドらしい。


 いつ開発されたのかは知らないけど、僕が物心つく時には既にこの家で一緒に過ごしていたと思う。

 今ではこのロイドが元となって、色んな施設で家事支援のアンドロイドが採用されているそうだ。



「……ごめん、ご馳走さま」

『……? もう食べないのですか?』

「うん、あんまり食欲がなくて……学校の準備が出来たら、もう出るよ」

『そう、ですか……』


 僕はトーストを半分残して、すぐに自分の部屋に行った。制服に着替えて、軽く身だしなみを整えてから急ぎ早に家を出る。

 六月に入ったからか、早朝にも関わらず外はもう明るくて、ちょっぴり蒸し暑い。

 どんよりとした重い気分を振り払って、僕は自転車に乗り学校に向かった。



 僕には友達がいない。

 入学式にも懇談会にも、あらゆる行事に僕は一人だった。もちろん、僕に両親がいない事を知ってるクラスメイトはいるはずだ。

 でもいつしか、周りから憐れみの視線を感じるようになって、僕は人と関わる事を拒絶するようになった。


 学校に行ってるのは、ただの惰性。

 成績もいいし、せっかく入試に受かったんだから行かなきゃもったいない。それぐらいの感覚。

 遊びに行ってる訳でも、思い出を作りに行ってる訳でもない。ましてや、青春なんてもってのほかだ。


 教室に入ると、ワイワイと雑談をしていたクラスメイト達が一瞬僕の方を見る。でもすぐに、自分たちの世界に戻って話しをし始める。

 この学校に、僕はいてもいなくても同じだ。だから僕もクラスメイトに関わらない。結局、いてもいなくてもお互い同じなんだから。



 ――そんなある日。

 学校終わりにプリントが配られた。


 そこには「授業参観のお知らせ」と書かれてあった。

 両親のいない僕には、全く関係のないお知らせだ。そのプリントを雑にカバンにしまって、すぐに帰宅する。

 帰ってもする事なんてない。家に居ても、家事をしてくれるアンドロイドがいるだけ。父さんがいなくなってから、最近は挨拶だけでろくに会話すらしてない。

 でも外にいてもする事なんてない。どうせ一人なら、家の方がマシ。ただそれだけの理由だ。



「――ただいま」

『お帰りなさい、圭太』


 帰宅すると、いつものようにロイドが出迎えてくれる。

 まるで僕が帰ってくるのを待ってたかのように。アンドロイドなのに、クマのキャラクターが描かれたエプロンまでして。部屋の奥からは、カレーのいい匂いがする。


「……」

『どうかしましたか?』


 ロイドがぎこちなく首を傾げて、僕を見つめながら尋ねてくる。


「いや、なんでもないよ。じゃあ……僕は部屋にいるから」

『……はい』


 僕は荷物を出す為に一旦リビングに行ってから、すぐに部屋に閉じこもった。

 窓から差し込む夕日から隠れるように、ベッドに潜り目を閉じる。たまに起きてはだらだらとスマホを眺め、時間を潰す。夜は晩ご飯を食べて風呂に入り、寝る前に宿題をやって一日が終わる。毎日その繰り返しだ。



 ――そうして目を瞑っていると、いつの間にか眠っていたみたいだ。部屋は真っ暗で、すっかり夜になっている。お腹も空いたし、僕はリビングに向かった。


「……ごめん、寝ちゃってた」

『構いませんよ。ご飯にしますか?』

「うん……今日はカレー?」

『そう! 圭太の大好物です! お昼からじっくり煮込んだので、きっと美味しいはずですよ!』


 やけにロイドのテンションが高い気がするけど、あえて気付かないフリをして僕は食卓に着いた。

 当たり前だけど、食事は一人前。もちろんロイドは食事なんて必要ない。

 僕一人では十分過ぎるほどの広いダイニングテーブルで、ポツンと食事をするのが定番になっている。


 いつもと同じ味付けの少し甘口のカレー。それを何口か食べていると、僕の正面の席に珍しくロイドが座ってきた。


『美味しいですか?』

「うん……美味しい」

『それは良かった! 実は、隠し味も入ってるんですよ!』

「……隠し味?」

『はい!』


 ロイドが明るい表情のまま僕を見つめてくる。

 隠し味を当ててみて、って事なのだろうか。でも残念ながら、僕の平凡な味覚じゃ全然わからない。いつもよりスパイスが効いてるとか……?


