捌番『今生の別れ』

タクシー会社の善根宿で師匠と出会った次の日、僕は半日くらい師匠と一緒に札所のお寺を廻らせてもらった。


師匠はどんな感じで般若心経と真言を唱えるんだろう?


師匠と一緒にお寺を廻る時、僕は常に師匠の一挙手一投足を興味深く観察した。


八十八か所ある札所の寺巡りも半分を終え、恥ずかしさこそなくなっていたものの、僕はまだ自分が唱える般若心経や真言に迷いを持っていた。


テンポ、リズム、ボリューム。


自分のと他人の詠唱を比較して、より様になる唱え方をずっと模索していた。


師匠の唱える般若心経と真言はぶつぶつ呟くような小声の音量だけど、頭の中にずっしりと重く響くような心地良さがあった。


聴いているうちに意識が浮遊するような感覚さえある。


おそらく変性意識状態に入っていたんだろう。


僕や他の人が唱える般若心経や真言ではそこまでならなかった。


師匠の声は周囲にではなく、自分の内側に向かって発している印象があり、どこか現実を離れ、悦に入っているようにも見えた。


「お賽銭や作法はあまり気にせんでええから、とにかく一心不乱に唱えてみろ」


師匠にそう言われ、僕も師匠の横で唱えてみた。


でも横で師匠に見られていると思うと緊張して、評価を気にするあまり雑念だらけになってしまった。


「そういう迷いがあかん。とにかく何も考えずに唱えてみろ」


映画『燃えよ、ドラゴン』の冒頭のシーンでブルース・リーが弟子に諭した「don’t thinkI feel」


達観した人たちの見解は皆同じなのか、師匠も似たような事を僕に諭す。


「ここにもおらんな。最近は仏の姿が見れる寺がめっきり少なくなった」


師匠はそんな不思議な事も呟いていた。


神仏への信仰が減ると、姿を見れる仏の数もだんだん減るものらしい。


もしかすると般若心経や真言には仏様と交信する信号のような意味があるのかもしれない。


師匠は札所以外のお寺や神社などにも立ち寄り、旧友や知人の様子を伺ったりして、ゆっくりと巡礼しているようだった。


僕は師匠の邪魔にならないように、札所での参拝を終えてから師匠と別れる事にした。


それから何日か後、一日中雨が降り続く徳島を一人で歩いていたら、その日泊まった無人の善根宿で、また偶然師匠と会った。


先に僕が辿り着き、その後に全身をビニール袋で覆った師匠が宿を訪ねて来た。


僕にとっては偶然でも、師匠にとっては必然なのか「やはり先に来てたか」と笑っていた。


薬缶のお湯を沸かして、師匠に「コーヒーでも」と勧めると、師匠は荷物からしょうが湯の袋を取り出して、「これの方が体が温まるから一緒に飲もう」と僕の分も用意してくれた。


それは僕が八十八番札所のお土産屋で買ったしょうが湯で、前回一晩ご一緒した時にお礼として師匠に渡したものだった。


二人で師匠がくれたしょうが湯を飲みながら談笑していると、だんだん腹が減って来た。


でも雨がひどくて途中どこへも寄らずに宿に着いたから、僕も師匠も手持ちの食料があまりなかった。


二人で持っているお菓子やパンを分け合い、一緒に質素な夕飯を食べた。


そんな中、大きいリュックを背負った年配のお遍路さんが一人宿に辿り着いた。


「お、先客がいたのか? ひどい雨でね、ご一緒するよ」


「どうぞ、どうぞ」


その年配のお遍路さんは師匠と同じ先達のお遍路さんらしく、この宿には何回も来ているようだった。


「最近はマナーの悪いお遍路さんが増えたから、よくここの宿の備蓄品がなくなるんよ」


先達のお遍路さんは勝手知った感じで宿の中をあれこれ物色しながらそんな事をぼやいていた。


この宿にあるキッチン用具や食器は近所の人が揃えたものらしく、お茶やインスタントコーヒーなどは、入れ代わり立ち代わりここを利用するお遍路さんたちが次の人のために置いていったものだった。


「ひどいのになると、ここで酒盛りをしていく連中なんかもおるらしくてな、近所の人から時々ワシのところに苦情が来るよ」


「それは難儀でしたな」


師匠たちのような先達と呼ばれる人たちは、お遍路さんの指導者的立場の人たちだから、初心者や不慣れなお遍路さんには、道で出会うとお遍路に関するいろんな知識を教えてくれる。


それでも年々観光目的でお遍路をする人が増えると、先達の人たちの目にあまる悪質な行為なども見られるようになり、お接待をしてくれた地元の人とトラブルになるケースも珍しくないらしい。


