その10
ルカの話を聞き終えた慧春は、いつにない憂いの帯びた瞳でルカを見つめ返す。
「……本土では、このリンカイ区を『ニホンのパトモス』とか『現代のモロカイ』なんて呼ぶ人もいるんだけど、どうしてか分かる?」
「パト? いえ、わかりません……」
慧春のあげた単語は、ルカには聞き覚えがなかった。国名なのか地名なのかさえ定かではない。
「それはね、この特別区が、異世界帰還民を隔離するために作られたから」
「……!?」
「リハビリというのは表向き。本当の目的は、争いの火種になる帰還民を一箇所に集めることで、一般の人々の生活圏から
「……なんですか、それ。そんな……」
政府も始めからそこまで非人道的な計画をしていたわけではない。島の住民に交渉を持ちかけた当初は、真剣に帰還民との共生を考えていたのだ。
だが、島でのリハビリプログラムの準備を進めていく過程で、大きな問題に直面した。予算や人員など小さな課題はいくらでもあったが、最大の懸案事項は島の治安である。
大きな災厄が収まったばかりで、多くの国民が帰還民に対して恐怖を抱いている。行政に携わる職員たちの安全が保証できない限り、非帰還民を派遣することはできない。
計画に関わる各省庁の幹部職員たちは頭を悩ませたが、容易に解決できる問題ではなかった。
日中に行われる公式の会議はもとより、料亭で催される非公式の会合でも、話題はそのことでもちきりであった。
「いま大人しくしている連中も、何をきっかけにまた暴れ出すか知れたものではない。島での生活に厳格なルールを設けて、少しでも違反した者は直ちに処罰させては? とくに非帰還民への暴行は厳罰化すべきだ」
「言いたいことは分かるが、逆の懸念もあるぞ? 窮屈な場所だと思われて、移住希望者がいなくなっては元も子もないだろう」
「だいたい処罰というが具体的にどうするというのだ? 決められたルールを破るようなヤツが、大人しく命令に従って罰を受けるとは思えん。野生の猛獣に芸をしこむようなものだ。下手に手を出せば、腕ごと噛みちぎられるぞ」
オガサワラ事変においてはっきりしたことがひとつある。それは「帰還民と互角に戦えるのは帰還民だけ」ということだ。
帰還民の力は多種多様で、なかには非力な者もいるが、行政の指示に従わない連中ほど厄介な力を持っているものだ。
たとえ見た目が子供でも、魔法やら超能力やらを使われたら、
このとき政府の中で「帰還民を行政職員として雇用する」という案を唱える者はひとりもいなかった。「国家反逆者と同類の帰還民」など信用に値しないからである。
何度も話がループし、その都度、帰還民への不信感と嫌悪感を募らせていった幹部たちは、やがて発想を転換することにした。
最初に言い出したのは、財務省の幹部職員で、帰還民排斥派に属する男だったと言われる。
「制御できないというのなら、いっそ好き勝手にさせたらどうだ? 怪しげな力に溺れて頭のタガが外れてる連中だ。何をしても罰せられないと分かれば、すぐに暴発するに決まっている」
「……なるほど。国民のいない場所で、帰還民同士で争わせるわけだな。こちらが何をせずとも勝手に数を減らしてくれるというわけだ」
当時の島の住民たちは、こうした政府の目論見についてまったく知らなかった。慧春ですら、それを知ったのはずっとあとのことである。
ルカは拳で額を叩きながら、頭を大きく左右に降った。吐き気のする内容に目が眩みそうになる。
「……おかしいですよ。おかしいですよね? なんでそんなヒドイことが許されるんです? 人間同士を殺し合わせて数を減らすって。だいたい、帰還民みんなが戦えるわけじゃない。魔法どころか、向こうの記憶すらない人間だっているんですよ? それって、飛ばされなかったのと同じじゃないですか。政府の人たちだって知ってるんですよね? なのに何でです!? そんなの、ただ殺されろって言ってるようなもんじゃないですか! 本土の人間と何も変わらないのに!」
24区の設立・運営に関わったすべての人間が、このような恐ろしい計画に賛同していたわけではない。
それどころか、一般職員のほとんどは、上層部の思惑など知ることなく、自分たちが「帰還民のための島」を作っていると心から信じていた。
「そうね。本当にそう。あってはならないことだと私も思う」
のちに慧春たちがつかんだ情報では、政府は、より効率的に住民の数を減らすために複数のプランを用意し、住民削減計画は非情かつ周到に進められていた。
「……それでも私は、彼らの行為のすべてを否定することはできない。ある意味、仕方のないことだったと思ってる」
「!?」
「異世界の知識や技術は、
「……でも、そんなヒドイですよ。みんな好きで異世界に行ったわけじゃないし。何も覚えてない人だっているんですよ?」
「そうね。でも本人が『覚えていない』と言っても、他人にはそれが真実かどうか分からない。だから『異世界から戻った』というだけで、人々の不安や疑念を招いてしまう。そして、そういう偏見にさらされて、罪のない帰還民が被害にあうこともあった。このリハビリ計画には、そういう無力な人たちを保護する側面もあったの」
「保護って……。島は無法地帯だったんですよね? じゃあ同じことじゃないですか。力のない帰還民は自分の身を守れないのに!」
「そう。だから、私たちは島にコミュニティを作って、本土と同じルールを広げていった。犠牲になる人を少しでも減らすために。その頃の異民局は事務処理を行うだけの役所だったの。政府の窓口という体裁を取り繕うためのね。だからなにもかも自分たちでやるしかなかった。ここまで来ることができたのは、同じ志をもった、大勢の人たちの努力があったから。おかげで24区の治安は世界中の隔離施設の中でも高い水準を維持できている」
物言いは淡々としているが、慧春の表情や声の端々から犠牲者を悼んでいることが伝わってくる。彼女たちとて、犠牲者を出したことに納得しているわけではないのだ。
「でもね、ススキ君の言ってることも正しいの。理想を言えば、誰も傷つかない道を選びたかった。時間をかけて、大勢の人たちの意見を聞いて、みんなが納得できるベストの方法を探りたかった。でもあのときは答えを探して議論を重ねるだけの余裕が無かった。帰還民に対する差別や偏見は日を追うごとに高まっていて、一日でも早く動く必要があった。だからベストではないと分かっていながら、ベターな道を採るしかなかった。それが本当に正しい決断だったのか、当時の私たちには分からなかったし、今だって分からない」
選ばざるを得なかったとはいえ、力の無い人達を守るために相応の覚悟を持って下した決断だった。それでもなお、当時の自分たちの選択が正しかったのか悩み、苦しんでいる。
「全員が納得する方法が見つけられなかったから、全員に少しずつ我慢してもらう道を選んだ。急にすべてを変えることは無理でも、みんながちょっとだけ不自由な思いをすることで、少しずつでも状況を変えられる。そう信じて隔離政策を受け入れたの」
「……移住した帰還民はそうですけど、
「非帰還民の人たち、──最近は『常在者』という呼び方もあるけれど、彼らの望みは『自分たちの周りから帰還民が消える』こと。24区ができたことで犯罪を犯した帰還民を収容する場所はできたけれど、移住自体は強制ではないから、まだ多くの帰還民が本土に残っていて、そのことが
「……」
「幸い、24区の運営は今のところ順調だけど、もし将来、24区が経営破綻したり、移住計画が頓挫するようなことがあれば、『共存の理想に囚われ、取捨選択を誤って妥協を重ねた結果、すべての人間を不幸にした失策』として批判されるでしょうね」
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