「……ガラムマサラとか?」

『ぶー、違います』

「えぇ…………じゃあわかんないよ」

『正解は……愛情でした!』


 なんだよ、それ……。真面目に考えて損した。

 僕は苦笑いして、再びカレーに手を付けた。愛情なんて隠し味は、僕にはわからない。美味しいカレーなのは間違いないけど。


『ところで圭太――――学校は楽しいですか?』


 いきなり何かと思えば……。学校なんて楽しい訳がない。僕は苛立ちを隠すようにロイドを無視して、カレーを口に運び続けた。


『友達は出来ましたか?』


 うるさいな……。親じゃあるまいし、アンドロイドの癖にそんなの関係ないだろ! 

 内心、そんな事を思ったけど口にはしない。アンドロイド相手に怒るなんて、それこそ馬鹿らしいから。


「別に…………普通だよ」

『そうですか。何か学校行事とかはないんですか?』

「…………ないよ」

『……そう、ですか』


 ロイドは何故かしゅんとした表情になった。父さんの作ったアンドロイドは、妙に表情が豊かに作られている。僕からすると、そんなもの不要だ。


「……ご馳走さま」


 僕は急いでカレーを食べ終え、食卓を後にした。



 * * *



 しばらく経ったある日。

 僕はいつものように学校にいた。

 けど、教室が何やら騒がしい。もうすぐ授業が始まるというのに、クラス全体がどこか落ち着きのない雰囲気だ。


 その時、教室の外にある廊下に何人かの人影が目に入った。しかもその人影は段々と増えていく。

 生徒? いや、よく見てみると制服を着ていない。それに、先生にしてはやけに人数が多い。

 でもどうせ僕には関係ない事だろう。そう思って、教室の時計に視線を移した。


 ほどなくしてすぐに始業のチャイムが鳴る。そして教室に入ってきた先生の言葉で、ようやくあの人影の正体がわかった。


「よーし。じゃ、皆いいか? 授業参観だからって別に張り切らなくてもいいんだぞー?」

「張り切ってるの先生じゃーん! スーツばっちり決めてさ!」

「「わははは!!」」


 クラス中に笑いが広がった。ただ一人、僕だけが黙って外を見つめている。

 そういやこの前、授業参観のプリントが配られてたっけ。でも両親のいない僕には関係ない。いつもより人が多いだけの、ただのつまらない授業だ。



 しかし、授業が始まって数十分経った時。

 突然、教室がざわついた。

 保護者だろうか、後ろの方でヒソヒソと話し声が聞こえる。それに釣られて何人かのクラスメイトも、驚いたような表情で同じ場所をチラチラと見ている。

 ただの授業参観だろう。一体何なんだ。僕は呆れながら後ろを覗いてみた。


 するとそこには、まるで避けられているように周りの保護者からわざとらしく距離を開けられた若い女性の姿。この教室で、その女性は明らかに浮いていた。そしてその女性を僕は知っている。

