その8

 廊下に出てきたリンは、ずっと先にいるルカの背中を一瞥したあとユウトに視線を向ける。

「なんであんな話したの?」

「べつに? なに? 怒った? それとも後輩に知られて恥ずかしい?」

 ユウトは笑っていなそうとしたが、リンに無言でじっと見上げられるとすぐに降参した。

「分かったゴメン、悪かった。怖いなぁもう。……でもね、彼の気持ちも考えてあげなよ。彼のやろうとしたことは犯罪だけど、動機は、人として間違っていたわけじゃないだろ? ちょっと選択肢を間違えただけでさ。それは言ってあげてもよくない?」

「カンダイだね。カンドーした。ぜひRSAの連中にも言ってあげなよ。誰かさんに恫喝されて、ツバキさんに泣きつくほど震え上がってるから」

「ええ~、それ関係ある?」

 ユウトがフロリダ州でしでかした一件は、すでにリンたちの耳にも入っている。

 パーカー率いる精鋭チームがユウトの逆鱗にふれて機能不全に陥ったことはRSAにとって大打撃で、困窮したRSA局長の悲鳴が、国家情報長官を経由してアメリカ大統領へ届き、大統領直々に職員の現場復帰についてニホン政府に働きかけた。

 同盟国の訴えを受けた政府は、本土に滞在中だったツバキを内閣府に呼び出し、今後の対応について検討を重ねていたのである。

「ツバキさんの出張が延長されまくったのはアンタのせいだろ。カンケーないワケない」

 リンがエレベーターホールに向かって歩き出すと、ユウトもその横に並ぶ。

「いや、そうじゃなくて。僕と彼じゃ、状況が違うでしょ」

「はたから見たら同じだよ。どれだけご立派な目的があろうと、方法が間違ってたらダメなんだよ」

「あいかわらずだなあ」

 ユウトは肩をすくめると、RSAとのいざこざに関しては言及をさけ、話題をルカの件に戻す。

「けど、それなら君の話をして正解じゃないか。彼が今後の身の振り方を考えるうえで、具体例があったほうがいいだろ? 間違わないためにもさ」

「まだ早い。生き方は、自分で悩んで、考えて、見つけるもんだ。先に他人の回答例を見てマネしても意味ない」

「マネじゃなくて参考だよ。彼の場合、ひとりで考えて間違えたんだろ?」

 リンの言うことにも一理あるのだろうが、ユウトとしては、要求がハードなうえに、矯正手段としても迂遠な気がするのだ。

「もっとテキトーでよくない? 本人が更生するなら、きっかけがマネだっていいじゃん。それでまた犯罪に走るようなら、その程度の人間だってことだよ。どうせ、犯罪者ひとりひとりのメンドーなんて見てられないんだしさ」

 そう言い捨てるユウトの表情は、ドライというより冷淡であった。

 ユウトは極端な距離感の持ち主で、いったん心を許した相手にはつねに親身になり、どんな協力も惜しまないが、そうでない人間には薄情なほどに淡白なのだ。

 以前、町中で泣いている迷子を見かけたとき、ユウトは気まぐれに声をかけたが、相手が泣いてばかりで話にならないと分かると、さっさとその場を去ってしまったことがある。

 幸いアオイが現場に居合わせたため迷子は無事に保護されたものの、後日、報告を受けた慧春えはるに呼び出され懇懇と諭されたあとも、本人は不服そうであった。

 ユウトからすれば、会って日の浅いルカは道端の迷子より「すこしマシ」なだけで、個人的な思い入れなどない。この先どんな人生を送ろうと興味ないのである。

 バイトとはいえ元同僚に対する冷めた態度は、ユウトの性格を知るリンですら鼻白むほどだったが、当人はしれっとした顔で話を続けた。

「学校の件がナイショなのも、似たような理由?」

 ユウトが口にしたのは、イツキの自殺から一週間後に起きた小学校襲撃事件のことである。

 犯人は他県に住む帰還犯で、報道でイツキの件を知り、身勝手な義憤に駆られたらしい。ルカの先駆者がいたのである。

 この事件では、加害生徒を始め多くの死傷者が出て、生き残った生徒たちも転居あるいは転校し、現在、同地区内にイツキの同級生はひとりも残っていない。

 多くの犠牲者を出した凄惨な事件で、背景の事情も複雑にこみいっていることから、一ヶ月近くもの間、テレビや新聞で取り上げられた。

 ルカがきちんと調査を重ねていればすぐに判明したことであり、ルカの決意は最初から空回りしていたのだ。

「いじめっ子たちの末路を知ったら、少しは彼の気も晴れるんじゃない?」

「犯罪者を楽にさせてどうすんの? たっぷり反省させてからだよ」

 2人は降りてきたエレベーターに乗りこむと、保安課のオフィスのある5階へ上がっていった。


 一方、留置場へ戻されたルカは、居室の前で手枷は外してもらったあと、首枷はつけたままの状態で室内に入った。

 帰還犯用の首枷は、中世の刑具と違って荷重を軽減する設計になってはいるものの、まったく重量を感じないわけではない。

 首にふれる圧迫感と共に、罪の重さとなって装着者の両肩にくいこむ。

 狭く殺風景な個室でひとりになったルカは、ユウトから渡されたメモを開いた。

 そこには、同居生活ですっかり見慣れた文字が並んでいる。送り主はイツキで間違いなかった。


「ルカさんへ。

 異民局の人に知らせたのは僕です。

 ルカさんに悪いことをしてほしくなかったからです。

 僕のことで迷惑をかけてしまってごめんなさい。」


 書かれているのはそれだけだった。筆跡がやや乱れているのは、安楽死が実行される直前に急いで書き残したからだろうか。

 あの夜、あの場にリンが現れたのは、偶然でもなんでもなく、イツキが通報したからだった。どうやって知らせたのか分からないが、知りたいとは思わない。

 イツキを責めるつもりなど毛頭ない。むしろ逆であった。

 あのときの自分は正気ではなかった、と今なら分かる。そんな自分と対峙させられて、イツキはどれだけ不安だったろうか。それを思うと、奇行に走った自分自身への怒りがこみあげてくる。

 ただ、あのとき感じていた「イツキのために何かしたい」という思いだけは今も変わらない。

 それだけに、少年の手紙はルカには辛かった。

「謝ってほしかったわけじゃないんだ……」

 何度も読み返したあと、そう小さくぶつやくと、ルカはメモを手にしたまま目を閉じて壁にもたれた。

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