その13(結)

 夏の太陽が海の向こうに沈み、雲ひとつない夜空には無数の星が瞬いている。

 異民局第1棟屋上の一角に、臨時のオープンエアデッキが設けられている。

 デッキ上にはテーブルやイスが置かれ、テーブルには食堂スタッフが残業して準備してくれた料理のほか、近くの店で買い集めたドリンク類も豊富に並んでいる。

「……ふぅ」

 喧騒の場から離れたリンは、屋上の柵に両手をかけてもたれかかった。

 視線の先では、海を隔てたはるか彼方にトーキョーベイの夜景が広がる。

 その光景は「壁」に転写された映像で、実際には直線でおよそ1500km離れているが、どうせ手に届くものではないのだからたいした違いはない。

「今回もおつかれさま、リンちゃん」

「ありがとうございます。ツバキさんこそ、おつかれでした。ただでさえ面倒なときに、ユウトのヤツ」

 差し出された梅酒の缶を受け取りながら、リンは、離れた場所で騒いでいる同僚たちのほうをにらみつける。

 オープンデッキの上では、新入りのルカとイツキを酒の肴にして、フウマたちが盛り上がっていた。

 慧春えはるとリンは手近なベンチに腰かけると、手にした缶を打ちつけあう。

「ススキ君もレンゲ君も元気そう。リンちゃんに任せて本当によかった」

 慧春に褒められ頬を赤くしたリンは、照れ隠しに梅酒を傾ける。

「そう言ってもらえて、ちょっとラクになりました。今回、自分的にはアンマリだったんで」

「そうなの? どうして?」

「バイト君にあそこまでやらせたのが。ヘンだって気づいたときに締めとけば、ああはならなかったと思うんですよね。先送りしちゃった私の責任です」

「ミナミさんの依頼は緊急だったんでしょ? 仕方ないわ」

「でも、締めようと思えばできたんです。そのくらいの時間はあった。メンドくさかっただけなんです。それでアレですからね。サイアク、24区こっちにいる間に犠牲が出たかもしれない。今回は運がよかっただけで」

 伸びをするように背を反らせると、リンの視界いっぱいに夜空が広がる。

「レンゲ君のほうは、バイト君のお手柄ですよ。私は、望み通りにしてあげるつもりでしたから」

「でも、そのススキ君を指導したのはリンちゃんじゃない。リンちゃんと会ったばかりの彼に、同じことができたとは限らないでしょ?」

 リンは同じ姿勢のまま慧春の言葉を聞いていた。

 星を見上げていると、たまに不思議な感覚を覚えることがある。

 これまでたくさんの星空を見上げてきたせいだろうか。自分の今いる世界が、何番目の世界なのか、曖昧になってくるのだ。

「いつもこうなんです。後から『ああ言えばよかった』『こうすればよかった』って。ユウトのときもそう。なさけない。何百年同じことやってんだか。呆れますよ。ゼンゼン慣れない」

「それは私も同じ。でもそれでいいと思う。人を育てるってそういうことなんじゃないかな?」

 慧春はリンにならって同じように夜空を見上げた。

「だって相手はいつも別人なんだもの。基本はあっても応用は相手次第。慣れちゃうほうが危ないのかもよ? 少なくとも私は、そうやって悩んでくれるリンちゃんだから安心して任せられる」

 慧春は姿勢を戻して、隣にいるリンに向き直る。

「それにね、ギャレット少佐も言ってたわ。『久しぶりに会ってユウトが見違えた。彼をあそこまで鍛え上げた上司に一度お会いしたい』って」

「光栄ですね。こっちこそ、あの駄々っ子の躾け方を伝授してほしいですよ」

 首に手をあてはにかむリンの横顔を見つめながら、慧春は先日の班会議でのようすを思い返す。


 ルカの処遇について話し合われたのは、まだ彼が目覚める前、脱走未遂事件が起きた翌日のことであった。

 その日行われたイツキの聞き取り調査の結果をふまえ、夕方、臨時の班会議が開かれた。その席で、ルカにも情状酌量の余地があることを主張したのはリンであった。

「復讐目的の脱走だって聞いたけど? 特別扱いする事情なんてあるの?」

 ユウトが不審がるのは当然であった。ずっと国外にいた彼は、ここ数日に起きた出来事の背景についてまったく知らないのだ。

「理由は2つ。ひとつは当時の彼の精神状態。レンゲ君の話だと、バイト君のようすがおかしくなったのは、おたがいの身の上話をしたことがきっかけだって」

 リンは、イツキの証言をまとめた報告書を掲げた。同じものが出席者全員に配布済みである。

「だから?」

「たぶんだけど、そのときに一種のフラッシュバックが起きて、バイト君の思考や行動規範が、一時的に前の世界のそれに置き換わったんじゃないかと思う。そう考えれば、あの短絡的で嗜虐的な行動の説明がつく」

「? んん~?」

 リンの説明にユウトが首を傾げると、代わってフウマが口を開いた。

「原因はともかくとして、復讐の準備に数日かけたそうじゃないか。それだけ入念にやっておいて『一時的』は通らないだろう。なにか、そう言い切れる確証があるのか?」

 ルカの減刑を望む気持ちはフウマも同じだが、いくら身内とはいえ犯罪に目をつむるような真似はできない。むしろ異民局の職員だからこそ厳しく対応すべきであった。

「ナイ。実際のトコは、バイト君が起きてみないと分からない。アレが本性ってコトも十分考えられる。ケド私は、その可能性は低いと思ってる。バイト君は私の焼邪杭フェブルウィスを受けても、体が焼け溶けなかった。魂までは穢れてなかった証。あの暴走がフラッシュバックの影響なら、邪気が消えたいまは再犯の可能性も低いはず」

