第3話

「よし、準備ができた。これからこいつを空港まで運ぶ」

 女はしばらく誰かと電話で話したあとそう言って、座席をうしろに倒すと、おれを見透かすようにじっと見た。はじめに会ったときの媚びたような作り笑いは消えて、冷たく刺すような目つきだった。


「いいかよく聞け、今から大事な話をするからな。これからおまえをある場所へ連れて行く。急ぎだから飛行機でだ。よかったな、飛行機に乗れるぞ。でもそこは目的地じゃない。出発地だ。そこにはある特別な装置が置いてある。それを使って本当の目的地へ出発する。ものすごく遠いところだからここへは二度と戻ってこれない。悪いが片道切符だ。だが、いいこともあるぞ。そんな遠くにもかかわらず行くのは一瞬だ。一瞬で目的地につく。乗り換えだとか待ち時間だとか面倒なことは一切なしだ。ふふ、楽でいいだろう? 見ず知らずのところにひとりで行くのは不安だろうが、ざんねんながら付き添いはなしだ。できればついていってやりたいがな、我々のようなまっとうな人間は適合値が低いから無理なんだ。おまえみたいに選ばれた者だけが行けるところなのさ。英雄、――勇者さまだな」


 女はそこまで言うと、きゅうくつな姿勢でいるのに疲れたのかすこし体をひねって、また話をつづけた。


「それでと。あー目的地についてだが、これは申し訳ないが我々もよくは知らない。無責任と思われるかもしれないが調べるにも限界があるんでね。少なくとも生きていけるだけの環境がととのっていることだけは確かだ。どこにあるのかというのもなかなか説明しにくい。距離だとか時間だとか、そういうものさしでは測れないところにあると思ってほしい。まあ、ぜったい戻ってはこれないから細かいことはあまり気にするな。そして、これはあくまでも推測にすぎないが――ここよりも若干文明レベルが低い世界だと考えられている。水洗トイレがあるといいけどな。言葉も通じるかどうかはわからない。たぶん通じないだろう。だが喜べ、そこに行くのはおまえが初めてじゃない。おまえはたしか……ええと……」


「二百五十六」と男が横から助け舟をだした。


「そう、二百五十六番目の転移者だ。つまり目的地には先人がいるわけだ。ひとまずその連中を探しだして庇護を求めるのがいいだろう。今そこにいるのは七人だ。あとでそのリストを見せてやる。ほかの転移者がどうなったか知りたいか? これはあまり言いたくないんだがな……残りはみんな死んだ。びっくりだろう? どうやってとか、なぜ死んだのかは不明だ。こちらからはおおまかに生きてるか死んでるかくらいしかわからないのでね。厳しい気候か、危険な野獣か、凶暴な先住民か、恐ろしい風土病か――。テラ・インコグニタだ。わかるか? 新天地に移住するときには、村がまるごと滅ぶこともあるって話だ。もちろん我々の目的は植民などではないがね。とにかく、むこうに行ったら気を引き締めろ。眠ってるあいだも油断するな。寄ってくるやつはすべて敵だと思え。でないとすぐ死ぬぞ。参考のために教えといてやろう。まず三週間以内に四人のうち一人は死ぬ。三ヵ月以上生きられるのは五人に一人だけだ。そして三年以上生きられるのは……まあ、これはやめとくか。送る前に自殺でもされちゃかなわん。ちなみに最長は十年だ。こいつはもう、むこうで王様くらいになってるかもしれないな。本来なら送り出すまえに座学やら訓練やらが入るところだが、なにしろ今回は時間がないんでね。ぶっつけ本番で行ってもらうことになる。実際のところ、こういうのはたいして役に立たんのだ。訓練でこれは、と思うやつがあっというまに死んだりするからな。だが、おまえはこれでも運のいいほうだぞ。適合者が発見されるまでは何十人と無駄な犠牲が出たんだから。そのおかげで、おまえみたいなやつでも立派にお役に立てるってわけだ。犠牲者に感謝だな。――とまあそういうわけで、なかなか厳しい世界がおまえを待っているが、なんせおまえはまれにみる高い適合値をもつエリート転移者さまだ。運がよければかなりのところまでいけるだろう。我々としては送り出した時点で目的を達してるから、そのあとおまえがどうなろうとかまわないんだが、できればがんばって生きのびてほしい。こちらとしてもそのほうが送ったかいがあるからな。ま、生きのびるにしろ死ぬにしろ、おまえのみじめな人生をリセットして最初からやり直せるんだ。せいぜい楽しんでこい」


