その9

 翌日、7時に起床したルカは、布団を片づけ洗面を済ませたあと、8時に朝食をとると、あとは職員に呼び出されるまでじっと待っていた。

 8時50分、居室の前に2人の職員がやって来て、ドアの手前で手枷をはめられたルカは、職員たちに挟まれて取調室まで移動した。

(最後もココなんだな)

 室内に入ったルカは殺風景な室内を見渡す。居心地のいい場所ではないが、3度目ともなるとどこか場慣れしている自分に気づく。

 ルカが席についてしばらくすると扉が開いた。2つほどのファイルを手に取調室に入ってきたのは慧春えはるだった。

 ルカは、相手が慧春だと気づいた瞬間、思わず顔を背けていた。このとき、この場所で、もっとも会いたくない人物だった。

 慧春に異民局のバイトに誘われてから、まだ一ヶ月ちょっとしか経っていないが、まるで遠い日のできごとのように思える。

(合わせる顔がないって、こういうコトなんだな)

 ルカが顔をうつむかせて場違いなことを考えている間に、慧春はいつもと変わらぬ優雅な仕草で椅子に腰掛けた。

「久しぶりね、ススキ君。怪我はないって聞いたけど、ちょっとやつれたかな? 気分はどう?」

「あ、いえ、大丈夫、です……」

「そう。よかった」

 慧春は依然とまったく変わらず、朗らかに話しかけてくる。

 恐る恐る顔を上げたルカと目が合うと、慧春は優しく微笑んだ。公園で初めて会ったときと同じ、温かく包みこむような笑顔であった。

「ススキ君がウチでバイトを始めてからもう一ヶ月も経つんだよね。やってみてどうだった? 思っていたより地味じゃなかった?」

「え? あ、いえ、あの、それは……まあ、はい」

 対面で小さくなっているルカをよそに、慧春はオフィスにいるときと変わらぬ調子で雑談を始めた。

 てっきり今後の処遇について説明されるのだろうと身構えていたルカは、すっかり面食らい、混乱した頭で反射的に応じていた。

24区ここでは異民局の仕事が広すぎて、やることが多いから。もう少し分散できればいいんだけど。でも、これでも楽になったほうなの」

「はぁ……」

「ちょっと長くなるけど、昔の話をしてもいい? ここができたころの話」

「はい? はあ……、俺はべつに……」

 慧春は「ありがとう」と言って小さくうなづくと、24区誕生の経緯について語りだした。それはルカが初めて聞く内容だった。


「この島ができたのは、まだオガサワラ事変の最中。ある帰還民が、行き場を無くしたすべての人のために、安全な避難場所として作ったの。最初は草木のほかにはなにもなくて、食べ物も薬も外から運んで来なければならなかったけど、それでも本土にいるよりはずっと安全だった。島にいる人はみんな顔見知りだったし、インフラが自然に生えてくるおかげで、建物が増えるごとに島の暮らしは楽になっていった」

 避難者の中には、家や家族を失い心が荒んでいる者もいたが、大きな事件は起きなかった。土地が広いということに加えて、少人数であるがゆえに、多少のもめごとなら当人同士の話し合いで解決できた。

「そのうち本土の争いも終息に向かいだして、島の住人たちもこれからの生活について考え始めた頃、島の存在を知ったニホン政府から連絡があったの。『島の一角に帰還民のリハビリを目的とした居住エリアを作りたい。もし受け入れてもらえるなら、島の避難民への生活支援について他の地域より優先する』って」

 この申し出に対して、島の住民は期待と不安を抱いた。

 政府の支援を受けられることは願ってもないが、大勢の帰還民たちと同じ島で暮らすことには抵抗がある。

 島を作った帰還民と住民の代表者が本土に赴いて政府と交渉を重ねる一方、島内でも話し合いが行われ、およそ1年後、島にいた非帰還民全員が本土に転居することが決まった。

 そして最後のひとりが島を出たその日、トーキョーに24番目の行政区、帰還民自治を定めた構造改革特区「臨界区」が誕生した。

 帰還民の移住が始まってしばらくは、先住民の決めたルールが守られ、島の雰囲気は以前と変わらなかった。

「でも人が増えていくにつれて、住民同士で意見がぶつかることも増えてきて。グループを抜けた人たちが別のグループを作るということを繰り返すうち、島のあちこちに集落ができた。ちょうどいまの第2層みたいにね」

「え……?」

 言った直後、ルカは慌てて自分の口を手でふさいだ。

「? どうかした?」

「あ、いえ、なんでもないです……」

 嘘である。慧春の説明に違和感を抱き、思わず口をついて出てしまったのだ。だがいまの自分には慧春に質問する資格が無いように思えて、素直に打ち明けるのはためらわれた。

「そう? 何か知りたいことがあったら遠慮しないでね?」

 ルカが遠慮がちにうなづくと、慧春は再び島の過去について語りだした。

 島にある住居には必ず電気やガス、上下水道が完備されているため、生活するだけならば何の問題もない。

 しかし建物の出現には法則性がなく、その数には限りがある。同じ集落であれば、ひとつの家屋を大勢で共有することも可能だが、集落を出ていった者にその権利はない。

 集落が分裂し続けたことで、建物の需要が供給を上回ることとなった。

「それで今度は、建物の所有をめぐって争うようになったの。新しくできた建物もそうだし、もう所有者が決まってる建物まで奪いあうようになって。その頃はみんな異世界の能力を自由に使っていたから、最後のほうはマフィアの縄張り争いみたいになって、人もたくさん亡くなった。それが1年くらい続いた頃だったかな。比較的穏健なグループの代表者たちが話しあって同盟を結んだの。建物の所有や居住エリアに関する取り決めを交わして、どこかのグループが襲われたら全員が協力して助けるって」

 その同盟の輪が大きくるにつれて島の治安も安定していき、代表者たちの合議による統治システムが確立されていった。

 そして同盟に抵抗していたグループが一掃され、島全体がひとつの集団として統一されたタイミングで再び政府からの働きかけがあり、代表者たち全員が異民局に配属されることになった。

 このとき島の統治機構はすべて異民局に集約され、島内に区役所や警察、消防署といった行政機関が設置されるつど、その機能を移譲してきたのだ。

 異民局自体は、リンカイ区の誕生当初から「行政支援」の名目で島内に設置されていたが、現在のような機能を持ったのはこのときからである。

「……」

 ルカの中に芽生えた違和感は、ここまでの説明を聞いて消えるどころかさらに強まった。

(住民同士が争ってた? 24区になったあとも? それってヘンじゃないか? 人が死んでるのに、国は何もしなかったのか? っていうか警察とか区役所なんて最初に作るべきじゃないのか? なんでそんなあとまで放置してるんだよ。リハビリのために島に来たのに、それで殺されたら意味ないじゃないか。島に人を集めたのは国なんだから、安全を守るのは国の仕事だろ)

 どうにも納得がいかない。その死んだ人々が、大人の作り出した社会システムの犠牲者と思えば、イツキの事情と重なる。ユウトから聞かされた話も頭にこびりついてる。

「あ、あの……」

「?」

 ためらいながらも口を開いたルカは、浮かび上がった疑問を正直に打ち明けた。

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