23 エピローグ

   23

 ヴァリスとマルカはダンスホールの近くにある小さなパブで飲んでいた。


 偽装ダンスパーティは、コーダがツェツェを連れて部屋に入った時点で終了。サクラとして雇われ、高級な酒や食事をタダで味わい、ダンスを楽しんだエキストラたちは、イベント会社からギャラを受け取って、三々五々帰っていた。裏方たちも会場を後にして、残ったヴァリスとマルカは、ラルゴたちとツェツエの闘いの決着がつくまで、パブで一休みすることにしたのだ。パブには二人以外客はいない。


 小さな蛾がパブの外に飛んできて、テンポよくビールのグラスを空けていくヴァリスの目の前の窓ガラスに止まった。サキュバスがヴァリスに報告しに来たのだ。


「決着がついたのか?」

「ああ、ツェツェは夢の中でくたばったよ」

「よくあのツェツェに勝てたな」

「最初は圧倒的に劣勢だったんだがな。スリーピーボーイを召喚するというラルゴのアイデアが当たって一発逆転さ」

「うちののらくら犬を呼んだのか。あんなのがよく役に立ったな」

「ツェツェが極端な犬恐怖症だってことをラルゴが思い出したんだよ。最後はコーダが強烈な雷撃を食らわせてジ・エンドだ」

「そうか。こりゃ祝杯もんだな。早速、部屋を見に行ってみよう」


 ヴァイスとマルカはサキュバスとともにダンスホールに戻り、二階の控室に上った。


 ラルゴとコーダは気持ちよさそうに眠っている。仕事をやり切った満足感に浸っているのだろう。


 だが、ツェツェの姿が見えない。閉まっていたはずの窓は開け放たれている。

「どういうことだ、これは?」ヴァリスはサキュバスに尋ねた。「奴は先に目を覚まして窓から逃げたのか?」

「あり得ない。夢の中で感電死させられたのだから目を覚ますはずはない。立ち上がって逃げるなんて考えられないよ」

「警官隊か奴の手下のヤクザ者が連れ出したのでは?」マルカが尋ねた。

「それも考えられないな。ツェツェがやられた時点でテレパシーのコントロールは切れているはずなんだ」サキュバスは答えた。

「じゃあ、どうして奴は消えたんだ。おかしいじゃないか」ヴァリスは困惑していた。

「考えられる可能性は一つ。催眠効果で操られているのではない奴の仲間が運び出したんじゃないかな」


 ヴァリスは開け放たれた窓辺に立ってホールの周りを見回した。

 霧が深くなってきて見通しがきかない。ツェツェを運び出した者がいたとしても、既に霧の中に消えてしまっているだろう。


 ダンスホールから百メートルほど離れた路上。一人の老婦人が歩道を歩いていた。遠くの町に住んでいる娘に会いに行って、家に帰るところだった。

 霧の中、老婦人は車道を何かが横切っていくのを見た。白いじゅうたんのような物がもぞもぞ動いている。その上に何か黒い物が載っている。どうやら黒い服を着た人間がじゅうたんの上に寝ているらしい。


 何だろう? 老婦人は近づいてみた。よく見ると、白い物はじゅうたんなどではない。白い、ミミズのようになめらかな長虫がたくさん固まって這っているのだ。長虫どもに運ばれているのは、くたびれやつれた顔をした若い男だ。急病なのか、暴行でも受けたのか、意識を失っているようだ。いったいどうしたのだろう。


 長虫たちは道路を渡りきると、老婦人の立っている歩道を先に進んでいった。

 何て気味の悪いこと。警察に知らせるべきだろうか。しかし、警察に行ったところでどう説明したものだろうか。たくさんの虫が人を載せて這っていました、と言っても信じてはくれないだろう。このばあさん頭がおかしいんじゃないかと思われるのがオチだ。

