その11

 住民の代表者が島を統治すると告げたとき、本土側からの反応は鈍かった。少なくとも諸手を挙げて歓迎されたわけではなかった。

 そこにはさまざまな事情があったが、とくに帰還民削減を目論んでいた者たちは、その知らせにふれたとき大きな失望感を覚えた。

「おとなしく間引かれていればいいものを! チンケな仲間意識に芽生えおって。同病相憐れむとは見苦しい連中だ」

「統治だと? 素人が集まって行政のマネごとをするとは、我々に当てつけているつもりか? 小賢しい」

「あっちでもこっちでも数ばかり増えていく。まさに害虫だな」

 自分たちの思惑から外れ、しぶとく生き延びた帰還民に対して理不尽な恨みすら抱く者もいた。

 さりとて自分たちの計画が非合法である以上、声を上げて帰還民を非難することもできず、歯噛みする思いであった。

 他方、プロジェクト参加者で、裏事情を知らぬ者たちは24区の現状を知って喜んだ。

 ひとつには、それこそリハビリ計画の成果であり、自分たちの立案したプログラムの有益性が証明されたことになる。

 そしてもうひとつは、24区内の統制が進んだことで、有能な人材を見出しやすくなったことである。

 これまで帰還民の能力には不明瞭な要素が多く、政府が詳細を把握することは困難であった。それが住民限定とはいえ、おおよその内容がデータとして集積されたことで適材適所な活用が可能になったのである。

 国策に携わる職員たちは、そのデータを有効かつ効率的に、そして広範囲に活用することを思いついた。その有効活用のひとつが治安維持である。

 24区が誕生して以降も移住者の数は伸び悩んでおり、本土での帰還民犯罪は後を絶たない。その犯罪の摘発および対処に、同じ帰還民をあてがうことにしたのだ。

 24区の環境改善に苛立っていた幹部たちは、部下たちのこうした提言を受けて機嫌を直した。

「島の連中に同族狩りをやらせるということか。確かにいいアイディアだ」

「はぐれ者同士をぶつけ合わせるわけだな。どっちが死んでも害虫が一匹減る。まともな国民の手を汚すこともなく。一石二鳥とはまさにこのことだ」

 気を良くした幹部たちは、さっそく各部署に通達し、帰還民の雇用に関する諸条件をまとめあげると、島の異民局支部を通じて住民たちに布告した。

 大まかな内容としては、住民が異民局の職員となって働けば、これまで以上の支援が約束されるというもので、露骨なまでの懐柔策である。

 それまでの政府の非協力的な対応に鬱憤をためていた島の住民たちは、手のひらを返すような提案に対し懐疑的であった。

「奴らの魂胆は見え透いている! いいように利用されるだけだ!」

「ようやく平和な暮らしが手に入ったんだ。島の外のことなんか知るか! 勝手にやらせておけ!」

 24区に秩序を確立させるために、たくさんの血と涙が流れた直後である。そこにつけこむような政府のやり口には反発する声のほうが大きかった。

 だがそれでも、島の代表者たちは異民局に所属することを選んだ。

「彼らの思惑に乗るつもりはない。そのためにこちらからも条件を出す。本土と24区は対等の立場であり、人材の派遣は相互協力のため。それが絶対条件である」

 そう言葉を尽くして説得し、慧春えはるたちは反対派を納得させたのだ。


「異世界からの大量帰還とそれに端を発した争いで世界は一変した。私たちが持っている力のせいで、多くの人たちが傷ついた。直接的にも間接的にもね。その傷あとは人々の心と身体、そして社会にも深く刻みこまれている。この世界全体が争いの後遺症に苦しんでいるようなもの。世界全体を蝕んでいるこの病を完治させる方法は、まだ誰にも分からない。本当に癒せるかどうかも分からない。それでもいつか治ると信じて、その方法を探しているところ」

「後遺症……、世界が……」

「だから私たちは仲間を探している。傷ついた世界を癒やす方法について、いっしょに考えて、悩んでくれる人を。その数が多ければ多いほど、早く答えが見つかると思うから。ススキ君に声をかけたのもそれが理由」

「……すいません。俺、ほんとに……」

 慧春えはるの語った想いは、きっと異民局で働く島民全員に共通する想いに違いない。混乱した世界を立て直すためにみな必死なのだ。リンも、フウマも、アオイも、ユウトも、そして保安課以外の職員たちも。

