その12

 ファイルの中の書類にサインをすると、慧春えはるは取調室を出て行き、入れ替わりで入ってきた職員がルカの首枷と手枷を外した。

 その場で職場復帰が認められたルカは、エレベーターで5階まで上がり保安課のオフィスへ向かった。もう二度と来ることはないと思っていたドアの前に立つと、大きく深呼吸したあとドアを開ける。

 保安課のオフィスには、リン、フウマ、ユウトがいた。車座になって何やら話しこんでいた3人は、ドアの開く音に反応し顔を向ける。

「……っ」

 リンたちの視線を浴びたルカは、無言の圧迫感にたじろぎかけたが、その不安はすぐにかき消えた。

「うわっ、ホントに戻って来た。もの好きだなあ」

「お疲れ。留置場どうだった? リンの説教タイムはもっとキツイから覚悟しとけよ?」

 ユウトとフウマが口々に出迎えの言葉を投げかけ、緊張で強張ったルカをごく自然に輪の中へ引き入れる。

「先に言っとくが、ここにいる連中はみんな何かしらやらかしてる。たっぷり叱られて、たっぷり反省したら、余計な引け目は捨てろ。大事なのは次に活かせるかどうかだ」

「はい、ありがとうございます」

 フウマたちに礼を述べたルカは、部屋に入ってからずっと無言のリンに向き直る。

「先日はご迷惑をおかけしました。今日からまたよろしくお願いします」

 深々と頭を下げたあと、リンの目をまっすぐに見つめながら宣言した。

「俺もセンパイのような正義の味方になれるよう、がんばります!」

 異民局職員として再出発するために、これまでの反省とこれからの覚悟をこめた、ルカなりの決意表明であった。

 ところがそれを聞いた3人の反応は鈍かった。

「……」

「……」

「……」

 3人のうち2人は呆気にとられたようすでルカを見返していたが、本人はまったく気づかない。そして、意気ごんだルカがさらに言葉を重ねようとしたとき、残るひとりが盛大に吹き出した。

