漆番『黒い菅笠の師匠』
僕にはお遍路の旅の中で、“師匠”と仰ぐ先達のお遍路さんがいた。
その出会いがあったのは徳島のタクシー会社が提供している善根宿を訪ねた時だ。
「今日はもう一人先にお遍路さんが泊っているからね。今はちょっと出かけてはるけど、帰ったら挨拶しといてな」
タクシー会社の人にそう言われ、二階の休憩室に入ると、僕はそこに折り目正しくキレイに畳んであった先客の装束と旅の荷物を見て、なぜか気持ちが凛とした。
一緒に置いてあった菅笠は、一般のお遍路さんのものとは違う黒色の菅笠で、それがすごく印象的だった。
これまで出会った事のないすごい人のような予感がした。
僕は失礼がないようにずっと正座しながら先客の帰りを待っていた。
そしてしばらく待っていると先客のお遍路さんが戻って来た。
60代後半くらいの、短く刈った白髪に、片方の目が斜視のお遍路さん。
また気持ちが凛とした。
「ここで今晩一緒に泊めさせてもらいます」
僕が頭を下げて挨拶をすると、そのお遍路さんはにっこり笑って「おう、やっと来たか。アンタが来るのをずっと待っておったよ」と言った。
そのお遍路さんと会うのはその時が初めてだった。
「さっきは何かに取り憑かれたような顔して歩いておったぞ」
どうやら数時間前に僕とそのお遍路さんは道で一度すれ違っていたらしい。
言われてみると、確かに道ですれ違って会釈を交わしたお遍路さんがいた。
だけど僕はその時、目指す宿が見つからずに焦っていたので、相手の顔を碌に見もせず、会釈だけしてそそくさと通り過ぎていた。
そのお遍路さんは僕とすれ違った時に、僕が必ずこのタクシー会社の善根宿に来ると確信したらしく、無事にこの宿にたどり着くのを待っていてくれたようだ。
時折白く濁った斜視の目が、僕を射抜くような感じで見つめて来る。
僕はその度に得体の知れない存在に対する畏怖の念のようなものを感じ、それと同時に丸ごと包み込まれるような底知れない懐の大きさのようなものも確かに感じた。
師匠。
出会ったばかりだけどなぜか自然とそう呼びたくなる人だった。
師匠の人生とか人格が全てその斜視の目に集約されているような凄みがあって、師匠との対面は緊張と緩和の連続だった。
この人には嘘がつけない。
師匠と僕は出会ったばかりで何でも話せる関係であり、嘘は全てお見通しである気を抜けない相手でもあった。
そして茶の間のテーブルを挟んでいろいろ話をしているうちに、僕と師匠には前世からの不思議な縁がある事が分かった。
師匠は“
父親が癌である事も察知して、知り合いが癌を克服した時にやっていた断食行の話を教えてくれたりした。
ついでにトイレに貼ると不浄を払うの効果がある烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)のお札も譲ってくれた。
僕がオカルトやスピリチュアル的なものを邪険に扱わないのは、そういった善意を無碍には出来ないからだ。
特にお遍路の旅では、神仏への信仰を大事にしている人たちの善意に触れる機会がたくさんある。
神様一辺倒でただ盲信するようなカルト宗教も多々あるけど、たとえ非科学的でも、信仰が他人への思いやりや労りの気持ちを促し、高い人格を育む力を持っているのもまた事実だ。
だからそれをないがしろにするような態度は慎むべきだと思っている。
占い、神、仏、心霊、UFO……。
どんな信仰でも付かず離れずの適度な距離感でバランスを保ったものであれば、僕は問題なく受け入れる姿勢でいる。
「これまでお遍路をしてどうだった? 仏とは何かわかったか?」
宿曜占星術で一通り僕の事について占うと、師匠は次に「仏とは何か?悟りとは何か?」という難しい問いを僕に切り出してきた。
そんな事は皆目見当がつかない。
でも僕は師匠に認められたかったので、なんとか正解を出そうとあれこれ頭を捻って考えた。
「すでに悟っているのだから考えなくてもわかるはずだ」
僕が考え込んでいると師匠が唐突にそう言った。
すでに悟っている?