 放っておこう、関わり合いにならない方がいい。運ばれていた男も本当に人間かどうか疑わしいし。そう思って、老婦人は来た道を引き返し、家まで遠回りすることにした。


 老婦人が関わり合いにならなかったのは賢明だった。彼女が見た白い虫は回虫で、妖魔アスカリッドの本来の姿なのだ。アスカリッドは千匹の回虫の集合体だった。彼はラルゴ達にやられて心身ともにボロボロになったツェツェをダンスホールから運び出し、安全なところに連れて行こうとしていた。


 ツェツェをヴァリスたちに引き渡すわけにはいかん。この男は私にとって役に立つ男なんでな。時間はかかるかも知れないが必ず復活させる。いつかまた、この男とともにお礼参りに伺うよ。ヴァリス、そしてラルゴよ、覚悟しておくがいい。


 その頃、ヨルトン・ホテルでは、夢の世界から戻ったスリーピーボーイがラルゴやコーダと同じように満足げな表情で眠っていた。


 ツェツェの毒血によって催眠状態にあった警察官やヤクザたちは正気に戻った。彼らには、自分たちがいったいどうしてあんな男の言うままに動いていたのかさっぱり分からなかった。翌朝、警察署に出勤したオニグマは自分が書いたジュスタ殺害事件の報告書を読み直して驚いた。「全くデタラメじゃないか。こんなものを署長に見られたら大変だ」

 オニグマは報告書を破り捨て、ラルゴにかけられた容疑が誤りであったことを署長に報告した。


 その日のうちに、街中に貼られていたラルゴの指名手配ポスターは全て撤去され、ラルゴが無実であることがラジオで報道された。その次の朝に出たフォギータイムズの一面にも大きく載った。


 オニグマと同じようにツェツェにコントロールされていた屋敷の執事たちの証言により、ツェツェこそがジュスタ殺しの犯人として疑われた。警察は彼を探したが、マニエラ・マルテルマンの慈善パーティに出席した後の行方は全く分からなかった。


 ダンスホールの控室で目覚めたコーダはサキュバスとともに自分のアパートに戻り、ラルゴはヴァリスとマルカに連れられてヨルトン・ホテルに入った。ヴァリスは再びクイエートを呼び、ラルゴとインキュバスの体と魂を分離させた。その施術は無事成功し、ラルゴとインキュバスは別々に行動できるようになった。


 ラルゴはヨルトン・ホテルに一泊し、ぐうたら犬に戻ったスリーピーボーイの活躍を称え、ヴァリスたちに礼を言って早朝にホテルを出た。


 変装せずに外に出るのはまだちょっと不安だった。何しろ数日間、町中に自分の顔写真がベタベタ貼られていたのだから、きっと町中の人が自分の顔を知っているに違いない。後ろ指指されたりしたらイヤだなあ。トリル風邪は下火になったけど、マスクをして歩こうかなとインキュバスに言ってみた。


「そんなことしなくていいぜ。何も悪いことしてないんだ。堂々としていろ」

「そうだよね。警察だって間違いだったと認めてるんだから、何もコソコソする必要はないよね」


 ラルゴはバスに乗ってアパートに帰ったが、車内で知らないおじいさんから「あんた大変な目にあったねえ」と同情の言葉をかけられたぐらいで、ラルゴのことを気にする人はいなかった。


 ラルゴはアパートで着替えた後、晴れて役場に出勤した。役場の同僚たちは拍手でラルゴを迎えてくれた。

「君があんなことするはずないって信じてたよ」

「とんでもない目にあったね」

「どこに隠れてたの? よく見つからなかったね」

 同僚たちは次々にラルゴに声をかけ、肩をポンと叩いていった。

「まったく、警察の連中はとんでもない見当違いをしたもんだ。逆に訴えてやれ」上司のアクートは本気で憤っていたが、その一時間後には当の警察が再び役場にやって来た。オニグマ本人がアクートとラルゴに謝罪に来たのだ。


 実際にオニグマを前にすると、アクートは「訴えてやるぞ」なんて言わない。「ぜひ真犯人逮捕をお願いしますよ」とか言って愛想笑いしている。スタッカートも日和見主義者だったが、この人も結構調子がいい。公務員の中間管理職なんてこんなものかなとラルゴは思った。