「仮にフラッシュバックだとして、それで減刑は甘くない? フウマも言ったけど、彼は時間をかけて準備してる。計画性があったんだ。その間、とくに錯乱してる風でもなかったんだろ?」

「理由は2つあるって言ったな? もうひとつは?」

 フウマはユウトの指摘にうなづきながら、リンに先を促した。

「2つめは動機。彼はレンゲ君のために行動を起こした。それ自体はどうでもいいんだけど、問題はそのことをレンゲ君が知ってるってコト。今回の件でバイト君が罰を受けたら、あの子も責任を感じるハズ。この2週間で、あの子の精神状態はだいぶ回復した。ここで下手にストレスをかけて、ぶり返すのはもったいない」

「ひとりの中度モデラートのために、犯罪を見逃すって?」

 そうたずねるユウトの口調は愉快そうであった。実際、いつもルールを重んじるリンが、そのルールから逸脱しようとしていることが楽しいのだ。

「レンゲ君、異民局うちで働きたいって言ってるんですね」

 報告書をパラパラと見ていたアオイがつぶやく。

「この2週間でココまで変わるってすごいんじゃないですか? 福祉課の人が聞いたら驚くんじゃ?」

「もっと外の空気に慣れてからだけどね。とりあえずはリハビリセンター通いから」

「ちょっと前まで死にたがってたヤツが、よくそこまで言えるようになったもんだ。よっぽどルカとウマがあったのか? それも評価してのことか?」

「それもある」

 フウマの問いにリンがうなづくと、またしてもユウトが楽しげに茶々を入れる。

「意外だなぁ。少年の件はたまたまでしょ? べつにルカかれが治療にあたったわけじゃない。少年が生きることを選んだのは幸運や偶然が重なっただけ。ただの結果論だ。そういうの、キライじゃなかった?」

「バイト君の存在が支えになったことは、レンゲ君も認めてる。自殺を思いとどまるような発言もあったそうだから、ぜんぶ偶然ってわけじゃない。なら、それを評価しないのはフェアじゃない」

「そう? それで君が納得してるんなら、いいんだけどね」

 どこか皮肉っぽく笑いながらユウトが矛を収めると、アオイが小さく手を上げた。

「じゃあ、ススキ君も体調が戻ったら職場復帰ですか?」

「それはない。脱走だけでも重罪なのに、大量殺人を計画するようなヤツ、無罪放免なんてありえない。目が覚めたら留置場にぶちこむ」

「……え?」

 手を上げたまま固まるアオイの横で、フウマもガクンと姿勢を崩す。

「なんだそりゃ? じゃあ、この話はなんだったんだ?」

「だって、え? ススキ君が逮捕されたら、レンゲ君、ショック受けるんじゃ……?」

「それとこれとは別の話。犯罪者を見逃すとかありえない。そこはイツキあの子にも分かってもらうしかない。チャンスをやるかどうかはバイト君の態度次第」

「どういうことですか?」

「ちゃんと反省してるかどうかってことか?」

「そ。それも骨の髄から。私的には、逆恨みは論外として、ぐだぐだ言い訳したり、すねてグチるのもナシ。少しでも反抗的な態度みせたらこの話はシューリョー。ムショでも地下でも放りこんでやればいい。レンゲ君のことがあるから、刑期を少しばかりオマケしてやるのはいいかもだけど」

「それって、だいぶハードル高いような……」

 アオイは半ば無意識につぶやいた。

 たとえ一時的な錯乱だとしても、復讐を邪魔されたうえ、逮捕拘束されたルカがまったく不満を抱かないなどありえるだろうか?

「私は当事者でもあるから、そのへんのラインはみんなに任せる。カンタンにクリアできたら意味ないと思うけどね。最終的なジャッジはユウトと、それにツバキさん、よろしくお願いします」

「ええ、わかった」

「ハイハイ、やるよ、シゴトだからね」

「あの、それで、ちゃんと反省してるようなら……?」

 やや頭が混乱したアオイが改めて質問すると、リンはさも当然とばかりに即答した。

「私たちの仲間候補が減らずに済む」


 不意にオープンエアデッキのほうで喜声が上がった。

 慧春とリンが何事かと視線を向けたとき、テーブルの向こうからフウマが呼びかけた。

「おーい、ご両人。ヒロさんのデザートが来たぞ? いいのか? アオイとメイが全部食っちまうぞ?」

「いちいち呼ぶことないでしょ。気づかないほうが悪い」

「……アイツ」

 リンは勢いよく立ち上がると、慧春を振り返った。

「行きましょ、ツバキさん。あの子たち、ホントにぜんぶ食べる気ですよ」

「フフ、そうね。せっかくのチートデイだもんね」

 リンと慧春は肩を並べて、仲間たちの輪の中へ入っていった。

 その向こうには、時の流れから取り残されたような前近代的な街並みが広がっている。

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異世界後遺症の癒やし方 参河居士 @sangakoji

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