「アハッアハハハハ! いいね! 君、いいよ! アハハハ! ほんと! 最高! アハハハハハハ! 気に入った!! アーハハハ!」

 ユウトは失笑を隠そうともせず、右手をそえた腹をよじらせながら、空いている左手でルカの背中をバンバンと叩く。

「アハハハハアハ! 正義の、ブ、ププッー! み、ハハッ、味方だって! ブハッ! アハハハー! ハー、アハッ、よかったね、リン! これで、アハハ……モガッ」

「いいからこっち来い」

 我に返ったフウマは椅子から立ち上がると、はしゃぐユウトの口をおさえ給湯コーナーまで引きずっていく。

 そのようすを白い目で見送ったリンは、ひとつ鼻を鳴らすと、唖然としているルカに視線を向ける。

「分かってると思うけど──」

「……っ!」

「チャンスは一度だけだから」

「はいっ!」

 ルカは身を引き締めると、ユウトの横槍で中断していた宣言を続けた。

「イツキみたいな子を減らせるように──、『こっちの世界も悪くない』って思ってもらえるように、がんばります。イツキにしてやれなかったぶんまで!」

「あの子の人生はあの子のモンだよ。あの子が自分で決めたことまで、バイト君が背負うことない」

「分かってます。ただ俺が──」

「ただいま戻りましたぁ」

 聞き慣れた声にルカが振り返ると、ちょうどオフィスに入ってきたアオイと目があった。

「……あ、ススキ君! え? あ、……ってことは、もう大丈夫なんだよね? またここで働けるってことだよね? そうだよね、リンちゃん?」

 ルカの姿を見るやいなや、アオイはすぐに状況を理解したようだ。

「そうなるかな、いちおう」

「はいっ。みなさんのおかげで、やり直すチャンスを……」

 ルカは、取調室での慧春とのやり取りについて説明しようとしたが、当のアオイは、勢いよく部屋の中央まで来たところで急に背中を向けた。

「よかったね。ずっと心配してたもんね。ほら、……どしたの?」

 アオイの後ろに誰かいるようだ、とルカが気づいたとき、小柄なアオイの背後から、さらに小さな背丈の少年──イツキが顔を見せた。

「!!」

「……あ、あの……」

 壁際にのいたアオイと入れ替わって、イツキがおずおずと前に出てくる。

「あ、えっと……、手紙……、その、ごめんね……?」

 イツキは何ごとかつぶやいていたが、ルカには聞こえていなかった。

 フラフラと少年のそばまで歩み寄ると、震える両手をイツキの肩に置いた。

 手から伝わる感触でそれが現実の存在だと確かめるかのように、ニ度三度ぽんぽんと軽く叩いたあと、ルカはその場に膝をついて安堵の息を漏らした。

「……ルカさん?」

「……よかった、俺、てっきりもう……、よかった……」

 安心した途端、全身の力が抜け、イツキの肩にかけていたルカの手がずり落ちる。

 ルカの予想外の反応に驚いたアオイは、静かに立ち位置を変えながらリンの横にまで移動した。

(ごめん、まだヒミツだった? まずかったかな?)

(ゼンゼン。話す前に戻ってきただけ)