 ベージュのブラウスで着飾ったロイドがそこにいた。


「なん……で…………!?」


 僕は驚きのあまり、立ち上がってしまった。

 ロイドと共に、教室中の注目を集めてしまう。

 でもすぐに我に返って、机に伏せた。


 恥ずかしい。なんで。どうして。

 そんな感情が、僕の心の中で波のように押し寄せて来る。

 もはや授業どころじゃない。


 気がついた時には――――授業はもう終わっていた。



 直後の休み時間。

 僕の机に、ワッとクラスメイトが押しかけて来る。要件はだいたい察しがついた。


「なぁ! お前の後ろに立ってたアレってアンドロイドだろ?」

「えっ、マジ!? もしかしてアンドロイドに授業参観来るように頼んだの!?」

「ウケる!! アンドロイドに育てられた子みたいじゃん!」

「いや違ぇだろ! 下手するとコイツもアンドロイドなんじゃね?」

「わはははは!!!」


 勝手に決めつけて、話をして、盛り上がって。

 そこに僕の反論が入る余地なんてなかった。

 だから僕は咄嗟にカバンを握りしめて、逃げるように教室を出た。



 * * *



 行くアテもない僕は、自転車を押しながら近所の公園に着いた。

 もちろんまだ学校が終わる時間じゃないし、僕以外の学生の姿はない。

 公園にいるのは何組かの親子。幼稚園くらいの男の子を連れた若いお母さん達が、遊具の側で午後のひとときを過ごしているようだった。


 そこで楽しそうに滑り台を何回も往復している子供を見て、ふと思う。

 僕にもあんな頃があったんだろうか。あんな風に親子の時間があったんだろうか。

 もう何年も昔の事でよく思い出せない。


 でもただひとつハッキリしてるのは、僕の両親はもうこの世にはいないって事だ。いまさら親子の時間なんて作れない。

 虚しくなった僕は、目に浮かぶ何かがこぼれないように公園のベンチで空を見上げた。




 ――見上げていた空に微かにオレンジ色が混ざりだした頃、ぞろぞろと同じ制服を着た学生達が公園に集まり出した。

 きっと放課後に、ここで無駄な時間を過ごす奴らなんだろう。


 見つかるのは面倒だし、ちょっと心も落ち着いてきた。

 僕はそっと自転車に乗って、家を目指した。



 家に着いたはいいものの、玄関の扉を開けるのに躊躇する。

 いつもだったらこの扉の向こうにロイドがいる。おそらく今日も。

 僕はどんな風に顔を合わせばいいのかわからなかった。もう何もかも、わからなかった。


 僕がノブを握ったまま立ち尽くしていると、扉がゆっくりと開く。そして、穏やかな表情のロイドが扉の隙間から顔を覗かせた。


『お帰りなさい、圭太』


 いつもように出迎えるロイド。

 僕は顔を伏せながら一言も返さずに家に入った。


『圭太……? どうかしたんですか!?』

「…………ほっといてよ」

『私が……授業参観に行ったからですか?』


 玄関に立ったままの彼女を通り過ぎて階段を昇ろうとした僕に、ロイドはそう言った。

 すると、心に燻っていたあの時の気持ちが沸々と蘇ってくる。


「……そうだよ!! なんで来たんだよ!!」

『それは、たまたまプリントを見たので……』

「……!?」


 僕が知らない内に授業参観のお知らせを部屋に落としちゃってたのか……。でも、それとこれとは話が別だ。湧き上がる気持ちは収まらない。


「違う――僕はなんで来たのか、って聞いてるんだ!!」

『……私が授業参観に行ってはいけない理由があるのですか?』

「あるよ!! だってロイドは……アンドロイドじゃないか!!」

『……!? 私は……!!』

「私は――何だよ! 僕の親とでも……母さんとでも言いたいの!? じゃあ僕が授業参観のあと教室でクラスメイトに何て言われたか教えてあげるよ!! アンドロイドに育てられた子だってさ! 僕もアンドロイドなんじゃないかってさ!!」