 女は激流のような淀みない調子で説明を終えると、ふうと息をついだ。

「何か質問は?」

 おれは思いつくかぎりの罵倒の言葉を女に浴びせたが、それは意味不明なうなり声にしかならなかった。

「たいへん結構。ああ、そうそう。小便がしたくなったらそのまましていいぞ。なんなら大きい方もな。車を掃除するのは、わたしじゃなくてそいつの仕事なんでね」

 と男を目線で指した。男は困ったような顔をしてチッと小さく舌打ちをする。


 女はそれだけ言うとおれにはもう興味がなくなったのか、席を元に戻してなにか他事をはじめたようだった。

 男のほうも、足もとに丸太みたいに転がっているおれなどまるっきり無視して、外を眺めている。

 そして運転手は――もちろんいるんだろうが、いままでひとことも声を発していないし、男か女かすらわからない。

 車の中は、にわかに静かになった。エンジンの低くうなる音だけが響いている。

 前の座席から女の鼻歌がきこえた。意外だが、ひと仕事を終えて気が緩んでいるのかもしれない。車内の空気が弛緩したようだった。

 それで、おれはようやく考えを巡らせることができた。


 ――くそ、こいつら人を何だと思ってるんだ。いきなり拉致しておいて人がばたばた死ぬようなところに送るだと? そこでおれが生きようが死のうがかまわないだと?

 どうしよう。どうすればいい。頼むから、騒がないから、さるぐつわをはずして落花生を食べさせてほしいと思った。そうすれば頭もはっきりとして考えがまとまると思った。


 女の言ったことは半分もわからなかったが、わかったところだけをかいつまんでも、ろくなもんじゃなかった。

 おれが送られる目的地とやらは、ここよりも文明レベルの低いところらしい。

 それが幕末なのか中世なのか、あるいは石器時代なのか知らないが、何百人のうちの数人しか生き残れないというなら、とんでもなく野蛮な世界なのだろう。そんな場所におれなんかを送りこんでどうするつもりだ? こいつらにいったい何の得がある? まったく意味がわからない。おれの考えた臓器売買説のほうがよっぽど説得力がある。

 だが、理屈に合わないからこそ本当のことを言ってるようにも思える。


 仮に女の言ったことが本当だとしよう。それでおれはどうなる? わずか数パーセントの勝者の側に自分が入る? そんなわけがない。いままで生きてきておれが入るのは、いつもだめな側だったのに。

 だから、そこに送られたらおれはすぐに死ぬことになるだろうと、もはや他人事というか、あきらめというか、なにもかもどうでもいいような気分になっていたにもかかわらず、なぜか心のなかに少し――ほんの少しわくわくするような気持ちがあった。


 見知らぬ土地に行き、悪者をやっつけ、美女を救い出し、それをまたなんでもないことのように、涼しい顔をして平然とやってのける。人々はすごいすごいと絶賛し、子供は尊敬のまなざしでおれを見る。救い出した美女はもちろん、としごろの娘は皆おれに夢中だ。華やかな歓迎の宴が催され、見たこともないごちそうにありつく。偉い人からは、ぜひ娘を嫁に、どうか町の保安官にと請われるが、それを、おれにはまだやることがあるからと断って立ち去る。そしてまた別の場所に行って同じことをする。


 あの女に見透かされたようでしゃくにさわるが、こんな空想を誰だって少しぐらいは思い描いたことがあるはずだ。

 だが、いざ現実となると、おれは残念ながら狩る側じゃなくて狩られる側だってわけだ。少しでもわくわくしていたこのときの自分をなじりながら、みじめに死んでいくんだろう。

 でもまあいいさ。タコの形をした宇宙人でも、手足が六本ある緑色の化け物でも、せめて一匹くらいは刺し違えてやる。

 そう考えているうちに、なんでもかかってこいというような、勇気なのか蛮勇なのかよくわからない、たくましいものが心のうちからむくむくと湧き上がってきて、おれの背中を押した。


 午後のやわらかな光はだんだんと黄色みを帯びて、車の奥にも差し込んでいる。

「外の景色を見とけ――。もう見られなくなる」

 男がぼそりと、ひとりごとのように言った。

 おれはさきほどから高まった闘争心のせいで、こいつらの言うことなどいっさい従わず、せいぜい嫌がらせをしてやろうという気になっていたのに、それは長くは続かなかった。

 なんとなく、男の言うことが正しいように思えたのだ。

 体はまだほとんど動かなかったが、芋虫のように床を這いずりながら首を持ち上げると、窓の先にほんの少し外の風景が見えた。


 それは、花の落ちた桜並木と澄んだ青空だった。



<了>

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葉桜 多田いづみ @tadaidumi

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