考えなくてもわかる?
僕はその意味が分からず余計に混乱して、さらに考え込んでしまった。
答えに悩んでいると、師匠が続けざまに「般若心経には何が書いてある?」と質問してきた。
「お寺に着くたびにいつも唱えておるのだろう? ならばわかるはずだ。何が書いてあった?」
般若心経はもう何度も唱えていた。
でも僕はそれまでただ書いてある字を目で追いながら漠然と唱えていただけで、その意味についてはあまり深く考えていなかった。
僕が答えに窮していると、師匠はニヤニヤしながら「考えてもわからもんはわからん。仏や悟りについての理解はもっと感覚的なものだ」と僕を諭した。
「人は考えなくてもわかる事を、わざわざ難しく考えようとするもんだ。それをやめる事が出来た時に仏も悟りもすぐに理解できる。ただそれが一番難しい」
そういう師匠の話し方や佇まいを見ていると、なぜか僕もいつか悟りの境地を理解出来るような気がした。
そして師匠に対してずっと以前からの知り合いのような親近感も湧いた。
「ようやく気付いたか? そうだ、ワシとアンタは前世でも一度会うとるよ」
師匠は僕が何かを思ったり感じたりすると、すぐにそれを口に出して言い当てる。
人生経験を経て培った読心術なのか? それとも常人にはないテレパシー的な能力なのか?
とにかく師匠は完璧に僕の心の動きを読んでいた。
師匠が言うには、師匠と僕は前世でも師弟関係だった縁があり、前回出会った時は僕が師匠に仏や悟りについて教えていたらしい。
だから僕にも仏や悟りが理解出来るはずだと期待していた。
僕と師匠はそうやってお互いが悟りを理解するまで輪廻転生を繰り返しながら仏の修行をしている者同士なのだという。
師匠にはその記憶がはっきりとあるらしい。
残念ながら僕にはその記憶がない。
ただありがたい話ではある。
だから師匠は今回の人生も仏の道を極める事に費やして来た。
師匠は神道に関係する家柄の出身で、小さい頃から霊が見えたり、人の死期が分かったりする事があったようだ。
商売の才覚にも恵まれ、40代の頃に始めた古物商で大儲けした事もあったらしい。
「死んだ人間(霊)かどうかは目を見ればわかる。死んだ人間(霊)は瞬きをせんからの」
それから師匠は自分がこれまで体験した不思議な出来事をいろいろ話し始めた。
一番興味深かったのは師匠が入神体験をした話だった。
それは土木の作業をしながら一か月くらい毎日おかゆ一杯で過ごしていた時期に突然起こったという。
朝、師匠が顔を洗おうと鏡の前に立つと、突然鏡の中から爆発したような眩い光が溢れて来て、その光が師匠の中に入り込んで来た。
そして同時に、全てと一体になる多幸感が師匠の中に芽生えた。
「これが悟りだ!」
その時師匠はそう確信したらしく、それまでの人生で背負って来たあらゆる苦悩の原因が明確に分かり、理解した途端に消え去ったという。
「もしワシのこの体験が悟りでなければ、今日と同じ歳に、ワシとアンタはまた出会うことになる」
悟りを啓いた人間はもうこの世に生まれ変わらない。
師匠の話が本当で悟りが本物なら僕と師匠の再会は今回で最後だ。
残りの人生で僕も悟りを啓けるだろうか?
「ワシら先達と呼ばれる連中は何度もお遍路をしておるが、3回廻って悟りを得られなかったら、その後は何回廻っても変わらん。ただの道楽だよ」
仏の顔も三度まで。
師匠は笑いながらそんな事をポツリと言った。
すごく重みのある話ではあるけど、僕に対する期待の言葉でもあるんだろう。
師匠がもしまだ悟りを啓いていなかったら、僕たちはまた再会する。
その時は僕が師匠に「悟りとは何か?」を教えなければいけない。
悟りを啓く自信も、教える自信も正直まったくない。
でももしまた再会したら、僕はそれまでの人生で僕が一番大事だなと思った事をさりげなく師匠に話そうと思う。
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