〔受賞作〕青空の下でひとりごと

烏目浩輔

青空の下でひとりごと

 午後一時過ぎに平田葵ひらたあおいはいつもの公園に足を運んだ。少し遅めの昼食をとるためだ。職場の近くにコンビニがあり、その隣が小さな公園になっている。


 葵は五年前に女子高を中退して、一年ほど何もせずにすごし、それから現在の事務の仕事に就いた。職場の人間関係はまま良好で皆と仲良くやっているが、昼食はたいていこの公園でぼっちめしだ。

 コンビニで購入する赤いきつねとカップサラダ。いつもそのメニューで、決まったベンチに腰をおろしてひとりで食べる。

 ぼっちというのは気楽でいい。


 コンビニのポットで赤いきつねにお湯を入れてからまもなく五分。そろそろ食べ頃なのだが、葵は食べる前に話しかけることにした。

「なんで見てるん? 気になるんやけど」

 相手は少し離れたところに立っている十歳ほどの女の子だった。どこからともなくやってきて、なぜか葵をじっと見ている。その視線がどうにも気になって、話しかけてみたのだった。

 ところが、女の子はなにも返してこない。

(あれ、聞こえへんかった?)

 いや、この距離なら聞こえるはずだ。

(……無視?)

 そう思うとイラっとした。相手が子供であっても無視されると腹が立つ。

 葵は語気を強くして言った。

「なんで無視するん?」

 これも無視されて余計にイラっとした。

「とりあえず、もう見んといて。というか、どっかいって」

 犬や猫にそうするように、しっしっ、と手で追い払ってもみる。だが、女の子はそこから動かない。相変わらず葵をじっと見ている。

 凝視されていると落ち着いて昼食がとれないが、早く食べないと昼休みが終わってしまう。葵は仕方なく箸を進めた。


 しばらくして赤いきつねとサラダを食べ終わり、会社に戻ろうとベンチから腰をあげた。女の子はなおもそこに突っ立って葵を見ていた。

「あんた、ずっと見てるやん。ひまか」

 そう言い捨てて公園の出口に歩を進める。途中でちらっと振り返ると、女の子はまだ葵を見ていた。

「なんでやねん……」


 翌日の昼もコンビニで昼食を購入してからいつもの公園に向かった。公園に着いた時刻は昨日より一時間ほど早い午後十二時過ぎだ。

 葵の職場は昼休みが何時から何時までと明確には定められていない。各自の仕事が一段落したところで一時間の昼休みをとる。

 葵はそれを目にして溜息をもらした。

「今日もいるし……」

 昨日の女の子がベンチから少し離れたところに立っている。

 葵はベンチに腰をおろしつつ言った。

「どっかいって。しっしっ」

 手で追い払ってもみたが、やはり女の子は動こうとしない。

 このままだと今日も見つめられながら食べることになる。それは落ち着かないから勘弁だ。追い払えないのであれば――

 葵は女の子に手招きした。

「こっちにおいで」

 逆転の発想だった。

 女の子はぱっと笑うと、こちらに駆け寄ってきて、葵の隣にすとんと座った。そして、楽しげに足をぶらぶらさせている。葵を無視して突っ立っていた昨日と違って、今日は所作や表情がずいぶん子供らしい。

「あんた、意外とかわいいな」

 こっちにおいで作戦は正解だったかもしれない。じっと見られているより、こうやって隣にいるほうが気にならなくていい。気楽なぼっち飯ではなくなったが、落ち着いて昼食を進められそうだ。


 せっかく隣にいるんだからと、女の子に話しかけてみた。

「お名前は?」

 ところが、女の子は昨日と同じで無反応だった。

「家は近く?」

 これも無視された。

としは?」

 これまた無視だった。

 葵の隣に喜んで座ったというのに、話かけると完無視されてしまう。

「それはどういう心理状態? お姉さんついていけません」

 女の子は楽しげに足をぶらぶらさせるばかりだった。


 次の日は一時前に公園に着いた。葵を見つけた女の子が笑顔を見せて駆け寄ってくる。葵がいつものベンチに腰をおろすと、女の子も隣に座って足をぶらぶらさせた。

「ほれ、これをやる」

 葵は女の子に板チョコを手渡した。コンビニで昼食を買ったさいに、ついでに買っておいたものだ。

 女の子は葵を徹底的に無視するが、子供のおつむレベルなんて犬や猫とほぼ同じだろう。だったら餌付えづけが一番。餌付けすれば葵に心を許して口をくかもしれない。


 チョコを受け取った女の子は嬉しそうに笑った。それから何か言った。

「あいあおう」

 しかし、それは言葉というより唸り声だった。

 葵はその声を聞いて察した。

(そういうこと……)

 女の子の話し方は耳が聞こえない人のそれだ。

「あんた、耳が悪かってんな……」

 女の子は葵の言葉に反応せず、板チョコの包み紙を破った。それからチョコをぱきんと半分に割って、そのひとつを葵に差しだしてきた。

「半分こするってこと? 私はいらんよ」

 女の子はきょとんとして、葵をじっと見ている。

「そっか、聞こえへんのか。面倒くさ……」

 葵はスマホを手にして、メモ帳アプリを立ちあげた。ひらがなを多めに文字を打ちこんで女の子に見せる。

〝あんたがぜんぶ食べたらいい〟

 女の子は笑顔を見せて、さっきと似たことを言った。

「あいあおう」

「悪いけど何を言うてるかわからんわ」

 それから女の子はチョコにかぶりつき、ごくんと飲みこんでからまた何か言った。

「おあおう」

「だから、わからんて。それより、あんたが今食べたチョコは百円の安モンなんやけど、しがない事務員にはそれでも痛い出費やねん。十円や二十円を節約して昼食を買ってるのに、百円なんてえらいこっちゃの値段なんやで。わかる?」