『圭太……それは違――』

「うるさい!!!」


 そう吐き捨てるように叫んで、僕は部屋に逃げた。

 すぐにベッドでうずくまり、目を閉じる。体は小刻みに震えて、知らない内に頬が濡れていた。




 ――それから僕は、しばらく学校を休んだ。

 休んだというより、行けなかった。人生で初めての無断欠席は、思ったよりも罪悪感があった。


 一日の殆どをベッドで過ごす、鬱屈な毎日。

 朝昼晩と、部屋の扉の前からロイドが欠かさず声をかけてくる。

 僕はそれを頑なに無視した。でも部屋の前にはきちんと食事が置かれていて、やるせない気持ちになった。

 僕の事なんかほっといてくれていいのに。

 どうせ僕にはもう、家族なんかいないのに。

 僕には誰も――――。




 早いもので、学校に行かなくなって一週間が過ぎた。

 相変わらず僕の定位置はベッドのまま。でも流石にずっとこうしてる訳にもいかない。そんな事は僕自身が一番わかってる。


 何日か前、担任が僕の様子を見に家に来たみたいだったし。また家に来られても迷惑だし。

 ばつが悪いけど、そろそろ学校に行ってみようかと少しずつ思い始めていた。


 そんなある日の朝、部屋のドアをノックする音が僕を呼んだ。


『……圭太、ちょっといいですか?』


 ロイドだ。でも何故か、その様子がいつもと違うように聞こえた。

 いつもなら『体調はどうですか?』とか『何が食べたいですか?』とか聞いてくるのに。

 気になった僕は、不機嫌そうに答える。


「…………何?」

『少し、お話がしたくて』


 話……? どうせ『学校には行かないんですか?』とかだろう。そんな話をいちいちロイドにされる筋合いなんてない。そんな事は僕が一番わかってるんだ……! このままじゃいけない事も……。

 すると僕の返事より先に、ドアがそっと開いた。


『……圭太。入ってもいいですか?』

「…………もう入ってるじゃないか」

『ごめんなさい……』


 ロイドがあまりにも悲しそうな顔をするから、僕はそれ以上何も言えなかった。

 僕はベッドのふちに座り直して、ぼそっと言う。


「……いいよ。で、話って何?」

『……! 隣、座りますね』


 そう言ってロイドは僕の隣に並ぶように座った。

 部屋のカーテンは閉めきっている。朝だけど、まだほんのり暗い。


『圭太、先に謝らせて下さい』

「……何を?」

『私が勝手に、授業参観に行った事です』


 ロイドは伏し目がちに口にした。

 そう、元はと言えばロイドが僕に何も言わず授業参観に来たのが悪いんだ。僕はまくし立てる。


「そうだよ……! ロイドがあの時来なかったら……僕だって今頃、学校に行ってたよ! 友達がいなくても、授業は面白くなくても、それでも!! 僕はちゃんと学校に行くつもりだった!!」

『では…………何であの時、私に嘘をついたんですか?』

「……!?」

『本当は授業参観があるのに、学校行事は何もないと……学校が楽しくないのなら、友達がいないのなら……何故それを、私に話してくれなかったのですか!』

「そ、そんなの……ロイドには関係ないじゃないか!!」


 僕はロイドの正論をかき消すように叫んだ。

 その残響だけが、薄暗い部屋にしつこく漂っている。


『――――私では、ダメなのですか?』


 ロイドが消え入りそうな声で呟いた。

 僕は横目でロイドを視界に入れる。


『私は圭太のお父様に造られたアンドロイドです。でも……それでも…………! 私が圭太を思う気持ちは、決して造られたものではないと、そう思うのです』

「…………!」

『私の事を母だと思って欲しいなど、そんなおこがましい事は思っていません。でも私は……圭太の事をずっと我が子のように考え、接してきたつもりです。圭太の為に、圭太が喜ぶ為に――――この思いがというものなのでしょうか……?』

「…………そんなの、僕にはわかんないよ」


 わかるわけない。僕には母さんと過ごした記憶なんてないから。

 僕の記憶にあるのはいつも――――。


『圭太……どうかしましたか……?』

「……わかんない、よ……」


 黙って床を見つめる僕の手をそっと、ロイドの冷たい手が触れる。


『実は……圭太に、見てもらいたいものがあります』

「……見てもらいたい、もの?」


 僕はロイドを向いて尋ねる。そこにあった表情は穏やかなものだった。


『本来ならば、圭太が二十歳を迎えた時に見せるようインプットされていたものですが……』


 ロイドはそう言うと、視線を部屋の壁に向ける。真っ白なだけの殺風景な僕の部屋。その壁にまるでプロジェクターのように、映像が映し出され始めた。



『――ゴホンっ。えぇと、圭太。二十歳の誕生日おめでとう。ははは……なんだか照れくさいな……』


 そんな言葉から始まったその映像に映し出されていたのは、間違いなく父さんの姿だった。でも僕が最後に見た父さんの姿と比べてだいぶ若く見える。


『本来なら面と向かって言うべきなんだろうが、あいにく俺は研究で忙しい。もしかするとお前が二十歳になった時には落ち着いているのかもしれないが……まぁこの映像を残しておけば、何かあった時の保険にもなるだろう? ちなみにこの映像は、母さんが亡くなってから二年後に撮ったものだ。圭太、ちょうどお前が四歳になった頃だ』