 アオイに耳打ちされたリンは、後輩の不安を払うように片手を軽く降る。ルカの現場復帰が決定した時点で、ことさら隠す理由などない。

「大丈夫? あの……、ごめんね、僕が……」

 心配したイツキが身をかがませると、ルカは勢いよく顔を上げ少年の言葉をさえぎった。

「違うっ。イツキは悪くない。全部俺だ。俺が悪いんだ。俺がいろいろ勝手にやって、迷惑をかけたんだ。俺のほうこそ謝りたかった。巻きこんでごめんなっ」

 少年たちが感動の再会に興じている間、周りの大人たちは、むずがゆい気分を味わいながらも、事が収まるまで静観を決めこんでいた。

 給湯コーナーからノコノコ戻ってきた1名を除いて。

 ところが、青臭い空気にうんざりしたユウトが何か言おうとしたとき、またもオフィスのドアが開かれ騒々しい一団が入ってきた。

「2班、戻りました」

「たっだいま~」

 にぎやかな声の主は、本土での仕事を終えた保安課のミナト班の3人であった。

 最初にオフィスに入ったミナトは、室内の微妙な空気をすぐに感じとったが、そのあとに続くメイはまったく気づかない。

「あー! リンがまたパワハラしてる! いけないんだ! そーいうの、もう古いんだぞ! オーボー上司! クラッシャー上司!」

 床でうなだれているルカと、そのそばに立つリンを目にした途端、メイは大声ではしゃぎたてた。

 まるで小学生のようなからみかたをするメイを、リンは小うるさげにあしらう。

「するか。大勢の前で泣きべそかいたダレカサンじゃあるまいし」

「だれのコトだぁ!」

 カウンター気味に痛いとことを突かれたメイは、耳まで真っ赤にしてリンに迫る。

「私、泣いてないぞ! そんなのウソだ! 誰が言った!?」

「もー、やめなさいって。まだ勤務時間中だぞ? みんな仕事してんだから。ほかの部署にメーワクだろ」

 ミナトが疲れたようすでメイとリンの間に割って入ると、後ろからトコトコついてきたアオが何かに気づいてルカたちの顔をのぞきこむ。

「ん~? そっちは例のバイトの人だよね? じゃあ、もしかして、君『イツキ』?」

「え? イツキ? 誰が? どこどこ? どっちよ!?」

 アオの言葉に反応し、それまでリンに食って掛かっていたメイが、体をグルっと旋回させてイツキに向き直る。

 急に見知らぬ人々に詰め寄られたイツキはびくっとしたまま硬直し、ルカはそんな少年をかばうように立ち上がる。

「アナタが『イツキ』? そうなの? ネコに変身できるってホント? 私もネコ好き! こんどナデさせて!」

「う~わ……、子ども相手に『なでさせろ』って。ヤバすぎ。アンタこそセクハラじゃん」

「な!? セッ……、ドコがだ! なにがだ!」

「も~、静かにしてくれよ、頼むから。なんでそんな元気なの? オニーサン、早く帰ってゆっくりしたいよ。なあ、ツバキさんは? いないなら、報告明日でもいいかな?」

 フロア内を見回したミナトは、その場にいない上司の所在について問いかける。

「あ、あの、ススキ君の件が落ち着いたので、報告に、行ってます」

「すぐ戻ってくるだろ? 座って待ってろよ」

 アオイとフウマがそう応じるかたわらでは、アオがイツキの前でニコニコと自己紹介を進めている。

「君もウチで働くんだって? 僕は2班のアオ、あっちはメイ。あまり会う機会ないかもだけどよろしくね」

「え? そうなのか?」

 2班の騒々しい凱旋に唖然としていたルカは、驚いてイツキをふり返る。

「あ、うん……、そう。お手伝いっていうか。でも、スグにじゃないよ? ……まだ、それはムリだし。ただ、僕でも役に立てることがあるならって、そう思ったんだ」

「立つと思うよ。いろんな動物に変身できるんでしょ? 本土あっちならそれだけで即戦力だよ。2班ウチでも大歓迎」

 一同がフロアのあちこちでガヤガヤと騒いでいると、やがて「事故」の事務処理を終えた慧春えはるもオフィスに戻ってくる。

「あらあら、にぎやか。みんな、もうちょっとトーン抑えてね?」

「あ、おつかれさまです」

 リンがまっさきに反応すると、他の面々もバラバラに続く。慧春は部下のひとりひとりに丁寧に応じながらデスクに着いた。

「ミナトくん、早かったのね」

「本土宛の報告書は昨日のうちに送りつけておいたんで、午前中にざっと説明しただけで終わりでした」

「そう、それは良かった。メイちゃんもアオくんも、長い間大変だったでしょう。しばらく公休扱いでいいから、ゆっくりしてね」

「ハーイ!」

 フロアの壁際にあるホワイトボードの予定を確認した慧春は、さらに言葉を続ける。

「それでね、2班の大きな仕事が片づいたから、明日にでもおつかれさま会をやろうと思うの。19時くらいから屋上でやる予定だから、来られそうな人は来てね」

「やった!」

「はい! はい! 行きます!」

「そっかぁ。じゃあ、今日はこのままラボに行こっかな。明日もヒマだし」

「ダメ! もう着替えないじゃん! 今から洗濯に出せば明日には終わってるんだから。あと部屋の掃除も! ほら、急いで!」

 騒々しいメイとアオのやりとりに顔をほころばせながら、慧春はルカたちにも呼びかける。

「2人もよかったら、ね? 今日はもういいから、2人でゆっくり話し合ってみて」

 ルカとイツキは、いったん顔を見合わせたあと、慧春に向き直り笑顔でうなづいた。

 オフィスを出た2人は何を語るでもなく並んで歩いていた。

 ルカには、イツキに話したいことも聞きたいこともあったが、どっちを先にするかで迷い、切り出すタイミングがつかめなかった。

 そのまま下りのエレベーターに乗りこみ、2人きりになったとき、イツキがルカの方を見上げて口を開いた。

「……そうだ。あのね」

「ん?」

「あの、このあとの、ことなんだけど……。僕、一週間って話だったでしょ? 最初に約束したの」

「やくそく? ……あ、ウチに住むって話? そういえばそうだったな」

「そう、それでさ、前のアパート、まだ空いてるみたいで、すぐ戻れるらしいんだよね」

「……そっか」

 ルカはすぐに察した。イツキの言うとおりだ。2人の共同生活は、イツキの安楽死決行までの保護が目的だったわけで、保護の必要がなくなったのであれば続ける理由がない。

 むしろ、あれだけ怖い思いをさせられたイツキが、ルカとの同居など望むはずがない。

「じゃあ、アレだ、また先輩に……」

 努めて冷静に振る舞おうとするルカの声に、イツキの声がかぶさった。

「──でも、できれば、僕、まだあの家に住みたいんだ。……ダメかな?」

「イイに決まってるじゃないかっ。何言ってるんだよ」

「え、そう? そうなんだ」

 ルカが食い気味に反応したことに驚き、イツキは半歩ほど後ろに下がる。

「そっか、よかった……。だって、ほら、ルカさんに教えたいこと、まだたくさんあるし」

「そうだよ! まだ俺、味噌汁だって失敗するんだぞ? 先生がいなくなったら、この先どうするんだ? 一生カレーしか食えないじゃないか。見捨てないでくれよ」

 高校生とは思えないことを、ルカは自分よりはるかに幼い相手に向かって恥ずかしげもなく訴えた。

 あまりに堂々としていたため、イツキは数秒ほどキョトンとしたあと不意に吹き出した。無邪気に笑う少年につられてルカも笑いだし、地階に着くまでの間、狭い個室内で2つの笑い声が反響していた。

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