 女の子は不思議そうな顔をして葵を見あげている。

「聞こえへんのか。面倒くさ……」

 葵は今言ったことをメモ帳アプリに打ちこもうとした。だが、やっぱりやめて、こう打ちこんで女の子に見せた。

〝プリンはすき?〟

 女の子は頷いた。

 明日はプリンを買ってきてやろうと思った。


 女の子はそれから毎日公園にやってきて、葵が昼食を終えるまで隣に座ってすごした。なぜかすっかりなつかれてしまったらしい。餌付けが効きすぎたのかもしれない。

 そんな日が十日間ほど続いた頃、葵が二時過ぎに公園に向かうと、いつものように女の子が先にベンチに座っていた。

「場所取り、ご苦労」

 そう声をかけながら、女の子が手にしている赤いブツを見る。

「あんたも一緒に食べるんか?」 

 女の子は赤いきつねを手にしていた。

「私と同じものが食べたかったんやな。かわいいやつ」

 メモ帳アプリを駆使して知り得た情報によると、どうやら女の子は近くに住んでいるらしく、家でお湯を入れてここまで持ってきたようだ。


 五分が過ぎて葵が赤いきつねを食べはじめると、女の子も隣で赤いきつねを食べはじめた。ニコニコしながらうどんをズルズルしている。

「あんた、めっちゃ美味おいしそうに食べるやん。CMに出たら売上あがるで」

 感心しながら言った葵はふと気づいた。

(……家でお湯?)

 女の子が食べている赤いきつねを覗きこむ。ひらたいうどんがやけに太い。

「ちょっと頂戴」

 うどんを数本拝借して口に入れた。

「まず……」

 うどんはすっかり伸びており、冷たくてふにゃふにゃだった。

「なんでこれを美味しそうに食べれるねん」

 葵は女の子の赤いきつねを奪い取って、自分の赤いきつねを女の子に押しつけた。

「それを食べてみ。それが本来の赤いきつねや」

 今日の葵は公園にやってきた時間が二時過ぎで遅めだ。女の子は家で赤いきつねにお湯を入れて、公園でずっと葵を待っていたのだろう。だから、うどんが伸びきっている。


 翌日から葵は女の子と一緒にコンビニにいくことにした。

〝あしたはお金をもっておいで。200円な。ふたりで赤いきつねをかいにいこう〟

 昨日、メモ帳アプリでそう伝えた。もちろん、赤いきつね伸び伸び事件をふまえてのことだ。

 昼休みに公園に向かうと、女の子はベンチに座っていた。葵を見つけると笑顔で駆け寄ってくる。

〝お金、もってきた?〟

 女の子は頷いた。

〝じゃあ、コンビニにいこか〟

 葵が歩きだすと手に何かが触れたので、目をやれば女の子が葵の手を握っていた。正確には人差し指だけを、小さな手でぎゅっと包んでいる。

「なんやねん、めっちゃかわいいやん。キュンとする。私の母性本能をもてあそばんといて」


 まもなくして到着したコンビニで赤いきつねを買った。葵は女の子のぶんもお湯を入れてやろうと思ったが、どうやら女の子は自分でやりたいみたいだ。しかし、女の子の背丈では台の上にあるポットまで届かない。

 脇に手を差し入れて持ちあげてやる。

「ちゃうって、それは再沸騰のボタン。お湯が出るボタンはその隣やって。というか重いから早よして。腕が死ぬ」

 やっとのことでお湯を入れ終わった女の子は、それを大事そうに持ってそろそろ歩いた。葵はその遅い歩調に合わせて公園に向かった。


 公園に着いた葵たちはいつものベンチに並んで座った。葵が赤いきつねとサラダを食べ終えて、しばらくぼんやりしていると、ようやく女の子が赤いきつねを完食した。

「口にネギがついてるで」

 ネギを取ってやったあと、なんとなく空を見あげてみるとすっきりと青かった。前々から気になっていたことを尋ねてみたくなったのもなんとなくだった。

「あんた、なんで学校にいってへんの? 耳が聞こえへんせいでいやな思いでもしてるんか?」

 小学生であろう女の子は毎日この公園にやってくる。ちゃんと学校に通っていれば毎日は無理だ。学校にいっていない証拠だろう。

「どうしてもいやって場合はいかないのもありやで。ただな、なるべくなら学校にはいっといたほうがいいと思うねん。知らんけど」

 話を続ける。

「私はなんとなくつまらなくて高校を中退してん。でも、今になってちゃんといっとけばよかったって後悔してる。耳が悪いといろいろあるやろうけど、あんたは私みたいに後悔せんようにな」


 話の内容を知りたいらしく、女の子は葵をじっと見ている。葵は今の話をメモ帳アプリに打ちこもうとした。

 けれど――

「余計なお世話か……」

 別のことを打ちこんで女の子に見せた。

〝あしたは緑のたぬきにせえへん?〟

「おうおあ」

「いや、だからわからんて」





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