 何かあった時……まさかそれが現実になるなんて。


『母さんが亡くなってから、本当に色々とあった……。研究熱心な俺も、流石に何日も塞ぎ込んで仕事にならなかった事を覚えている。でも俺は、そこで挫けるわけにはいかなかった。何故だかわかるか? それは――まだ幼い息子が俺に残されていたからだ。圭太――――お前の事だよ』


 映像越しの父さんに指を差される。なんだかそこにまだ父さんが生きている気がして、身を乗り出して映像に食い入ってしまう。


『本当ならずっと家にいて、お前の世話をしてやるのが父親の努めだったのかもしれない。でも俺は父親でもあったが、研究者でもあり、そして――アイツの夫でもあった。でも残念な事に、俺の体は一つしかない。そこで俺は、もう一人の家族を造った。いや……、って言うのが正しいか』


 僕は隣をチラっと見る。父さんがロイドを造ったのは知ってる。


『俺がそれを開発したのは、お前の母さんが病気になってまもなくの事だ。治療に専念してもらう為に、幼い圭太の世話と家事全般を代行してくれるアンドロイドとしてな。しかし開発は難航した。自律型の思考回路にベースとなる人工知能が上手く融合しなかったんだ。そうこうしている間に、アイツは逝ってしまった。今でも悔やんでるよ……。アンドロイドなんて開発してる暇があれば、もっとアイツの傍にいてやるんだった、ってな』


 映像の父さんは、やるせない表情に見えた。


『でも死に際、アイツは俺に言った。”母親として圭太に何も出来なかった。だから貴方が造ってるアンドロイドに、私を利用して欲しい。ただ一つの後悔は、圭太が大人になるのを見届けられなかった事よ――”と。俺はその遺志を汲んで、アイツをベースにした人工知能の開発に着手した。その結果生まれたのが――そこにいるはずのロイドだ。見た目も、俺と結婚した時の一番美しかったアイツの姿そっくりにな。はは……まぁこれは、半分俺の趣味だが』


 そう……だったんだ。ロイドは……母さんをベースに……。


『自分でも驚いたよ。まるで生き写しなんじゃないかってな。でも同時に怖くなってしまった。ロイドと一緒にいると、否応にもアイツの事を思い出してしまう。だから俺は、ロイドに制約リミットをかけた。圭太が大人に……二十歳を過ぎたら全ての機能が停止するように。アイツの遺志通り、お前が大人になるのを見届けた後、最後の役目としてこの映像を映すように」


 えっ……そんな、う、嘘だ……!? あと四年足らずでロイドが……!?

 漠然とした不安と虚無感が僕を襲う。


『この映像を撮ってる時、まだお前は四歳だが、きっとロイドはお前を立派に育てあげてくれた事だろう。何せロイドには、アイツの遺志が宿ってるんだからな。そう、ロイドはただのアンドロイドじゃない。お前の母さんでもあり――俺たちの家族だ』


 ロイドは……家族…………なのに僕は、酷い事を…………。


『最後に……研究ばかりでどうしようもない俺だが、それでも……せめて生きている限りはお前の父親でいさせてくれ。そしてロイドがその役目を果たした後、大人になったお前と酒を交わせる日が来るのを願っている――――』