年配のお遍路さんは自分でもお接待出来るよう、大きなリュックに調理器具や食材などを常に入れて持ち歩いていた。


「一昨日も若いお遍路の兄ちゃんと宿で一緒になってな、ワシが食事を作って接待してあげたら、遠慮もせずに食べれるだけ食べよったわ」


そう言いながら先達のお遍路さんは、リュックから肉や野菜などの食材を取り出して、テーブルの上で料理をし出した。


「遠慮するな」とは言ったけど、あれはホンマにびっくりしたで」


そんな事を言いつつ、この先達のお遍路さんは僕たちにもお接待するだろうと思った。


「疲れたのでちょっと横になります」


僕はこの先達のお遍路さんにお接待されるのが嫌だったので、一人テーブルの輪を離れて布団のある座敷の方に移動した。


席を離れる時、一瞬師匠がこちらを気にしたようだった。


また悟られたか?と思ったけど、気が重かったので座敷の隅で雑誌を眺めていた。


狭い善根宿に肉と野菜の焼ける良い音と匂いが充満する。


「ほら、出来たで。アンタらの分もあるから、遠慮せず食べや」


案の定先達のお遍路さんが僕たちに食事を振舞った。


正直腹が減っていたので食べたかったけど、散々愚痴を聞かされた後に、出会った以上は仕方ないみたいな気持ちで施されるお接待を受けるのは絶対に嫌だった。


「せっかくですが、さっき済ませたので大丈夫です」


波風立たないようにやんわりと断った。


「食わないの?」


「はい。お腹がいっぱいなので」


まさか僕が断るとは思っていなかったらしく、先達のお遍路さんが少し動揺していた。


「これは美味そうだな。それじゃあワシはありがたく頂くよ」


師匠は先達のお遍路さんの愚痴を聞いても意に介さず、素直に振舞われた食事に箸をつけていた。


「せっかく作ったんだから、兄ちゃんも遠慮せずに食べぇや」


先日遠慮しなかった若造の話を聞かされた後に、「遠慮しないで食べろ」と言われても無理だ。


僕はHSP気質だから、昔からこういう本音と建て前がある相手とのやりとりが苦手で、一緒にいると気を使い過ぎてすぐに疲れてしまう。


先達のお遍路さんと師匠が食事している様子を横目にしながら、なるべく気にしないように雑誌に集中した。


それからも何度か先達のお遍路さんと師匠に「食べろ」と誘われたけど、僕は意地を張って頑なに断り続けた。


なんとなく気まずい感じで過ごしていると、また玄関の戸が開いて20代前半くらいの若いお遍路さんがずぶ濡れの恰好で宿に入って来た。


「こんにちわ」


「よう、オマエか、また会ったな。今ちょうど食事作ったとこやったから、食べ。ラッキーやったな」


「えっいいんすか、僕もちょうど腹減ってたんでごちそうになりますっ」


先日喰えるだけ喰った遠慮のない若造とは彼の事だろうか?


若いお遍路さんは挨拶もそこそこに嬉しそうに席に着くと、先達のお遍路さんが作った食事を遠慮なくガツガツ食べだした。


素直ではあるけど、あまりにガサツでアホっぽい彼の振舞いを見て正直驚いた。


先達のお遍路さんが気になって顔を見ると、微笑ましくも苦々しい複雑な表情で若者を見ていた。


「いい喰いっぷりやなぁ。さすが若い人はワシらと違うわ。いっぱいあるから遠慮せんと食べ」


「はいっ。ありがとうございますっ」


若いお遍路さんは先達のお遍路さんの建前にガッツリ乗っかって、まったく遠慮する事なく食べ続けた。


僕はそれをあっけに取られた様子でただ見守った。


そして先日と同じ事を繰り返す二人を見て心底嫌気が差してきた。


師匠だけがただ一人、このおかしな状況を静かに見守っていた。


「アンタもはよ喰わな。この子に全部喰われるで」


食うわけないだろ!


もう断るのも鬱陶しかったので今度ばかりは露骨に無視した。


相手にしていられないので先に寝ようと思い、自分の寝床を整えて早々と寝袋に入った。


本当は師匠と二人でもっと話をしたかったけど、気持ちが苛立ち過ぎて、もう輪に戻れそうになかった。


そんな僕を気にかける師匠の視線を何度か感じた。


それもあえて気付かないふりしてその日は寝た。


次の日、まだ日が昇らないうちに目が覚めた。


みんなまだ寝ているようなので、起こさないように身支度をして外に出た。


師匠に別れの挨拶をしたかったけど、他の人たちを起こすと面倒なので、そのまま一人で先を急ぐ事にした。


小便がしたかったので、宿の外にある公衆トイレで用を済ますと、宿の玄関先に師匠が立っていた。


「もう行くか」


「はい」


「じゃあここでお別れだな。気をつけてな」


「お世話になりました。ありがとうございます」


罪悪感、寂しさ、感謝……。


いろんな気持ちが一度に沸き起こってきた。


「師匠も道中お気をつけて」


それしか言葉が出て来なかった。


ただつまらない意地を張った弟子にどこまでも親身になってくれる師匠の優しさが心底ありがたかった。


おかげで今生の別れになるかもしれない瞬間を後悔しなくて済んだ。


また一人で歩き出し、時折後ろを振り返ると、ずっと師匠が見守ってくれていた。


そして僕の姿が見えなくなるまで師匠はずっと見守ってくれていた。


こういう人との出会いは滅多にない。


この先の人生でもあまりない気がする。


だから師匠との思い出は常に鮮やかで、死ぬまで僕の記憶に残り続けると思う。


そして僕は無事にお遍路を結願する事が出来た。


結願した者はその感動で涙を流すという話を聞いていたけど、僕は果てしない旅から解放された喜びと同時に「こんなものか」という物足りなさも正直感じた。


この旅の何が人間的成長を促すのかは分からないけど、さらなる人間的成長への欲求も芽生えて、いつかもう一度チャレンジしようと思った。


それが僕のお遍路。

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巡礼記 祐喜代(スケキヨ) @sukekiyo369

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