 神妙な顔つきで頭を下げてきたオニグマを見て、ラルゴは夢の中の高校生姿の彼を思い出し、吹き出しそうになって思わずこらえた。

 でも、これで一件落着だな。ラルゴはほっと胸を撫でおろした。ツェツェが姿を消したのが気になるけれど。


 その夜、久しぶりにゆっくり眠れそうだとラルゴがベッドに入ろうとしたとき、インキュバスが「ちょっと出かけてくる」と言い出した。

「どこへ行くの?」

「お前、久しぶりに夢の中で楽しみたくないか?」

「そうだね。でも、これといって遊びたい女性は思い浮かばないな」

「実は、お前と夢の中で会いたいって言ってる女がいるんだよ」

 ラルゴは驚いた。「誰? もしかして、コーダ? そんなことないよね」

「まあ、楽しみにしとけよ。じゃあ、ちょっと行ってくるわ」

 インキュバスはラルゴの体内から出て、窓の外に飛び去った。


 ラルゴがベッドに寝転がって、天井を見つめながら、ここ数日の出来事を思い返している時、インキュバスの声が聞こえてきた。


「ラルゴ、用意はできたぞ。目を閉じてみろ」

 ラルゴは言われた通り目を閉じて夢の中に入った。


 そこは一面の花畑で、その中にぽつんと木製のベッドが置いてあり、一人の女性が腰かけていた。

 長身で金髪、瞳は透き通るような緑色をしている。薄いピンクのキャミソールを着たその女性はラルゴを見てにっこり微笑みかけた。

「ヴァリス?」ラルゴは思わずその名を口にしたが、違うとすぐに思い直した。右のこめかみに星型のほくろがあるのを見つけたからだ。

「いや、ヴィエナだね」

 ヴァリスとヴィエナの違いはほくろだけではない。同じ容姿だが、ヴィエナの方が雰囲気が落ち着いており、動作がゆったりしている。

 ヴィエナはうなずいた。「あなたの夢におじゃましてしまったわ。良かったかしら」

「もちろん」ラルゴはヴィエナの方に近寄っていった。「来てくれてうれしいよ。でも、どうして僕なんかのところに?」

「あなたは結構すてきよ。自分が思っている以上に魅力的だわ」ヴィエナはラルゴの手を取って、自分の横に座らせた。「童貞だなんて信じられないわよ」

 いや、それはちょっとインチキなんだけどねと言おうとしたが、ラルゴは口ごもった。インキュバスも、コーダとのことはノーカウントにしてやると言っていたし。

「私も処女なのよ」

 ラルゴは驚いて間近にあるヴィエナの美しい横顔を見た。ヴァリスはがさつな言動によって美貌がぼやかされている印象があるが、ヴィエナは違う。アフロディーテやクレオパトラもかくやと思われる美貌を前にすると、あまりに畏れ多くて男たちの性欲も萎えてしまうのかなと思った。

「私の体は猫だからね」

 ラルゴはハッとした。そうだった。今、僕が見ているのはヴィエナの魂の像にすぎないのだ。

「さかりのついたオス猫はいっぱい寄ってくるけどね。そんなのとしたくないからね。人間の男と愛し合うことができるヴァリスがうらやましくてね。私はただ夢見るだけ。たとえ夢の中でもあなたとこうしていられるのはうれしいわ」

 ヴィエナの目が潤んだ。

 ラルゴはヴィエナの手を握った。「あなたのような美しい人とこうしていられるなんて、僕は幸せ者です」

「私が猫だってことを思い出したら萎えるかもよ」

「関係ない。夢の中では心が全てですから」

 ラルゴとヴィエナは唇を重ねた。何て甘いキスだ。よく言う初恋の味みたいじゃないか。こんな美人の初めての相手が僕だなんて、これだからドリームセックスはやめられない。

(完)





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ラルゴのいかがわしい夢物語 幾富 累 @salticidae

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