 そこで映像が終わった。再び、静かで薄暗い部屋に戻る。

 僕は自分の膝に置いた握り拳を、黙って見つめていた。



 今思えば、父さんとの思い出もほとんどなかったな。

 でもそういや、僕の誕生日には決まって家に帰ってきてくれてたっけ。二人で食べるには大きすぎるケーキを買ってきて。

 ははっ……ロイドも食べなよ、とか言って無理やり食べさせた事もあったっけ。

 アンドロイドなのに、食べられる訳ないのに。

 アンドロイド――――なのに。


 その時、僕の脳裏に幼い時の記憶がだんだんと蘇ってくる。


 公園で、後ろから何回もブランコを押してくれたロイド。

 滑り台ではしゃぐ僕を、近くで見守ってくれていたロイド。

 近所の友達と喧嘩した時、ぎゅっと抱きしめて慰めてくれたロイド。

 自転車に上手く乗れなくて、毎日練習に付き合ってくれたロイド。

 学校の帰りにコケて膝を怪我した時に、おまじないを唱えながら手当てをしてくれたロイド。

 何かあるといつも、僕の大好きなカレーを作ってくれたロイド。



 知らない内に、僕の視界は何も見えなくなるほど滲んでいた。



「うぅ……うぐぅっ……………」

『圭太、どうしましたか』


 母さんを失い、父さんも失った。ロイドも僕が二十歳になれば――――嫌だ。そんなのは嫌だ! もう誰も――家族を失いたくない! 僕を独りにしてほしくない!


「ひぐっ……うぅっ……ごめん…………ロイド…………僕は……っ」

『大丈夫ですよ、圭太。ここには私と圭太しかいないのですから。だからもう……我慢しなくていいんですよ』


 そう言って、ロイドは優しく抱きしめてくれた。アンドロイドのはずなのに、何故か暖かく感じる。

 耳元で言われた優しい声。自分では抑えきれないほど涙が溢れ出す。まるで母に泣きつく子供みたいだ。こんなに泣いたのはいつぶりだろう。こんなに胸がきゅんと締め付けられたのはいつぶりだろう。


 僕はロイドに顔を埋めるようにして、固い体を抱きしめ返した。



 * * *




 ――それから十五年後。


 僕は父さんが勤めていた研究所で、ロボット工学と人工知能について研究をしている。子供の頃はわからなかったが、研究というものは家に帰る暇もないほどかなり忙しい。あの時の父さんがどんな状況だったのか、それが今になってようやく理解できた。



「主任。先月ローンチした最新型のソフトウェアですが、クライアント先で少々問題を抱えていて……。今週中にデバッグをお願いしてもいいですか?」

「わかった。すぐにやっておくよ」


 僕は二つ返事で仕事に取り掛かる。

 PCに向かいしばらくして、修正したパッチデータを向かいのデスクに座っている部下に送信する。


「今、修正用のパッチデータを送った。念の為、問題ないか確認しておいてくれ」

「あ、はい――って、ええっ!? もう終わったんですか!? 流石、主任……二十歳で博士号を取った天才だ……」

「そんな言い方はよしてくれ……ほとんど父親の遺した論文のお陰だよ」

「それでも、主任が天才なのには変わりないですよ! 主任にかかればあらゆる人工知能の再構築……それどころか、あらゆるブラックボックスを解除する事だって出来るとかなんとか」

「ははっ、そんな大袈裟な。そうだ……悪いけど、僕はもう帰るからな」


 僕は左手首を確認して、荷物をまとめながらデスクを立つ。


「ははーん。さては彼女と約束ですね?」

「違う、実家に帰るだけだ。じゃあ、後は頼んだぞ?」

「あぁ……なるほど。わかりました。ごゆっくり」


 事情を汲み取ったであろう部下の微妙な笑みを一瞥して、僕は研究所を後にした。




 早速車に乗り込み、帰路に着く。

 ここからだと車で三十分もかからない。約束の時間までには間に合うだろう。


 ハンドルを握りながら、ふと思う。

 僕ももうすぐ三十一歳になる。周りからは結婚しないのかと茶化される始末。

 彼女とは付き合って二年が経った。そろそろ彼女を紹介してもいいのかもしれない。

 研究熱心な父親に似た僕と一緒にいてくれる、物好きな彼女だ――って。



 車を走らせ三十分。時刻は現在十九時。約束の時間ちょうどだ。

 僕は車を降りて、何ヶ月ぶりかの扉の前に立った。久しぶりの我が家に、少し鼓動が跳ねる。


 扉を開けると、そこには一人の女性が僕の帰りを待っていた。

 クマのキャラクターが描かれたエプロンに、カレーの匂い。あの日と何一つ変わらないその光景に、僕は少しだけ微笑む。

 


『――お帰りなさい、圭太』


 

「ただいま――――ロイド母さん

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