その7
「反対に、みんなが正義を信じなくなったらどうなると思う? つまり、誰も社会のルールを守らなくなったらってことだけど。難しく考えなくても分かるだろ? 道路は信号無視の車であふれかえって、町中にゴミが捨てられて、強盗や殺人もやりたい放題。言葉通りの無法地帯。そうなったとき一番最初に犠牲になるのは、どんな人たちだと思う?」
「……」
「戦う力の無い人間や、力はあっても戦う意志のない人間さ。たとえば君の同居人とかね。そうは思わない?」
同級生たちへの報復を頑なに拒むイツキの顔を思い浮かべたルカは、ユウトの言葉に自然にうなづいていた。
「実際、ちょっと前にそんな世界になりかけた。法律では裁けない事件や事故があちこちで起こって、大勢の人間が『もういっそ法律なんて無視していいんじゃないか?』って考えるようになった。世界からルールが消えかけたんだ。結果から言えば消えずに済んだわけだけど、完全に元通りになったわけじゃない。新世界を願う声はまだまだしぶとくて、いつまた爆発するかわからない。ギリギリのラインで踏みとどまってるだけ。君はまだ実感ないかもだけど、帰還民の存在はそれだけ危険なんだよ。世界の常識や秩序が簡単に壊れてしまうくらいにね。じゃあ、そんなアウトローな世界にしないために、どうしたらいいと思う? 何かいいアイディアある?」
「……」
「
ユウトの話を黙って聞いていたルカは、不意にある日の光景が頭をよぎった。それは2週間ほど前、第2層から戻ってくる外周列車での一幕だ。
掘り起こされた記憶はぼんやりとしていて、会話の内容までは思い出せない。なぜ急にそのことを思い出したのかも分からない。
ただ、こうしてリンの信条を知ることで、あのときの何かが心にふれた気がするのだ。
「君も言ったように、いろんな国の、いろんな人間が、いろんな立場で、いろんな正義を口にする。しかも、みんな自分が慣れ親しんだ『正義』を一番だと思ってて、他人の『正義』より上に置きたがる。困ったモンだよ。『我が家のカレー』じゃないっての。おかげで、誰かの正義のために、誰かと戦おうとしたら、別の誰かの正義をふみにじることになる」
いったん言葉を切ったユウトは、少しばかり真面目な表情を作ってルカと向き合う。
「彼女は正義そのものにはなれない。というよりなるつもりがない。自分を正しいなんて思ってないからね。でもその代わり、今ある正義が消えないよう、正義に味方することはできる。だから、彼女が守るのは、自分の信じる正義だけ。誰のためにも戦わない。誰の味方もしない。──彼女は、正義のために戦う、正義の味方なんだ」
「……っ!」
ユウトのさりげない一言に、ルカは目をしばたたかせた。
「……誰の、味方も、しない。それが、正義の味方……」
頭の中で反芻するうち、自然とつぶやきがこぼれ出ていた。一言一言噛みしめるように。
ルカは自分でも不思議なほど、強く心を揺さぶられていた。理由は分からないが、「セイギノミカタ」という使い古された言葉の意味を、いま初めて理解したような気がする。
(なんだろう。今、なにか、つかみかけたような……)
ところが、そうやってルカが感慨にふけりかけたとき、パラダイムシフトを引き起こした張本人がまぜ返すようなことを言い放った。
「──っていうのが彼女の言い分。誤解しないでもらいたいんだけど、コレはあくまで彼女個人の考えで、異民局全員が同意見じゃないから。僕なんかはむしろ君よりだよ。ルールより大事なモノって、たくさんあると思うんだよね。逆に『ルールってそんな大事?』っていう。時代遅れなルールなんて無くしたほうがいいと思うんだけどね。アップデートっていうかさ。今までだってそうしてきたわけだし。
余韻を台無しにされ唖然となるルカをしり目に、ユウトは滔々としゃべり続ける。まるで、その場にいない別の誰かに聞かせているかのように。
「だいたいさあ、彼女にしたってドコまで本気か怪しいモンだよ? いっつもツバキにベッタリで、
さっきまで熱心にリンの信条を説いていた少年が、一転してその姿勢を批判している。
訳が分からず目を白黒させるルカに向かって、ユウトはいわくありげな視線を向けると、何やらそそのかすように告げた。
「──ま、そんなワケだから、彼女の言うこと真に受けることはないよ」
どうやらそれが一番言いたかったことのようだ。
椅子から立ち上がったユウトは、部屋の壁に埋めこまれた巨大鏡へ意味深に笑いかけると、もはやルカに構うことなく、ドアの外に待機していた職員たちを室内に招き入れた。
入ってきた2人の職員は、左右からルカの体を抑えて席から立たせる。
3人が連れ立って取調室を出ていきかけたとき、ユウトは懐から取り出した紙切れをルカの手に握らせた。
「同居人からの手紙だよ。あとで読むといい」
「!? イツキの!? いつこれを!? ほかには? 何か言ってなかったか!? 今どうしてる!? 生きてるのか!?」
ルカは手紙に関する詳細を聞きたがったが、ユウトのほうにその気はなく、あしらうような手振りで職員を促すと、ルカは引きずられるようにして留置場へ去っていった。
その姿が見えなくなったタイミングで取調室に隣接する小部屋のドアが開いた。
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