 そんな場所で、ひとりヒーローごっこ気分に浸り、その挙げ句に期待に背いてしまった自分が恥ずかしくてたまらない。

「それでね、ようやく本題なんだけど、ススキ君に選んでもらいたいものがあるの」

 そう言うと、慧春はかたわらに置いていた、緑のファイルと青のファイルを机の上に並べた。

「この緑のファイルは、先日起きた脱走未遂事件の捜査書類。ススキ君とレンゲ君の供述調書、それと捜査担当者の報告書が入ってる。そして──」

 緑のファイルの上に置かれていた慧春の指が、となりの青のファイルの上へ移動する。

「この青いファイルは、先日起きた術科特殊訓練中の事故に関する調査書類」

「事故?」

「臨時職員の能力検証を兼ねた夜間飛行訓練中に飛行船が爆発した件について、事故の起きた経緯や事前準備の不備についてまとめた報告書と、訓練を管理していた鉄葎かなむぐら保安官の始末書が入ってる」

「始末書? センパイが? なんでです?」

「どっちも、あとは私がサインをして提出するだけ。だからね、この2つのファイルのうち、どちらにサインをするか、ススキ君に選んでもらいたいの」

「え……?」

 ルカは困惑した。

 慧春の言っていることが理解できなかったからではない。理解できたからこそ何を言われたのか分からなかったのだ。

 慧春の提示した選択肢は明快だった。ここでルカが青のファイルを選べば、ルカの脱走未遂事件は無かったことになり、無罪放免ということだ。

 いくら24区が特別だからといって、そんなことが許されていいのだろうか。地下送りになるだろうと覚悟していたルカにとっては想像もしていなかった展開である。

「でも、え? それって、あの、俺、クビなんじゃ……?」

「もう辞めたい?」

「いえっ、そんな、そうじゃないです、けど……。でも……」

 そういったきりルカは黙りこんだ。

 慧春が無言で見つめる間、ルカの視線は、ずっと緑のファイルに注がれていた。

「混乱したこの世界の状況を立て直すために、まずやるべきことは完全な秩序を回復させること。でもそれだけではダメ。一度歪んでしまったものを強引に戻そうとすれば、歪みが大きくなったり、割れてしまうこともある。ゆっくり時間をかけて、歪みの原因から正す必要がある。そのためには、常在者と帰還民、被害者と加害者、弱者と強者、いろいろな立場で物事を考えられる人が求められている。ススキ君が今回学んだことは、異民局の仕事を続けていくうえでとても役に立つことだと、私は思っている。貴方はどう?」

「俺は……」

 慧春の澄んだ瞳に見つめられたルカは、胸元に手を当てながら、絞り出すように答えた。

「俺は、イツキに喜んでもらいたかったんです。どうせ死ぬなら、その前にひとつくらいイイ思いをしてほしかった。イジメたヤツにやり返してやれば、少しは気が晴れるんじゃないかって。そう思ってた。……でも違った。ホントはそうじゃなかった。たぶん俺は、俺の中の恨みをイツキに重ねてただけだったんです。イツキのことを本気で考えてたわけじゃなかった」

 イツキの手紙は、いくつものことをルカに気づかせてくれた。ルカが無意識に目をそらしていた、彼自身の心の古傷もそのひとつであった。

「もっとちゃんと考えて、ちゃんとアイツの立場になって考えていたら、ほかにしてやれたことがあったかもしれない。そうでなかったとしても、あんなイヤな思いをさせることはなかった。俺は間違えたんです。何も分かってなかった。手紙を読むまでそんなことも気づかなかった。センパイにもずっと言われてたのにゼンゼン分かってなかった。いまでもホントに分かってるのか分からないです。そんな俺が他人にルールを守らせるなんて……。……俺には、ここに残る資格なんてないんです」

 ルカの手が緑のファイルに伸ばされる。しかし、その指先がファイルにふれる寸前で止まった。

「──でも、それでも、もう一度だけチャンスがもらえるなら、やりたいです。やらせてください! 今度こそ、ホントに、誰かのためになることをしたいです!」

 ルカが青のファイルを両手で捧げ持つと、慧春は穏やかにうなづき、差し出されたファイルを受け取った。

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